木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

祠の風景

2024-05-14 11:34:20 | 随想
ふと3年前の8月に六甲山の祠にて
見た光景を思い出しています。
瀬織津姫を祀る祠にて供えていた菊の花に
陽射しが当たり、菊の花が光を反射して
祠の岩が黄金色に輝いているという光景を。

このような事があるのだな、と手を合わせました。
居合わせる時間が少しでも違えば、また天候が
曇なら、或いはその時間だけ太陽に雲がかかれば、
または木々の位置や角度が違っていれば、果ては
供えていた菊の花の位置が少しでもずれていたら
菊の花が陽射しを受けて光りを祠に放つような
光景は生まれていません。

これは偶然と言えば偶然でしょうが、しかし
見事な偶然、何かの徴、何かの表れとも見えました。
瀬織津姫は長らく権力者により存在を封印され
てきた太古日本の縄文の女神です。
時の権力は古事記や日本書紀を編纂するに際して
瀬織津姫の存在を隠して瀬織津姫の夫である
天照大神を女神にすり替えて長らく縄文の神々を
封印し日本の歴史を改竄してきました。

私達は本来の太古日本の姿を知りたいですね。
本来の姿を知れば認識や風景が変わります。

以下、昨年2023年2月11日建国記念日に
瀬織津姫の祠にて随想した内容を転載します。

(以下、昨年の建国記念日に祠にて随想 転載)

瀬織津姫の御霊を祀る祠にて。
鈴を鳴らすと空気が引き締まり
気持ち良いです。
私はいつも祠では一人を好みます。
一人で祠に向き合うほうが色々と
感じるからです。

いつも祠に入ると不思議なもので
ウトウトと眠たくなります。
また時に甘い芳香が漂ってくる事も
あります。
それは時として、何かに包まれたかの
ような感覚。

祠に座っているうちに、ある日ふと
想像力がかきたてられました。
「人がもし、女神に恋をしたならば
 それは許されるのだろうか。」
と。
或いはまた別の想像が湧いてきて
「女神が人の男に恋をする事はある
 のだろうか。」
と。
これをいつか小説にしてみたら面白い
とも思いました。

世の中には
・叶わぬ恋
・実らぬ恋
・禁じられた恋
とがありますが、人がいくら願っても
神と交際など不可能ですから、この場合
は叶わぬ恋という事になるのでしょう。

また女神が、神様が人間の男に恋をする
わけなどなく、もしあったとしてもそれは
掟として許されるものではありませんから、
これは禁じられた恋という事になるのでしょう。

またふと想像力が搔き立てられました。
ならば女神が誰かこれはと見立てた人間の女性
の意識に働きかけて、その人間の男のもとに
向かわせるという事はあり得るのではなかろうかと。

何か良い小説になりそうですね。
全ては人と人とが織りなす横軸と、人と神
が織りなす縦軸があり、その横軸と縦軸とが
交わるところが見えると面白いですね。

         〜以上、転載を終えます〜

遠距離恋愛をしている方々もいますが、遠距離恋愛
とは単に距離を言うのではなく、時空として
捉えてみたら、それもまた遠距離恋愛になり得ます。
今やアインシュタインの相対性理論は瓦解しており
光の速さが最速ではない事が明らかになっています。
アインシュタイン自身も
「私は生涯において光とは何か理解できなかった。」
と述べています。
アインシュタインもまた支配階級に利用された
御用学者だった可能性を感じないではいられません。

時空は歪みます。
例えば3万光年の彼方から、光ならば3万年も
かかる距離を時間空間が歪む事により一瞬で
往来できるのが事実です。
ならば、時空を超えて一瞬で往来する事も
あるわけで、縄文の女神が時空を超えて降臨
したとしても不思議ではありませんね。

時空を超えて現れる。
現実にあり得ます。
ふとそのような随想をしてみました。


コメント
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