木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

頼山陽と竹原

2024-05-08 21:09:36 | 随想
ゴールデンウイークの風景。

広島県竹原市にて幼少期を過ごした頼山陽。
江戸時代後期の儒学者で漢詩も優れた
内容を残しています。

日本外史を著し、体系的に日本の歩みを
著述しこれが幕末の尊皇攘夷や勤王の志士
に多大な影響を与えたとされます。
何故、日本外史というかと言えば江戸時代までは
歴史を著述したり学ぶのは公家や公卿、武家に
限られていたのを、それ以外の外の身分にある
町人や学者の者が日本の歴史を著述した事から
「日本外史」とされました。

頼山陽が著述した漢詩の川中島の戦いは
情景が浮かび上がる名作ですね。

昔は身分により様々な制限がありました。
今の時代の学問の自由、表現の自由、基本的人権
が与えられている環境がいかに大切かが改めて
よく分かります。

それにしても幕末の尊皇攘夷、倒幕運動に
多大な影響を与えた頼山陽でしたが知る範囲では
ディープステイトや悪魔崇拝の影響は皆無です。
江戸時代後期までは日本の主要人物はまだ
ディープステイトサタニズムの影響下には無い
事を感じます。
どの時期から日本がサタニズムの影響下に
置かれたのか、改めて見えてくる思いです。

頼山陽は成人してから京都の鴨川沿いに
山紫水明と題して庵を作りました。
京都に進学した私も自分の姿を重ねる思いです。

頼山陽の息子の頼三樹三郎は安政の大獄により
井伊直弼により処刑されています。
時代に翻弄された人々の姿を思いました。

連休中に故郷の竹原を歩いて様々に時空を
感じる時間が流れました。

故郷の偉人である頼山陽にちなんで、私も様々に
固定観念に囚われず物事に向き合いたいですね。
表現や言い回しも大切です。
言葉一つ表現を変えると本質が
よく伝わるようになります。

例えば縄文時代・・・。
縄文式土器の縄目の文様からいつしか
そのように呼称されるのですが。
言葉の影響、イメージから何となく未開で
のどかな狩猟採集の世の中くらいの印象
になりがちですね。

縄文時代とは太古日本文明の時代です。
太古日本文明・・・。
このように言えば伝わる印象は違うでしょう。
更には太古日本文明には巨石文明もありました。
高度なテクノロジーもありました、と。

様々に発見されている海底神殿遺跡の数々。
与那国島周辺や日本海海底には多くの海底遺跡
がありますね。
徹底調査をして全て公表すれば日本史は大幅に
書き換えられます。

逆にそれを恐れているディープステイトが
そうさせないように歴史を改竄してきたとも言えます。

更に古墳時代という表現も良くないですね。
古墳時代・・・古いお墓・・・巨大なお墓の時代・・?
よく考えれば何かが変ですね。
前方後円墳は上空から見ればマナの壺です。
あれはお墓ではなく他の何かの用途、目的
だった可能性が高いですね。

日本は資源の無い国だと刷り込まれてきました。
事実は逆です。
日本は資源大国です。
沖縄海底の豊富な石油、瀬戸内海での豊富な
レアアース、豊富なゴールド、等々、日本人に
日本を機能させないための仕組みや仕掛けが
随所にされてきました。

あらゆる呪縛を解き放ち、視野を変えて
いきたいですね。


コメント (1)
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