木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

国民の主題

2009-08-31 20:00:13 | インポート
 政権交代から一夜が明けた。
 選挙による政権交代という、わが国初の大事業もいざ
国民が実行してみて朝が来ると、これまでの時代がまる
で嘘のように、政権交代は無理と云われていた事が迷信
であったかのような、例えれば長らく人々を苦しめたベ
ルリンの壁も壊れる時には一挙に壊れたように、瞬時に
して風景が変わる。
 また徳川幕府が瓦解した時も同様の本質が繰り広げら
れた。当時と違うのは、武力衝突がなく討幕のような挙
でもなく、平和裡に民主主義的な手続きと国民の選択に
より当時で言うところの討幕が為されたことである。明
治維新も多くの流血の果てに為されたことを顧みれば、
先人の労苦の上に成立した隔世の現代に行われた日本人
が初めて体験する平和的権力交代という歴史に刻まれる
一頁であったといえる。
主権在民が機能すればこのような風景が生まれる。ま
た主権在民を機能させるのは二大政党制の定着と浸透し
かあり得ない事を歴史が時代が証明した。
 これから我が国は民主主義成熟への登山口から歩みを
始めることになる。

 諸外国も政権交代を民主主義の国として生じる自然な
現象として、むしろ遅すぎた春として冷静にかつ客観的
に捉えていることだろう。
 今までの時代は主権在民を憲法で謳われていながら機
能する選択肢のない世の中だった。これからようやくに
して、主権在民の世の民主主義を国民が選択肢を手に体
感していく新しい時代に入った。

 細川政権誕生の時代を思い出す。
幾つもの政党による連立政権であったため一つのほころ
びで瓦解したが、今回は民主党による過半数獲得という
二大政党時代の政権誕生のため、細川政権時代の二の轍
は踏まないだろうが、それでも述べれば、国民のために
も細川政権の時の失敗を再現してはならない。
 細川政権誕生の時、私は大学2回生だった。
 世の中が変わったという実感を初めて体感したのがあ
の時である。それまでは新聞の政治面を飛ばして他の紙
面を読んでいた私も、この時から政治に興味を持つよう
になり、新聞の政治面にも目を通すようになった事を懐
かしく思い出している。
 同じように、民主党政権誕生でこれまで政治に興味や
関心の無かった若い世代が政治に、ひいては世の中のこ
とに関心をもつ契機になる可能性も高い。その未来の世
代のためにも民主党政権は王道を歩むべきである。

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ああ真田丸

2009-08-30 00:51:08 | インポート
いよいよ明日、政権選択の日を迎える。この閉塞感、若
者のワーキングプアに象徴されるような無力感、後期高
齢者医療制度への怒り、受給額は減り、受給開始年齢は
更に遅くなろうという年金制度への不安と消えた年金記
録の問題など、まるで燎原の火のごとく人々の怒りが広
がっている。
この怒りは長らく自民党を延命させていた公明党との連
立工作をもってしても抑えきることは難しいだろう。
日本もいよいよ成熟した民主主義への道のりを歩き始め
る。政権選択、政権交代はもはや政治文化となる。
有権者が共に作り上げる政権交代は、草の根による公共
事業、国家事業とも言える。

さて、局地的な視野に話題を転じてみよう。
東大阪市は民主党候補者を擁立しなかった。だからいく
ら有権者が頑張っても、東大阪市から民主党の議席が生
まれることにはならない。有権者はよく見ている。この
無力感がどのような影響を生じるか。私はこの現象を大
坂冬の陣、夏の陣における真田幸村のとった策の空城で
ある真田丸に例えた。事実、民主党候補者が出ないこと
に対する民主党支持者の怒り、失望、落胆、不満などが
私のところに寄せられた。
政権交代、政権選択という主題に参加できない東大阪市
の民主党支持者の怒りは小さくない。
この怒りが明日の有権者の決断にどのような形となって
表れるだろうか。

生粋の民主党支持者は白票を投じるか、場合によっては
投票を棄権する人々も出るかもしれない。また、民主党
支持者の中で絶対に自民党や公明党を許せないとする人
々は、共産党にはけ口を求めて流れるだろう。

新聞各社の地域版などでは色々と賑やかに書き立ててい
たが、私は東大阪市の選挙結果については、地殻変動は
生じずむしろ民主党支持者の様々な流出が生じ、閉塞感
に包まれた重苦しい空気の中で野党統一候補には非常に
厳しい結果に終わるものと危惧している。

この私の動物的感覚や直感が杞憂に終わればそれはそれ
でいいのだが。

東大阪市の民主党は民主党になっていない。民主党の姿
からはほど遠い。これは有権者の皆様にお詫びしなけれ
ばならない。東大阪市の民主党を再生いや民主党として
新しく作り直さない限り、今回のように民主党候補者を
擁立できない事態になり、有権者に多大な迷惑をかける
ことになる。
東大阪市に関しては厳しい審判がくだるだろう。

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全体像の中で

2009-08-27 01:52:30 | インポート
全国的な視野と地域内に収まった局地的な視野とがある。
それぞれに自分のいる場所があって、それぞれの場所で
選択が問われている。
しかし、全国的な視野と局地的な視野とが連動しない事
例もあって、私が今いる場所がまさにその典型的な事例
に直面している。

天下分け目の関ヶ原で世間が東軍か西軍かという動向に
耳目を注いでいる最中、我が陣は関ヶ原自体に参陣でき
ない、参陣しない寂寥感と虚しさのようなものを感じて
いる。
或いは、まるで真田丸の中にいる侍のような心境である。
これも戦の一つ、そういう思いで気を引き締めてはいる
が、例えば合戦の全体像の中にあっては最初から自陣や
自軍が旗を立てていない砦もいくつか生じるが、そうい
う真田丸のような体感をしている。

この砦を空けることで、合戦全体の他の砦や支城が生き
てくる、そういうことが戦では時にある。
私が今いる砦はまさにその空けた砦のようなもの。
大坂冬の陣、夏の陣で真田幸村は全体の戦略の視野の中
から囮というか最初から徳川方に攻め取られても構わな
い砦を築いて戦った。それを真田丸という。有り体に言
えば捨て城である。
そこに配置された兵や将の心境やいかに。自軍の戦いの
全体像の中で、最初から全体を有利な戦いに持ち込む為
に戦略的にある砦を空ける。或いはその砦は自軍の旗が
立たなくても最初から計算済みでそこに旗を立てないこ
とによって他の砦が俄然と有利になる。そういう真田丸
に配置された兵や将は、自らの役割とその合戦における
使命を自覚したものである。雑念が入るまでもなく、真
田丸の役割を全うするべく持ち場につき、真田丸を真田
丸であるべく戦った。
今の私は例えば真田丸の中にいる者のような心境である。

それでも人々は何故、この砦には旗を立てないのかと苛
立ちや怒りを交えて言ってくる。
これは真田丸なのだとは言わないでいる。

関ヶ原は一つ一つの砦の総じた全体像として初めて見え
るのである。

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世界陸上と高校野球を終えて後・・・

2009-08-23 23:30:43 | インポート
世界陸上がベルリンで開催されているが、中継時間が深
夜から明け方ということもあり、また総選挙の最中とい
うこともあって今回はあまりじっくりと観ることができ
なかった。
しかし世間は逆かもしれない。特に無党派層の方々は夏
の高校野球と世界陸上に関心の比重が移って、総選挙に
はそれほど視線を注いでいないかもしれない。

世界陸上も最終日を迎え、夏の高校野球も間もなく決勝
が行われ閉会する。いよいよ総選挙が佳境となり、また
総選挙以外に主要なイベントもなくなるから今後は総選
挙に視線が集中するだろう。
主体的に思考する無党派層も少なくないので、政権選択
の夏がこれから投票日までの期日でどのような判断がな
されるであろうか。

数日前、大手マスコミは一斉に民主党が300議席を獲
得するという、民主党の大勝を大きく報じる予想を書い
ていた。疑いたくないが、マスコミの戦略ではないかと
勘ぐったりもした。投票日まで一週間以上ある段階で民
主党がここまで勝つのかという心象を世間に与えること
で、有権者の間にそれなら少しくらい自民党、公明党に
勝たしてあげてもいいのではないか、と人々が思うよう
になると現実には自民党、公明党が議席数を伸ばすとい
う事態にもなりかねない。
少しでも自民党、公明党を守りたいという大手マスコミ
の深層心理の表れであろうか。
有権者は有権者の意思と、これまでの政治を顧みて誰に
も影響されない、自らの意思で投票して頂きたいもので
ある。
また、民主党候補者の中で、マスコミにうまく書かれた
り報じられたからと、そのまま嬉しそうにしている人が
いたとしたら青い。こういう論調と報道の渦中の時にこ
そ、気を引き締めて行かなければならない。

民主主義の国である日本に、遅ればせながら有権者の投
票による政権交代が生じるか否かということが問われる
主題なのである。
日本の民主主義が機能し、前進するか否かの局面を迎え
ている。
政権与党が一時期を除いて半世紀以上も不変という民主
主義国を探すことのほうが難しいと言える。

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国策を長期の視野で

2009-08-20 23:51:42 | インポート
本当は一年間程、どこかの過疎地の農家に泊まり込み農
業を学びたい。四季を通じて現実の農家や農業が何に直
面しているのか、何が問題なのかを体でつかみたい。し
かし時間がこれをなかなか許さない。だからなかなか農
業の奥深くが、本質がつかめないでいる。机上では駄目
である。農業こそ土に生きるという視野とそれを許す時
間が無ければ理解できない。現状のせわしい毎日の連続
の繰り返しのサイクルの中からは本当に農業を肌身で理
解し体得した政治家を生み出すことは困難と言える。

自給率がいくらかという数値よりも現実の自給能力のほ
うが大切ではないか。

私は学生の頃、北海道を旅した。北海道東部のある農場
に約一週間宿泊させてもらい酪農体験をさせてもらった。
牛の世話、ひよこの世話等を広い大地の残雪の中でした
ことが懐かしい。良い体験であった。サイロに登って頂
上から農場を見渡すと、遥か遠くの地まで見渡せ、心持
ち地平線が丸みを帯びて見えたことが懐かしい。

想像してみる。
官僚ではなく、政治家や政治任用された人材に、例えば
あなたは税とは何かを徹底的に追求しろ、と数年間の連
続した一つの時間を与え、またあなたは憲法について学
や論ではなく文明の視点から体得しろとまとまった時間
を与え、またあなたには住宅政策について徹底的に体得
しろとまとまった時間を与える。このようにして国の様
々な事項について人材に数年間の一つの時間を国家戦略
として与えたならば、そうそうたる人材が輩出されるで
あろう。
官僚ではなく、政治家や政治任用の人物にこれをさせる
ことに価値がある。
国家戦略としてこのような大河的な視野が持てるだろう
か。
内向きにせわしく、ちまちまとした毎日の現状の政治家
は、数日すら地元を留守にできない。気持ちの上でも不
安になるからできないし、その政治家の地元が長期の留
守を許さない風土になっている。だからまるでエクセル
の一つのセルのような連続で、本当の意味での国策を語
れる政治家が出ないのではなかろうか。
今の世なら、長期に地元を留守にすると政治家はその基
盤を危うくしてしまう。岩倉遣欧使節団のような存在や
視座は今日の世には望むべくもない。だから超越した政
治家が生まれない。

国家戦略として長期の時空視野が必要である。

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