ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

プラターズの憂鬱

2006-02-20 03:48:27 | 北アメリカ

 あーどうも先日引いた風邪がなかなか抜けなくてうんざりしているところです。なんか初日に急にひどい発熱、のちに筋肉痛があったり、その後日、くしゃみが出たり下痢があったりと、風邪の本番と前駆症状とがごちゃ混ぜになって襲って来ている感じ。抜けたかなと思うと、背中に悪寒が忍び寄っていたりして、陰険この上ない。今年の流行はこれですかね~。んも~。早く春が来ないかな~。も~。

 50年代に人気のあった、”オンリー・ユー”なんかのヒットで有名なアメリカの黒人コーラスグループ、プラターズ。私が以前持っていた彼らのベスト・アルバム(アナログ盤)の裏ジャケには、ニューヨークはマンハッタンあたりの高層ビルの、その上層階の窓ガラスに翳り始めた夕日が当たっている、そんな写真が使われていて、なかなか良い感じだったのでありました。洗練された大都会なんだけどダイナミックに活動している最中ではなく、夕刻の、都会の憂鬱なんかが街角に漂い始める瞬間がうまく捉えられ、それがプラターズの音楽世界をうまく表現していると思えた。

 もろに白人的アレンジを加えられたドゥワップ・コーラスで、都会的な感傷とでもいうべきものを朗々と歌い上げるプラターズ自身の、その歌自体におけるポジションというものはよく分からない。歌の舞台になっている洗練された都会生活は、いかにもな白人のそれなりに富裕階級の日々を連想させるもので、同じ白人連中ならば、「いつかは俺も」と夢見ることも可能だが、当時、プラターズらが属する黒人庶民から見たら、どうだったのだろう?
 そんな高層ビルの窓ガラスを遥かに仰ぐハーレムで、空きっ腹と持って行きようのない不満や怒りを抱く、貧しい黒人の若者だったら。それとも彼らもまた、彼らなりにプラターズの提供する”夢のアメリカン・ライフ”の幻想に酔っていたのだろうか?

 いずれにせよ芸人、のプラターズ自身にしてみれば「ギャラさえいただければ、どこへでも歌いにうかがいます」だったのだろうが。自分たちだって、昔のハーレムの生活なんかには戻ってたまるものか。白人の旦那方、よろしくご贔屓のほどをっ!もちろんそれだって立派な一己の生き方であって、文句をつけるなら、もっと別のほうに行くべきだろう。

 ・・・そんな罪深かささえも、ある種のスパイスとして、プラターズの愛のバラードは甘美に香るのでありました。