木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

廃れゆく日本の姿は蘇生できるか

2017-08-30 23:52:13 | インポート
 色々な街角で居酒屋が廃業していく姿が目に付く。
 給与が減少した、或いは若者の多くが非正規雇用になったために
一昔前のように仕事帰りに一杯でも飲もうかというような光景が激減
し、これまでの時代なら月に数回は職場や仕事関係者との仕事帰りの
一献が節約のために行われなくなり居酒屋がその煽りを受けて売上が
激減または閉店となっているようである。
 またタクシーもかつては数年間タクシーの運転手の仕事をすれば新築
の家が購入できるのが相場だったが、今は多くの会社員が給与減少か
若者の非正規雇用化、交際費減少などで最終電車までには皆が帰る
ようになり節約のためにこれまでのようにタクシーを利用しなくなった。
 結果としてかつてはお客がタクシーの乗車待ちで列をなしていた姿が
今では逆になりタクシーがお客が乗車するのを待つために長蛇の列を
なしている有様である。

 若者の車離れも同様である。
 今の若者は車を欲しいとは思わないとの評論がされているが、そうでは
なく多くの若者が非正規雇用化されて年収が200万円にも満たない場合
が多くなったために、中古車ですら車を購入しようという方向にエネルギー
が向かわないのが実状である。
 収入に余裕が生まれて車に乗りたい、車を購入したいという動機に向かう。
 加えて非正規雇用の若者の多くは異性との交際もしないまま年齢を重ねて
いる。
 ある非正規雇用の30歳男性に何故、彼女がいないのかと尋ねると、
「フリーターだから自分に自信がないからです。」
と言っていた。
 契約社員も同様に雇用の保証や見通しがないために交際しない男女
が増えている。
 自分に自信がないという回答には立場的なことだけでなく年収が極めて
低いという経済的な理由もあると言える。
 つまり若者を非正規雇用化した構造改革が今の惨状を生じてしまった
のである。

 アメリカの年次改革要望書による命令に忠実に従って雇用の4割を非正規
雇用化してしまった当時の小泉・竹中政権が居酒屋を潰し、タクシーを閑散と
させ、若者が車を購入できなくし、また低収入かつ非正規という雇用の不安定
化により異性と交際すらしないできない若者を激増させたのである。
 このまま推移すれば間違いなく日本が廃れる。
 そして若者が非正規雇用のまま中高年になっていき、今から30年後辺りには
家族のない独居老人が激増していくことになる。
 彼ら彼女ら非正規雇用の立場では社会保障がなく、多くが僅かな年金しかない
貧困の中にあるというおぞましい光景が広がっていく可能性が高い。
 何気ない街角の姿からおぞましい未来の光景が想像できる。
 小泉・竹中政権の時から取り返しのつかない構造改革ならぬ構造破壊をして
しまったのだという実感がじわじわと体感されてくる。
 まずは若者や中高年の雇用を蘇生させなければ大変なことになる。

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巧妙な支配と搾取の手法

2017-08-25 23:26:52 | インポート
 国民としてアメリカの支配勢力が筆頭株主のような自民党が
失政をした時に、国民にとって選挙を通じてこれに代わる選択肢
が無い状態になることは健全ではないし、国民にとっても不幸な
状態だと言える。
 私は何も自民党が嫌いなわけではないが、やはり自民党の存在
理由や本質を見ればアメリカ支配勢力の日本支部そのもの以外で
はないので日本国民として違和感を覚えないではいられない。
 
 国民を支配し搾取する手法には例えばソビエト式と英米式とが
あると言える。
 ソビエト式は国民の日常の逐一に干渉し一切の自由を許さず
財産は全て没収され、しかしその国民から没収した富で一握りの
支配者が潤っていたという手法で、国民の誰もが支配下にあると
分かるものである。
 これに対して英米式の支配手法は支配している国民を自由に泳
がせて娯楽や快楽を与え好きに過ごさせ、自分達は自由だと信じ
込ませておいて、その言動は全て把握しつつ、そして収穫の段階に
なってから根こそぎ奪うという手法である。
 後者は巧妙であるゆえに根こそぎ搾取されても搾取された国民の
多くは与えられた娯楽や快楽の中でその事実に気付かず、しかしな
がら何となく疲弊していることは感じつつも英米式の支配手法には
気付かないでいる。
 どちらの支配手法が優れているかは単純比較はできないが、共通し
ているのはどちらも支配し搾取していくということである。
 戦後72年間、英米式の支配の下にいる私達はお茶の間や今頃で
はワンセグやスマートフォン等で垂れ流される本質には決して触れな
い溢れるような情報の洪水の中で支配と搾取をされていることから目
を逸らされて過ごしてきた。

 世界情勢については日本のマスコミは外国の通信社から与えられた
映像や情報を日本国内に流しているだけであり、日本国内情報について
は日本のマスコミは英米の管理下にある霞ヶ関から貰った情報をその
まま垂れ流しているだけで、その蓄積の中で多くの国民はある方向に
染められていると言える。
 自民党にしろ民主党にしろ、そして民主党改め民進党もそれに違和感
を覚え英米式の支配手法に従わなかった政治家は抹殺されてきたし時の
総理大臣も失脚させられてきた。
 逆に言えば長期政権を維持した内閣は英米式の支配手法に従順であ
った、もしくは従順であるという事である。
 上記のような日本のマスコミが散々に民主党(当時)を筆頭として野党
を茶化してきたのは理由がある。
 民進党の代表選挙が告示されたが与党野党という小さな視野ではなく
大局的に方向性を示して欲しいと国民として願っている。

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NHK番組に感じる著しい疑問

2017-08-14 20:38:14 | インポート
 お盆の時節、NHKの番組を見ていて呆れて溜息が出た。
 この時節、戦争の検証や終戦にまつわる番組が例年通りに多い
のだが、NHK番組で匪賊(ひぞく)についての説明を番組の中で、
「匪賊とは日本に反発する中国やソ連の一部の人々のことです。」
と流されていたが、とんでもない間違いであり嘘であり勉強不足の
見識である。
 匪賊というのは日本人には無い感覚や発想のために理解しにくい
が、中国大陸や満州エリアにて跋扈していた治外法権の無法者の
群れを成した集団であり、当時の中国大陸の人々はもとより中国大
陸や満州に在住していた日本人の多くが襲撃され惨殺されてきた。
 匪賊による殺害の方法は日本人には無い手法で残虐を極め、筆舌
に尽くしがたい程に凄惨なものであった。
 当時の日本人居留民が匪賊や中国の官憲により数百名が惨殺さ
れた通州事件は当時の日本人の感情を逆撫でし、そしてそれが端緒
となって中国大陸の日本人居留民の警備や安全保護のために日本軍
が中国大陸の日本人居留区へ増派されたのが事実である。
 匪賊は中国の人々も襲撃し惨殺してきたが、戦時中や戦後の日本を
貶めるためのプロパガンダとしてそれをいかにも日本軍による仕業で
あるかのように喧伝されてきた。

 NHKの放送内容を見ていると、いかにも他国や他国の軍は善良で
日本人や日本軍が悪事をしでかしたというような間違った認識を特に
子供達に与えてしまいかねず懸念し憂慮する。
 当時において匪賊がいかに筆舌に尽くしがたい蛮行や残忍な虐殺
を行ってきて日本人が被害を受けてきたかという事実を何故NHKは
放送で伝えないのだろうか。
 私は国民として視聴者として呆れ、怒りすら覚える。
 NHKは日本の公共放送の筈である。
 受信料を支払っている視聴者及び出資者の一人として今のNHKに
申し上げたい。
 あなた達は一体どこの国の放送局なのか、と。
 まるで占領下の検閲体制下のままの状態が今も続いていると言って
も決して過言ではなかろう。

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72年目のヒロシマ、ナガサキの夏

2017-08-07 23:02:10 | インポート
 72年目の広島、長崎の夏が巡ってきた。
 核兵器が人々の生活圏にて炸裂した人類初のあの日は広島が
ヒロシマに、長崎がナガサキになった瞬間でもあった。
 あの日、日本に対して原子爆弾を炸裂させるということは既に
決定事項だったが当初は京都と奈良に投下される予定だったという
事実を京都や奈良の人々はどこまでご存知だろうか。
 もしも当初の計画通りのままに京都と奈良に原子爆弾が炸裂して
いたならば今日の京都や奈良の姿はなく、多くの歴史遺産や文化財
が灰燼に帰していたことを思えば恐ろしくもある。

 様々な経緯があって先ず広島が原子爆弾の投下対象となった。
 そして次に投下予定となったのは工業都市だった北九州の小倉
だったのだが当日は雨が強く地上の投下目標が明確に見定められ
ないとのことで、そのまま急遽、長崎へと投下予定が変更された。
 結果として壊滅したのは広島と長崎だったが、京都や奈良も運命
は紙一重だったという事実を特に関西の人々は認識する必要がある。
 関西の小学校、中学校でもそのような重みをもった平和教育が行わ
れて然るべきだろう。
 原子爆弾の炸裂により全てが破壊され廃墟となった広島は、失意の
どん底にいる広島の人々に少しでも生きる希望を与えようと、野球が
活発だった土地柄もあって広島野球倶楽部が原子爆弾が炸裂した5年
後の1950年に設立された。
 今日のプロ野球球団・広島カープの前身である。
 今でこそ広島カープは全国区の人気球団となっているが、一昔前ま
ではローカル球団で広島県を中心とした地域の人々に熱烈に愛された
存在だったのは球団が発足した背景が広島の廃墟からの復興の歩み
と共にあったからだと言える。

 72年目のヒロシマ、ナガサキの夏に鎮魂の思いで心より合掌す。

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