木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

8月21日(日)は大阪市内にて藤川一郎氏とのコラボ講演会でした。

2022-09-28 22:55:57 | 随想
 時間的には少し前の内容になりますが、8月21日(日)
に大阪市内にて有志の方々により私と藤川一郎氏との
コラボ講演会が催され、13時から18時30分まで皆様
と有意義な時間を過ごしました。

 当日は遠く愛知県から青春18切符を使ってご参加
された方や滋賀県彦根市からご参加された医師、どうしても
聞かせたいと90歳の母親を連れてきてご参加頂いた
ご夫婦など色々と有り難うございました。
 今回もそうですがいつも組織でも団体でもない個人の方々
が熱意で自主的に私の講演会を開催してくれており感謝の
限りです。
 少しでもお役に立てるなら本望です。

 前半は外資系大手製薬会社でご勤務された後、今は
カウンセラー活動を主にされている藤川一郎氏により
90分の講演が行われ様々な実例を分かりやすくご説明
くださいました。
 後半は私が90分、今私達が何をされているのかについて
私の認識を話しました。
 更に休憩の後、私と藤川一郎氏とが会場からのご質問に
答える形で当初の予定を大幅に延長して2時間近く話を
しました。
 皆様からそれぞれに熱意のある良いご質問を頂き盛り
上がりました。

 様々な方々と交わり語らえば視野が広がります。

 講演会終了後は希望者の方々で会場近くの店に移動して
懇親会にて余話に盛り上がりました。
 ご参加頂いた皆様、主催して頂いた方々、遠方から
ご参加頂いた方々、有り難うございました。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印されてきた縄文の神々を解き放ち日本を蘇生させよう

2022-09-22 12:29:40 | 随想
 日本が太古からの天授の力を取り戻し蘇生するためには
長らく封印され続けてきた縄文の神々を解き放つ必要がある。
 縄文の女神たちである。

 何故、縄文の神々が封印されてきたのだろうか?
 古事記、日本書紀を編纂する際に藤原不比等により封印
された縄文の神々。
 その最たるお方が瀬織津姫である。
 瀬織津姫とは天照大神の妻、后であった。
 縄文の神々を封印するために藤原不比等は瀬織津姫の
存在を封印し、夫の天照大神を女神にすり替えたと私は見ている。

 藤原体制にとって縄文の神々の存在が不都合だからだろう。

 晩年の天照大神は妻の瀬織津姫と共に仲睦まじく今の
三重県志摩市の伊雑宮付近で暮らしている。
 それ故に伊雑宮が本当の伊勢だと言われており、それを
記した聖徳太子が書いた先代旧事本紀が伊雑宮から江戸時代
に発見されたことで内宮が反発し徳川幕府に働きかけて
偽書扱いにしてきた。
 いずれ志摩一宮と言われる伊雑宮が表に出てくるだろう。

 縄文とは何だろうか。
 単に縄文式土器の狩猟採集の時代だったでは現実に適応しない。
 縄文時代は縄文人が恐らく宇宙とのやり取りをしていたのだろう。
 東北地方から発掘される土器や土偶を見て頂きたい。
 どう見ても宇宙的である。
 ならば縄文の神々とは宇宙的なエネルギーだと言う事もできる。
 それが後の日本の権力者には不都合だったのだろう。

 古事記、日本書紀で縄文の神々が封印されて以降は各地の
神社の多くは瀬織津姫をそのまま祀る事ができなくなり時に
天照大神の荒魂として祀るようにして迫害を免れてきた。
 伊勢神宮もある時期までは天照大神と妻の瀬織津姫との
本殿を並べていた時代もあったそうだが政治圧力を受けた
のか天照大神のみの本殿にするようになったと仄聞している。

 日本人が日本的な力を蘇生していくには縄文の神々の
封印を解き、縄文の神々を解き放つ必要がある。
 その為には先ず古事記や日本書紀による呪縛から脱する
必要がある。

 太陽を見上げ、月を眺め、星に癒される。
 森林の香りに憩い、海のリズムに耳を澄ます。
 大地の恵みの温泉に浸かり、山河を歩く。
 このような営みが私達の奥深くに眠っている縄文の記憶、
縄文の力を蘇らせるのだろう。

 もっと言えば縄文人とは地球原住民だった可能性もある。
 様々な可能性を感じながら日々を過ごしていきたい。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故きを温めて新しきを創る・温故創新

2022-09-20 22:16:14 | 随想
 最近、様々な感覚や物事が繋がってきたりシンクロ
ニシティーが生じたりして視界が開けてきたような感覚
になる事がある。

 飛鳥は文字よりも発音に意味がある。
 飛鳥または明日香、要はアスカである。
 アスカとは都とか宇宙の関連がある地の事である。
 飛鳥はいにしへよりペルシャとの関連も深い。
 奈良の正倉院があるが正倉院宝物の多くは公表されて
いないが、もし完全開示される日が来たならば正倉院宝物
の多くはペルシャ由来の宝物が多く存在するだろう。

 カスピ海からイラン北部にかけて今から2300年前程に
パルティアという王国があった。
 パルティア王国の支配者はパルティア人やアシュク族だった
がこれはサカ族と同族である。
 奈良県明日香村の飛鳥はこのアシュク族が作った可能性
が濃厚である。
 中東から東へ東へと移動してくる過程で中国大陸では
アシュク族は安息と表記されたようである。

 突厥(トルコ系)はサカ族から生まれた種族である。
 サカ族の中から南下してインド北部に入ったのがシャカ族
でありお釈迦さまの一族である。
 このサカ族の一部が随分と早い時代から日本列島に入り
込んで蘇我を名乗り蘇我氏になったようである。
 蘇我氏が飛鳥大仏を建立し日本で最初の仏法の寺である
元興寺(飛鳥寺のこと)を建立したのは自然な流れである。
 私は祖先の蘇我氏はダン族の末裔だと見ていたが、ここに
来て蘇我氏の祖先はサカ族だと見えてきた。

 またサカ族とブリヤート人は親類であり、そこから派生した
のが匈奴である。
 その匈奴から更に扶余が派生する。
 扶余は高句麗の先祖になる。
 つまり高句麗とはサカ族やブリヤート人から派生した一族
であり教科書の説明と事実とは全く違う。

 聖徳太子はペルシャ人だったとか突厥だったとも言われて
いるが、つまり私が認識しているように聖徳太子とは後の世
に聖徳太子といわれた人物の事で蘇我一族の蘇我〇〇だとした
ら合致する。
 いよいよ以て聖徳太子とは蘇我〇〇の事だったという確信
が私の中で強くなった。

 また私が東北地方に感じる情と言うのか、何かの郷愁のような
感覚を感じるのは東北地方は当初から縄文人の文化圏だが、これは
今から7300年前に薩摩半島や大隅半島より南一帯の喜界海底火山
が巨大噴火を起こし南九州が壊滅、西日本の大部分が噴煙により
生活ができなくなり当時の縄文人が北へ北へと生活圏を探して移動
していき今の東北地方、特に北東北の青森県辺りに移住して縄文
文化圏を構築した事によるものだろうか。
 三内丸山遺跡はその縄文人による文化圏の痕跡である。
 また鹿児島県の鹿児島湾は喜界カルデラであり、いにしへの
時代に喜界海底火山が巨大噴火して吹き飛んだ火口跡である。
 凄まじい大噴火の痕跡である。

 様々な事が繋がり時空を遡るような感覚に包まれると自分の中
に軸が定まり、それが揺るぎない自我となりアイデンティティー
となる。
 時空を遡ると様々な流れが繋がっていく。
 これからも可能な限り時空を遡る試みを続けたい。

 故きを温めて新しきを知るという感覚になる。
 故きを温めて新しきを創るという温故創新が大切だと思う。
 秋風が心地よく通り過ぎていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の東武天皇

2022-09-19 12:54:54 | 随想
 幻の東武天皇について。

 日本の歴史は東国と西国との視野で見ると良い。
 幕末の戊辰戦争において千載一遇の徳川打倒のチャンス
だとばかりに関ケ原の戦いの遺恨を晴らすべく薩摩長州は
徳川将軍に代わる存在として明治天皇を擁立し「錦の御旗」
を掲げて戦った。

 これに対して会津藩、仙台藩、長岡藩を始めとする東北諸藩
は奥羽越列藩同盟を結成し画像の東武天皇を擁立し東京にできた
ばかりの明治政府を認めなかった。
 この時、奥羽越列藩同盟は薩摩長州の官軍が掲げた錦の御旗
に対して「五芒星の旗」を掲げて戦った。

 この時、アメリカ公使は本国に
「現在、日本には二人の帝が立っている。」
と報告している。
 幕末から明治維新にかけての姿は私達日本人が認識してきた
倒幕か幕府支持かというようなものではなく、もっと深い背景
があった。

 この東武天皇を匿ったのが仙台藩だった。
 それ故に廃藩置県後に天皇がいた場所という事で御所という
意味の宮城を県名に掲げ宮城県となった事は以前の投稿で述べた。
 奥羽越列藩同盟が敗退し函館戦争も鎮圧した後、明治政府は
徹底的に東武天皇の存在や痕跡を抹消する事に血道をあげた。
 東武天皇に関与した東北諸藩の人物をことごとく処刑に
している。

 東北地方は平安時代が始まるまでは阿弖流為が統治していた
日高見国であり縄文人勢力圏だった。
 日高見国はやがて桓武天皇の時に侵攻を受けて坂上田村麻呂
を将軍として派遣し阿弖流為とモレが講和と称して騙され連行
され今の大阪府枚方市で斬首され瓦解した。
 その後、大和朝廷の重税に苦しむ坂東や東国の人々を助ける
ために平将門が「新皇」と称して東国政権を樹立しようとした
が鎮圧された。
 やがて時代は鎌倉時代になり、奥州平泉に華麗な黄金文化を
築いた奥州藤原氏は決して中央への野心は無かったのだが鎌倉幕府
に睨まれ侵略されて滅亡している。
 戦国時代になると伊達政宗が天下を夢見るものの豊臣秀吉に
天下統一をされ、その後に徳川幕府の幕藩体制に組み入れられて
仙台藩となった。
 そして幕末の戊辰戦争である。
 その仙台藩主の伊達慶邦が東武天皇を匿った。

 戊辰戦争後に東北地方は「白河以北一山百文。」と蔑まれ
故意に開発から取り残され政治的な迫害を受けてきた。
 余りにも過剰なまでの政治的迫害、政治圧力に何故そこまで
追い詰めるのかと若い頃の私には理解できなかった。
 徳川幕府を倒すのなら徳川家に怒りをぶつければ良い筈
なのだが徳川家そのものはそこまで迫害を受けていない。
 特に会津を筆頭とした東北諸藩への仕打ちは凄まじいもの
であったが今にして見れば、西の天皇に対して東の天皇を
擁立した事への完膚なきまでの抹殺だったのだろう。
 歴史は非情である。
 
 政治的迫害を受けてきた東北地方だが優秀な人物も現れて
日本を支えた人物も出てきた。
 例えば東京大学の初代総長となった会津藩出身の山川健次郎。
 また軍事の天才と言われた石原莞爾。
 或いは世界最古のピラミッドは日本にあったとする研究を
した山形出身の酒井勝軍。
 同じく軍人であり文明論に指導的役割を果たした安江仙弘。
 また津田塾大学を創設した津田梅子と共に日本初の女子留学生
として欧州に留学した山川捨松は会津藩出身。
 更には新島襄と共に妻として同志社大学の設立に奔走した
新島八重は会津若松鶴ヶ城籠城戦を戦い抜いた会津藩士の
女性戦士で戊辰戦争当時は会津藩家老の娘、山本八重だった。
 平民宰相と言われた原敬首相は岩手県盛岡の出身。

 古代より常に中央政権から蹂躙され迫害を受けつつも決して
腐ることなく、厳しい雪に閉ざされた一年の大半をジッと耐えて
過ごしやがて訪れる春の雪解けに喜び短い夏を生きながら、
いざという時には日本のために尽力してきた東北地方の人々の
そのような姿に私は何かを感じて親愛の情のような感情を抱く
のである。

 日本の歩みも様々な方向から眺めると深さを感じる。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太古日本の原風景を思う

2022-09-18 20:21:26 | 随想
 日本の原風景はどのような先住民がいたのだろうか。
 少しづつ見えてくるような思いである。
 霧が少しづつ晴れていき朧げながら視界が見えてきた
ような心境である。
 まだまだ分からない風景もあるが朧げながらにいにしへの
日本にはいかなる民族がいたのだろうかと遡るならば、

・縄文人
  →蝦夷と言われやがては東北地方にて文化圏を構築した。
・12支族
  →縄文人が先住していた日本列島へ亡命や侵攻などの様々な
   目的でやって来た。
  →先に来た一族が出雲族になった。
  →更に後から来た一族が天孫族になった。
・コロボックル
  →太古の東北地方に先住して縄文人と共存した。
   身長60センチ程の小人族だが文明力は高かった。
・熊襲族
  →今の熊本県一帯の先住民族。
・隼人族
  →今の鹿児島県一帯の先住民族。
・倭人
  →今の福岡県一帯の一族。
  →筑紫の君磐井はこの一族の長だった可能性を感じる。
・海人族
  →黒潮の流れに乗り移動しては各地に定住した。
・山族
  →日本列島の山間地や森林の中に暮らした種族。
・山窟
  →いにしへの世に権力闘争に敗れ山間地に隠れて暮らした。
   隠ぬ人、つまり鬼のモデルにされた可能性がある。

という状況だろうか。
 12支族はやがて大和朝廷を形成し、従わない縄文人や熊襲族、
隼人族、倭人などを「まつろわぬ人々」と称して征伐し古代は戦乱
の繰り返しで飛鳥時代に大和朝廷が確立された。
 ちなみに北海道については1万年前から縄文人が先住していた
事が明るみになっていてアイヌ民族はもっと後の時代にアムール川
下流域から石狩川を経てやって来た異民族である。
 古来より日本列島にいた先住民が崇めていた神々を国津神と言い、
後から日本列島に入ってきて支配した天孫族が崇めていた神々を
天津神と言う。

 更には縄文人の神々も太古より崇められてきたが古事記や
日本書紀を編纂する際に藤原不比等がことごとく縄文の神々を
封印し天照大神の妻である瀬織津姫も存在を消して夫だった
天照大神を男神から女神にすり替えた。
 藤原体制にとってよほど縄文の神々の存在が不都合だった
のだと推察する。
 これから日本が復活をしていくためには封印された縄文の神々
を解き放つ必要がある。
 縄文文明や縄文にこそ今後の日本の鍵がある。

 更には沖縄県周辺や日本海一帯の海底には様々な海底遺跡がある。
 本格的な海底調査をすれば日本史は大きく書き換わるであろう。

 まだまだ分からない風景があるが少しづつ日本人として日本の
紐解きをしていきたい。
 新たに確固とした事実が判明すれば認識が変わる事もあるだろう。
 それが知的ロマンであり生き甲斐でもある。

 太古の日本人は天、地、人という感覚に包まれて時には宇宙の
リズムに呼応して生きていたものと推察している。
 天地人の感覚で日本人として日々を過ごしていきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする