木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

平尾誠二氏を追悼して

2016-10-24 23:57:00 | インポート
 ラグビー界の名選手だった平尾誠二氏が53歳という若さで死去
されたという報を耳にした時、唖然とした。
 母校・同志社大学の大先輩でもあり、同志社大ラグビーの全盛期
を支えられた一人の名先輩として同志社大OBとしても誇らしく感じて
いた。時に名選手ほど名人物ほど早く天に召されるとも言われるが、
余りにも早過ぎる死去に平尾誠二氏が60代70代と人生を刻んだな
らばラグビー界やスポーツ界における言動や影響力はどのような展
開を見せただろうかと残念で無念でならない。
 ラグビーは激しいスポーツであるので、もしかしたら現役時代の衝突
プレーや激突プレー等の長年に及ぶ蓄積が人知れず平尾誠二氏の身
体を蝕んでいたのではなかろうかと想像している。
 余りにも惜しい人物を早くに失ったという無念な思いである。
 以前に一度拝聴した平尾誠二氏の講演会では、
「世のため人のためというのも良いがそれだけでは自分が疲弊してしまう。
 同時に自分も大切にして楽しまないと続かない。」
と壇上で話されていた姿が記憶に残っている。

 平尾誠二氏を追悼して4年前の2012年に出版された氏の著書「理不尽
に勝つ」を改めて引っ張り出してページをめくって見た。
 平尾誠二氏は哲学的な人物だったと改めて感じる。
 また暗黙知の高い人物でもあった。
 平尾誠二氏は著書の中で、理不尽が人を鍛える、しかし理不尽が目的に
なってはいけないと述べており、なるほどと感じた。
 また氏の唱える理不尽は螺旋形の理不尽であり、つまりグルッと円を描いて
元の状態に戻るのではなく螺旋状に上昇しているという感じ。上から見れば同じ
円の形に見えるけれど横から見れば上に向かって上昇しているように見える、
更に進化していっているように見えるというかたちを取らなければ負荷をかけて
も何の意味もない、と。理不尽さを克服していった結果、今度こそ理想の目的地
に辿り着けるような、そんな理不尽さを用意する必要がある・・・・。私はそう思う
のだ、とあった。
 思えばラグビーのタックルやトライする姿は人生の様々な場面の抵抗や困難
にぶつかっていく姿にもだぶって見える。
 
 氏の著書のページをめくっていておやっと目に留まった箇所があった。
 それは著書の中で氏が以下のように述べていたからであった。
「高齢化社会とは実は人生を大切にしない社会ではないのか?というのは
昔のように<人生五十年>だと思えば、<生きているあいだにやりたいこと、
好きなことをしたい>と切実に願うと思う。短い人生だからこそ、その一瞬、
一瞬を大切にするし、できるだけのことはしたいと考えるのではないだろうか。
でも八十歳まで生きられると思えばどうか。どうしても<細く長く>と考える。
その一瞬、一瞬に対する賭け方、張り方はどうしたって薄くなる。気が付けば
やりたいことをしなかった、あるいはやりたいこと自体がなくなって、長生きする
こと自体が目的化する可能性すらあるだろう。それではなんのために生きてい
るのか分からないではないか。
 そんな後悔をしないためには、たとえ八十歳まで生きられるとしても、人生
五十年だと考え、チャレンジすることだ。もちろん、リスクはある。でも、その代わ
りにまったく新たな出会いや発見があり、自分が大きく成長する可能性がある
ばかりか、人生そのものが大きく変わるかもしれない。そしてそのために必要
なのが<なんとかなるさ>という精神なのだ。」
 これは偶然だろうか、それとも必然だろうか。
 平尾誠二氏、享年53歳。
 あたかも自らの人生が人生五十年であるかのような達観ぶりを4年前の時点
で見せていた。
 果たして氏は著書で述べているように短い人生で燃え尽きただろうか、はたま
たまだまだやりたいこと、やり残したことに囲まれていただろうか。
 それは氏の魂にしか分からないことである。

 改めて平尾誠二氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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ペナントレースと日本シリーズの価値を下げないために

2016-10-17 00:32:10 | インポート
 プロ野球セリーグのクライマックスシリーズファイナルステージ
において広島カープが追いすがるDeNAを振り切り優勝、日本
シリーズ進出を決めた。
 改めてプロ野球ファンとしてクライマックスシリーズについて再
考してみたい。
 今年のクライマックシリーズでは可能性としてDeNAとロッテが
それぞれ短期決戦を制して日本シリーズを戦うという展開もあった
わけで、もしもそのような事態になっていたならば日本シリーズの
価値は大きく下落していくだろう。
 今のままの制度で良いのかどうか考える局面である。
 もしも仮にDeNAが勢いに乗ってクライマックスシリーズで広島
カープを破り日本シリーズ出場を果たしていたならば、広島カープ
ファンの気持ちはもとよりDeNAの選手達やファンも嬉しさもあると
同時にどこか心に引っかかるものが生じる事になったであろう。
 ペナントレースで17ゲーム以上もの大差をつけられてシーズン
を終了した球団が「この数試合で勝ち越せばすべてが御破算に
なることもあり得る」という、シーズンの成績に関係なく短期決戦
だけで日本シリーズ出場が決まるという現行のシステムは、よく
考えればペナントレースと日本シリーズそれぞれの価値を下げて
いるように見える。

 かつてパリーグ3位のロッテがクライマックスシリーズを制して
日本シリーズに出場し、勢いに乗って日本シリーズまで制して日
本一になった年度があったが、あの時もプロ野球ファンの一人と
して「やり過ぎではないのか」「本当にこのような展開で良いのか」
というどこか日本一になったロッテを素直に認めたくない心理になっ
たものである。
 今年はセリーグ優勝の広島カープが実力通りにクライマックスシ
リーズも制して日本シリーズ出場を決めたから良かったものの、か
つてのロッテのようにペナントレース3位のDeNAが日本シリーズ
出場を決めていたら物議を醸していただろう。
 確かに当初はプレーオフとしてパリーグから導入が始まったクラ
イマックスシリーズがセリーグにも導入されてプロ野球の3位争い
までが白熱するようになり、限りなく消化試合が無くなったという意味
では興行面においては良い面も生じている。
 しかしシステム上ではペナントレースでどれほどの大差をつけられ
て3位になっても、数試合のみ勢いに乗ってペナントレース優勝球団
に勝ち越せば日本シリーズに出場できるというクライマックスシリーズ
は以下のようなルールに改めてみてはいかがだろうか。

(クライマックスシリーズのルール変更)

(1)3位になっても勝率が5割に満たない場合はクライマックスシリーズ
  に出場できない。
(2)2位の球団も同様に勝率が5割に満たない場合はクライマックスシリ
  ーズに出場できない。
(3)ペナントレースに価値を持たせるために、従来のルールの優勝球団
  にアドバンテージ1勝が付与されることについて、更に以下の内容を
  加える。

 ・2位球団に5ゲーム差がつく毎にアドバンテージ1勝を加える。
 (例)優勝球団が2位球団に15ゲーム差をつけて優勝した年度は、クライ
    マックスシリーズでの優勝球団のアドバンテージは3勝となる。
    15ゲーム差以上の差が開いた年度はクライマックスシリーズは開催
    しない。

 ・5ゲーム差毎ではなく2ゲーム差毎にアドバンテージ1勝を付与する案
 (例)ペナントレース優勝が決まった瞬間に優勝球団にアドバンテージ1勝
    が自動的に付与される。
   後は2位球団と何ゲーム差での優勝なのかによりアドバンテージ勝利数
   が決まっていくようにする。
   2位と2ゲーム差以内での優勝ならアドバンテージ1勝。
   2位と4ゲーム差以内での優勝ならアドバンテージ2勝。
   2位と6ゲーム差以内での優勝ならアドバンテージ3勝。
   2位球団が優勝球団に6ゲーム差以上開けられた年度はクライマックス
   シリーズは開催しない。


 142試合を行うペナントレースの価値に重みを置き、日本シリーズの価値
まで下げないためにも上記のような大幅なクライマックスシリーズのルール
改正が不可避であるように思われる。

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神社とお寺

2016-10-12 00:11:15 | インポート
 神社とお寺とどちらにも参拝する。
 感覚的には神仏共にお参りするという、日本人が古来より併せ
持っている神様仏様を敬うという感覚である。
 どちらかを好き好むというものでもなく、自ずと神仏が共存し意識
や無意識のうちに敬い親しみを覚え時に向き合う。
 空を見上げては大いなるものを感じ、太陽に偉大さを覚え、月に
安らぎを見て、星々に音楽的な響きを感じる。山々に威容を感じ、
海に永遠のリズムを見出し、木々や森林に宿るものを感じる。
 そういう諸々の感覚が私の宗教観とでも言える。

 敢えて言えば神社にお参りすると力のようなものを感じ、神聖な
気持ちになる。
 またお寺にお参りすると包み込まれるような静寂を覚える。
 神社は境内に入る時に一切の俗世間のしがらみや俗的なもの
を断ち切って時間空間を過ごすが、お寺の境内には日々の雑事
や煩悩、雑念、しがらみをそのまま背負い込んで訪れて仏様に向
き合うというのが私の感覚であり、それが私の中での神社とお寺の
違いという認識になっている。

 さて全国津々浦々でお寺が寂れて廃れている事例が増えている。
 維持困難になり廃寺となる名刹もあるようだ。
 お寺は古来よりそれぞれの地域社会や地域共同体の中で求心的
な要の存在であり、中世以降は今日の役所のような機能を果たして
また人々の社交場でもあり先祖供養の場でもあり様々な機能を果た
してきた。
 そのお寺が各地で廃れていくという事はひいては日本社会の瓦解
を意味する。それぞれの地域社会が殺伐としている証であり、地域
共同体が崩れている兆しでもある。
 何より現代人が家族すら解体され、家族がそれぞれ単体で過ごす
場面が増えている今日において先祖や祖先とのつながりも疎遠とな
っていく事を意味する。
 そういう懸念の感じられる中、過日、京都市内を散策しているうちに
ふと仏光寺を訪れた。
 広い境内に子供達が無邪気に駆け回り遊んでいる微笑ましい光景
が目に入ってきた。子供達に付き添う大人達もいて境内が子供の遊び
場にもなっているかつての良き時代の名残を感じて安堵した。
 また境内にアンテナショップが開設され様々なアクセサリーや布地
等を販売して来客で賑わっていた。聞けば2年程前から京都工芸繊維
大学により運営されているとのことである。
 更に境内にはカフェを兼ねた食堂が運営されており、近年にお寺に
人々が少なくなっている事態を憂慮した住職が何とかお寺に人々の賑
わいを取り戻そうと模索した結果、朝は住職が法話をした後にレイアウト
を変更してカフェのスペースに模様替えし、自由に人々が時間を過ごせる
ようにしたとのことである。
 目の付け所が良いなと感心した。
 畳敷きのスペースのカフェに私もしばしの時間を過ごし、ガラス窓越しに
大きく映える本堂を眺めつつ心地良い時間を過ごした。

 京都は常に新しい。
 いつの時代も古き伝統と新しい先端とが同居して時代の最先端を行く。
 京都の仏光寺の境内に新しい時代のお寺の在り方を見たような思いで
あった。
 中世の時代のような権力でもなく、また江戸時代のような息が詰まるような
住民監視の姿でもなく、また現代のような壊れた疎遠で粗略な人間関係でも
ない、誰もが好きな時に気楽に訪れて時間を過ごす空間としてのお寺の姿
としての未来像を京都の仏光寺をふらりと訪れた際に感じた。
 皆様も機会があれば京都の仏光寺を訪れてみてはいかがだろうか。
 きっと新しいお寺の在り方を体感する筈である。
 お寺が新しい在り方として蘇生すれば地域社会も何かが蘇生していくだろう。
 神社にしろお寺にしろ、つい今だけこの瞬間だけというような刹那的な感覚に
なりがちな現代人にとって、数百年を貫く時空や遠い昔の時代からの流れを
空気としてまた境内での皮膚感覚として感じることができるという面からも人々の
心の中の芯にとって不可欠の存在である。

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ラジオの情景と情緒

2016-10-06 22:59:06 | インポート
 ラジオにはラジオにしか無い情緒と良さがある。
 先日、兵庫県西宮市にスタジオのある「さくらFM(78.7)」の
中の元朝日放送アナウンサー・村田好夫さんの番組にゲスト出演
させて頂き、収録をした際に改めてラジオの良さと可能性について
感じたことがあった。
 さくらFMは対象エリアが西宮市、芦屋市、宝塚市、尼崎市である
が、今ではインターネットで全国どこからでも視聴できるようになって
いる。
 「さくらFM」で検索するとホームページが出るので、その中に「インタ
ーネットで聴くには」とあり、「パソコンで聴く」もしくは「スマホで聴く」と
あるので、いずれかご都合に合わせてクリックするとオンタイムで放送
番組をどこの地域からでも聴くことができる環境になっている。
 村田好夫さんの番組は、リクエストに応じてレコード盤を中心に思い出
の曲を懐かしむという趣旨の番組で、ゲストの私も好きな曲を5曲選んで
村田好夫さんのトークに合わせて曲を紹介し曲についての心象や思い出
また思い等を語り曲を流していくというものだった。
 10月5日(水)の19時からの放送を聴いてみて、落ち着いた雰囲気の良い
番組だと感じた。
 再放送は10月9日(日)朝7時から8時の1時間であり、私の登場は番組
開始から15分が経過した頃からなので、私のトークを聴いてみたいと思わ
れる方々は10月9日の再放送にて番組を楽しんでみてはいかがだろうか。

 実際に放送を聴いた方々から良かったという声を頂いており励みになる。
 本当はもっと曲が描いている主題や時代背景、物語などについて語りたか
ったのだが放送時間枠の制限時間があり曲についてのエッセンスだけを
話している。
 私が選んだ5曲は、
(1)星空のバラード 歌:真夏竜
(2)遥かな轍     歌:堀内孝雄
(3)夢の吹く頃    歌:さだまさし
(4)廃墟の鳩     歌:ザ・タイガース
(5)ガンダーラ    歌:ゴダイゴ
である。
 歌はふと口ずさむ歌、つい口にしている歌詞、胸中に響くメロディーという
ものがその曲を主に聴いていた歌っていた当時の情景と共にその頃の風景
や出来事、人々、過ごした苦楽の時間がセピア色になって脳裏に浮かんでくる
ものである。
 時に音楽は記憶を惹起する良い面があることから、音楽療法という領域も
あり、例えばお年寄りの生き甲斐対策や健康増進などにも活用されているが
確かに音楽は身体にも良くその意義が理解できる。
 人前で歌うことが好きな人なら尚、音楽での交流も広がり良い効果がある。

 ラジオは音声だけの世界だが、それゆえに想像力が惹起され情緒がある。
 テレビや新聞ではできないアプローチや描き方ができるのもラジオの持つ
可能性の一つであり、様々なメディアが発達している今の時代もラジオの存在
価値は高い。
 またインターネットやSNSとラジオとを融合させる事で新たな領域の可能性
が出ている。
 例えばFM放送はこれまでの時代なら放送可能エリアが限定されていた。
 それぞれの地域の特性を発揮している良い面があったのと同時に、そこの
地域の範囲内でしか視聴できないという限界があったのだが、今ではパソコン
やスマートフォンから聴くことが可能な環境になったために、地域FM放送であ
っても全国津々浦々どこにいても聴くことができる時代になった。
 これはつまり良質な地域FM放送であれば、対象地域が全国へ広がる事を
意味しており、視聴者がこれまでの時代のような該当地域内だけに終始する
のではなく、良質な放送をしていればその放送の支持者やファンが全国各地
に形成されていく時代になった事を意味している。
 これは良いことである。
 各FM放送ごとによって感じられる地域性や地域文化の違い、気質や特色
がこれまでの時代でも感じられたが、今後は更に特色を感じられる環境にあ
ると言える。
 北海道にいても西宮市の地域情報が聴けるし、東京に暮らしている人でも
西宮に興味があればパソコンやスマートフォンから西宮市の地域情報を聴く
ことができるのである。
 更にはSNS等と融合して、それらの番組への口コミや感想、評価などが
可視化され共有されていくようになった。
 まさにラジオへの環境はいつしか進化しているのである。
 この環境の進化に合わせてラジオ番組も大きく可能性を広げ進化していく
ことが可能になった時代でもある。

 声や音声だけの世界ではあるが、インターネット更には動画と融合させれば
新しいスタイルのラジオの提供が立体的にできる時代になった。
 村田好夫さんのFMラジオ番組にゲスト出演させて頂いての収録に際して
ラジオの様々な可能性についてふと感じたものである。

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