木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

いよいよ本番

2011-09-24 23:53:04 | インポート
 自治体議員は4年に1度、有権者に信を問い審判を受
ける。アスリートも4年に1度、五輪を目指すような気
持ちで4年に1度の審判に臨む。そういう心境である。
 この4年間行ってきた活動、取り組んだ物事、人々と
の出会いの中で培った物事が有権者により総決算され総
括される。
 これからそういう場に臨む。

 いよいよ本番である。
 本番中の1週間はブログの更新は公職選挙法により禁
じられているので、本番が終了するまで1週間は更新が
できなくなる。
 多くの皆様からのメッセージを感受し、斟酌して行動
し力一杯頑張っていきたい。

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未だ4%しか人類は知らない未知なる宇宙

2011-09-24 23:33:13 | インポート
 光の速さより速い存在があるとは通常の生活をしてい
る範疇では想像しにくいし体感しづらい。遥か彼方の宇
宙の空間の距離や惑星との距離を光速で測り、例えば数
万光年という感覚でとてつもなく遠い彼方の惑星の距離
を地球上にいながらにして推測し望遠鏡等で眺めては宇
宙空間を想像してきた。
 それでも科学者の話によれば、あらゆる研究を試みて
も人類は未だ宇宙の僅か4%しか理解できていないとの
ことである。人類の科学の英知の限りを尽くして地球上
から研究しても僅か全宇宙の4%しか理解できないとい
う事は未だほとんど理解できていないという事に等しい。

 96%の宇宙空間は科学者や天才物理学者等を以って
しても未知に等しい。それだけ宇宙空間は人類の想像の
遠く及ばない空間と言える。僅か4%の破片のような知
識を拾い集めて人類は宇宙とはこのような空間や光景な
のだと想像していたに等しい。
 未知だから宇宙なのだと言えるかもしれない。
 
 ニュートリノという存在は730KMを0.0024
秒で他の物質とほとんど反応しないで地中を通り抜けた
とされる。この実用化が進めば、今は想像上の世界でし
かなかったような技術が次々と実現されていく事も可能
となるかもしれない。
 光よりも速い存在ということになる。
 随分と昔から実は人類の常識や固定観念や既存の知識
や法則を遥かに凌駕した技術や発明が既に行われていて
それらが普及する事により何らかの不都合や不利益を受
ける人達がいるからこそ、それが世に出る事が許されな
かった、という事態も考えられないだろうか。
 本当は世の中にはきっと、とてつもなく凄い発明が行
われ次元の違う技術や設備が既に存在しているのではな
いかと私は感じている。

 未だ理解できない96%の宇宙空間の中にどのような
時間空間が存在しいかなる法則や原理が潜んでいるだろ
うか。そう思いながら夜空を見上げると、とてつもなく
知的好奇心が刺激される。

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多様性と同質

2011-09-22 22:59:41 | インポート
 政治の道を志していた頃、東京のある場所で助言を頂
いた事をふと思い出した。
「政治家は自分を衆目の前に晒して何かを伝えるのだ。
 それが政治家と他の分野の違いだ。」
と言われたが、それが大きく当時の私の背を押した。
 企業社会では会議や折衝、商談等で交渉したり何かを
やりとりする事はあっても、又、組織内や社内で発表す
ることはあっても不特定多数の聴衆の前や街頭で自らを
晒して訴えをする事や所信を述べるような事はなかなか
体験しない。
 駅に立ち、通勤通学する人々の流れや波を前にして活
動報告や所感、所信を伝える事を重ねていく中で一瞬の
人々の反応や表情が千差万別で、自分を晒して日々を重
ねるうちにそれが良い刺激となって多くの発見をもたら
せてくれた。

 認識が異なる人を前にして話を試みる事こそ対話であ
る。見解が違うからと対話を閉ざすようでは対話になら
ない。異質なもの、違う考えの人々との異質な交流、対
峙こそがバランス感覚を生み、多様性の中に現実を認識
する感覚や眼力を養う。
 同室にて同質なものや形とのみ交わり、同質なものし
か許容しない風土で年月を重ねていくと実に人間が鈍る
ものである。やがて異質の存在自体を許せなくなり排除
を試み、結果として自らをますます狭めていく。
 同質しか許容できない思考回路になるとますます僅か
な違いすら許せなくなり視野が狭くなり人間が小さくな
っていく。同質型人間の典型的なパターンである。
 この同質型人間になってしまうとついに政治が理解で
きなくなる。ついに政治が分からなくなってしまう。世
の中の決断や判断は異質なものとの遭遇や接触の連続で
現実は多様性に富んでおり、それに立脚して物事を導い
ていく事が政治であるからだ。
 自らを晒すことなくただ群れをなし、異質を知らず、
また異質を許さない集団の中でしか経験値を積んでいな
い同質型人間は、常に異質が存在し多様性の中に現実が
ある政治を理解できないばかりか、政治まで同質型の枠
で見ようとする。
 同質型人間が政治に携わろうとすると、とんでもない
勘違いや間違いを起こしてしまう事が多い。

 異質との遭遇、接触から対話が導かれ、またそれこそ
が真の対話であり、そういう対話の中から優れた政治が
生み出されて行くものである。
 優れた政治家は多様性を理解する。
 また多様性を知り異質との対話を行える者は優れた政
治家たりえる。
 同質の中でのみ行う対話は対話ではなく井の中にいる
に過ぎない。

 結果として採った行動や選択が同じだったという事は
同質では無い。初めから同じ行動をとることしか選択を
与えず異なる選択を選ぶという事を許容する発想すら無
い事はもはや同質である。
 時に組織の論理として、この同質が強要される事があ
るが、それは組織をも衰退させていく。
 組織をマネジメントしていく事は同質を強要する事で
はなく、多様な現実に基づいて様々な形に臨みこれを消
化していくことである。これを組織マネジメント、或い
は真のガバナンスと言うのではなかろうか。
 同質型人間は違いに出会えばこれを排除しようとする
し、多様な現実に遭遇すればそこから逃避していく。
 多様性に富む人間は違いに出会えばこれと対話し自己
と他己を認識する。多様な現実の中で適応していく。
 この違いはとてつもなく大きい。 

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見ることも語ることもなくなったが・・・

2011-09-18 22:49:44 | インポート
 10代、20代のような若い頃は夢をよく語った。夢
を追いかけていた。そういう年頃であった。
 あなたの夢は何ですか、と時に聞かれて胸中熱く何時
間でも語ったものだ。夢を忘れないでくださいと言われ
た事もあった。何れも若く多感な年頃の時分のことだ。
 改めて夢という言葉を考えて見た。
 今は夢を語るだろうか。
 敢えて言うならばもはや夢はみない。夢は語らなくな
った。それは夢を失ったというのでもない。
 今は夢を語ったり夢を見ているのではなく今に「夢中」
になっていると言えば限りなく私の胸中を表現している。

 映画や歴史小説等もよく見たり読んだものだが事実は
小説よりも奇なりというのか、様々な場面や人々に遭遇
して時間を過ごすうちに現実社会や世の中の現実の方が
映画や小説よりも遥かに面白いと感じるようになった。
 優れた映画や小説も実際にあった世の中の事実や出来
事がモデルやモチーフとなって創作される事を思えば現
実の世の中のうごめく物事にこそ物語があると言える。
 もう少し年齢を重ねるとどのような胸中になっている
だろうか。それがまた楽しみでもある。
 子供の頃や若い頃は夢は見たり語る対象だった。
 今は見る事もなく語ることもなく、ただ「夢中」にな
っている私がいる。
 夢という概念に対する付き合い方や距離感は気が付け
ばそのような変化をしていた。

 自我について思う。
 何を以って自分を自分だと認識するのか。
 経歴か、職業か、立ち位置か、肩書か・・・・。
 こうありたいと願う自分がいて、現実の自分がいるそ
の差異やギャップに人々は苦しむ。なりたい自分を求め
続けてなりたい自分になれる人等、この世にごくごく一
握りの存在でしかない。なりたい自分とは一体何なのだ
ろうか。それは永遠の幻想なのかもしれない。
 私も子供の頃や若い頃はなりたい自分というものにこだ
わっていた事があるかもしれない。しかし今は少し考え方
が変わった。なりたい自分やこうあるべき自分というもの
を求める考え方は脱ぎ捨てて、今は例えば時代が必要とし
ている姿になれたら良いなとか、社会や国家が必要として
いる存在になれたらそれでいいな、という視界や思考に変
化している。
 それが自然の摂理に叶った生き方のように思えるからで
ある。その方が肩に無駄な力が入らず、雑念に囚われる事
も少なくて済む。

 さて、小中学生や高校・大学生等の若い世代の人達には
夢を大切にして欲しいし、大いに夢を語り夢に向かって何
かの歩みを始めて挑戦を重ねて欲しいと思う。
 何事も夢を持つ事から始まる。
 夢が目標になる。
 夢見る事は大切で、しっかり夢に向き合った人はいつか
夢から卒業する時期や術を心得て、新しい自分と向き合え
る事ができるだろう。

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組織の弊害とは

2011-09-17 22:20:36 | インポート
 結局、物事を見ていると物事や問題そのものが解決し
たり解消するという事は極めて少ない。何かの問題があ
ってそのことで組織が重い空気になっていたり全体の雰
囲気が悪いものになっている事例がある。しかし誰も何
故そうなっているのかという根本を決して口に出そうと
しない。そのものズバリを誰も言おうとはしないが誰か
にそのものズバリを言って欲しいというような顔をして
いる。

 誰もがそのものズバリを言って欲しいと願う、まさに
そのものズバリを公言していくのが政治家であったなら
それは見事な代弁者という事になる。
 しかし現実の世の中、そういう政治家も少ない。

 大抵はそのものズバリを言えないし言わないが、その
ものズバリを分かっている。その声に出来ない声を例え
ば暗黙の空気や暗黙の了解等で共有したり理解しようと
する。例えばそれを阿吽の呼吸とも言う事がある。
 極端な例えをすると、部屋の片隅に異臭を放つ汚物が
あったとする。誰もがそれに不快感を覚えているが決し
て誰もその汚物を取り除こうとしない。その汚物の事を
言葉にしてはいけないかのような空気が部屋に充満して
いる。誰もがその汚物が除去されたならどれだけ素晴ら
しいだろうかと心中では唱えながらも除去して欲しいと
言葉にしてはいけない。言葉に出してはいけないがそれ
となく何となく誰彼となく、表情や仕草や時に沈黙を用
いる事でその汚物が除去されて欲しい事を互いに伝える
ようなことをする。
 何故、この部屋のこの組織の空気が暗くて悪いのかと
問題解決に着手しようということになっても担当者や管
理職はただ空論を唱えるだけで、問題そのものに触れよ
うとはしない。そうしてただ年月だけが過ぎていく。
 
 誰かがたまりかねて何度となく「ここに問題がありま
す」「これを解決してください」とようやく言葉にして
説明しても担当者は俺に言うなよ、というような仕草や
表情をして何も動かない。
 時に担当者がその問題に向き合って皆が一瞬だけ期待
をかけるが、結局、問題そのものを除去することはしな
い。上から砂をかぶせたり蓋をすることくらいしかしな
い。結局、問題そのものを除去していないのだから何も
組織の問題点は解決していないのだが、とりあえず砂を
かぶせた当座は何か空気が変わったかのような錯覚に陥
る。しかしやがて砂の下にある問題の存在に皆が我慢で
きなくなって元の悪い空気に戻る。
 結局、人を変えれば気付かないからいいのではないか
という安易な発想でその部屋にいる人間を新しい者に入
れ替えてみるようなこともする。しかし不慣れな新参者
も次第にその部屋の違和感を覚え始め、やがて不快感を
感じ、問題の存在に気付き始める。そして最初はここに
問題がありますと声に出して相談したり主張をするが誰
もそれに反応しないし時にそれを声に出す新参者が何か
悪い事をしているかのような雰囲気にさせられて新参者
はやがて何も言わなくなり、その組織を去るかただ我慢
を重ねていくかのどちらかを選択する事を覚える。

 年月が流れていく。組織が淀んでいく。それを声に出
す者は去り時に追い出され、それに沈黙を守る者だけが
残り続けてそうしてまた年月が流れていく。
 やがてまた新参者がやってきた。
 部屋に漂う重い空気と何らかの違和感を感じながら日
々を過ごすうちに部屋の汚物に耐え切れなくなってある
日勇気を持ってその新参者は上司に相談した。
「どうして誰もこの問題に何も言わないのですか!」
「どうして誰もこれを取り除こうとしないのですか!」
それを言葉にした翌日から、その新参者はその部屋の居
心地が悪くなり、肩身の狭い思いをさせられ、誰も口を
きいてくれなくなり、流れる時間が長く感じられるよう
になった。

 あなたがこの新参者だとすれば、あなたはどのように
行動し判断するだろうか。
 往々にして組織が硬直化し堕落していく過程には例え
が悪いがこのような状況が多くみられる。
 結局、問題そのものは何も解決しないのである。
 問題が何も解決しないから、その組織は衰退していく
のである。衰退し堕落していく組織では問題そのものを
決して解決しようとはせず、ただその問題といかにして
適度な距離感を持ち沈黙して触れないかという事が重要
視され、そこで生き残ろうとする組織人は問題から逃げ
る小手先のテクニックや処世術だけが長けていく。
 だから世間一般の常識や感覚から大きく逸脱した組織
人になっていくのである。
 そして問題そのものは結局、何も解決しないままただ
年月だけが流れていくのである。

 これを組織の弊害という。

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