私達が習ってきた歴史は多くがフィクションである。
固定観念を捨てて真っ白な状態で見つめ直すほうが
世の中がよく見える。
ヒトラーも今ではイギリス諜報部が育てた事が明らか
になっているのだから。
欧米奥の院が第二次世界大戦を発生させるために育てた
人物だったのだ。
いわゆる双頭戦略である。
敵役を仕込み、育て、世界を二分して殺し合いをさせて
武器を売り互いの政府に巨額融資をしては天文学的な巨利
を得る。
何も知らない世の中の人々が真剣に対立しては殺し合い
をしている様を葉巻を吹かしながら欧州の古城で高みの見物
をしていたというのが歴史の真相である。
さて、日本の明治時代はどうだろうか。
例えば孝明天皇である。
幕末に押し寄せる欧米奥の院の侵略に断固阻止を唱えて
いたのが孝明天皇であった。
近年は孝明天皇は暗殺されたという説が出回っているが
果たしてどうであろうか?
真実を隠すために中枢が故意に違う情報を作るという事例
もよくある事である。
明治時代の日本については、
(1)孝明天皇は伊藤博文や岩倉具視により厠で暗殺され
明治天皇は長州系の人物にすり替えられた
(2)孝明天皇は押し寄せる欧米奥の院の魔の手から逃れる
ために死を装い別の場所に隠れ、以降は日本の裏天皇
になり表役の明治天皇を指揮しながら日本を動かした
という2つの説が有力である。
私は(2)の認識に立っている。
それは何故か。
先ず孝明天皇が崩御した、暗殺されたのは幕末1868年
だとされている。
しかし明治時代になってから琵琶湖疎水を作ったのは
孝明天皇であるので時代が合わない。
京都のある場所から様々な機関に指令を出していたと
されている。
また日露戦争で欧州において諜報活動を展開しロシアを
背後から瓦解させて日本に勝利をもたらせたのは明石元次郎
である。
明石元次郎の欧州の諜報活動を実現できた様々なネットワーク
はどのようにして作られたのか。
それは陸軍大臣だった上原勇作により授けられた事が明らか
になっている。
その上原勇作陸軍相を欧州に遣わせたのは孝明天皇であった。
日露戦争は1904年である。
孝明天皇が崩御、暗殺されたとされているのは1868年
であるから時代が合わない。
つまり本当は孝明天皇は表向きは死を装い別の場所に
隠れて以降も日本を動かしていたというのが真相だと私は
認識している。
孝明天皇の皇太子の睦仁親王も同じように孝明天皇と
共に京都御所から離れて京都の別の場所に隠れて生存し
表向きは長州の大室寅之助が東京の江戸城を皇居として
政体天皇としての明治天皇となったというのが事実だろう。
孝明天皇とやがて跡を継いだ睦仁親王は国体天皇と言う。
日本には政体と国体がある。
国体も更には政体天皇と国体天皇とに分かれる。
表現を変えれば幕末以降に東京皇室と京都皇室に分けた
という事であろう。
本当の指令は京都皇室から出ている。
それは今もである。
歴史は深い。
このような内容もそろそろ表に公然と示されても良いの
ではなかろうか。
ちなみに日露戦争で日本に勝利をもたらせた明石元次郎
の諜報活動を実現させたネットワークは生存していた孝明天皇
から派遣された陸軍相の上原勇作により授けられたが、では何故、
上原勇作陸軍相がそのようなネットワークを持っていたのだろうか。
上原勇作陸軍相に欧州の諜報ネットワークを授けたのは
ハプスブルク家であった。
では何故、ハプスブルク家が上原勇作陸軍相に欧州での
ネットワークを使わせたのだろうか。
この辺りは深い。
もっと紐解いていきたい。
歴史は知れば知る程に英知の結晶でありロマンである。
健やかな良き人生を歩むための英知として私はライフワーク
として歴史の紐解きを続けていきたいと思う。