木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

周防大島にて

2005-07-31 20:31:48 | インポート
 昨日、車を西へ走らせて山口県周防大島に渡った。
高齢化率の高いことで有名になっている島だからか町に
はお年寄りの方々が多かった。温泉にも「障害者割引」
やスロープなどのバリアフリーの取り組みが随所に見ら
れ健康な高齢者が多いと云われている周防大島の風景に
微笑ましくなった。

 この島は同時に幕末の第二次長州征伐の際の戦争の地
でもあった。蛤御門の変に敗れた長州藩は京都を追放さ
れ、長州人であるというだけで容赦なく幕府側に斬殺さ
れその遺骸は埋葬する事を許されなかった。そして長州
そのものを滅亡させようと将軍が江戸から上洛し、第一
次、第二次長州征伐が行われた。
 長州は小倉との境目の小倉口、安芸広島との境目である
芸州口、石見との境目である石州口、そして周防大島から
の大島口の四つの境界から幕府に侵攻される。いわゆる
「四境戦争」になった。幕府の命を受けた伊予松山藩の
軍艦が周防大島を攻め、久賀から上陸し多くの島民を虐殺、
一時は島を占拠した。戦闘は主に山や尾根伝いに行われた
らしく、その時の四境戦争・大島口の役の石碑があると
島の案内に記されていたので私はその場所を求めて島を
走り回った。

 幾ら記されている場所らしき地点に着いても石碑は無く
草刈りをしていた男性や農作業を終えて小川に足を冷やし
ていた男性、奥畑という集落の若者などに尋ねたが、石碑
の場所は分からない、という。
 四境戦争の石碑を・・・と言うと一瞬、ひょっ、とした
表情を浮かべたのが印象的だった。まるで奇兵隊の子孫で
もあるかのような面影に見えてくる。祠の近くの家の高齢
の女性に尋ねてようやく場所が分かった。この案内とは場所
が違い、山の尾根に大きな石碑が建っているがここからは
まだ距離があるという。四境戦争について尋ねる私を大変
珍しい若者とでも思ったのだろう。遠方から訪ねてきて幕府
と長州との戦争の史跡を根ほり葉ほり尋ねる私のほうが珍し
いかもしれない。

 結局、石碑は見つからなかった。

 しかし山頂近くから眺めた瀬戸の海と島々は青々しく爽快
であった。この海域を坂本竜馬も駆け、そして高杉晋作が
オテントサマ号に乗って夜襲をかけて沖合に碇泊していた
伊予松山藩の軍艦をたった一隻でさんざんに打ちのめし退散
させ、それ以降長州藩は島を奪回、討幕へ向かった事を思う
と不思議な眺めである。

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潮騒の時間

2005-07-31 19:46:20 | インポート
 墓参りをするため帰郷す。
 緑良し、潮の香良し、潮騒が響く。

 夜、海辺を歩き浜辺に佇む。
 蒼い夜空に沖合から吹き抜けてくる潮風が心地よい。
 空を見上げると星が瞬いている。
 波打ち際を戯れる子供達の姿が夜陰で影絵のように動く。
 連絡船がほのかに光を発しながら行き交う。

 いつしか星を眺めることも忘れている。
 こうして夜風に吹かれて、しばらく波の音を聞きながら
星明かりに涼んでいたい。永遠の潮騒の旋律が涼を奏でる。

 海を故郷に持つ人、山を故郷に持つ人、島や島々を故郷に
持つ人、北国を故郷に持つ人、南国を故郷に持つ人、生まれ
も育ちも都市の人・・・色々とその眺めは違う。
 故郷は遠くにありて思うものとは石川啄木の言だが、故郷
は時には訪れて原点を再訪することも良い。そういう場所が
あるから「今」を大切に思えるし、「今」を進むことができる。

 せめて一日、潮の香りと潮騒に包まれて島並や島影を眺めて
いたい。英気が湧いてくる。

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移りゆくこと

2005-07-29 00:56:39 | インポート
 大切な局面には言葉の魔術、仕掛けに気を付けたい。
政局という一面もあるが今回はどういう政局かと言えば
再構築という形に向けて世が動き出す為の局面である。
「政治の安定が大切だ」という声があるが今は安定でなく
停滞している。だからそれを打破しなければならない。
「野党になればどれ程に惨めか」という旧体制側の声が
あるが、私は現時点においては政権の側についていない
政党の自治体議員をしているが、惨めだという気持ちは
毛頭ない。どころか、それぞれの立場からやるべき事を
成し新しい時代を迎えようという目的に向けて日々、充
実した時間を過ごしている。誇りこそ感じれど、惨めだ
という発想そのものが理解できない。

 従来の時代のそういう諸々の発想の構造そのものに疑問
を感じてならない。

 市民から頂いた幾つかの声を踏まえて述べてみたい。
「民主党が政権を取れば世の中がひっくり返るのですか」
という不安の声もあるが国家転覆ではなく市町村から国に
到るまでの日本国の再構築であるからその不安は杞憂である。
「民主党が政権を取っても対外的な諸課題は何も変わらない
のではないか」という不安の声もあるが、今の政権体制だか
ら何も変わっていないのだ。国是は何かという視点を失わな
ければ判断を誤ることは無いだろう。
「民主党はバラバラではないか」という不安の声も聞き慣れ
ているが、多様な意見や議論があるほうが健全で自然であり
むしろ単一的な意見・発想や言動を求める風潮の中に危険性
がある。民主党はバラバラなのではなく、異論は断じて許さ
ぬという強権体制ではなく、極めて自然体な状態にあるとい
うことである。

 人々の生活はどうかという視点が自治体の政治であろう。
 日本国をどうするのかという視点が内政であろう。
 日本国としてどうするのかという視点が外交であろう。

 地球儀を思い浮かべると皆、同時代にある何事かを考えて
しまう。春が過ぎれば夏の装いになり、秋が訪れば夏服はそ
の役割を終え、冬が来れば重ね着をする。四季が巡る内に時代
が移り街の装いも人々の嗜好も価値観も転じていく。
 そういう森羅万象の軌跡の一環として再構築が訪れる。

 先ず、日本国をどうするのかということである。

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首都機能のあり方

2005-07-27 11:57:13 | インポート
 いつの間にか忘れ去られている課題の一つに首都移転
問題がある。今や首都移転のしゅの字さへ口にする人が
いなくなった。形而上的な内容を継続的にかつ時系列に
捉えて考察する事が苦手、もしくは欠落しているとしか
思えない日本社会の特徴が滲み出ている実例である。
 
 首都をどうするのだろうか。
 このまま永久的に東京が首都で良いのか。
 あれほど論議され提案された首都移転の候補地はどう
なったのか。何故、該当する地域は黙っているのか。
 郵便局をどうするか、郵政をどうするかという事だけに
貴重な労力とエネルギーを費やしているどころではない。
そういう課題はとっとと採決して早く本当に必要な課題に
国力を傾けて欲しい。
 もっとも私は日本国そのものの前途を考慮すれば今この
時点における郵政民営化は反対である。その本当の理由は
ここでは書けない。
 反対のための反対ではなく、日本国の自立のために反対
であるという精一杯の表現に留めておきたい。

 先日、首都圏を中心に大きな地震が生じた。人々は周章
狼狽し東京都庁も対応に遅れ、予想通りとはいえ空しい程
に首都の都市機能や耐震、防災に対する脆弱さが露見して
しまった。株価に及ぼす影響を恐れて事実の発表が遅れた
ということは無いとは思うが、もしそれに似たような背景
があるのだとすれば憂慮すべき事態である。
 
 東京は確かに今や世界の中の主要都市の一つになった。
日本経済の顔としての東京はこれからも重要で必要であろう。
しかし、首都機能は移転を考えるべきである。首都機能と
は何か。日本国の意志決定機関のことである。つまり意志
決定機関を移転すればかつての大規模な遷都のような労力
や新たな自然破壊は無くとも首都が移転したことになる。
 今回の地震に対する東京の狼狽ぶりを見て、改めて首都
移転の必要性を感じた。
 かつて広島市が暫定首都になった時、広島城内に国会が
設立され迅速な意志決定体制を取った実例を思えば首都とは
それで良いのではないか、と思う。

 何もかもが東京という狭い地理内に収まっている状態は
あらゆる面から危険性を有している。民主党政権が誕生し
た暁には政権公約に「首都機能移転」を加えて欲しい。
 これもまた国防の一つである。

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空洞な街

2005-07-26 10:33:49 | インポート
 自治体議員という立場は、ともすればその市町村の範
囲内だけで行動が終始しがちだと思いがちである。確か
に議場での発言権や調査権が行使できる範囲は自身が所
属する市町村に限られるが、「地方自治」という項目で
北は北海道の先端から南は沖縄県の最南端まで行動範囲
が広がる視点も持つことが出来る。
 そういう見方をすれば、自治体議員の自身の選挙区は
所属する市町村内だが、日本列島全体で一つの行動範囲
となる場合もある。

 各地の行政区内だけで終始する課題は限りなく少ない。
それぞれの地域が相互に関連し関わりを持っている。従
って行動的自治体議員として各地を総合的に捉えれば、
先ず地域経済の何たるかが見えてくる。そして総じて日本
経済が見えてくるのではなかろうか。
 経済といっても書物や理論としての経済や経済学でなく
呼吸をする経済、人々の活動としての生きた経済である。

 さて、話題が変わるが先日、東京の街を歩いた。
子供の頃は稀に新幹線に乗り東京に行くこともあったが
子供の頃も印象とは違う東京の漠然とした姿に「これが
東京?」とつぶやいた事を思い出す。
 東京を歩いていて感じるのは都市としての顔が無いと
いうこと、果たしてこれが首都なのかという不安と不満、
確かに旧江戸城である皇居を中心に放射状に都市が広がっ
ている印象は受けるが、ただ漠然とビルが並び首都の表情
としての核が無い。
 六本木、池袋、銀座、新宿などいわゆる賑わいに満ちて
はいるがただそれだけで都市の表情としての核が見えない。

 どれもこれもかつての東京大空襲で街が破壊され、敗戦
を迎えた上での街の再建という流れがあり首都と言えども
無表情な街にならざるを得なかったのかもしれないが。
 もっとも占領軍が魅力的な首都の再興を望むはずは無かっ
ただろう。
 その軌跡の連続性の後に、経済効率優先の時代、機能性
のみを優先した経済成長時代やバブル時代が重なれば賑わい
こそ生まれて発展しても、首都という都市の魅力としての
成長は置き去りにされてきたと言えるのかもしれない。

 東京という首都の街を歩いて感じるのは賑やかだけれど
空洞であるという印象なのである。

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