東大阪市議会の六月議会も終盤にさしかかっている。
文教委員会は物事を小出しにし閉鎖的な教育委員会の体
質と、抽象的で縷々はぐらかす答弁が特徴の市長との見
事なミスマッチで遅々として進まない。
さて、そんな中、国会では次々と法案が強行採決され
ていく。確かに数の論理で決まるのが多数決だが、単な
る足し算で世の中の大切な事が決められていくのならば
いつか物事は大きな間違いを犯してしまう。
年金の問題である。社会保険庁が事実上、解体されて
日本年金機構という組織に改められるようだが、問題の
本質は何一つ解決に向けられていない。丁度、不祥事が
世に晒されて存続の危機に直面した企業が看板名を付け
替えて人々の視線を逸らせるかのような加工である。
例えば支払った筈の年金の記録自体が例えば十年分も
消失して証拠すら存在しなくなっている人々の存在はど
うなるのか。問題はそこである。
戊辰戦争で会津若松鶴ヶ城に向けてアームストロング
砲を打ち込み続けた官軍のような気持ちにさせられる。
物事の本質に大砲をぶち込んでみたくなる。 逃げるな
社会保険庁。
二十代半ばの頃、會津に旅した。會津の街をさすらっ
ている中で西軍と東軍のそれぞれの心に触れた。当時の
青年も人々も大義に生き、それぞれに純粋に大切なもの
を守るために戦った。故郷を遙か遠く離れて東北の地に
散った人々の凛とした気概は今日の小手先に走る役人の
歪んだ性根とは比較にならない。夜明けを信じて戦った
当時の人々の思いを何と心得ているのか。
小田山という山が會津の城南にある。
当時、私は道行く會津の女性に小田山に入る道を教えて
欲しいと尋ねたら、知らないと言われて、業をにやした
私は城南の山を指さし「あれが小田山ではないのですか」
と聞き確かあの山に大砲が据えられた筈ですと聞くが知
らないと言って去っていった。
山の麓の寺に辿り着き、この山にアームストロング砲
が据えられた筈ですがと住職に尋ねると、ああ山の中腹
辺りに官軍がこの辺りの道を当時、大砲をゴロゴロ曳い
て山を登って行ったと伝えられていますと、当時この辺
りは焼け野原になったという様子を交えて住職は語った。
山の中腹に少し拓けた場所があった。眼下に鶴ヶ城が
身を晒すように白く輝いていた。ここに据えたのだろう。
今はどこかそういう気持ちである。
文教委員会は物事を小出しにし閉鎖的な教育委員会の体
質と、抽象的で縷々はぐらかす答弁が特徴の市長との見
事なミスマッチで遅々として進まない。
さて、そんな中、国会では次々と法案が強行採決され
ていく。確かに数の論理で決まるのが多数決だが、単な
る足し算で世の中の大切な事が決められていくのならば
いつか物事は大きな間違いを犯してしまう。
年金の問題である。社会保険庁が事実上、解体されて
日本年金機構という組織に改められるようだが、問題の
本質は何一つ解決に向けられていない。丁度、不祥事が
世に晒されて存続の危機に直面した企業が看板名を付け
替えて人々の視線を逸らせるかのような加工である。
例えば支払った筈の年金の記録自体が例えば十年分も
消失して証拠すら存在しなくなっている人々の存在はど
うなるのか。問題はそこである。
戊辰戦争で会津若松鶴ヶ城に向けてアームストロング
砲を打ち込み続けた官軍のような気持ちにさせられる。
物事の本質に大砲をぶち込んでみたくなる。 逃げるな
社会保険庁。
二十代半ばの頃、會津に旅した。會津の街をさすらっ
ている中で西軍と東軍のそれぞれの心に触れた。当時の
青年も人々も大義に生き、それぞれに純粋に大切なもの
を守るために戦った。故郷を遙か遠く離れて東北の地に
散った人々の凛とした気概は今日の小手先に走る役人の
歪んだ性根とは比較にならない。夜明けを信じて戦った
当時の人々の思いを何と心得ているのか。
小田山という山が會津の城南にある。
当時、私は道行く會津の女性に小田山に入る道を教えて
欲しいと尋ねたら、知らないと言われて、業をにやした
私は城南の山を指さし「あれが小田山ではないのですか」
と聞き確かあの山に大砲が据えられた筈ですと聞くが知
らないと言って去っていった。
山の麓の寺に辿り着き、この山にアームストロング砲
が据えられた筈ですがと住職に尋ねると、ああ山の中腹
辺りに官軍がこの辺りの道を当時、大砲をゴロゴロ曳い
て山を登って行ったと伝えられていますと、当時この辺
りは焼け野原になったという様子を交えて住職は語った。
山の中腹に少し拓けた場所があった。眼下に鶴ヶ城が
身を晒すように白く輝いていた。ここに据えたのだろう。
今はどこかそういう気持ちである。