木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

オーストラリア全土での不自然な巨大森林火災

2020-01-16 23:35:58 | 日記
 不自然なオーストラリア全土に広がる巨大森林火災
は昨年9月より5ヶ月目に入った。
 最近ではアマゾン流域で広大な範囲で森林火災が
生じた事も心が痛かった。
 カナダやアメリカでも同様に大規模森林火災が生じた。

 地球上の酸素が不足してくる懸念がある。

 近年は地球温暖化が唱えられ、二酸化炭素削減へと
各国が舵を切っているが、相次ぐ巨大森林火災で地球上の
森林が激減し同時に二酸化炭素が削減されたならどういう
展開になるだろうか?
 唯一植物だけが二酸化炭素を吸収して光合成により酸素
を吐き出している。
 つまり地球上への酸素の供給源が激減することを意味する。
 地球が酸素不足になり生きづらくなる・・・・・・。

 メディアでは温暖化ばかりが伝えられてきた。
 しかし現実は地球上で温暖化しているエリアと寒冷化している
エリアとが同時に存在している。
 南極や北極の氷が溶け始めているが、同時にこれまで凍って
いなかった海域やエリアが瞬間凍結するほど寒冷化している。
 これは何を意味しているだろうか?

 地球の地軸の傾きが不安定に変化しているものと思われる。
 例えば地軸が少し下に傾けば、これまで寒かったエリアの緯度が
下がり温暖化すると同時にこれまで亜熱帯だったエリアの緯度は
上がり寒冷化する。
 また地軸の変化で日本の緯度が下がれば日本は温暖化するが、
欧州は緯度が上がり寒冷化することになる。
 従って事実は地球は温暖化だけではなく寒冷化も同時に生じて
いるということである。
 この20年来の温暖化への警鐘から二酸化炭素削減への動き
と巨大森林火災の続発により酸素供給源である森林の大規模消滅
とが合わさって地球上の酸素が減少して人々や生命体が生きづらく
なるという展開に大きな人為的な邪心を感じないではいられない。

 ちなみにアメリカでの大規模森林火災は宇宙空間の軍事衛星
から次々とレーザービームが発せられて瞬時に広範囲で森林が
炎上した事が明らかになっている。
 ・・・・・オーストラリア全土での巨大森林火災は原因が明らかで
はなく不自然である。

 言わんとしている事を察して頂ければ幸いである。
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水はけ改良工事をしたことで死刑にされた篤志家の話に触れて

2020-01-12 13:56:44 | インポート
 過日、大阪府守口市内を仕事で歩いていたら一角に説明版が
あった。
 大阪府中部一帯は古代は海で、また中世以降は低湿地や
水はけの悪い土地が多く、人々は水害に苦しんできた歴史が
あるが、守口市内の当時の村では徳川幕府の許可なく水はけ
を良くする工事を行った篤志家が家族ごと処刑され財産も没収
されたとあった。
 地域のために尽くしたのに処刑された事を村の人々が悼み
後世に伝えている。
 地域の奉行所に申請しても工事の許可が出る筈はなく篤志家
がやむにやまれぬ思いで工事を行った事は容易に想像できる。

 以前に箱根に行った際にも箱根の関所跡に説明版があり、
病気になった母親に会いたいと無断で土地を離れた村の娘が
奉行所により磔の刑に処され死刑にされた事を憐れむものだった。
 江戸時代は厳しく人々が監視され土地を移動することも厳しく
制限されていた。

 最近、明治維新が悪で江戸時代が理想だったとする意見が
台頭しているが、こうして見ると決して徳川幕府の政治や治世が
良かったとは言えず、人々は幸せだったとは見えない。
 人々は言論の自由も無く、入り鉄砲に出女と云われたように土地
から離れて移動する事を厳しく禁じられ、無断で土地を移動すれば
ご法度として容赦なく死刑を執行されていたのが事実だった。

 欧米列強がアジアを次々と植民地にしていき、いよいよ日本にも
その魔の手が伸びてきた時に徳川幕府のままでは明らかに日本は
植民地にされていたと改めて感じた。
 明治維新には闇の部分もあるが、決して悪とも言えず不可避なもの
だったと言えよう。
 最近は徳川の関係者だろうか明治維新を全否定し江戸時代こそが
人々は幸せに暮らし人材も賢明で理想郷だったとする主張内容も時折
見られ、また薩摩長州の関係者は明治維新を美化する傾向が感じられる。
 明治維新150周年だった2018年には主に西日本では明治維新を
讃えるイベントや空気であったが東京や東日本では戊辰戦争150周年
と題して暗に恨みを忘れないとする、また明治維新を認めないような空気
があった事が思い返される。
 日本人として歴史を俯瞰した時、そこには時代の変換の中で移りゆく
世の姿しかない。

 各地を歩いているとふと等身大の歴史の埋もれた姿に出会う時がある。
 先人の息遣いの堆積の上に存在する今という時間を大切にしたい。

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