ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

くわせもの、ラウンジ・ナイト

2006-02-02 03:22:31 | アジア

 前々回書いた、バリ風ガムランによる日本の歌謡曲アルバムの話題の続きです。
 まあ、あのアルバムがなんなのか、いまだ正体はつかめないのですが、何しろ日本人観光客も大量に訪れている人気観光地のバリ島のことですからね、たとえばかの地の日本人相手のレストラン、あるいは土産物屋なんかで、日本人観光客が来たときに流しておけば受けるんではないか、なんて純粋にビジネス上の必要上から生み出された商品って可能性もありますな。

 ただ、ジャケのつくりが妙に学究的雰囲気を出しているのと、演奏があまりに堂々たる本格派ガクラン音楽なんで、むしろ主役たる日本のメロディが、その中に埋もれてしまっている感もあり、このへんに注目して聞いていると、なにやらやっぱりインドネシアの人たち自身の、なんらかの音楽的欲求を満たす目的で作られた”内向きの商品”という気もしてくる。
 いずれにせよバリ島という島の文化がなかなかの曲者であること、かの地の文化史に焦点をあてた書などを紐解いてみると、よーく分かる仕組みになっております。

 なんか、あの島の文化が西欧文明の知らないところで独自の発展を遂げた、みたいに信じ込んでいる人がいるみたいだけど、というか、いまだ、そちらの勢力のほうが多いんだろうけど、とんでもない話でね。まあ、詳しい話は私のアバウトな解説なんか読むより、いろいろ検索などして適切な書物にあたって欲しいと思いますが。

 とご注意申し上げた上で、ここではすべてすっ飛ばしていきなり結論に至ってしまいますが、雑に言ってしまえば、はるか東洋の島、バリ島にやってきた西洋人の”東洋の神秘”を求める思い込みと、”その期待にこたえて神秘の島の住人を演じ切れれば金になるのか”と気がついたバリの人々。この両者の都合やら思惑やらが作り上げた、でっちあげの”豊かなるバリ文化”であったりする部分、相当にあるようなんですよ。
 神秘なる東洋の文化の、しかも期待を裏切らない面白いやつに出会いたい西洋の観光客と、その事情を知ったバリの人々が、自分たちの伝統文化をベースに、あくまでも”商売”として、西洋人に受けそうな装いを凝らして作り上げていったのがバリの文化だったりするわけです。音楽ばかりじゃなく、絵画なんかもね。そんなものの集積。

 西洋人の金持ちの旦那方が芸術っぽい傾向をお望みならば、その芸術なるものの何たるかを調べ、学び、で、それらしいものを作り上げてみせる。ヤバい商売ですなあ。したたかでしたねえ、バリ島の人々。でもなんかちょっとゾクゾクするのはなぜだろう。いやなに、面白そうじゃないか、その作業。職人の心意気って奴ですか。

 まあともかく。そのような道筋を踏んで出来上がっていったなんて事も知らす、これまでにもネタ切れ気味のクラシックの作曲家のセンセイなんかがバリ島を訪れ、「おお、ここにこのようなすばらしい芸術が!」とか喜んで来たって経緯もあるのだから、ちょっと嬉しくなってきますね。
 現地の、おそらくは譜面も読めない人たちが「白人の旦那の好きなお芸術印~♪」とか言いながら作り上げる”芸術音楽・ガムラン”と、それをもっともらしい顔で鑑賞して感銘を受けてしまう、ヨーロッパから来た白人の旦那がた。

 徒手空拳のアジアの庶民が、彼らの国を奪い簒奪を行った植民地主義者たちに、知らぬところで一発見舞った”一休さんのトンチ話風痛快鼻あかし物語”系の復讐劇と評価するのは。でも、これもまた、私というよそ者の、勝手な都合による意味付けなんだろうなあ。