木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

教育について

2004-07-30 01:45:26 | インポート
 思えば教育の成果というものは、その過程にある時よ
りも、その時が過ぎてからしばしの歳月を経てから醸成
されるように滲み出てくるものかもしれない。
 その時空に重ねた時間が、その人の見る風景や意志、
或いは方向性などを自ずと形作っていくものだろう。

 教え育む、教育は洗脳とは全く異なる全ての柱である。

 ふと、新島襄の記した大学設立の旨意を見た。
「私は敢えて私の赤心を開陳して、全天下に訴え、全国民の
 力を籍り、以て私の年来の宿志を達っせんと欲す。
 勿論この大学よりしては、或いは政党に加入する者もあらん
 或いは農工商の業に従事する者もあらん、或いは宗教の為に
 働く者もあらん、或いは学者となる者もあらん、官吏となる
 者もあらん。
 その成就する所の者は、千差万別にして、敢えて予め定むべ
 からずといえども、これらの人々は皆一国の精神となり、元
 気となり、柱石となる所の人々にして、即ちこれらの人々を
 養成するは、実に同志社大学を設立する所以の目的なりとす。

 一国を維持するは、決して二、三英雄の力に非ず。実に一国
 を組織する教育あり、知識あり、品行ある人民の力によらざ
 るべからず。これらの人民は一国の良心ともいうべき人々な
 り、私はこの一国の良心ともいうべき人々を養成せんと欲す。
 私が目的とする所、実に斯くの如し。」

 母校の、というよりも歴史資料として私は見ている。今日、
私達が教育だと思い込んでいる姿は案外、教育ではない。教育
はここに述べられているように、もっと素朴で純粋な志から出
ているものではないか、と思うのである。

 この志は学校を建てる趣旨のみならず、今や、国を成すべき
ものにも当てはまるだろう。
 国が建つためにはこういう気持ちが必要なのだろう。

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砂時計

2004-07-28 01:38:36 | インポート
 犠牲者が35,000人といえば相当な数である。警察庁に
よれば、昨年一年間の全国における自殺者は34,427人で
あったという発表があった。これは統計に表れている数
字であるので、実際の犠牲者数は更に多いのではないか。

 35,000人の犠牲者といえば、戦争で生じる犠牲者の数
よりも場合によれば多い。今、いかに表に見えない場所
で多くの犠牲が生じ、多くの苦しみが起こっているか現実
として、社会の問題として深刻に対応しなければならない。
 
 又、交通事故による犠牲者も年間に約30,000人であると
聞く。毎年、日本では約60,000人以上もの人々が自ら、或
いは不慮により亡くなっていることになる。
 戦慄すべき事実ではないか。

 命を絶つということ以上の終わりはない。
 命を自ら絶つほどの勇気があるならば、何でも出来るだろ
うし、何も恐れるものはないだろうと普通ならば考える。し
かしそういうことを考える以上に追い詰められている人々が
これほどに多数存在していることは、もはや政治が蘇生する
こと以外に、生活や産業の再生もあり得ないことを物語って
いる。

 砂時計がくびれ始めている。
 時間はただ過ぎゆく。過ぎるがままに砂時計はくびれていく。
時間はない。やがて砂が尽きると、砂時計をひっくり返さない
限り時間は始まらない。
 つまり、世の中をひっくり返すような政策を打たない限り、
尽きた時間は再び始まらないということかもしれない。

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眠れる資源

2004-07-25 02:39:18 | インポート
 日本は列島で、更にその周囲や内海に幾つもの島々を
有する、海と島によって成る海洋文化圏と言える。この
季節、特に海の音、潮騒が恋しい。
 視点を変えれば大阪府の隣は瀬戸内海を挟んで博多に
なる。内海は海の道でもあり、瀬戸内海に浮かぶ島々は
多様な文化を有し、多島美を見せる。

 地中海の風景とオリーブ畑の観光資源と瀬戸内海とその
島々による多島美とみかん畑の風景や沖を行き交う連絡船
の光景は、酷似していたり、時に地中海に優るとも劣らない
風景である。
 又、オーストラリアのグレートバリアリーフは珊瑚礁など
の美しさで有名だが、沖縄本島の北に位置する与論島の海
のほうが海の透明度や珊瑚礁など、美しいと私には感じられた
記憶がある。

 四方を海に囲まれていることは閉ざされているとも見れるが
同時に豊かな海洋資源に恵まれているとも見れる。じっくりと
日本の各地域を回ると、自分達が気がついていなかった良さや
美しさに、改めてはっとさせられることもある。
 
 外貨を稼ぐ手段は何も製造業ばかりではなく、日本の各地を
魅力的にプロデュースすれば各地域から各地域への訪問客や
海外からの訪問客も増えることになり、様々な効果が生まれる
ことが期待できる。
 そのことが結局は、地域を考えていくことにつながっていく
のではないだろうか。

 開発をしない開発という視点がますます重要になってくる。
開発されていない風景を求めて、その地域を訪れる人達が実は
たくさん存在しているのである。

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虚と実

2004-07-23 10:15:36 | インポート
 虚構と実像というものを考えている。
 物事の裏の裏は実は表である。
 人の心も裏のまた裏は、表になる。

 表と裏を併せ持つ、という表現があるが、そうではなく
表から見ても裏から見ても、表である人物が実は最も強い
のではないか、と最近では思うようになった。
 
 そういう強さを何と言うのだろうか。

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終着駅は人体

2004-07-22 02:21:08 | インポート
 生肉は時間の経過と共に黒ずんでいく。赤い色をした
肉と黒くなった肉とでは鮮度が異なり、消費者も黒くな
った肉には手が伸びない。
 業者は価格競争と採算の視点から、黒くなった生肉を
廃棄せず、白い粉をまぶして赤く変色させたり、赤い着
色剤を吹きかけて賞味期限を書き直し、陳列し直して販
売している実態が明るみになりつつある。
 実はこういう類の話は買い物慣れした主婦から随分以
前からよく耳にしてきた。

 北海道産と表示された弁当が実は北海道産ではなく、
中国産やその他の産地であったりすることもある。
 今や虚偽表示、賞味期限の書き換え、成分非表示など
の食品衛生法違反はかなりあるのではないか。
 一頃騒がれた環境ホルモンの問題も今では全く聞かれ
なくなったが本当に大丈夫なのか。

 農家は農薬の実態について一番良く知っている。出荷
する作物は形や傷の有無などの外観がかなり重要視される
ために農薬やつや出し等を使うが、自分達が食べる分につ
いては無農薬で育てて、少々形が崩れていても虫食いが生
じていても気にしていないという。

 採算がとれるかとれないか。
 現実として成り立っていくためには避けられない命題だが
果たして食糧分野において採算面で物事が動くことが良いこ
とかどうか。そこには人体という最も生々しい終着駅がある
ことを忘れてはならない。

 行政と政治の両輪で、厳しい監視体制と、同時に有効で
機能的な食糧分野への対策、政策を整えていかなければな
らない展開にあると感じている。

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