木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

年末に思うこと

2006-12-31 00:19:57 | インポート
 一年が暮れていく。高速道路網の充実と新幹線の更な
る高速化により故郷と現住地が随分と近くなった。又、
コンビニの普及により年末年始は店が閉まっているとい
う一昔前の感覚は消滅し、おせち料理も存在が軽くなり
どこか季節感が薄れている。門松も今やほとんど見かけ
ない。

 年末年始の時間は大切にしたい。自身のリズムを再生
し人生の基本を確認する。故郷の海を眺めよう。
 米大リーグで活躍するイチロー選手や松井選手は共に
年末年始を故郷の実家で過ごすという。一年の計は元旦
にありとも言い、又、正月は日本人が日本人らしい時間
を過ごす時でもある。これが両選手の良さでもあり、他
の選手とは違う一面なのかもしれない。原点と基本を忘
れない言動は更なる「のりしろ」を感じさせる。

 プロ野球選手は約半年のシーズンを終えるとオフに入
り、残りの半年は自主トレや課題整理に費やしつつ一年
が回転していく。これに対して政治の世界はオンとオフ
とが区切り無く、年中間断なく続いていく為にプロ野球
選手の自主トレや課題整理に相当する時節を確保する事
に工夫が必要になる。何事もぶっ通しではいけない。思
考も発想も緩急つけたり、メリハリをい付けたりする事
で膠着状態を打破し、創造が芽生えていく。
 何か大切な物事や重大な物事に着手する時こそ、その
前に静かな、しばしの休息が絶対不可欠になる。

 年が明けて来年になれば、大きな政治決戦の一年が待
っている。日本人にとって政治とは何なのかを計る一つ
の尺度になる一年になると思っている。
 議員は政治家の中に含まれるが、政治に必要な要素は

一)議会活動
二)議員活動
三)政治活動
四)言論活動
五)政党活動
六)選挙活動
七)社会活動
八)表現活動

の八要素であると私は思い、常にこの八つを存立させな
ければ、立派な政治家では無いとも思っている。
 自分自身の中で、この八つの要素が今時点でどのよう
な状況にあるかという確認を、この年末年始に行いたい。

 勿論、それは日常から離れた静かな時間の中で行うか
らこそ有意義であり、それが年末年始の時間の特性でも
あるとも思うのである。
 余談だが、そろそろ私も身を固めたい。
 なかなか私的な時間が育ちにくいのも政治の世界の特
性の一つかもしれないが、八つの要素は良き妻と過ごす
暮らしの中でこそ咲くとも思う。

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分別すべき敷居

2006-12-28 16:33:37 | インポート
 どのような間柄であっても、踏み越えてはならない敷居
というものがある。それを無自覚にも平気でずかずかとま
たぐと、必ず人間関係はぎくしゃくし、亀裂が生じていく。
 稀に、この敷居を理解しない人を見るが壊れていく人間
関係を前にして尚、他者の責任にしようとしたり自分に原
因があるかもしれないという発想のかけらすら無い状況を
見ると、痛ましい。

 夫婦間であれ、恋人間であれ、親子間であれ、友人間で
あれ、先輩後輩間であれ、それぞれに踏み越えてはならな
い敷居に踏み入ると必ず間柄はぎくしゃくしてくる。これ
を対人関係の適切な距離と言い換える事が出来るだろう。
 飼い犬を見ていて、ああ犬は賢いなと感じる事がある。
野良犬ならいざ知らず、きちんと躾た犬ならば飼い主や人
が見ていなくても、決して人が暮らしている部屋にまで上
がっては来ない。犬は犬がいる場所と踏み越えてはならな
い敷居を分別している。悲しいかな人間のほうが、この敷
居を理解できない事例があり、白い眼で見られる場合があ
る。

 聞き慣れた言葉で、「親しき仲にも礼儀あり」というが
、敷居を分別する事は限りなくこれに近い。義務教育から
この感覚を教える必要があるのではないか。大人になって
からでは手遅れのような気がする。

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教育環境とスポーツ

2006-12-26 02:15:22 | インポート
 東大阪市の議会は各委員会が中断を重ねつつ牛歩で質
疑・質問が続く状況が繰り返されている。私の所属する
文教委員会では教育に関する質疑、教育関連の施設の問
題、市民会館の耐震構造の問題等の重要な事項があるが
遅々として教育委員会の対応が進まず、委員会が進まな
い状況が続いている。
 文教委員会では「いじめ問題」も取り上げるべき重要
な事項である。

 人格形成などの基盤にスポーツの与える影響は大きい。
思春期の少年少女が自我を形成する契機も、自身を認識
する手段の一つも何かの得意種目や好きな種目があるか
否かで随分と違いが生じてくる。勉学に励み、頭が疲れ
ればスポーツに勤しみ、体が動くと頭も動いてくる。自
己と他者の違いとルールを守るという基本を体が覚え、
勝者を讃え敗者をいたわる精神が自ずと身に付く。
 スポーツが教育の中に重要な役割を果たす事をもう二
度と戻れなくなった日々を回顧するにつけ認識せざるを
得ない。

「いじめ」という問題を考えてみる。大人の社会のほう
が陰湿さを増して潜在しているのが、いじめ問題の本質
であるが、子供達には可能な限り、いじめという存在か
ら避けさせてあげたいという思いは強い。
 私が知る範囲では、球技などの種目では、いじめが根
強く存在する。資質のある下級生は高い確率で上級生か
ら理由を付けられて「いじめ」に遭うのが関の山である。
これに対して走る世界では不思議と「いじめ」が存在し
ない。下級生でも上級生より速い選手や強い選手がいて
も、それが賞賛と認知という形で着地する。一秒、一分
という全人類共通の尺度で明確に実力が出るために妬む
とか拗ねるという健全ではない心理作用が「いじめ」へ
と変質しにくいのが長距離走の特質とでも言える。
 確かに中途半端な上級生ほど、下級生に先輩風を吹か
すという現象は見られるにせよ、限りなく陰湿な風土と
遠距離にあるのが走る世界でもある。

 走ることは全人類共通である。人は本能的に走るとい
う意味と意義を知っているのかもしれない。従って走る
人を人は賞賛する。走る為には自身で乗り越えなければ
ならない無数の壁が有形・無形に存在する。走る事は人
を人間的に成長させてくれる。故に、小中学校や高校で
の教育において「走る」という事は大きな意義を持つと
私は思っている。

 走る人はいじめと疎遠でもある。

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高校駅伝に見る様々な思い(二)

2006-12-25 09:18:45 | インポート
 世羅高校が高らかに古豪復活を掲げ、都大路を制した
事は私の中の思春期の頃の走る環境や履歴がどこかで肯
定されたような、救われたような不思議な気持ちにさせ
てくれた。別に世羅高校が母校では無いが、人の心とは
不思議なもので時にそういう作用を生じる事がある。

 今、東大阪市議会議員として東大阪市の文教委員会で
質疑に臨んでいる。丁度、東大阪市立の日新高校にスポ
ーツ課を設ける設けないの質疑を行っている最中で私は
高校駅伝に良い刺激を受けた。
 例年通り、大阪府代表校は後方に低迷し見る影も無い。
 発想を切り替えれば東大阪市がスポーツ教育に本気に
なり真剣に環境整備に取り組めば、高校駅伝ならば中長
期計画を立てて日新高校が大阪府代表として都大路を駆
ける実現性は十分にある、と私は見ている。
 勿論、男女共に駅伝部を創設し、市内の高校スポーツ
教育の推進に努めれば、市内の中学生達の進路指導の選
択肢も広がり、生徒の進路の幅も出来、何より教育に夢
が持てる。

 勝利至上主義ではなく、全体で勝利に向かって行くと
いうかけがえのない体験は思春期に是非味わって頂きた
い、そういう思いで私は東大阪市の教育行政を見ている。

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高校駅伝に見る様々な思い

2006-12-25 09:06:54 | インポート
 都大路を全国の高校生と地域が彩る、男女の全国高校
駅伝大会が開催された。私が少年の頃は憧れの対象とし
て、今は高校教育の一環と地域特性という視点で都大路
を眺めるようになった。少年の頃は走ることは自己表現、
自己確認そしてスポーツはスポーツであったが、今はス
ポーツは人間形成のしかも思春期には思春期にしか体感
できない貴重な教育の時間として見える。

 例年、高校駅伝は兵庫県の選手層の厚さと強さが群を
抜いているのだが今年は駅伝ファンには懐かしい古豪で
ある広島県の世羅高校が三十二年ぶりの全国制覇を果た
し、蓬色(よもぎいろ)のシャツに赤いランニングの伝
統のユニフォームが三区で逆転で首位に立ち、四区で差
を広げて独走に入ると、心のどこかで何かが救われたよ
うな爽快な気持ちになった。
 少年の頃、私は走ることに賭けていた日々を過ごして
いた。高校に進学する時は当然ながら憧れの世羅高校に
行き全国高校駅伝を目指すのだという意欲で日々を走っ
ていた。それまでは順調に結果を残していた私だが中学
三年の夏の県選手権で体が動かなくなり、まさかの敗退
をした。数日間は食事も満足に喉を通らなかった。私は
この時に内心、走ることで進学する事の限界を自身の中
に感じ、周囲の勧めを押し切って一般受験で進学へと切
り替えた。まさにあのレースが私の思春期の分かれ道で
あった。西条農業高校から一応のスカウトが来たが、気
持ちが固まっていた少年の私は丁重に固辞した。

 当時のライバルの多くは走ることで進学した。世羅高
校にも進学した者もいた。伝統のユニフォームを着て各
大会を走り、環境にも包まれて見る見るランナーとして
成長を重ねるライバル達を横目に進学校に進んだ私は何
とも煮え切らない気持ちで大学受験を目標に何かを抑えた
ような日々を重ねていった。正直、あの頃は思春期の私
の中の何かが毎日叫んでいて、複雑でもがくような思い
であった。
 が、当時の世羅高校は低迷期に入る。全国大会出場は
当然という一つの伝統が崩れた。県予選で熊野中学から
そのまま熊野高校へ進学した尾方選手を中心にごっそり
熊野の選手が熊野へ進学し世羅高校に挑戦し県予選を勝
ち二年連続、当時の代表は熊野高校になった。尾方選手
は今は中国電力で活躍し世界選手権で銅メダルを獲得し
た事は周知の通りである。

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