『ギフト』『ヴォイス』に続く、西のはての年代記‥
3作目の『パワー』・・・・・読み終わってしまいました。
読み始めることを躊躇していたくせに、読み始めたら
その世界感はとても自分好みであるということがわかり、
主人公ガヴィアの物語に引き込まれていき、終盤にきたときは
いつまでも、この物語が終わってほしくないとさえ、思っていました。
『パワー』西のはての年代記Ⅲ
アーシュラ・K・ル=グゥイン 作 谷垣暁美 訳
ガヴィアが住むのは「西のはて」の中の都市国家のひとつエトラ。
幼い時に、姉とともにさらわれてきた奴隷ですが、彼らが暮らす
アルカ館は奴隷に対する扱いが比較的よくガヴィアも、姉も、
主人の子供たちとともに、教育を受けることができました。
ガヴィアは、とても賢い子供で、詩と歴史が好き。
そして、一度読んだものは何でも覚えることができるという優れた
記憶力とともに、ビジョン(=幻)を見ることができる、
特別な能力=ギフトを持っています。
奴隷という身分であることに、誰も疑問を抱いていないような
アルカ館の奴隷たち。
ガヴィアも、主人の一族を信頼してはいましたが、その気持ちが
揺らぐようなことも度々あり‥ある日起こった悲惨な事件から
現実の日々に目をそむけ、放浪の日々が始まります。
その「旅」は、大好きだった姉が殺されてまったという現実からの
逃避であり、奴隷の身分からの逃亡でした。
またそれは、自分というものをみつめ、自分とは何かを考える、
膨大な時間の積み重ねであり‥同時に、ガヴィア自身が
自由人として新たに誕生を迎える日までの、成長の旅でも
あるのでした。
前半に、こんな箇所があります。
(奴隷というポジションがとてもわかりやすく、胸が痛くなる文章です。)
本を自分をものにするのは初めてだった。いや、自分のものを
もつのも初めてだった。自分が着ているものをぼくの服と呼び、
教室で使う机をぼくの机と呼ぶ。けれどもそれらは実際には
ぼくのものではない。ぼく自身と同じくアルカ館の財産だ。
けれど、この本は違う。この本はぼくのものだ。
「この本」とは、ガヴィアがまだアルカ館の奴隷のとき、
(=放浪の旅へと出る前、まだ姉が生きているとき)
都市間での戦いがあり、その渦中で、別の町の仲間から
もらった本のことです。
それは小さな手書き写本で、中にはオレック・カスプロの詩が
記されています。
全部読み終わったあとで、いろんな場面が次々に浮かんできましたが
このくだりは、とても印象深いものでした。
ガヴィアが初めて、自分自身のものを所有したのが、
『ギフト』の主人公である、オレックの詩の写本だったなんて!
放浪の旅の途中、森の中の逃亡奴隷の都市〈森の心臓〉にも
暮らしたガヴィアが、そこを去らねばならなくなったとき
次のように思います。
そして、アルカマンドと森でのぼくの生活全部。ぼくの読んだ
すべての本。知り合ったすべての人。犯した間違いのすべて。
今度はそれらのすべてをもって旅に出ようとしている。
それらの持ち物から逃げることは、もうするまいとぼくは
心に誓った。もう二度と逃げない。それらの記憶をー
その全部をぼくは常に携えて行く。
少しづつ、姉の死のショックから立ち直り、
少しづつ強くなっていくガヴィア。
ビジョンの導きに従ってみようと思える気持ちを支えているのは、
言葉を愛し、詩を愛し、本を愛することで培われた想像力なのでは
ないかなと思います。
西のはての年代記は、創大な物語で、考えさせられる箇所、
胸が痛くなる記述、現実世界とのリンクなど‥読みどころは
たくさんあり、そのどれをとっても読み応え十分です。
それと、登場人物が、どの巻も、とても魅力的な人々で
溢れていました。
でも、なぜかな。
私は、この『パワー』を読んでいるときも、『ギフト』の中の、
オレックのお母さんのことばかり思い出していました。
ガヴィアが長い旅の途中で、連れていくことになった一人の
少女の名前はメル。
オレックのお母さんの名と同じだったなんて‥
最後のこういうところが、物語って大好きと思ってしまうところです。
*『ギフト』の過去記事 ☆ 『ヴォイス』の過去記事 ★
3作目の『パワー』・・・・・読み終わってしまいました。
読み始めることを躊躇していたくせに、読み始めたら
その世界感はとても自分好みであるということがわかり、
主人公ガヴィアの物語に引き込まれていき、終盤にきたときは
いつまでも、この物語が終わってほしくないとさえ、思っていました。
『パワー』西のはての年代記Ⅲ
アーシュラ・K・ル=グゥイン 作 谷垣暁美 訳
ガヴィアが住むのは「西のはて」の中の都市国家のひとつエトラ。
幼い時に、姉とともにさらわれてきた奴隷ですが、彼らが暮らす
アルカ館は奴隷に対する扱いが比較的よくガヴィアも、姉も、
主人の子供たちとともに、教育を受けることができました。
ガヴィアは、とても賢い子供で、詩と歴史が好き。
そして、一度読んだものは何でも覚えることができるという優れた
記憶力とともに、ビジョン(=幻)を見ることができる、
特別な能力=ギフトを持っています。
奴隷という身分であることに、誰も疑問を抱いていないような
アルカ館の奴隷たち。
ガヴィアも、主人の一族を信頼してはいましたが、その気持ちが
揺らぐようなことも度々あり‥ある日起こった悲惨な事件から
現実の日々に目をそむけ、放浪の日々が始まります。
その「旅」は、大好きだった姉が殺されてまったという現実からの
逃避であり、奴隷の身分からの逃亡でした。
またそれは、自分というものをみつめ、自分とは何かを考える、
膨大な時間の積み重ねであり‥同時に、ガヴィア自身が
自由人として新たに誕生を迎える日までの、成長の旅でも
あるのでした。
前半に、こんな箇所があります。
(奴隷というポジションがとてもわかりやすく、胸が痛くなる文章です。)
本を自分をものにするのは初めてだった。いや、自分のものを
もつのも初めてだった。自分が着ているものをぼくの服と呼び、
教室で使う机をぼくの机と呼ぶ。けれどもそれらは実際には
ぼくのものではない。ぼく自身と同じくアルカ館の財産だ。
けれど、この本は違う。この本はぼくのものだ。
「この本」とは、ガヴィアがまだアルカ館の奴隷のとき、
(=放浪の旅へと出る前、まだ姉が生きているとき)
都市間での戦いがあり、その渦中で、別の町の仲間から
もらった本のことです。
それは小さな手書き写本で、中にはオレック・カスプロの詩が
記されています。
全部読み終わったあとで、いろんな場面が次々に浮かんできましたが
このくだりは、とても印象深いものでした。
ガヴィアが初めて、自分自身のものを所有したのが、
『ギフト』の主人公である、オレックの詩の写本だったなんて!
放浪の旅の途中、森の中の逃亡奴隷の都市〈森の心臓〉にも
暮らしたガヴィアが、そこを去らねばならなくなったとき
次のように思います。
そして、アルカマンドと森でのぼくの生活全部。ぼくの読んだ
すべての本。知り合ったすべての人。犯した間違いのすべて。
今度はそれらのすべてをもって旅に出ようとしている。
それらの持ち物から逃げることは、もうするまいとぼくは
心に誓った。もう二度と逃げない。それらの記憶をー
その全部をぼくは常に携えて行く。
少しづつ、姉の死のショックから立ち直り、
少しづつ強くなっていくガヴィア。
ビジョンの導きに従ってみようと思える気持ちを支えているのは、
言葉を愛し、詩を愛し、本を愛することで培われた想像力なのでは
ないかなと思います。
西のはての年代記は、創大な物語で、考えさせられる箇所、
胸が痛くなる記述、現実世界とのリンクなど‥読みどころは
たくさんあり、そのどれをとっても読み応え十分です。
それと、登場人物が、どの巻も、とても魅力的な人々で
溢れていました。
でも、なぜかな。
私は、この『パワー』を読んでいるときも、『ギフト』の中の、
オレックのお母さんのことばかり思い出していました。
ガヴィアが長い旅の途中で、連れていくことになった一人の
少女の名前はメル。
オレックのお母さんの名と同じだったなんて‥
最後のこういうところが、物語って大好きと思ってしまうところです。
*『ギフト』の過去記事 ☆ 『ヴォイス』の過去記事 ★
昨日の入学式は慌ただしくばたばたと過ぎて
いきましたが、それもまた、ひとつの思いでですね・笑
>本ではないところで、まだまだ物語は続いているようで
うんうん、この感じすごくわかります。
「西のはて」が、どこかに存在しているような‥
オレックの家で、メルも日に日に成長しているような‥
いつの日か、続きのものがたりが読めたら、嬉しいですね。
>気づいてない部分がまだ他にもあるんだろうなあ
きっと私も、そういう部分たくさんあると思います。
名前のことは、まだ本が手元にあったので、
書き残しておくことができましたが・笑
(オレックたちの娘の名もメルだったとも、
記述がありましたが、オレックとグライの間に子供がいたのだったったけ??
と、もう思い出せませんでした)
私も、もう一度、ギフトから一気に読む、という
贅沢を味わいたいです~
青空に桜のピンク‥きれいですよね~
>女性としての 海のような ふところの深い 複雑さを持つ視点を 持っているからかと
ル=グゥインさんの作品、ほんとにそう↑
だと思います。
壮大な世界観が描かれているけれど、心の中の細部も
決して見過ごしてないし‥
「そして、ねずみ女房~」もとても興味深い内容ですが
実は、あまり進んでないんです。
物語ほどひきこまれないというか、私は
ほんとうに物語や長い小説を読むのが好きなんだなあと
感じています。
ギフト・ヴォイス・パワーの3部作は
3重◎で、お薦めです♪
「指輪物語」を読んでいるときもそれでしたが
その世界の、地図もおもしろくて、何度も何度も
本文と照らし合わせてみてました。
またその世界に浸りたいです・笑
今日もいいお天気ですね~
もしも‥「ヴォイス」に戻るのがちょっと‥
という感じでしたら、「パワー」を先に読んで
しまってもと、思ったのですが、
やっぱり、その後の、オレックたちが描かれている
ヴォイスは読んでおいたほうがいいです・笑
この本を書いた人が、女性だと、最初から知っている
からなのか‥ル=グゥインさんの作品の中の
女性はみな魅力的だなあと思ってしまいます。
たとえ運命に翻弄されてしまうだけの人でも、
男性よりも、より自分の内面を見つめている感じがします‥
ギフトからまた読み返してみたくなってます。
真新しい制服姿の一年生に、スーツ姿のお母さんを見かけ、
rucaさんとrちゃんの姿を思い浮かべました。
きっと今日も心に残る一日でしょうね。
三部作を全て読み終えたとき、とうとう終わってしまったか・・・と
淋しさを感じました。
本ではないところで、まだまだ物語は続いているようで。
『ゲド戦記』のように、何年か経ってから続きを
書かれることがあるかもしれませんね。
期待したいです。
オレックのお母さんがメルだったことに、rucaさんの記事を読んで
初めて気がつきました~(冷や汗)
そういうところで、また一段と物語の深さがますんですよね。
たぶん、気づいてない部分がまだ他にもあるんだろうなあ。
ル=グウィンの描く世界観は深くて、時間をおいて
何度でも読んでみたいと思います。
とりあえず、一気に三冊を通して読む贅沢を味わいたいです(笑)
なんという偶然! いやいや 必然?
同じ波長を 感じてしまいましたヨ^o^
末盛先生が 目を通してないなんて ありえないですよね。 人の話を聞くとき 自分の引き出しに 入っているものが 多いと より深く 理解できるんですね。 本は おなかを満たしてはくれないけれど 容量以上のものを 与えてくれます。
そして 「ヴォイス」ですもの!
ル=グゥインの 物語の深さは どこから来ているのかと 時々考えます。 哲学的という 以上に 女性としての 海のような ふところの深い 複雑さを持つ視点を 持っているからかと。 私もいつまでも先送りにしていないで 読まねば o^^o
今日は入学式ですね。おめでとうございます♪
桜の花びらの降る中、新たなる一歩を進め行く~そんな姿を想い描いています。
『ヴォイス』の途中で断念して、そのままになっていましたが、やはり『パワー』まで読んでみなくてはいけない…気持ちになってきました。
オレックのお母さんのこと、私も深く残っていて。ふと思い出すことがあります。