木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

色彩と共に蘇るか地域の名所

2008-03-30 17:38:09 | インポート
 季節の訪れと共に街は彩り豊かになっていく。梅、桃
、桜が咲いて春を感じる。その後の新緑、秋の紅葉と季
節の色を感じていくのが自然である。
 しかし住宅地と工場地帯とが混在し、ひっきりなしに
家屋が密集している東大阪市を始め俗に河内と云われる
中部の一帯は自然が極めて乏しい為に、田舎生まれの私
にすれば年中四季を通じて同じ色をした街にしか見えな
い。いつの季節にも色彩的な変化が無い中にあって日々
を過ごすことは少々戸惑う。

 数年前から、かつて河内と云われる地域一帯に咲き誇
っていた稲田桃を景観の中に蘇らせようという試みが地
域の方々を中心として試みられ、桃栗三年、柿八年の月
日で三年が経過した昨年辺りから、市内に少ない川の川
沿いに艶やかな桃色の花を咲かせている。本日も地域で
桃の花を見ながら諸事を楽しむという春事という行事が
中学校を会場にして催されていたので参加した。
 河内名所図会という古文書には、今日のように桃が岡
山県の特産品として花開く以前にはこの地域の桃が全国
的にも多くの出荷高を誇っていた時代の賑わいを彷彿と
させる風景を描写している。
 無機質の色の街並みの中に艶やかな桃色の花の色彩が
殊更に目立つ。願わくば可能な限りの土地の余白に桃や
桜或いは紅葉を植樹して街中が四季に応じて色彩豊かに
なればと思う。花は美しく、自然の色彩は街に気持ちの
ゆとりをもたらせる。

 河内と呼称される地域は南北に長大である。大阪と奈
良との県境の生駒山系に沿って北は交野、枚方辺りから
中部の東大阪、八尾を経て南は富田林や千早赤阪辺りま
での南北に細長い一帯を総称して河内と人々は古代から
呼んできた。北河内は自然環境は随分と多く、南河内も
山間が多く自然に包まれている。東大阪を含む中河内地
帯は近年の宅地開発で住宅地と工場街一色になって生駒
山麓以外はほとんど自然環境が乏しいという状態である。
 
 江戸期までは東大阪界隈は多くが湖沼と湿地であり、
合間に点在する村々は難波や大坂城から大和のくにへ向
かう東西の街道しかなく、村と村は沼や湖沼により分断
されて南北に移動する道が乏しく、南北の連携という発
想自体が少なかった。そういう歴史的な風土がこの街に
南北移動の発想を育まなかった。数日前ようやく南北移
動の鉄道が開通したが、風土の影響は大きいものである。

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当座の空間

2008-03-28 15:34:24 | インポート
 少し場を抜ける時間のタイミングを逸し、先日最終電
車に乗り遅れてしまった。朝一番の電車に乗るべく宿を
と思うが、夜桜を目当てに訪れた人々でことごとく訪ね
るホテル、旅館は満室であった。いずれどこか部屋を取
れるだろうとその後も数件訪ねたが、ことごとく満室で
あった。
 真夜中の街を定年退職を迎えた夫婦連れが、いかにも
花見帰りの雰囲気を醸しながら、リュックを背負って宿
に帰ってくる。

 京都の街は花見盛りであった。
 丁度、大阪と京都との中間にあたる街まで行く電車が
一本残っていたのでせめてそこまで帰ろうと電車に乗っ
たものの、駅周辺に宿は少なく、ようやく見つけたホテ
ルも既に閉まって入れない。
 タクシーを飛ばして帰るにも軽く1万円はかかる距離
にあり、だからと言って始発までの数時間を24時間営
業の店に入って待つにも中途半端であった。

 電車待ちのためのみに仮眠をするにはインターネット
カフェでも充分だった。6時間で1,200円、個別に
区切られたブースがあり、リクライニングソファもあり
毛布も借りれる。しかも無料でシャワーまで浴びれると
くれば充分である。
 ただ、真夜中に年齢男女を問わず店内でパソコンに向
かっている姿は決して健康的な光景ではないし、また安
価な価格設定と個室があるという空間が、最近多くの若
者を呼び寄せる需要になっている。

 フリーターや定職につかない若者や、住所を持たない
若者がこのような空間を訪ね歩き僅かな着替えだけを持
ってアルバイトを重ねては、このような空間に居場所を
見つける、或いは求めるという事情が社会的な課題にな
っているが、なるほど、良くも悪くもニ?ズを満たして
いる。
 ただ、街から夜が更けていくという光景がすっかり失
われてはいる。

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道路特定財源の影響について

2008-03-26 13:15:32 | インポート
 受益者、つまり自動車を使用もしくは所有している人
が負担をして、暫定税率を導入してまで道路建設に必要
な額を確保している道路特定財源について、そのあり方
を巡って一般財源化が民主党の提案で唱えられている。
 地方分権の視点からの一般財源化だが、地方自治体に
よっては道路特定財源の死守を唱えている首長もいる。

 道路特定財源に関する報道が連日のようになされてい
る関係からか、世間の耳に道路特定財源という言葉が定
着し、またその是非が問われているということも浸透し
ている。が、道路特定財源とは何なのかということにな
ると多くの人々が内容を把握していない事に気付かされ
る。内容を知らない道路特定財源について考えていると
いう状態であると言える。

 道路特定財源とは、
(一)揮発油税
(二)自動車重量税
(三)石油ガス税
(四)軽油取引税
(五)自動車取得税
(六)地方道路譲与税
(七)自動車重量譲与税
(八)石油ガス譲与税

 から構成され、総くくりにして道路特定財源になっている。

 都市圏では放射状に幹線道路が延び、交通渋滞や排ガス問
題が課題になっている自治体もあれば、道路の存在そのもの
が必要である地域もある。また明らかに何故このような場所
にこのような道路が造られようとしているのか、と疑問を抱
く建設風景もあり、その実態は地域によって様々である。
 医療が必要だから道路を整備して欲しいという地域もある
と聞く。それならばその地域に医療体制を充実させる政策を
実現したほうが現実的である。もしもその為の財源を一般財
源化された道路特定財源から捻出できれば、それはその地域
の特色を活かした地方の自立政策の一つとも言える。

 ちなみに、東大阪市において道路特定財源暫定税率が廃止
された場合にどのような影響がでるかという試算を見れば、
 ・地方道路譲与税    266,000千円のうち
              40,923千円減額
 ・自動車重量譲与税   751,000千円のうち
             452,984千円減額
 ・自動車取得税交付金  864,000千円のうち
             345,600千円減額

     総合計 1,881,000千円のうち
           839,507千円が減額される

 ということになる。

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見える見えない世の中

2008-03-24 23:29:51 | インポート
平等で公正な国とは何が平等で何が公正でなければなら
ないのか。私はチャンスが皆に平等にあり、ルールが皆
に公正であるべきだと思っている。
それが民主主義を営んでいく基本線だろう。

しかし、地球上の国々で平等で公正な国は少ない。平等
を謳いながら、機会が人々に与えられず一握りの独裁者
があらゆる機会を捏造して抱きかかえ、公正なルール等
存在しないという国も少なくない。平等で公正という名
の下に、さじ加減を誤ればたちまち社会主義や独裁国家
になってしまう。

民主主義の基本線としての機会の平等とルールの公正、
これに個人の権利と果たすべき義務が合わさって世の中
は機能していく。

ある大手商社社長が紙面にて「人は四つのカテゴリーに
分けられる」としてチャレンジして成功する人、何もし
ないで実績もない人、チャレンジして負けた人、チャレ
ンジせず勝った人を挙げていた。
人事の永遠の課題だとして、チャレンジして負けた人と
チャレンジせず勝った人の評価について議論が分かれる
と述べている。その上で、この社長はチャレンジして負
けた人を評価するとも述べている。
私も同感である。

ただ、私は長距離を走ることに身を置いていた時期から
得た視点で言えば、「チャレンジしないで勝った人」と
いう人はまず無いし、チャレンジしないで勝ちたいとい
う発想自体が走る世界では通用しない。チャレンジする
者だけが走る人になり、チャレンジする者だけが走るス
タートラインに立つ事ができるし、立っている。

また大手商社社長は基本とは良き社会人であることで、
嘘をつかない、悪いことをしない、人を敬うという事を
述べている。
若者に伝えたい自身の体験というテーマの中での談だが、
世代に関わりなく必要な基本だろう。

舌の根も乾かないうちに変節したり必要に応じて手のひ
らを返すことが政治だと場数を踏んだ人が私に説くが、
私はそれを否定した。
信念を持ち筋を通す事は青いと言われたが、それを青い
と言われるなら私は青くて構わない。

世の中に様々な人はいるものの、世の中は嘘を求めてい
ないし、人を裏切る人を世の中は求めていないと感じて
いる。

民主主義を現実社会の中で機能させるのは、世の中とい
う事である。
若い頃にも見えないが場数を踏むうちに見えなくなるの
も世の中かもしれない。

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福祉に対する認識

2008-03-23 02:03:28 | インポート
ある自治体の福祉事務所長が述べていた意見は今の時
代の問題点を端的に表している。
「残念ながら行政機関の内部でも福祉の仕事は誰でも出
来ると思われて、視野が狭いと見なされることもある。
又、福祉は金食いの分野だと思われることが多いです。」

Welfareという概念が、「福祉」という日本語に翻訳され
て長い歳月が経つが、福祉をどのような視野で捉えてい
るかによって発想も随分と変わってくる。
本来、人は健康や日常に包まれている環境の中では何
かの動作や行動に何の支障も感じることなくこなしてい
く。しかし不慮の事故や何らかの不都合に見まわれれば、
日常の中にあっても日常の動作に困ったり、多くの困難
を伴う事態に見舞われる。
そのような事態に置かれた人々に、日常の動作を行え
るように支援していくことを「福祉」というのではないか。
そうすると「福祉」に携わる人材が多く必要とされる。福
祉の人材はあらゆる世代のあらゆる日常に携わる為に、
多くの専門知識を備えていなければならず、また多くの
諸制度に通じていなければ福祉を必要とする人々のニー
ズを満たすことができない。
行政機関の内部で誰でもできるという間違った見解や
福祉現場を知らないままに発せられる思い込みがあると
すれば残念である。

生活保護を担当する職員は時折、体調を崩してしまう
までに身を粉にして日々の業務に向かっている。一人一
人が担当するクライアントの担当数が月に100件を軽く
超える場合が日常化している。

大学や専門学校等で福祉を専攻して社会に出て、各福
祉分野に入って日々活動されている方々は少なくない。
ただ、その方々の中から政治に参画することは少ない。
福祉の現場の方々は政治を避けていたり、余り政治
に関わりたくないという意見を耳にしたこともある。
残念なことである。また福祉に携わる方々が政治に関
わることを敬遠すると、現場での様々な問題点や矛盾、
現実問題が物事を決めていく政治の場に届かないという
社会的損失が生じる。
福祉分野の学生を始め、多くの福祉分野の方々がほん
の少しの勇気を出して頂いて、是非とも政治参加して頂
ければと願っている。

もっとも福祉を論じていながら、弱い立場にある人を
いじめたり、他人の人権侵害を平然と行ったり、誹謗中
傷を行う府議会議員もいるが。
えせ福祉論者である。

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