木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

世界はかくの如し

2005-09-29 09:36:52 | インポート
 日本国とさほど人口が変わらず科学分野は優れている
が医療水準や化学工業などでは大きく遅れているロシア
の大統領が予想通りとはいえ発言を猫の目のように変更
しまたしても「北方領土の四島はロシアの主権の下にあ
る」という主旨の見解を述べた。
 条約に対する認識は日本国とロシアでは全く異次元の
ものであるという認識に立ってよい。

 北方領土のロシアの占拠は大日本帝国の太平洋地域に
おける軍国主義行動のつけだ、という主旨の大統領の見解
だが、あの当時、ほとんど全ての国々は軍事化していた。
どの国々も自国の旗を掲げて武力行為を行い、双方に多大
な犠牲者が出た。それが戦争というものであり従って戦争
はいけない。
 欧州ロシアと極東ロシアでは感覚が大きく違うだろうし、
大統領も多くの支持基盤や権力中枢からの意見や圧力に
押される形で北方領土の正当性を述べているのが実状では
なかろうか。
 個人的な意見だが北方領土に最も近い自治体の一つでも
ある根室市や根室市議会及び稚内市や稚内市議会はロシア
のサハリン州議会との意見交換や自治体交流などで肌身感覚
の外交を重ねて欲しいと思う。
 北方領土の見解の相違も六十年前の第二次大戦や太平洋戦
争における混沌の中から生じる立場の相違と現在においても
尚いきる自国の立場と国益から発している。時間はかかるが
いつかはこの問題も氷解するように解決すると私は信じたい。

 さて、国際環境のみならず地球環境や気候の変動が著しく
台風やハリケーンの巨大にして強大化が進むなど今年は特に
天変地異とも言える気候の変化が著しかった。各自治体や各
国で温暖化対策や環境問題への対策が講じられているが事は
重大であり、事実は事実として等身大の発言を発信しなけれ
ばならない。政府や各産業界には等身大の発信を希望したい。
 地球温暖化や地球環境の最たる対策は中華人民共和国に対
して排煙や排水の質を向上するよう努力を促すことである。
原油価格の高騰や酸性雨など多くの問題は中国の工業対策の
遅れによるところが大きい。地球の為である。言うべきは言
おう。米国も京都議定書に署名しよう。

 様々な情勢下で市議会が開かれている。市民や国民に最も
身近な自治体の議会に臨む。
 余談だが水泳でかつて鈴木大地選手が背泳ぎで金メダルを
取ると途端に泳法が禁止された。世界はかくの如し。

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対外環境

2005-09-28 09:08:39 | インポート
 ロンドン五輪で野球が正式種目から外されたことはまだ
記憶に新しく多くの人々には辛い思いであったろう。地球
という視野に立てば野球自体がマイナー種目でもある。あ
るいは政治的に意図的に、背後の壮絶な駆け引きがあった
のか無かったのかいずれにせよ欧州の人々には野球自体に
魅力を感じていない節もある。
 これが現状である。

 そういう時点に立てば、野球業界の中の良きものは守り
さほど意味のあるとは思えない悪しき慣習や陋習は改めて
いくことが必然的に思われるのが自然ではなかろうか。

 日本人がどういう視点で見られているか、ということも
気になる要素である。冬季種目や冬季五輪で数年前に日本
人選手が大活躍して表彰台に多く立った時期があった。す
ると欧州勢の中から異論が噴出し、ジャンプの板の国際規格
が変更されたり距離走のスタート方法が変更されたりして
その動きは顕著だった。
 日本人選手はアジア人として見られている場合も多く、そ
の日本人選手が活躍すればそれを喜ばない人々もいる。そう
いう環境の中にあることに気が付いた時、日本人同士で足を
引っ張り合う光景がいかに愚かで滑稽かが分かる。

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理解に苦しむ監督解任

2005-09-26 18:54:16 | インポート
 仙台球団・楽天の初代監督である田尾監督が解任という
形で球団を去ることになったのは意外でもあり残念である。
「みちのく気質」を知ればこそ、予想通りに仙台の球場は
成績に関わらず観客の入りは悪くなかった。最終戦での
観客による「田尾」コールに答えの全てが凝縮されている。
 僭越ながら球団は判断を誤ったと言える。
 私は楽天という認識よりも仙台球団という認識で、何
よりプロ野球が凋落するかしないかという瀬戸際に生ま
れた新規参入の球団であるという認識を忘れてはならない
と思う。今期は全敗しても私は仙台球団に対する視線を
変えることはなかったし、仙台を始め東北の人々の想いも
きっと同じだろう。

 以前にも述べたが勝つことだけにこだわるならばプロで
ある必要はない。地域をいかに創るか、観客にいかに見せて
魅せるか、技術や実力はプロであるのだからそれに加えて
の付加価値をいかに魅せるかがプロである。
 今回の反応を見る限り、仙台の人々にプロへの視線があ
って、肝心の球団のフロントにプロの視点が乏しかったと
言える。田尾氏は誰も引き受けたがらない新規参入の未知数
の球団監督を敢えて引き受けた。ここに初代監督として燦然
と功績は輝き恐らく仙台の人々はいつまでも田尾氏を忘れない
のではないか。
 長い日本の歴史の中、一年の大半は雪に閉ざされ歴史におい
ても常に中央からの侵攻に遭い意図的に田舎にされてきた東北
には娯楽が乏しく、一般論として人々は忍耐強く人恋しい。
 その東北に本拠地を構えてプロ野球球団が出来るということ
はいかに人々に気持ちの上で灯火を与えてきたかが想像に難く
ない。現在、岩手県議会議員でもあるザ・グレートサスケ氏も
娯楽の乏しい東北の人々にせめてもの夢と希望をということで
「みちのくプロレス」を旗揚げし自ら営業車で各地を奔走して
きたことも同様である。

 野球もある意味で政治がかっている。今期の日程を終えてい
ない時期から監督更迭論が流れることは礼儀に反する。又、
三年契約と契約を交わしておきながら日本の野球界で時にある
ことだが突如として契約打ち切りとするのも詐欺行為と云われ
ても仕方がない。
 楽天が仙台球団であるということを忘れてはならない。
 みちのくの人々の朴訥寡黙な気持ちを踏みにじる行為を今後も
重ねれば仙台球団自体が失敗するだろう。

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盗作に盗用は恥ずかしいこと

2005-09-24 10:37:14 | インポート
 ある自治体の市長が所信表明演説で大阪府知事の演説
内容を多く用いたとして批判を受けている。この類の出
来事は時折、各分野で勃発する。情けない限りである。
 盗用と云われても仕方のない内容に、小説家ならば問題
だが政治家は気に入った言葉は用いても構わないのだという
主旨の弁明を聞いて更に呆れた。
「私は発想が枯渇しています」。
と自ら公言しているに等しい。

 時折、作家においても他作品からの盗用が問題視される
ことがある。盗作が分かった瞬間からその人の信用はほぼ
地に墜ちる。締切に追われて枚数をこなさなければならない
という焦りと自身の名を売りたいという功名心から生じる
愚行が盗作、盗用というものだ。
 今、私のところに研修生が来ているが、時に主題を出して
独自のレポートを書いてもらうこともある。彼ら彼女らは
二十歳になったばかりの年頃だが引用文献は明確に引用箇所
を記し、用いた人の言葉は誰の論理かを明記して作成すると
いうルールをきちんと守っている。
 他人の論理をそっくりそのまま丸写しして、いかにも自身
の考案による理論です、と発表する行為は時に人々の軽蔑を
誘い時に罰せられることもある。
 何よりもエチケット違反である。

 以前にある映画会社のシナリオ作成担当者の話を聞いたこ
とがあった。映画はシナリオが命でもある。若手や門下生が
作成した脚本やシナリオをさんざんに酷評して否定しておき
ながら時期を変え、場所を変え他の作品の中にそれをそのまま
盗用している人がいたこともあったらしい。いかにも自身が
作成したシナリオですと云わんばかりの行為である。
 いつの日か映画館で上映を観た門下生は口々に叫んだとか。
「あっ、あれは私の作品ではないか!」。

 物事は必ずいつかは明るみになる。
 盗作もいつかは必ず原作者が気が付くものである。
 恥ずかしいとは思いませんか。

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老後の暮らし

2005-09-23 12:12:33 | インポート
 世の中には不思議な事が時にある。人間の存在や能力
を超えた場所で繰り広げられる不思議なことならともか
くとして、人々が本気で取り組めば解消できる意味の不
思議なことは変えなければならない。

 国民年金がその一つである。
 国民年金という制度を創設した側が、「国民年金だけ
では老後の生活は非常に厳しい」と淡々と見解している。
 不思議である。
 国民年金だけでは生活が苦しい、と分かっているのなら
何故に国民年金を現実的に生活が成り立つ年金へと改めな
いのだろうか。私には不思議でならない。
 不作為の一つと言われても否定はできない。

 自営業者の所得の把握が困難だから国民年金の改革は
難しい、という意見もある。しかし後ろ向きな理由である。
 現実的な国民年金にするためには、
(一)自営業者の所得を確実に把握する仕組みを考える。
   そしてそれに応じた保険料を設定する。
(二)所得に関わらず保険料を設定する。
(三)世代間の不公平感を解消する。
という選択肢をこなすしかない。

 会社勤めをしていた人が退社して個人事業や飲食店を経営
したりすることは現実として多くある。しかし今の制度では
そういう人々は退社時に勤務年数に応じた退職金を受け取り
厚生年金は受給資格年数に満たなければ認められず資格を失う。
そして以降は国民年金になる。
 又、経営者から見ても社員の年金保険料の負担は重い。
 結果として契約社員という雇用形態を用いて厚生年金では
なく国民年金を契約社員に強いている事業所もある。
 善悪や正しい間違っているという理屈は抜きにして、人々の
生活の現実は展開し国民年金の存在は大切になっているのが
実状である。
 世の中は今や転職社会、転業社会でもある。
 果たして国民年金は世の現実に耐えうる制度だろうか。

 敢えて暴論を提案する。
 新たな年金制度の創設が不可能ならば年金制度自体を廃止
して「社会保障税」「日本国年金税」を使途目的を年金のみ
に明確に限定して設ける道もある。
 不可能でないならば英知を結集して新たな年金制度の創設
に邁進するべき時期に来ている。
 徹底的に市民や国民に説明をして後に、国民投票にかけて
も良い類の重要事項ではないかと私は思う。

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