木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

草の根保守と真言

2019-01-22 22:54:55 | インポート
 私は一人の日本人、日本国民として世の中にどのように向き合う
のかという立ち位置をふと自問してみた。
 私は資産家ではない。
 また資本家でもない。
 ごく普通に暮らす一人の日本国民である。
 そして同時に日本国民として日本人として、日本国の歩みと歴史を
愛し誇りを持っている。
 津々浦々の風景や物語が好きである。
 つまり私は「草の根保守」ではなかろうか。
 また保守であるがそれは頑迷ではない。
 守るべき大切なものや伝統、文化は尊重しながら継承し、同時に変えて
いかなければならないものは時代に即した内容に改めていくという不易流行
である。
 保守とは不易流行でなければならないのではなかろうか。

 かつて自民党の政治家が講演の中で、
「資産家や経営者でなければ保守にはなれない。」
と述べていた事を聞いて違和感を覚えた。
 市井に暮らす国民の中に保守は存在する筈ではないのか、と。
 そして保守とは一体何なのだろうかと考え始めたのである。
 この講演で私が聞いた自民党議員が定義していた保守とは何か特定の
偏りを感じ、国民の中に存在する不易流行の感覚からずれているのでは
ないかと感じた。
 そしてふと自問した時に、私は草の根保守なのだという自我を持った。
 草の根が健全に存在することこそが最大の国防になるのではないか。
 だから私は「草の根保守」という視野で世の中に向き合いたい。

 また空海の真言密教がある。
 真言密教とは密教つまり見えない世界の真言つまり本当の事、という
意味だと理解しているが、世の中に向き合う政治については真言でありたい。
 つまり真言密教ならぬ真言政治でありたいと志している。
 つまり私は、草の根保守という自我で真言政治を志向している。
 年末年始の穏やかな時間に瀬戸内海の美しい海を眺めながら、ふと十数年
の時間空間を回顧し回想し、そのように自問自答したのであった。

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2019年 元旦

2019-01-01 22:38:50 | インポート
 2019年 元旦

 昨年9月に母方の祖父が106歳で永眠しましたので、謹賀新年と
申し上げる事は喪中のためにできませんが、旧年中もお世話になり
誠にありがとうございました。
 本年も宜しくお願い申し上げます。

               木村 正治(きむら まさはる)



 毎年年末年始は故郷の広島県竹原市に帰省し、美しい海を眺め
静かな時間を過ごしている。
 うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川、まさにそのような情景が
残っている故郷である。
 愛しい故郷、愛する故郷、思い出の故郷である。
 しかし子供の頃を共に過ごした同級生や上級生、後輩達の多くは
関西や関東の都市圏に出ていて、今はもうほとんど多くは故郷には
いない。
 都市圏に出ていない方々も広島県内でも故郷ではない他の街に
暮らしていて故郷にはいない場合が多い。
 更に自営業者や役所勤め以外の方々の多くの知人友人は故郷に
はいない。
 それでは何故、私は帰省するのだろうか。
 故郷で暮らす両親に顔を見せに帰る、そして会って時間を過ごす、
それが最大の要素ではあるが、美しい瀬戸内海の海や思い出の風景
を前にして記憶の中にある思い出の私と今の私とが対話をする、
変わらない美しい瀬戸内海と江戸時代の街並みに変わりゆく人模様や
私自身を対比させて対話している、きっとそういう時間を無意識の中にも
求めているからであろうか。

 さて、旧年の2018年は日本という国が解体され、叩き売りされていく
という酷い一年だった。
 水道水が麻生財務大臣によりフランスのヴェオリア社を念頭に外資に
明け渡されることが表明され、それを受けての水道法改正が可決され、
メディアが何一つ本質を伝えない中で日本国が日本人の国ではなくなり
多国籍企業とそのオーナーによる支配を直接受けるようになるTPPを
安倍政権が率先して批准したことで今年以降、日本のあらゆる領域が
民営化という名の下に外資の傘下にされる道を与えてしまった。
 更には種子法が廃止され固有種の種ではなく人工的な種子を使用しなけれ
ばならなくなり、遺伝子組み換え種や遺伝子組み換え食品の流入が激増する
ことにされ、人手不足というプロパガンダのもとでTPPを受けた結論ありきの
事実上の移民政策である外国人労働者の大量受け入れが今春から開始
されることになり、各地域の治安の悪化が懸念される。
 200海里水域を事実上放棄することになる漁業法改正が行われ、今後は
外資及び外国船が自由に日本の沿岸部や領海内で漁業名目で操業できる
ようになる。
 以上のような酷い政治が行われた酷い一年だった。
 ろくに中身も知らないまま賛成起立を繰り返す国会議員の劣化した姿に
怒りを覚えた一年でもあった。
 日本という国の終わりの始まりを感じる酷い一年だった。

 利益のためには国を売る経済界、すぐに買収されてしまい国益を守る事を
忘れたり放棄する官僚、選挙のためにおもねることしかできない政治家、
徹底して本質や真実を国民に伝えない日本のメディア、そして何をされても
黙ったまま声を挙げない多くの日本国民、これらの姿の総和はこの国の終わりの
始まりではなかろうか。
 同じような本質に遭ってこれに敢然とフランス政府に対して怒りの意思で立ち
上がったフランス国民と対比して、日本人の社会的な或いは政治的な未熟さが
浮き彫りにされた2018年でもあった。
 残念だが技術力や文化水準は高いのだが政治や国民の政治への対処は
フランス国民に比べてまだまだ未成熟である事実を痛感させられた旧年でも
あった。

 絶望や失望することが多い中で、今年はせめて日本国民として真摯に生きていく
ことで、かすかな活路を見出したい。
 故郷の海で初日の出を浴びたが、清々しい気持ちにさせられた。
 思わずライジングザン、天照大神、日の本の国・・・・・・そう感じた。
 日はまた昇る・・・・・そう感じた。
 そして日本がいつまでも日本であるようにと初日の太陽に手を合わせた。
 今年も私達日本国民には大きな試練や大打撃が生じることになる一年に
なりそうだが、日々できることを成していく中で日本国民として真摯に日々を
過ごしながら、神々のご加護を信じてどこかに光明と希望を見出して励んで
参りたい。
 2019年の元旦に去来する思いである。

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