ゴールデンウイークで世間は大型連休である。私も故郷の広島
県に帰省して実家でゆっくり過ごしている。久しぶりに帰省すると
市街地を取り囲むような山々の新緑が美しく、萌えるような緑に
新鮮な気持ちにさせられる。
道路事情や交通網が以前よりも随分と整備されて、今や大阪圏
から故郷の広島県まで高速道路を走れば3時間少々で帰る事が
できる。好みの曲をかけながらハンドルを握っているうちにあっと
いう間に大阪と広島県を移動する。今や大阪で暮らしていて故郷
から遠く離れているという感覚ではなく、すぐに移動できる距離と
いう感覚で、従って望郷の念のような感覚は以前に比べて失われ
てしまった。
私が大学生の頃はまだ山陽自動車道も姫路までしか開通してい
なかったので当時に暮らしていた京都府内との往来は随分と時間
がかかったものだ。加えて大学生の頃だから懐事情も厳しく、高速
料金を使うのがもったいないので普通の国道を車で走って帰省し
たりした為にゆうに10時間以上はかかった。そういう時分は故郷は
遠いな、という体感であり、時に望郷の念もしみじみと湧く事もあった。
今や故郷の実家は私にとって別荘のようなものである。
美しい山々に囲まれ、美しい瀬戸内海に面し、情緒ある江戸時代
の町並みが残っており、銘酒もある。実家はごく普通の家屋ではあ
るが幼少の頃からの思い出も詰まっており、素晴らしいロケーション
にあるので帰省した折はのんびりと豊かな時間を過ごせる。
従ってまるで別荘のようでもある。
両親とも久しぶりに談笑する。
外を歩いていると近所の方が「あら、久しぶりね。」と話しかけてく
る。私が幼少の頃に見覚えていたその方はいくばくかの年輪を刻ん
でいる。「大阪はどうですか?」と聞いてくるので賑やかなところで
すよと答えた。
思えば縁もゆかりも全くない東大阪市に暮らし始めて9年が経過
する。何故、東大阪市に暮らしているのと皆が不思議がるのだが人
生にはひょんな事からどこかの地に行くきっかけが出来る事もあり
会社勤めでも全く縁もゆかりも無かった地に単身赴任することがあ
るように私もそういうひょんな事から東大阪市に暮らすようになった
のだが、今では東大阪市の市民の方々や経済人、経営者の方々に
支えられて政治活動を行っている。
数年前、私の後輩で現在は広島市議会議員をしている方から、
「木村さん、どうして広島を捨てたのですか!?」
と寂しそうな表情で詰問されたが、私は別に広島県を嫌になって飛び
出したのではない。そうか君は私が広島県を捨てたと受け止めていた
のか、とそういう驚きの気持ちで説明した。
少年が成長するにつれて故郷の街から大学へ進学するに際して故
郷を離れる。その時の気持ちは故郷や親元を離れるという寂しさより
もこれから始まる新しい学生生活に希望を燃やしたものだった。後輩
の広島市議会議員はそのまま故郷に戻って政治の道を歩き始めたよ
うだが、私は関西に残った。人生には色々な交差点と道のりがあるも
のである。
瀬戸内海沿いの美しい海沿いを車で走る。そうしてやや小高い丘に
上がれば瀬戸内の美しい眺めと沖合いに浮かぶ島々の壮大な風景に
心を洗われる。雨に煙る日もあれば夕刻に黄金色に海が染まる日もあ
り、また季節によっては紅に染まる時もある。
波が寄せては返していく。寄せては返すその波音を聞きながら人生
もまた然りと思った。そして絶え間ない潮騒が私の中を通り抜けていく。
時折、帰省して少年の頃に見た景色や少年時代を過ごした様々な記
憶の原風景をなぞる事は大切である。時折立ち止まり、二度とは戻れ
ない過ぎし時間を回顧する事で今を生きる確固とした芯ができていく。
人は常に過去・現在・未来という3つの時間と向き合う中で自我や意思
が育まれていくものだ。
少年時代から陸上競技をしてきた。大学でも途中まで陸上競技をして
きた。広島県で走っていた頃の選手がオリンピック選手になった。そし
て大学の陸上部でお世話になった先輩が2名、オリンピック選手になっ
た。自分が直接接してきた範囲の中から3名もオリンピック選手が出た
という事は人生の縁の何たるかを感じる。意識して狙ってもそのような
確率に見舞われる事はなかなか有り得ない。
帰省して読んだ新聞紙でその元オリンピック選手が広島県内の大学
の指導者になるという記事があった。また別の欄では大学時代の女性
の先輩ランナーが今度のロンドンオリンピックに向けて臨んだレースで
優勝している事を伝えていた。
瀬戸内海の眺めを見つめながら流れていく時間を感じている。
流れていく時間の中に詰まった幾つもの場面や物語、記憶や思いを
味わう時、時間が流れていくという事はこういう事なのだなと感じる時
であり、また時間が流れるという事はまた良いことだなと思うのである。
県に帰省して実家でゆっくり過ごしている。久しぶりに帰省すると
市街地を取り囲むような山々の新緑が美しく、萌えるような緑に
新鮮な気持ちにさせられる。
道路事情や交通網が以前よりも随分と整備されて、今や大阪圏
から故郷の広島県まで高速道路を走れば3時間少々で帰る事が
できる。好みの曲をかけながらハンドルを握っているうちにあっと
いう間に大阪と広島県を移動する。今や大阪で暮らしていて故郷
から遠く離れているという感覚ではなく、すぐに移動できる距離と
いう感覚で、従って望郷の念のような感覚は以前に比べて失われ
てしまった。
私が大学生の頃はまだ山陽自動車道も姫路までしか開通してい
なかったので当時に暮らしていた京都府内との往来は随分と時間
がかかったものだ。加えて大学生の頃だから懐事情も厳しく、高速
料金を使うのがもったいないので普通の国道を車で走って帰省し
たりした為にゆうに10時間以上はかかった。そういう時分は故郷は
遠いな、という体感であり、時に望郷の念もしみじみと湧く事もあった。
今や故郷の実家は私にとって別荘のようなものである。
美しい山々に囲まれ、美しい瀬戸内海に面し、情緒ある江戸時代
の町並みが残っており、銘酒もある。実家はごく普通の家屋ではあ
るが幼少の頃からの思い出も詰まっており、素晴らしいロケーション
にあるので帰省した折はのんびりと豊かな時間を過ごせる。
従ってまるで別荘のようでもある。
両親とも久しぶりに談笑する。
外を歩いていると近所の方が「あら、久しぶりね。」と話しかけてく
る。私が幼少の頃に見覚えていたその方はいくばくかの年輪を刻ん
でいる。「大阪はどうですか?」と聞いてくるので賑やかなところで
すよと答えた。
思えば縁もゆかりも全くない東大阪市に暮らし始めて9年が経過
する。何故、東大阪市に暮らしているのと皆が不思議がるのだが人
生にはひょんな事からどこかの地に行くきっかけが出来る事もあり
会社勤めでも全く縁もゆかりも無かった地に単身赴任することがあ
るように私もそういうひょんな事から東大阪市に暮らすようになった
のだが、今では東大阪市の市民の方々や経済人、経営者の方々に
支えられて政治活動を行っている。
数年前、私の後輩で現在は広島市議会議員をしている方から、
「木村さん、どうして広島を捨てたのですか!?」
と寂しそうな表情で詰問されたが、私は別に広島県を嫌になって飛び
出したのではない。そうか君は私が広島県を捨てたと受け止めていた
のか、とそういう驚きの気持ちで説明した。
少年が成長するにつれて故郷の街から大学へ進学するに際して故
郷を離れる。その時の気持ちは故郷や親元を離れるという寂しさより
もこれから始まる新しい学生生活に希望を燃やしたものだった。後輩
の広島市議会議員はそのまま故郷に戻って政治の道を歩き始めたよ
うだが、私は関西に残った。人生には色々な交差点と道のりがあるも
のである。
瀬戸内海沿いの美しい海沿いを車で走る。そうしてやや小高い丘に
上がれば瀬戸内の美しい眺めと沖合いに浮かぶ島々の壮大な風景に
心を洗われる。雨に煙る日もあれば夕刻に黄金色に海が染まる日もあ
り、また季節によっては紅に染まる時もある。
波が寄せては返していく。寄せては返すその波音を聞きながら人生
もまた然りと思った。そして絶え間ない潮騒が私の中を通り抜けていく。
時折、帰省して少年の頃に見た景色や少年時代を過ごした様々な記
憶の原風景をなぞる事は大切である。時折立ち止まり、二度とは戻れ
ない過ぎし時間を回顧する事で今を生きる確固とした芯ができていく。
人は常に過去・現在・未来という3つの時間と向き合う中で自我や意思
が育まれていくものだ。
少年時代から陸上競技をしてきた。大学でも途中まで陸上競技をして
きた。広島県で走っていた頃の選手がオリンピック選手になった。そし
て大学の陸上部でお世話になった先輩が2名、オリンピック選手になっ
た。自分が直接接してきた範囲の中から3名もオリンピック選手が出た
という事は人生の縁の何たるかを感じる。意識して狙ってもそのような
確率に見舞われる事はなかなか有り得ない。
帰省して読んだ新聞紙でその元オリンピック選手が広島県内の大学
の指導者になるという記事があった。また別の欄では大学時代の女性
の先輩ランナーが今度のロンドンオリンピックに向けて臨んだレースで
優勝している事を伝えていた。
瀬戸内海の眺めを見つめながら流れていく時間を感じている。
流れていく時間の中に詰まった幾つもの場面や物語、記憶や思いを
味わう時、時間が流れていくという事はこういう事なのだなと感じる時
であり、また時間が流れるという事はまた良いことだなと思うのである。