ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

産業革命最初の夜に

2006-02-08 03:46:40 | ヨーロッパ

 毎度、マイナーな話題で恐縮ですが、今回も。1980年代に活躍した英国の前衛トラッド・バンドのお話など。このバンド、本業(?)の英国民謡と平行して1930年代のボードビル風の音楽をやってみたり仏教音楽に手を出してみたりの、なかなか不思議なバンドで、私なんかは大好きでしたがねえ。今頃、どうしていますか。
 まあ、そういうバンドってのは大体、あんまり長続きはしませんね。ここらで文章にしておかないと、私自身が彼らのことを忘れかねないんで、ちょっとここで誰にも通じないかもしれない昔話など。いや、誰にも通じないかもって、同好の方、おられましたら嬉しいんですが。

 蒸気動力による十九世紀風疎外感発生装置
 (PYEWACKETT;The Man in the Moon Drinke Claret)

 太古、生身の女を愛せなかったキプロス島の王、ピュグマリオンは、女神に頼んで女をかたどった彫像に命を吹き込んでもらう。そして王は神の祝福の元、生命を得た人形であるところの女と結ばれ、子供までもうけたと言う。

 が、時はいつまでも太古のまどろみの中にとどまってはいない。ある日、発明された時計の中でゼンマイがきしみ、時は流れ出す。”産業の世紀”がやって来る。
 そして。かって”王妃”であったところのカラクリ人形は”産業ロボット”として生産ラインの中枢に組み込まれ、かってのキプロス王は、工場の仕事に疲れた中年の労働者の姿で場末のポルノショップの店先に佇み、ショウウィンドゥのグロテスクなダッチワイフに空しく見入る・・・

 種村季弘氏の著作に何度か紹介されている、ピュグマリオン王の伝説と、残酷物語に終わる”その後の考察”は、字義通りにプログレッシヴなトラッド・バンド、Pyewackettのアルバムにおける”時”が流れ出す以前の妖精郷の、村落共同体の思い出を伝えるトラッド曲と、その狭間に挿入された、奇妙に歪んだ形で奏でられるボードビル調の曲の取り合わせを想起させます。

 神話世界を追われた幾人もの、かっての”キプロス王”が空しく立ち尽くす毒々しいネオンサインの下。聞こえてくる”The Merry-go-round Broke Down”は、完奏寸前で崩れ去る・・・(欧米では、遊園地とは子供たちよりもむしろ大人の、しかも労働者階級のためのものだった、そんな話を映画”第三の男”を論じた文中に見つけた記憶がある)

 ”近代”は”商品価値”を求めてカラクリ人形という児戯からも”道具”としての機能を引き出し、郷の人々を”都市に流入する安価な労働力”として巻き込みながら、妖精郷をズタズタに切り刻み、産業革命へと、資本主義社会の成熟へと押し流した。
 そして成立した産業社会において”時”は”勤務時間”として計量化され売買され、”自然”は産業のための素材として克服されるべき、単なる”もの”と化した。信仰という”糧”を絶たれた”神話”は、田園において涸れ果てんとする。

 妖精郷を失い、機能する場のない民謡たる”トラッド”は、思い出の中で研ぎ澄まされ、聖像(イコン)と化し、見上げるものとてない都市の夜空に輝いている。

 私にはこのアルバム、人々が産業革命の最初の夜に結んだ不安な夢の結晶に聞こえるのです。