いつぞや、深夜のテレビの、誰が見るの?と首をかしげるような音楽番組というかただ単にあまり聞いたことのない歌手のプロモーション・ビデオを垂れ流す時間枠を、BGM代わりに点けておいたのだが。
”桜舞い散る中で僕らは~
どうか憶えていてくださいこの日を~”
なんて歌詞を、いかにもナイーブでございます、みたいな猫なで声で甘ったるく歌う一曲が流れて来た。「なーにを軟弱なことを言っておるかっ」と画面を見ると、意外にも不健全で売ってる筈の”ビジュアル系ロックバンドでござい”みたいな連中が、なにやら不似合いな明るい笑顔を浮かべ、桜の花びら舞うなかで歌う様子が見える。
そういえば時期的に卒業狙いってのがあるのかな、その種の新曲がチマタでも多いように感じられる昨今。で、皆、揃いも揃ってそんな具合の手放しの感傷垂れ流し楽曲だ。女の子のシンガー・ソングライターとかが口にする”卒業の日~”なんてフレーズはもう、神聖にして犯すべからず、ほとんど天に差し出す聖なるコトバみたいに恭しく発音されているのである。
まったく・・・草葉の陰で、あの尾崎豊は何を思うであろうか。彼が卒業式へのあてつけに夜の校舎で窓ガラスを壊して歩いた、そんな日々も遠くなりにけりか。私にしてみれば青臭いガキでしかなく思えた彼もまた、時の流れとともに旧世代のヒーローとして苔むして行かんとしているのだろうか?
そこまできてふと思ったのだが、いまどきの青少年にとって学校ってのは楽園なのか、ひょっとして?私がガキの頃には学校は牢獄で教師は明確に敵だったのだが、今は楽しい遊園地、センコーは気の良いオトモダチなのかなあ?そんな事はないだろうな、いくらなんでも。でも、今ウケの卒業ソングに溢れる学校生活賛美、惜別の情垂れ流しのありようから類推すると、そうとしか思えなくなって来るんだが。
どうなってるんだ。今、そんなに学校は良いところになってるのか?と尋ねようにも廃墟の街暮らしの私には、質問相手の若者を見つけるのが至難の業だったりする沈黙の春である。寒いっスねえ、いつまでも。