木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

副島隆彦氏はかく語りき

2017-10-28 23:46:35 | インポート
 評論家の副島隆彦氏は一連の森友学園問題、加計学園問題
について以下のように述べている。
 質問などは副島隆彦氏に直接行って頂きたい。

「森友学園の件ですが、明恵夫人が寄付した100万円は内閣
官房機密費だとはっきりしています。明恵夫人が100万円を主人
の安倍首相から預かりましたと寄付金として籠池氏に渡したこちら
ばかりに国民の注目が集まるように仕組みました。
 100万円の額で政治腐敗が語られるのはまさしく茶番です。
 本当は安倍晋三首相は裏金として4億円を受け取った筈です。
 これを山賊分けと言うのです。」

「山賊分けとは今はもうさすがにやらないでしょうが、10年くらい
前までは大企業でも会議室などでやっていました。
 森友学園問題でも迫田英典という前の国税庁長官がこうした
スキームを作りました。籠池氏にタダで与えた小学校の土地・校舎
建築費の8億円の補助金とは別個に8億円を作りました。
 自分たち財務官僚と国交省官僚が残りの4億円から1億円ずつ
もらった筈です。それから参議院議員と大阪府議会議員が2000万円
ずつくらいもらったでしょう。
 こうやって国のお金を分け合います。
 まさしく山賊分けです。
 これを国家体制と言うのです。」

「加計学園の場合は補助金全部で80億円くらいでした。事業規模は
この倍です。ここから20億円を抜いたのでしょう。この半分の10億円
が山賊分けで安倍首相に渡ったのでしょう。30億円から40億円の事業
のスキームで全国で毎年何百件もやっています。
 そのうちの森友学園問題、加計学園問題というたった2つがバレたと
いうことです。
 20年前は自民党の本部や議員会館でも行われていました。
 1億円が入った三越の紙バッグを3つぐらいずつブラブラと平気で持ち
歩いていました。私はそれを何度も目撃しています。
 経営者や大金持ちならみんな知っています。
 政治家の地元の後援会長たちも知っています。
 大人だったら知っています。
 当たり前なのです。
 一般国民は知りません。」

「安倍首相はこの時、4億円を現金でもらった筈です。
 2015年9月4日に安倍首相が国会をすっ飛ばして自分で取りに行って
います。読売テレビのミヤネ屋に出演してその後、<かき鉄>という冬柴鉄三
さんの息子さんの冬柴大さんが経営しているカキ鍋屋に行きました。
 そこででしょう。
 彼はりそな銀行高槻支店の元次長です。
 りそな銀行から10億円くらいの融資も別個に籠池泰典氏に出ているようです。
 だから公明党もじっと黙っています。」



・・・・・衆議院議員選挙が終わって、安倍首相が臨時国会を年内には開かない
方針だという報に接し国民として著しい疑問を覚える。
 長年の自民党支持者と雑談した際にも、
「安倍首相はコソコソ逃げ回ってけしからん。街頭演説では聴衆の野次から逃げ
回り、国会では森友学園問題や加計学園問題に対する説明から逃げ続けている
姿は潔くない。許せん。」
と述べていたものである。
 公明正大にいきたいものである。

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衆議院議員選挙に思う事

2017-10-19 23:50:35 | インポート
 今回の衆議院議員選挙で最も株を上げた、男を上げたのは
枝野幸男氏ではないだろうか。
 枝野幸男氏の街頭演説は至る所で人だかりの山。
 ほとんどの政党は党首による街頭演説の際には意図的な動員
を行って聴衆を用意しているが、枝野幸男氏の街頭演説に限って
は意図的な動員ではなく、事前に日時を聞いた人々が自然に集ま
って結果として大聴衆となっている光景が多い。

 日本人には「判官びいき」という感情がある。
 今の政権与党の我が世の春の振る舞いや選挙直前の野党第一党
の消滅という前代未聞の事態に、多くの日本人に備わっている判官
びいきという感情が改めて強く自覚されたようにも見える。
 今の枝野幸男氏は冴えている。
 演説内容が引き締まっていてとても良い。
 今の枝野幸男氏の演説は聴衆の琴線に触れる。

 争点を保守なのかリベラルなのか、というラベル分けにしないで
いかに国民の側に立ち社会を修復し蘇生させるか、価値を創造し
ていくかという視点で展開すれば枝野幸男氏が非常事態の中で一人
で立ち上げた立憲民主党がもしかしたら将来的に大化けする可能性
もあるかも知れない。
 私もあなたはリベラルですねと聞かれたら違和感を覚える。
 さりとてあなたは保守ですよねと聞かれても違和感を覚える。
 私は日本国民である。
 保守なのかリベラルなのかというラベル貼り、分類はもはや時代遅れ
である。
 ラベルを貼る事で自らの言動が制約され、森羅万象の現実に対応で
きなくなる。

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政党の離合集散について思うこと

2017-10-07 00:48:56 | インポート
 政党の離合集散を見ていて思うことがある。
 政党が政策が一致するとかしないとかで離合集散を繰り返す
ならば永遠に離合集散を繰り返すだろう。
 例えば憲法については一致しても税制を巡っては一致しない
場合もあるだろう。
 財政について一致しても憲法を巡って態度が分かれる場合も
あるだろう。
 安全保障については一致しても教育政策を巡って態度が分か
れる場合もあるだろう。
 社会保障については一致しても農業政策や食糧安全保障につ
いて賛否が分かれる場合もあるだろう。
 経済政策については一致してもエネルギー政策で一致しない
という場合もあるだろう。

 つまり様々な政策について全てが一致するという事は議員が
3人以上集まれば現実的にはまずあり得ない。
 従って何かの政策を巡って対立したり不一致が生じる度に離党
だの除名だのとしていては永遠に力にならない。
 政策は理念を実現するための手段であって目的ではない。
 本来は手段である筈の政策を目的化してしまっているから政党の
離合集散が繰り返されるのではないか。
 政策を巡る不一致よりも実際には議員同士の人間関係やそのもつれ
及び決壊に起因する離合集散のほうが多いようにも見える。

 家庭に置き換えても共通している。
 仲の良い夫婦でも何かを巡って意見が分かれる場合も多い。
 どこか食事に出かけた際に夫が和食にしようと提案しても妻が
洋食を希望する場合もある。
 長期休暇に家族で出かけようと決まって夫が山に行きたいと希望
しても妻が海に行きたいと望む場合もある。
 子供を想う心は共通していても子育て方針で意見が分かれることも
あるだろう。夫はのびのびと育てたいと願っていても妻が厳しく育てたい
と思う場合もある。
 ではその度に喧嘩をして離婚をするだろうか。
 中にはその程度の些細な意見の相違から離婚に至る夫婦も最近は
増えているが、全体的には単なる意見の相違や志向の違いに過ぎない。
 ましてや政党はちまちまとした不一致や意見の相違で離合集散を繰り
返すのではなく、何を目指して存在するのかという大元や理念さへ共有
できればあとは小異を捨てて大同につく、或いは小異を残したまま大同
につくという姿でなければ政党として何事かを成し遂げることはできない
だろう。

 自民党が良くも悪くもあれだけ意見がバラバラで時には派閥で対立し
てきても解党しないでこれたのは、アメリカが背後について支えてきた
からでもあり、また自民党を通じていかに日本を自分達に利するように
動かすかという視野に立っているからでもあるが、自民党以外の政党が
一つ一つの政策の違いや不一致で騒ぎ立てる最近の姿には疑問を覚
える。
 手段である政策の不一致や意見の相違は時に生じても、政党はどの
ような目的で存在しているのかという理念こそが柱となって存在して欲し
いものである。
 政党は理念に立脚した存在であり、政策はその理念を世の中に展開
していくための手段や方法の一つに過ぎないのである。

コメント (2)
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