木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

不老不死の薬

2003-05-31 10:29:21 | インポート
 年をとっていくことは魅力的なことだと思う。
 しかし同時に老いていくことは不安でもある。
古今東西の人々は不老不死の薬を求めて彷徨ったが、誰も
それを手にすることはなかった。
 かつて人間五十年と言われた。少し寿命が延びて、例えば
定年が五十五歳に敷かれて現役を退いたなら余生はほんの少
しだったというのが、多くの人々の人生だった。まさに定年
を迎えると同時に人生も全うする、人々の寿命はそれほどに
短かった。

 医学の進歩や栄養状況の向上、生活環境の進歩等により人々
の寿命はかつてより飛躍的に伸びた。定年が六十歳に伸びた職場
も多くなった。
 しかし寿命が短かった頃に整備された年金制度や諸々の社会保障
制度が人々の余生の伸びに対応できなくなりつつある。生まれて
くる次世代の数が減り続けていることも拍車をかけている。

 さて、不老不死は手に入れることは出来ないが老後の環境を
少しでも改善することはできるだろう。高齢者の介護、或いは
育児環境の支援といった社会福祉の分野の必要性は益々高まってくる。
 しかし若い世代で福祉の分野で頑張りたいと情熱を持っている
人材が多くいるにも関わらず世の中の社会福祉に対する認知が
未だに高まっていない為に、激務の割に手当が恵まれていない
といった現実を前に生活が設計できなくなり情熱がありながら
福祉職を去っていく若者も多い。
 人材が定着しなければ、福祉環境も向上しない。
 ましてや老後の環境や、育児環境も改善されない。

 不老不死の薬は不可能だとしても、安心して老いていくこと
が出来る環境の整備は可能である。福祉分野の更なる整備と人材
が定着する為の施策こそ人々が生きていく上での大切な薬となり
うるであろう。

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声を挙げよう

2003-05-30 09:55:09 | インポート
 正直者が馬鹿を見る世の中ならば生きる意欲が萎える。
いつの間にか世の中は真面目であることに対して白けたり、
声を挙げて何かをしようとする者に対して後ろ指を指して
せせら笑う風潮になりつつある。
 真面目に頑張ることが報われる社会にならなければならない。

 世の中が厳しくなればなる程、全て庶民にしわ寄せが及ぶ。
増えて欲しいものが減り、減って欲しいものが増える。そして
残るのは苦しみと閉塞だけになっていく。
 増えて欲しいものは収入、育児手当、扶養手当、年金手当や
雇用などこれらは世相の悪化により削減される。
 減って欲しいものはあらゆる税金、何かの保険料、医療費など
これらは逆に増加されていく。

 寄らば大樹の影、長いものには巻かれたほうが楽かも知れない。
しかし寄っている影や長いものに巻かれた世の中の結果が現状で
はないか。今の時代に必要なことは、声を挙げるという挙兵であろう。
声を枯らして動き出す誰かをせせら笑うような世の中ならば、実りが
乏しい世の中である。

 今は亡き、ある明治生まれの古老の言葉が脳裏をよぎる。
明治という時代はこの国の青春時代だった・・・。どこにでもいる青年や
路地裏に佇む老若男女の一人一人が自分達の国をどうするべきかを
真剣に考えていた・・・。物は乏しくても世の中に覇気があった・・・。
それが現代とあの頃の大きな違いじゃ・・・。
 今は亡き、ある明治人の言葉である。

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子ども扱い

2003-05-29 09:53:06 | インポート
 見てくれを気にする訳ではないが、アングロサクソン社会から見た日本の
社会の姿やそれぞれの街はどのように映るのだろうかということを気にかける
ようになりつつある。人には人格があるように国には国格、都市には都市格、
街には街格のようなものがあるのではないか。
 どの社会も完全な完成度には到らない。しかしもしもアングロサクソン社会
を三十歳の大人と仮定した時に、我が国の社会は十二歳程度の少年少女だと
言われることがあるならば、どこか空しい思いがする。

 事実、そのような声もある。原因はどこにあるのだろうか。一つには常に
多くの世の中の物事が欧米の二番煎じであるからかもしれない。何かのビジネス
モデルも日本発というのは少なく、何かが欧米で標準とされた習慣が数年遅れて
我が国のあらゆる街で流行する。そしてそれを最初に輸入した人がしばらくは
食べていける、そういう風潮が我が国にはある。
 一昔前、ビッグバンという言葉が走った。その次はISOをあらゆる工場が
取得しようと躍起になった。今ではほとんど語られることのなくなったこれら
の用語も全て欧米発である。
 ルイ・ヴィトンの鞄も何故か我が国では高級ともてはやされるが、現地の
フランスのシャンゼリーゼ通りのパリジェンヌから見ればどこにでもある普通
の鞄であるらしい。ルイ・ヴィトンの売れ行きの大半が日本人女性であると
以前に聞いたことがあるが、こうした事例が何かを物語っている。

 同じアジアでも技術力や経済力は我が国は決して他の国に劣ることはない
にも関わらず、欧米社会からは中国や韓国のほうが大人扱いを受けており、
経済力はあるが子ども扱いをされる我が国のことを思うとき、歯がゆさが浮かぶ。
 我が国にも、それぞれの街にも良い面は沢山ある。それらの良い社会資源を
活用してより良い社会を、暮らしやすい街を築いていくことが大切だろう。
 人にも人格があるように、街にも街格というものがあるはずである。

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日常生活と山の手入れ

2003-05-28 09:55:35 | インポート
 SARS(新型肺炎)の脅威に隠れて、今年は花粉症で苦しんでいる
方々の報道が例年より少ない感がする。報道は少なくなっても苦しんで
いる人達の数は減っている訳ではないだろう。
 私達の日常生活の進歩と共に増えたものの一つが花粉症かもしれない。

 かつて花粉症は余り見られなかったとも言われている。
 日本昔話などでは、お爺さんは山に柴刈りによく出向いているくだりが
ある。一昔前まで多くの日本人世帯では薪を割って湯を沸かし、炊事の火
を起こし、そのための薪を得るために山に入り木々の間伐を頻繁に行い、
枯葉を常に拾い集めて燃料にしていたためか杉の枝も小綺麗で花粉が飛散
する頻度も今より少なかったのではないか。
 林業などの業態も変化して杉が多く植林されるようになり、人々の生活
燃料が石油へ変わったために間伐も山の手入れも疎遠になったことで花粉が
多く飛来するようになったのだろう。

 医薬品も研究されているが花粉症への特効薬は未だ存在していない。
多くの人々が悩み苦しむ花粉症は薬品などの化学の力ではなく、案外と生活
様式の変化に依るところが大きいのだとすれば皮肉である。
 お爺さんは山に柴刈りに・・・そういう光景が日常になれば花粉症はきっと
激減するかもしれない。

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揺れる国

2003-05-27 09:57:50 | インポート
岩手県・宮城県を中心とした広範囲で強い地震が生じた。未だに阪神大震災
の傷跡が街にも人の心にも深く残っている関西においても他人事ではない。
今回は特に東北方面の知人の状況が心配でもある。
 ある程度の予知は出来るようになったけれども、実際に地面が縦や横に揺れ
始めると我々は為す術がなく、ただ逃げるしかない。過去の名将も政治家も
科学者も未だ地震を防ぐことができた者はいない。
 大地震の数日前から鼠やなまず、或いは馬等の動物は普段と異なった挙動を
示すことを思えば、人間の本能的な力は衰えているのだろうか。

 これからも地震に見舞われる宿命にある我が国に対して、英国では地震が
無いらしい。従って地面が揺れるという感覚が英国のアングロサクソンには
よく実感として分からないともいう。
 ならばこそ、揺れる大地に住んでいる我々ならではの対策や政策も必要
ではないか。

 災害保険や火災保険では地震の場合は適用できない事例が多い。頻繁に自然
災害に見舞われる国のそれぞれの街に暮らしていて、真面目に保険も払っていて
自然災害にはそれが適用されにくい、或いは社会からの支援が乏しいならば、
どうして人々は困難に立ち向かえるだろうか。
 地震が来たら逃げるしかないならば、余りにも無情ではなかろうか。

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