季節の訪れと共に街は彩り豊かになっていく。梅、桃
、桜が咲いて春を感じる。その後の新緑、秋の紅葉と季
節の色を感じていくのが自然である。
しかし住宅地と工場地帯とが混在し、ひっきりなしに
家屋が密集している東大阪市を始め俗に河内と云われる
中部の一帯は自然が極めて乏しい為に、田舎生まれの私
にすれば年中四季を通じて同じ色をした街にしか見えな
い。いつの季節にも色彩的な変化が無い中にあって日々
を過ごすことは少々戸惑う。
数年前から、かつて河内と云われる地域一帯に咲き誇
っていた稲田桃を景観の中に蘇らせようという試みが地
域の方々を中心として試みられ、桃栗三年、柿八年の月
日で三年が経過した昨年辺りから、市内に少ない川の川
沿いに艶やかな桃色の花を咲かせている。本日も地域で
桃の花を見ながら諸事を楽しむという春事という行事が
中学校を会場にして催されていたので参加した。
河内名所図会という古文書には、今日のように桃が岡
山県の特産品として花開く以前にはこの地域の桃が全国
的にも多くの出荷高を誇っていた時代の賑わいを彷彿と
させる風景を描写している。
無機質の色の街並みの中に艶やかな桃色の花の色彩が
殊更に目立つ。願わくば可能な限りの土地の余白に桃や
桜或いは紅葉を植樹して街中が四季に応じて色彩豊かに
なればと思う。花は美しく、自然の色彩は街に気持ちの
ゆとりをもたらせる。
河内と呼称される地域は南北に長大である。大阪と奈
良との県境の生駒山系に沿って北は交野、枚方辺りから
中部の東大阪、八尾を経て南は富田林や千早赤阪辺りま
での南北に細長い一帯を総称して河内と人々は古代から
呼んできた。北河内は自然環境は随分と多く、南河内も
山間が多く自然に包まれている。東大阪を含む中河内地
帯は近年の宅地開発で住宅地と工場街一色になって生駒
山麓以外はほとんど自然環境が乏しいという状態である。
江戸期までは東大阪界隈は多くが湖沼と湿地であり、
合間に点在する村々は難波や大坂城から大和のくにへ向
かう東西の街道しかなく、村と村は沼や湖沼により分断
されて南北に移動する道が乏しく、南北の連携という発
想自体が少なかった。そういう歴史的な風土がこの街に
南北移動の発想を育まなかった。数日前ようやく南北移
動の鉄道が開通したが、風土の影響は大きいものである。
、桜が咲いて春を感じる。その後の新緑、秋の紅葉と季
節の色を感じていくのが自然である。
しかし住宅地と工場地帯とが混在し、ひっきりなしに
家屋が密集している東大阪市を始め俗に河内と云われる
中部の一帯は自然が極めて乏しい為に、田舎生まれの私
にすれば年中四季を通じて同じ色をした街にしか見えな
い。いつの季節にも色彩的な変化が無い中にあって日々
を過ごすことは少々戸惑う。
数年前から、かつて河内と云われる地域一帯に咲き誇
っていた稲田桃を景観の中に蘇らせようという試みが地
域の方々を中心として試みられ、桃栗三年、柿八年の月
日で三年が経過した昨年辺りから、市内に少ない川の川
沿いに艶やかな桃色の花を咲かせている。本日も地域で
桃の花を見ながら諸事を楽しむという春事という行事が
中学校を会場にして催されていたので参加した。
河内名所図会という古文書には、今日のように桃が岡
山県の特産品として花開く以前にはこの地域の桃が全国
的にも多くの出荷高を誇っていた時代の賑わいを彷彿と
させる風景を描写している。
無機質の色の街並みの中に艶やかな桃色の花の色彩が
殊更に目立つ。願わくば可能な限りの土地の余白に桃や
桜或いは紅葉を植樹して街中が四季に応じて色彩豊かに
なればと思う。花は美しく、自然の色彩は街に気持ちの
ゆとりをもたらせる。
河内と呼称される地域は南北に長大である。大阪と奈
良との県境の生駒山系に沿って北は交野、枚方辺りから
中部の東大阪、八尾を経て南は富田林や千早赤阪辺りま
での南北に細長い一帯を総称して河内と人々は古代から
呼んできた。北河内は自然環境は随分と多く、南河内も
山間が多く自然に包まれている。東大阪を含む中河内地
帯は近年の宅地開発で住宅地と工場街一色になって生駒
山麓以外はほとんど自然環境が乏しいという状態である。
江戸期までは東大阪界隈は多くが湖沼と湿地であり、
合間に点在する村々は難波や大坂城から大和のくにへ向
かう東西の街道しかなく、村と村は沼や湖沼により分断
されて南北に移動する道が乏しく、南北の連携という発
想自体が少なかった。そういう歴史的な風土がこの街に
南北移動の発想を育まなかった。数日前ようやく南北移
動の鉄道が開通したが、風土の影響は大きいものである。