木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

回顧と展望

2009-12-31 19:40:55 | インポート
大晦日である。回顧と展望を行いたい。

新政権の進路に世間の耳目が集まる。内政については右
肩上がりの成長が望めない、もはや右肩上がりではない
時代において、どのような経済政策を行っていくのか、
成長ではなく成熟の路線で国民が共に歩めるだろうか。

外交、対外問題では日本のアイデンティティーが問われ
る。アイデンティティーなき外交や諸外国との交渉は大
切なものを失いこそすれ、得るものは無い。
領土問題で両国の間にある懸念事項に日本が触れなけれ
ば相手は微笑み、良い顔をするに決まっている。それを
以て友好な関係が構築できたと判断することは大きな間
違いである。日本が譲歩すればそれだけ相手がほくそ笑
む。ただそれだけのことに過ぎない。北方領土の問題、
竹島の問題、尖閣諸島の問題等、日本の境界線を巡る問
題で日本は長い年月において触れないでいた、或いは現
場での相手国の横行をなされるがままに黙視してきた。
ために領土の現場では既成事実が次々と構築され、それ
が新たな権利主張を生み、更に日本がそれを黙視してい
くという負の連鎖が生じている。

北方領土について、私達は1945年8月にソビエトが
米兵がいない事を幸いに一方的に侵攻、多数の日本人を
殺戮しながら占拠して今日に至っている事実を忘れては
ならない。ロシアは日本からの経済協力や技術提供を求
めているが、領土については自分達の主張を譲るつもり
はない。或いは経済協力や技術提供と領土問題は別だと
いう理屈で日本に迫っている。またこれに呼応する形で
日本の政治家の中にロシアの主張に同調している者がい
る。
原理原則にこだわっていては領土問題は何も進展しない
という理屈が最近一人歩きしているようだが、国民の魂
にかかわるこの問題は4島は日本の領土であるという原
理原則を譲ってはならない。侵攻した相手である。日本
が正論を唱えれば態度を硬化させるのは自然である。し
かしそれで日本が原理原則を譲歩する事は国家100年
の過ちとなり、ロシアがほくそ笑むだけである事を私達
は知るべきである。事実を踏まえなければ日本は経済協
力や技術提供をしないという毅然とした日本の政治力が
必要である。原理原則つまり事実にこだわらないという
政治家は逆に北方領土問題に関して何か裏があり、やま
しい秘密が相手と共有されているのかとさへ感じてしまう。

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変壊していくベクトル

2009-12-28 23:15:27 | インポート
 早いもので年の瀬である。年々、一年が経過する速度
が早く感じられる。今年も矢のように過ぎて行った一年
であった。
 この一年を回顧してどういう一年だったか振り返って
みたい。

 全国的な視野では歴史的な選択が行われた年だった。
有権者による政権交代は歴史に刻まれる金字塔であり、今
後いかに道なきところに道を作っていくか新政権の行方は
国民の政治的成熟度により定まっていくだろう。
 また国内的に、ここまで世の中が壊れてしまっては国民
のライフラインを支える根本的な対応が必要となってくる。
資本主義は激しい格差と落差を生み、また社会主義は人々
を平等にすることができず、共産主義も人々から貧困と格
差を解消することはできなかった。ソビエトの消滅に見ら
れるように壮大な理念の実験は失敗に終わっている。
 資本主義にしろ、社会主義にしろ、共産主義にしろその
社会は行き詰まり、疲弊し、各所に支障が生じている。
 既存の概念に囚われない新たな人類史的な理念が勃興し
てくるだろうか。今後、我が国はそして世界はどの道を選
択していくのだろうか。

 金融も巨大な虚構の中に立脚しているその危うさを露呈
した一年であった。
 経済再生が唱えられているが、再生とは元に戻すという
事であることを思えば、経済再生とは一体、いつの時代の
頃のように元に戻そうとしているのだろうか。そういう意
味における再生はあり得ないと私は思っている。まさかあ
らゆる全ての物事が右肩上がりに成長を続け、物が飛ぶよ
うに売れ、世の中が根拠もなく騒いでいた、いわゆるバブ
ル時代の華やかさと高揚感をもう一度再現しようという事
をもって経済再生というのなら、私は経済再生はまずあり
得ないと思うのである。
 ほんの一時期、人々は夢を見た。経済が乱舞する夢の中
にかりそめのひと時を過ごした。あの夢のような時代の再
来はもう望めない。また万が一、何かの突出した現象が生
じバブルのような現象が生じた時には、その時こそ人々は
その破裂する時を予期し、自制しなければならないだろう。

 世の中の多くが壊れている。そして国民は変化を選択し
た。その視点に立てばこの一年は変化というよりも「変壊」
と言えるかもしれない。また今後、多くの物事を良い意味
に壊して変えていく「変壊」していくベクトルが求められ
るのかもしれない。

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電気が来なくなるだけで・・・

2009-12-25 22:52:59 | インポート
 自宅の部屋の配電盤が寿命からだろうか、壊れてしま
いブレーカーが落ちた状態が戻らなくなった。単にブレ
ーカーが落ちただけかとブレーカーを上げたが、電気を
消している状態にも拘わらず数分でまたブレーカーが落
ちることを繰り返し、その日は難儀した。
 部屋に電気が来ないのである。
 ためにその日、私の日常生活に著しい支障が生じた。

 業者は休日でその日は連絡がつかず、闇に包まれた部
屋の中であらゆる動作に困難が伴った。電気が来なくな
るだけで、電気生活に慣れ親しんだあらゆる日常動作が
停止してしまう、現代生活の脆さを痛感した。
 家電製品の全てが機能停止した。洗濯機も電気が通ら
ないために使えない。従ってその日は洗濯もできなかっ
た。洗面台も闇に包まれて満足に髭すら剃れない。風呂
はガス湯沸かし器だから、せめて気晴らしにシャワーで
も浴びようとガスのスイッチを入れようとしたが、スイ
ッチ自体が電源が入らない状態でガスまで使えない。
 勿論、テレビはおろかラジオすらつかない。コンセン
トに電気自体が流れていないから携帯電話の充電すらで
きない、まさに現代生活から遮断されたような時間を過
ごした。夜明けが来るまで寝てしまおうと思えど、暖房
も入らない。毛布を重ねて寒さに震えつつ眠り、夜明け
を待った。CDプーレヤーも使えないから部屋には音す
ら無く、完全に沈黙した闇の中で便利さはほんの少しの
トラブルで一瞬にして廃墟のような状態になる事を身を
以って体感したのである。

 超高層マンションやビル群のことを想像してみた。都
会のネオンを構成しているそれらだが、何らかの電気系
統の故障で電気自体が流れなくなるとこれらは完全な闇
となる。超高層マンションやビル群で電気が来なくなる
とまさに廃墟同然になってしまう。エレベーターが動か
なくなるから外へ出ること自体にも難渋してしまう。
 オール電化住宅が最近売れているが、全てが電化され
ているということは今回の私の部屋のように、電気自体
が来なくなると全てが使えなくなるという危険性と裏合
わせであることを物語っている。

 当たり前のように電気がつく日々の中で突如として電
気が遮断され闇に包まれた時間の中で、慣れ切った生活
スタイルのガラス細工のような脆さを感じないではいら
れなかった。電気が止まれば都市部の多くは廃墟になる。

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東大阪市12月議会終了

2009-12-23 18:58:27 | インポート
東大阪市議会の平成21年度第4回定例会(12月市議会)
が時間延長、会期延長を経て日付が変わり午前5時頃に
終了した。それでも今回は会期の日程内に限りなく収ま
った東大阪市にしては珍しい光景となった。
今年はもう年の瀬だが、感覚として年明けから絶えず議
会が間延びして、一年中通じて議会が膠着しているよう
な状況だった。サッカーで言えば前半45分、後半45
分、ロスタイムが約2ヵ月といった光景である。しかも
試合開始のホイッスルがなかなか鳴らず、ようやく鳴っ
たかと思えば1つのプレーですぐに試合が止まり、いつ
再開するとも知れない、観客から見ればそういう試合の
ような通年議会状態だった。

他の自治体から見れば東大阪市は議会が空転していると
の評が定着し、ために会派もふやけたように堕落して会
議やミーティングすら行われない様になってしまった。
1人抜け、2人抜け、今や東大阪市の民主党系会派は四
分五裂で、全国的な視野では 政権政党であるがこと東
大阪市に限って見ればその脆弱さは目を覆うばかりであ
る。
自民党会派はもともと東大阪市は割れていたが・・・。
加えて選挙区ごとに存在する総支部も機能しておらず、
この数年、
1)市議会の空転
2)市議会会派の機能不全
3)総支部の機能不全
という3重不全状態にさいなまれていた。しかしようや
く12月議会で長らく続いた市議会の膠着・空転状態か
ら脱却する兆しが見え始めた。

さて、今回の議案で市の施設の運営を公募により行う指
定管理者の件があった。私は指定管理者制度そのものに
は賛成で、それにより運営の質が向上しコストメリット
も出るなら大いに推進するべきだと思っている。逆に運
営に問題があれば途中でも指定管理者を見直しすること
も行うべきだとも思っている。そういう視野で議案130
号の東大阪アリーナ(総合体育館)の指定管理者の推移を
見れば、市民に対する質の高い運営に現時点では大きな
疑問を禁じ得なかった。また選考に漏れた公募先の方が
誰の目から見てもまた市場の評価においても議案として
上げられてきた公募先より遥かに内容が上回り、市民に
対する運営の責任という視点から私は他の施設の指定管
理者には賛成したが、東大阪アリーナの指定管理者に関
しては反対のため議決の際には起立しなかった。

今年もあと1週間ばかりである。

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社会の成熟度と政治

2009-12-21 21:10:26 | インポート
 政治とは一体何だろうか、という問いに対する答えは
定めが無く、社会状況の変化や時代の変転、世相や自身
の体験の進展により刻々と変じていくようだ。それは人
間とは一体何ですかという問いに対する答えに響きは似
ているようにも思えてくる。
 答えがないのである。答えは無限なのである。
 私自身、自身の人間的成熟が進めばその答えも変容し
ていくのかもしれない。

 この世の中に完成図がないように、人の営みもまた終
わりがなく、よって政治にも答えが定まらないのかもし
れない。刻一刻と変わり回り続けるこの世の中において
その時の最適な解を模索する、それもまた政治かもしれ
ない。ベストではなくベターな選択をする、それもまた
政治かもしれない。ベターであるとかないとか比較の対
象ではなく、よりフィットした形を探ることも政治かも
しれない。
 政治家と評論家、コメンテーターとの違いを考えてみ
る。評論家は自由気ままに断言する。自身は決して自ら
試みることなく、しかし確かな立ち位置に身をおいて世
を論じる。コメンテーターも色々と発生する物事に対し
て自身は決して何も試みることなくその都度コメントを
発している。これに対して政治家は自らを晒して論を発
し、自らが試みてその評価を世に問われる。そう考える
と全く重みが異なる。

 最近、その政治が人気が高いかそうでないかという尺
度で論じられようとしているその土俵に私はある種の疑
問を感じている。例えば支持率のような尺度である。こ
れはテレビの視聴率のような雰囲気があり、視聴率の高
い番組が必ずしも良い番組でないこともある事を顧みれ
ば本質を窺うことができる。多くの人が見ていなくとも
つまり視聴率は低くとも質の高い良質の番組があるよう
に、政治も世間受けすることが必ずしも良い政治を行っ
ているということにはならないこともある。
 世間に受けが良いことでも実際にそれを着手すれば世
の中に悪影響を及ぼすこともある。逆に世間の耳には痛
くとも、それをしなければ世の中が拓けないという事も
ある。皆が皆、賛成した政策が世の中を衰退させる事も
あれば、多くの人が好まない政策を断行することで世の
中が軌道に乗るということもある。
 だから政治とは摩訶不思議なものだと思うのである。

 政治とは社会の成熟度合いにより、その解が異なるも
のかもしれない。

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