私は一人の日本人、日本国民として世の中にどのように向き合う
のかという立ち位置をふと自問してみた。
私は資産家ではない。
また資本家でもない。
ごく普通に暮らす一人の日本国民である。
そして同時に日本国民として日本人として、日本国の歩みと歴史を
愛し誇りを持っている。
津々浦々の風景や物語が好きである。
つまり私は「草の根保守」ではなかろうか。
また保守であるがそれは頑迷ではない。
守るべき大切なものや伝統、文化は尊重しながら継承し、同時に変えて
いかなければならないものは時代に即した内容に改めていくという不易流行
である。
保守とは不易流行でなければならないのではなかろうか。
かつて自民党の政治家が講演の中で、
「資産家や経営者でなければ保守にはなれない。」
と述べていた事を聞いて違和感を覚えた。
市井に暮らす国民の中に保守は存在する筈ではないのか、と。
そして保守とは一体何なのだろうかと考え始めたのである。
この講演で私が聞いた自民党議員が定義していた保守とは何か特定の
偏りを感じ、国民の中に存在する不易流行の感覚からずれているのでは
ないかと感じた。
そしてふと自問した時に、私は草の根保守なのだという自我を持った。
草の根が健全に存在することこそが最大の国防になるのではないか。
だから私は「草の根保守」という視野で世の中に向き合いたい。
また空海の真言密教がある。
真言密教とは密教つまり見えない世界の真言つまり本当の事、という
意味だと理解しているが、世の中に向き合う政治については真言でありたい。
つまり真言密教ならぬ真言政治でありたいと志している。
つまり私は、草の根保守という自我で真言政治を志向している。
年末年始の穏やかな時間に瀬戸内海の美しい海を眺めながら、ふと十数年
の時間空間を回顧し回想し、そのように自問自答したのであった。
のかという立ち位置をふと自問してみた。
私は資産家ではない。
また資本家でもない。
ごく普通に暮らす一人の日本国民である。
そして同時に日本国民として日本人として、日本国の歩みと歴史を
愛し誇りを持っている。
津々浦々の風景や物語が好きである。
つまり私は「草の根保守」ではなかろうか。
また保守であるがそれは頑迷ではない。
守るべき大切なものや伝統、文化は尊重しながら継承し、同時に変えて
いかなければならないものは時代に即した内容に改めていくという不易流行
である。
保守とは不易流行でなければならないのではなかろうか。
かつて自民党の政治家が講演の中で、
「資産家や経営者でなければ保守にはなれない。」
と述べていた事を聞いて違和感を覚えた。
市井に暮らす国民の中に保守は存在する筈ではないのか、と。
そして保守とは一体何なのだろうかと考え始めたのである。
この講演で私が聞いた自民党議員が定義していた保守とは何か特定の
偏りを感じ、国民の中に存在する不易流行の感覚からずれているのでは
ないかと感じた。
そしてふと自問した時に、私は草の根保守なのだという自我を持った。
草の根が健全に存在することこそが最大の国防になるのではないか。
だから私は「草の根保守」という視野で世の中に向き合いたい。
また空海の真言密教がある。
真言密教とは密教つまり見えない世界の真言つまり本当の事、という
意味だと理解しているが、世の中に向き合う政治については真言でありたい。
つまり真言密教ならぬ真言政治でありたいと志している。
つまり私は、草の根保守という自我で真言政治を志向している。
年末年始の穏やかな時間に瀬戸内海の美しい海を眺めながら、ふと十数年
の時間空間を回顧し回想し、そのように自問自答したのであった。