木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

民主主義の一歩前進

2007-07-30 10:44:34 | インポート
 参議院議員選挙の結果は、この国に二大政党制という
選択肢が選択肢として求められている事を如実に示す結
果となった。もし今回の参議院選挙で二大政党の形が選
ばれないとすれば、日本という風土には一党独裁が体質
として根強く潜伏して国民もそれを享受しているという
結論に達するところであった。
 民主主義が一歩、前進した事を私は素直に喜びたい。

 しかし懸念材料もある。
 相変わらずの投票率である。既存の仕組みでは日本人
には今回の参議院選挙、衆議院議員選挙のみしか国政の
あり方に対する意思表示をする機会は無い。その二大選
挙の一つである参議院議員選挙が家計を直撃した増税と
社会保障である年金の蝕まれた実態が顕著になった中で
行われたにもかかわらず、五十八%台に終わった。
 四割以上の有権者は投票すらしていない、つまり意思
表示はどこかで何らかの形でしていても、行動に出てい
ないという残念な実態が浮かび上がっている。
 二大政党のあり方が肯定されたという意味で、日本の
民主主義は一歩は前進したが、民主主義の成熟という段
階にまではまだ遠い。

 私は民主党の市議会議員だが、民主党は野党だという
発想を私は当初から持っていない。従来の単なる野党、
つまり現状の常に反対の物事を言う、進む相手に退けと
主張し、退く相手には進めと主張することにより自らの
立ち位置を確保しようとする体質のことを私は言うのだ
が、それは私のような世代の民主党議員や民主党が成立
した後に政界に入った人達はその感覚は持っていない。
そういう感覚は否定する。
 現実と現状を把握し踏査した上で、世の中に政策を発
信していく、私が持つ民主党への信念はそういう姿であ
る。

 それにしても四割以上の有権者は何故、行動しないの
か。ひっぱたかれようが、どつかれようが、何をされよ
うが社会的に行動しない人達である。「棄権するのも権
利の一つだ」という的外れで稚拙な理屈もあるが、投票
しないという姿は社会的には、「今のままで良い」「任
せるから好きにして構わない」「私には意思表示がない
、つまり全てを任せて結果を受け入れます」という意味
にしか伝わらないのである。
 この行動しない四割の要素に私は危機感を持つ。
 何をされても黙っている人達、そういう割合が定着す
ると世の中に歯止めが利かなくなり世が猪突猛進する。

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先ず投票に行こう

2007-07-27 17:11:02 | インポート
 夏休みに親子で株式の運営や証券市場を学ぼうという
動きが見られる。大阪証券取引所も受け入れ体制を整え
ているようで、子供に金融知識や株式の動きを教える事
自体に疑問の声も出ているが、程度と限度を踏まえれば
夏休みの子供の自由研究辺りには面白い自主課題にはな
るだろう。

 同様に家族で政治の在り方や姿を学ぶ、考える機会を
持とうという機運が芽生えて欲しいと私は思っている。
経済と同様に政治も世の中の決まり事を決める場で、時
に経済の行方すら政治の動向が決めていく事もある。
 為替レートも、それぞれの国の国力が相互に関係して
通貨価値が決まっていく事を思えば、日本という国の信
用度、イメージ、政治力、経済力などの多様な要素が果
たす役割は大変に大きい。
 
 家族で政治を考える絶好の機会が間もなく訪れる。
 数日後に迫った参議院議員選挙の投票日である。
 全くの無地で白紙の状態の子供達も親子や数世代で会
話して考えてみてはどうだろうか。投票とは何かという
ところから会話を始めて、参議院とは何か、どういう仕
組みで何をしているのかと。そして自分達の国、日本の
選挙はどのような状態であるのか、これからはどうなる
のか、どういう人達が候補者になっているのか、どうい
う政党がありどういう政策を発信しているのか、日本の
選挙事情を他国と比較すればどういう実態にあり、どう
いう水準にあるのか等々、これも家族で夏休みの話題と
して取り上げれば随分と深く政治の視点を養えるだろう。
 政治の視点を持つという事は、その子供には世の中を
見るという視点が備わるという事につながるのである。

 子供から見れば、何故、両親が食卓でため息ばかりつ
いているのだろうかという事は感づく。住民税の増加と
定率減税の廃止による家計の圧迫など、子供にも家庭の
空気として充分に伝わる。子供から見れば祖父や祖母が
年金を受給している、或いは年金が苦しくて困っている
という姿や話にもどことなく感じるところがあるだろう。
何故あの三十代の従兄弟は投票に行かないのか、愚痴は
こぼすがそれで終わってしまって何故行動に出ないのか
という観察も聡い子供なら出来る。
 余談が過ぎたが、この参議院選挙で投票率が低いとい
う事にでもなれば日本の社会年齢のようなものが問われ
ることになる。
 意見だけに終えず先ず投票に行こう。

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様々な場面

2007-07-25 11:51:37 | インポート
 ここだけの話だと切り出して、数日後には多くの人々
の知るところとなって辛い思いをする経験をした人も少
なくないだろう。ここだけの話という話はほとんど存在
しないと見ておいたほうが良い。
 この人はよほど信用できると思って話したら後の祭り
ということも多くの人々が経験しているところだろう。

 わざと逆を教える人もいる。
 これは行ったほうが良いのか、行かないほうが良いの
か等という問いを例えば新人などが問う場面があるが、
「いや行かないほうが良いよ。」と真顔で答えているそ
の人がその場面に何食わぬ顔で出席しており、会場で何
故あいつは来ないのだと皆が口々に口にするその輪の中
に入って頷いている、そういう何とも人間性に疑いを感
じないではいられない類の人も時に目にする。
 最初は馬鹿正直に自称・経験者と自負する人の言葉を
真に受けて動いては痛い目に遭い、そうこうする内に大
抵の若者も経験値と知恵が備わってきて、虫の知らせが
聞こえてくるようになってくる。
 虫の知らせ、本能のささやき、そういう声の的中度が
日に日に確度を増していき、人は成長していく。
「この行事は行かないほうが良いよ。」という返事の裏
側には、来て欲しくない、来させたくない、来られると
周囲がその人を喜ぶだから面白くないという稚拙な感情
が相当根強く堆積しており、「行かないほうが良いよ」
という言葉が口から発せられるに過ぎない。

 人を信じなければやっていけないが、信じてしまって
もやっていけないのが現実の世の中である。何かの席で
散々、人の批判や所謂陰口に気炎を上げている人がいた。
延々と話が続き、聞いているこちらもそこそこ疲労して
きて適当に「ええ・・。」とか「そうですね・・・。」
とでも相づちを打とうものなら翌日辺りには相づちを打
った相手がその話をしていたという風に喧伝されている。
 一体全体、人の腹の底はどうなっているのだと呆れざ
るを得ない。
「おい、誰それがあの人の事をこのように言っているぞ。」
と喧伝する本人がその話の発信元という事は時にある。

 また一人の若者が政治の世界に入ろうとしている。日に
日に逞しさを増し、元来の資質の高さに磨きがかかろうと
しているが、晴れて政治の世界の扉をくぐった後に、様々
な現実の感情の渦に巻き込まれると思うと気の毒だ。その
時は励まそうと思う。

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物事は想像する事から始まる

2007-07-22 22:54:21 | インポート
いずれこの国は道州制になる。道州制はすなわち、地方
主権の確立とそれによる州政府、州法の誕生と機能的な
日本の姿になることである。

州政府が生まれるのだから、国旗と共に州旗というもの
も当然生まれる。国旗である日章旗の下、各州に州旗が
なびくようになる。

関西州を想定してみる。過日、関西経済同友会が関西州
の州都は京都と定める提言をしたが、極めて妥当な構想
だと私は思う。
京都、大阪、神戸の個性ある三都が隣接し、湖国の滋賀、
紀州もあわせて関西州は魅力ある州になり、それを統治
する関西州政府の置かれる州都としては、その歴史の蓄
積と都市格からして京都がもっとも相応しい。
政治の機能が京都なら、経済の要は大阪や神戸になる。

明治維新以来の官僚を、いかに創造的に解体して地方政
府を創造し、国の中枢は今まで以上に機能的でかつ高度
な姿に変えていくかという道が、真の改革と地方自治の
確立に向けて不可避な姿である。

政治家や官僚には未来を描く想像力が強く求められる。

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走らなくなる教育とその環境

2007-07-21 12:16:39 | インポート
 私はスポーツは教育の一環と同時に人間形成の重要な
土台だと思っている。俗に言う不良生徒や荒れた学校も
スポーツを基軸とした人間教育により、見事に蘇生して
いる実例も全国には少なくない。
 市議会で質問したのも、ただ単に高校のクラブ活動を
盛んにするという趣旨ではなく、それが現実的な土台と
なって生徒達の意欲向上、学校環境の向上、生徒への教
育効果、街興し、生徒の健全な発育と学習への好影響等
計り知れない良い効果が見込まれるからである。

 教育委員会の関係者と話をしていると「学校現場が色
々ありまして・・・」という理由によく出会う。学校現
場と話をしていると「教育委員会の方針が決まらなけれ
ば私達は動けませんので・・」という回答によく出会う。
要はお互いに決断回避のキャッチボールをしている事が
少なくない。そうかと思えば、教育委員会の職員が廊下
でこそっと歩み寄ってきて、「是非、駅伝の取り組みを
成功させましょう。大変良いことだと思います。」と意
欲的に言ってくることもある。目まぐるしく人事異動で
顔ぶれが変わる責任者であるが、また時には「余計な提
案をしないでくれ」と言わんばかりに苛ついた仕草を見
せた管理職もいた。まだらな人模様である。

 幾つかの小中学校に聞き取り調査をした。冬に校内マ
ラソン大会をしているかと聞くと、いずれもしていない
と回答する。市議会議員として間もなく四年間が経過す
るが、ただの一度も体育の授業らしき行動で生徒が外を
走っている姿を見かけた事が無いので、私は幾つかの学
校に聞いたのである。冬にしばしマラソン週間と称して
体育の授業で校庭をグルグル走らせる事を時にするくら
いだとのことであった。どうりで運動会を来賓として見
た時に、多くの生徒の走りが地についていない筈である。
 私が子供の頃、全ての小中学校や高校では冬季に校内
マラソン大会があり、晩秋から冬にかけての体育の授業
は校庭か学校周辺、戸外やロードレースコース等を毎回
走ったものである。また走るのが苦手な生徒も苦痛の表
情は浮かべつつも誰一人として棄権する生徒はおらず、
皆、黙々と走り込みをした。そういう時代の違いや田舎
と都市部という環境の多少の違いはあるにせよ、生徒の
基礎体力が低下する理由が明確に分かる。

 市内の公立高校を訪ねて校長等と諸々の話をした。

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