木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

東大阪市消防局庁舎の竣工

2008-04-30 15:19:00 | インポート
 東大阪市消防局庁舎の竣工式が行われ、参席した。
 当地は現在の東大阪市役所が完成する以前の旧市役所
跡地で、更地にされた後に消防局の新庁舎として生まれ
変わった。これまでは通報しても一度、大阪市へ中継さ
れてから転送されるために時間がかかっていた、地震が
発生すれば真っ先に倒壊するのが各消防設備ではないか
と市民に揶揄されていたが、新庁舎は最先端の技術が各
所に取り入れられ、防災学習センターを市民に開かれた
姿で併せ持つ高機能な姿で装いを新たにした。

 式典終了後、局員に庁舎内を案内してもらい見学をし
たが、窓越しに消防職員、消防団員の綱渡り等の訓練模
様が眼下に見ることができ、訪れる市民にもその姿が見
られるであろうことを思えば、ある種の安心感を与える
ものだと思った。
 又、ガラス越しに高機能消防司令センターや各設備を
見たが、既存の施設からは数段も脱皮した姿になってい
る。

 消防、救命、防災活動は様々な状況を把握し判断を行
い指示を出す高機能な指令と現場との迅速な連携が命綱
で、まさに数秒の違いが現場の命運を左右する。
 51万人都市、中核市としての消防行政の今後の展開が
更なる向上を迎えるなら、市民の安心感も増すだろう。

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リトマス試験紙はかく反応す

2008-04-27 21:52:48 | インポート
携帯でニュースを見ていると、衆議院補欠選挙で民主党
候補の当選確実の報が流れていた。
現地での不特定多数の有権者の表情から感じた空気は、
そのまま答えとなった。

有権者の選択の結果、昨年夏より国会は衆議院と参議院
とで形勢が異なるいわゆる「ねじれ」国会となったが、ね
じれたが故に国民の前にねじれるまでは顕在化しなかっ
た、顕在化できなかった議論や問題が提供されるように
なった。

「ねじれ」は決して停滞ではなく、この国が前進している
道のりの中の一つの形に過ぎない。
よく、前進することで見えなくなることもあり、進まな
いからいつまでも同じ眺めしか見えないということもあ
る。

選択は有権者が行うもので、当然ながら選択した結果も
国民が享受する。従って、選択にも重みが増し責任が強
く自覚されるようになる。

二大政党選択が更に定着すると、それだけ有権者の権限
と責任も大きくなる。

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植樹祭

2008-04-27 16:49:45 | インポート
 植樹祭が東大阪市内の小学校で行われ、来賓として参
席した。毎年、市内の各地にて輪番で開催され、今年は
私が住んでいる住所の小学校区の小学校にて開催された。
 緑や自然環境及び食料品に関する市民意識の高まりを
反映してか、目分量でも軽く千人は超える参加者で会場
は賑わった。

 田舎生まれの私は、豊かな自然環境が体に染みている
というのか、体が豊かな海、彩溢れる山の恵み、五感を
育む自然の表情が体の芯に刻まれている。ために例えば
水の中に潜っているとどうしても呼吸のために水面から
顔を出さざるを得ないように、自然環境に乏しい区画の
中にいたり地形的変化に乏しい地理環境の中に長期間い
ると、深呼吸を求めて自然の多い場所に移動したくなる。
 植樹という行事を通じて、自然環境や緑に対する意識
が高まることは有意義である。

 新緑が萌える季節となった。新緑が映える街はどこに
あるだろうか。桜の季節には桜を愛で、新緑になれば新
緑に身を投じ全身で呼吸し、夏には避暑地で自然の涼を
、秋には紅葉に燃える山河で五感を満たし、冬には雪景
色や樹氷に自然の造形美を堪能する。至極贅沢な時間で
はないか。
 子供の頃は、田舎には何もないと思っていた。だから
都会へ出たいと憧れる。田舎から脱出することが先ず目
標だった。年を重ねてくると見える風景が変わってくる。
洗練された街は別として、都市圏には表情がないことに
気づいてくる。逆に田舎には豊かな自然や表情が四季折
々に姿を変えて溢れている。
 贅沢とは何であろうか、と考えてみる。決して金銭で
はない。豊かな自然の恵みに四季を通じて抱かれる、そ
こには満ち足りた幸せがあると気付かされる。

 それにしても、大阪東部は余りにも自然環境が乏しい。
排水路はあっても川や河というものがなく、街に水辺が
なく家屋が周密している。申し訳程度に道沿いに並木が
植えられてはいるが、圧倒的にセメント色の空間に覆わ
れている。従って、四季を通じての色彩的変化に乏しく
年中を通じて街が同じセメント色をしている。
 例えば色彩に豊かな桜島を毎日眺めて過ごす子供達や
瀬戸の内海の絵にも優る色彩感覚の中で育つ子供達、あ
あるいは東北の豊かな山河に内包されて育つ子供達は情
緒面でも贅沢な環境であるといえる。

 都市計画の中にいかに自然を内包するかが大切である。

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衆議院山口2区補欠選挙

2008-04-24 20:34:40 | インポート
 衆議院議員補欠選挙の応援で山口2区(岩国市、光
市等)に昨日の夜から入っている。
 少しでも役に立てたなら本望である。
 自分の所属する選挙区から離れて、他の選挙区に入
るといつも様々な発見があり新鮮である。 

 今回はまるで山口2区がリトマス試験紙のような存在
となって日本の状況を見ることができる状況だと感じた。
今の日本の政治状況、国内国外の課題に対してリトマス
試験紙がどのような反応を示すのか。
 私が歩いた範囲では、終盤に入っていることもあって
有権者の幾つもの表情を見ることができた。

 余談として、岩国市では補欠選挙特需が生じているよ
うである。ホテル、タクシー、商店街関係等、補欠選挙
があるために数ヶ月前から両陣営の関係者等が頻繁に街
に出入りし、また全国からこの選挙区のみに駆けつけて
滞在するためにあらぬ特需を生んでいるようだ。 

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日本文明とは

2008-04-23 13:51:10 | インポート
 今の私は、松下村塾や明倫館、適塾や日新館或いは造
士館のような場を欲している。
 今は、議員という立場だけではなく日本人として世の
中全体を捉えて成長していきたい、そういう欲求が強い。
そのような場になら飛び込んでいく。

 数年前、サミュエル・ハンチントン氏の「文明の衝突」
という著書を見た。新鮮な感覚を覚えた。書の中で、氏
は日本は日本文明という独自の文明にあるという趣旨を
述べていたと記憶している。アジアの中の日本という見
方をついしてしまいがちな私達であるが、氏は書の中で
日本はアジアとは異なるという。アジアとは明らかに文
化や風土あるいは諸々のすべてが異なるという。しかし
西欧でもない。日本は日本なのだという。
 日本は日本文明を自覚して、日本文明を発信していか
なければならないのだろう、と私は当時、おぼろげなが
らに感じたものである。

 さて、日本の文化は奥深い。日本には良き伝統や文化
がある。ここでいう日本文化と日本文明とはどのように
違うのだろうか。文化と文明である。
 日本文化や日本文明を他国に発信するには、日本人の
多くに日本に対する自我が無ければ叶わないことだろう。
 文化はcultureであり、学問や宗教、芸術などのような
人間の生活様式の全体のもので精神的な要素により有形
無形に存在するものであろう。文明は人間社会の進化に
より世の中が更に拓けて精神的、物質的に進歩し技術や
機械の発達や社会制度や仕組みが整った姿を言うのだろ
う。
 では、日本文明とはいかなるものなのか。
 世界に向けて日本文明とはかくあるものなり、と明言
できるだろうか。日本文化なら私も多少は説明できるが
日本文明となると、さて。
 日本は文明と言える対象なのだろうか。ふと考えてし
まう。

 中世の終りに産業革命が欧州を席巻し世界に波及した。
家庭内手工業が重厚長大の大量生産に代わり、帆船が蒸
気船に取って代わられた。西欧は大航海時代を迎え、そ
れまでは交わることの乏しかった陸地に進出を始めた。
 しかし産業革命とはいうが決して文明革命とは言わな
い。あれは産業の大革新であっても文明の革命ではなか
ったのであろうか。
 
 メソポタミア文明、エジプト文明という。それは文明
である。ならば日本は文明になりえるのか。日本文明、
探究しても良い主題である。

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