木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

時計の針を刻んでいこう

2010-08-29 00:15:25 | インポート
民主党代表選挙が行われる。メディアをはじめ諸々な意
見や推測記事、予想が飛び交っているが無意味である。
民主党代表選挙が終わるまできちんと見届け、健全な議
論が行われる、それでいいのではないか。

民主党代表の任期は2年で、今回の民主党代表選挙は当
初から予定されていたものである。大局的な視点に立っ
て混乱を避けるために民主党代表選挙を中止にするとい
う選択肢も理論的にはあり得た話だが、もしその選択を
取ったなら取ったで「民主主義に反する」「密室政治だ」
「茶番だ」「政権与党らしからぬ」という批判が噴出した
だろう事は想像に難くない。また立候補者が現れて代表
選挙が決戦になれば、対立を煽るような論調や抗争を批
判する意見が流れる。
今の局面はどの道を選択したとしても批判される、そう
いう展開である。

私を含めた自治体議員は全体で100ポイントが割り振
られ、投票結果によって候補者にポイントが割り振られ
る。自治体議員1人の代表選挙における重みは微々たる
ものだが、しっかりと考えて私は投票したい。
国会議員は1人が2票で自治体議員より重みが与えられ
ているが、私はそれは当然だと思う。政党の代表選挙に
おいて国会議員と自治体議員とを同じ割合で同じポイン
トを与えたなら別の意味で混乱し無茶苦茶になりかねな
い。

また最近、政界再編論が出ている。その主な論拠は民主
党にも政治的に右から左の考え方があり、自民党にも右
から左の考え方の持ち主がいると。だから右は右で集ま
り左は左の者同士が集まり直して右政党と左政党という
明確な国家観に基づいた政界の姿に改めるべきだという
ものである。保守政党とリベラル政党とに分け直すべき
だという論調であるが私はこれは現実逃避に過ぎないと
思う。今が苦しいから「こうあるべき姿」に夢想して輝い
て見えるのだろうが、仮に政界再編を行ったとしてもそ
こから必ず壁にぶち当たるだろう。世の中は右なのか左
なのかという尺度だけでは対応できるほど単純ではなく、
物事は複雑多岐に混在している。仮に政界再編をしても
今度は右の集団の中で抗争が生じ、左の集団は左の論理
の中で対立や確執が発生することは間違いない。
人類史の軌跡の中で古今東西、右なのか左なのかという
定義で物事が問題なく治まった時代はない。

いずれにしても時計の針と共にありたい。

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行政と法律と現実と

2010-08-25 11:24:46 | インポート
 東京都内での高齢者孤独死が発端となって、所在が確
認できない100歳以上の方の実態が問題となった。
 東大阪市も住民票の住所が工場跡地であったり、住所
地が判別しない事例が判明するなど行政の仕組みの問題
点を痛感している。
 行政は同じような仕組みであるから、全国津々浦々の
自治体の実態を調査すれば、同じような実態が山ほど露
見する可能性は高い。
 90歳以上、80歳以上と対象年齢を下げれば同じよ
うな実態が全国で多数露見するだろう。

 行政の申請主義というものが現実や実態と書類上の姿
との乖離を生じている。住民から申請や届けがない限り
例えば死亡届が出されない限り住民票は削除されないし、
また担当者の話によれば住民票と実際とを照合するよう
な作業をしていないから住民票と現実との違いを意識す
ることすら生じないわけである。
 誰かから申請されて初めてその該当者だけの部分に手
を加える、決して自ら全体を調査しようとはしない地方
公共団体の在り方はいかがなものだろうか。
 法律に書いていない動きは決して取らない行政という
ものの限界を垣間見る思いである。

 疑問を感じることがある。4年に1度の割合で国勢調
査をしているが、その際に判明したデーターは自治体に
活かされないのだろうか。また各自治体に選挙管理委員
会がある。選挙の度に投票用紙が選挙人名簿に基づいて
各世帯に送付されるが必ず宛先人不明で戻ってくる投票
用紙がある筈で、その実態が住民票を所管している部署
に情報連絡、連携がされていないのか。だとすればまさ
に行政のセクト主義、縦割りの弊害、つまり各部署での
情報が全体として共有、連携されない姿に問題がある。

 今度は戸籍上は149歳の方が戸籍上は生存したまま
の状態にある事が東大阪市で発覚した。120歳以上の
方が戸籍上は228人生存していることになっていた。
 いずれも年金、健康保険の実態がなくまた住民基本台
帳にも登録はなく、戸籍のうえでの生存である。
 住民票は市の権限で抹消できるが戸籍は法務省の許可
がいる。市は戸籍の抹消は義務ではないから行ってこな
かったと言い、法務省は各自治体の実態は調査していな
いから分からないと言う。
 まさに行政の不作為、未着手の領域がここに露見して
いるのであり、従って現場や現実と書類上の乖離が生じ
る筈である。 

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熊本市の教育行政について視察

2010-08-21 20:17:06 | インポート
東大阪市議会の文教委員会による行政視察の2日目は熊
本市の教育について行った。

熊本市議会議会事務局が挨拶した後、私は東大阪市文教
委員会委員長として視察受け入れに対するお礼の挨拶を
行い、視察内容に関する説明が始まった。

少人数授業の取り組みについて熊本市も平成13年度か
ら計画を立て、様々なプログラムが試みられてきた。平
成18年度には小学校3年生に35人学級を導入してい
る。また少人数授業の特性を生かした「わかるよろこび
を目指す学習モデル」と「学ぶ楽しさを目指す学習モデル」
とが行われているとのことである。
適性な学級クラスの人数の是非について東大阪市でも色
々な意見があり議論も行ってきた。より適切な学級運営
や生徒の学習環境のあり方を思えば、担任がじっくり指
導とフォローができる事がその趣旨の本質だろう。実際
に小学校で担任をしていた方の話を聞くと個人的には25
人が最適だと述べていた。それ以上に増えると38人の
学級を担任していたその方は、提出物や学習ノートのチ
ェック等で生徒をじっくり見る事が難しくなると述べて
いた事を思い出す。

また熊本市の小中学校一貫教育は小学校と中学校の計9
年間を連続した1つのものとして捉え、従来の6・3制
を4・3・2制にしたり熊本市独自の教科や科目を設け
るなど個人の特性に応じた学力向上、生活面指導や心の
育成面などを行うものとのことである。昨日に訪れた小
さなコミュニティーである産山村での小中学校一貫教育
の趣旨と小学校児童数450人、中学校生徒数196人
の校区とでは意味合いが異なり、その対比がまた面白い。

小中学校一貫教育の取り組みとして英語教育がある。前
期を小学1年生から4年生まで、中期を小学校5年生か
ら中学校1年生まで、後期を中学校2年生から3年生ま
でとして理解力を高める指導が行われているとのことで
ある。
英語教育は有意義だが同時に日本語能力、物事に対する
自己の意見を持つ事やその発表力、そして国際的な環境
で日本の事を語れるだけの日本に関する様々な認識を深
める取り組みも大切で力を入れて欲しい旨を私は述べた。

産山村では2学期制を採用していたが熊本市では従来の
3学期制であり、担当者は2学期制には賛成しないと述
べた。
東大阪市文教委員会もより良い教育のあり方について更
に議論を行いたい。

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小さな村の小中学校一貫教育

2010-08-20 01:45:31 | インポート
東大阪市議会の文教委員会で2日間の日程で熊本県に小
中学校一貫教育の視察に出た。
本日は阿蘇外輪と九重連山の山麓に拓けた台地にある産
山村の小中学校を訪れた。産山村教育長の挨拶の後、私
は東大阪市の文教委員会委員長として謝辞を述べ視察は
始まった。

視察はともすれば都市部や都市規模の大きな自治体に出
向きがちだが、今回のように人口が1633人の小さな
コミュニティー、地域への視察も案外と都市部には無い
特徴や知恵を絞っている懸命な姿勢と姿、そこの土地な
らではの風土等を見れて良いものになる場合もある。
今回の産山村での小中学校一貫教育の姿はこの小さな地
域共同体がいかにして限られた財源と地域資源を活かし
ながら村の子供達を育むかという事に対する必死さがよ
く伝わってきた。

どこか懐かしい、古き良きアンソロジーを感じる学校だ
った。外観は鉄筋造りだが内装は落ち着いた感覚のする
木目調で、まるで木造校舎の中にいるかのような、時折
木の香りのする校舎で私は久しぶりに理想的な校舎を見
た思いである。きっと子供達の情緒面と情操面に良い作
用と影響を及ぼしているだろう。子供の頃は可能なら情
緒豊かな田舎の学校で過ごす事が理想のように思われる。

産山村の小中学校とが1つになった学校は学校運営協議
会を設けて、産山村教育委員会と校長の権限と責任のも
とで保護者や地域住民代表、学識経験者で構成されて学
校運営の改善を図っており、民主党政権の唱えている政
策の姿に限りなく近い。

この村に誇りを持ち将来の自己のあり方を考えていくプ
ログラムである産山学が特徴があり、中学2年生でこの
村の産業を職場体験を通じて学ぶ取り組みが行われてい
る。また田植えや茶摘みの体験をさせたり、小中学校合
同での体育祭が行われる様も印象的であった。
この産山村は熊本県では最初に2学期制を導入しており、
同じように2学期制を採っている東大阪市ではその是非
が議会や委員会で問われている事から産山村での意見を
聞くと2学期制に対する反対の意見は現時点では地域や
保護者からは出ていないとの事だった。

本日は天候も良く移動の合間に見るマイクロバスからの
車窓の風景は壮大な阿蘇山麓の風景とどこまでもひろが
り夏風になびく夏草とが織りなす豊穣な大地の恵みだった。

小さな村への視察も良い発見がありいいものだ。

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65回目の終戦の夏

2010-08-16 00:35:56 | インポート
見上げる空の色は今もあの当時も同じであったろう。
65年目の終戦記念日の夏、私は呉の港を散策した。強
い陽射しが今と同じように突き刺さる中、当時の人々は
終戦を迎えた。

呉は当時、日本海軍屈指の軍港で呉海軍工廠があり呉鎮
守府が設けられていたため、連合軍から戦争末期に14
度に及ぶ空襲を受け、多数の市民が犠牲になり呉の街も
壊滅的な被害を受けている。
かつての呉海軍工廠は今は石川島播磨重工業に技術等が
引き継がれて、造船の鎚音を響かせ港には巨大なタンカ
ーが停泊している。また海上自衛隊があるため呉湾には
潜水艦や護衛艦が停泊している。

戦艦大和はこの呉で極秘のうちに製造され、沖縄に自爆
に向かう沖縄特攻の最中、米軍の集中爆撃を浴び鹿児島
南西の沖に爆沈したが、その大和に関する資料等を展示
している大和ミュージアムに入った。当時の22歳23
歳辺りの若い乗組員がこの沖縄特攻で多数散っていく、
その為の家族への別れの手紙や遺書等が多数展示されて
あったが痛々しく、また胸を打つ。

彼らは何を守ろうとしたのか。多くの若い命が南西の海
に散っていった。追い詰められた戦時下に撃たなければ
撃たれる、そういう戦場に父母への想いを秘めて出撃し
ていく、その胸の叫びは言語に尽くし難いだろう。
まさに今日の平和な日常は当時の多くの老若男女の命の
盾の上に成立している事を自覚しないではいられなかった。

当時の人々が命に代えてまで守ろうとした国や未来は、
まさに今の世の中なのである。今この時代を生きている
私達の日常を見て、また度重なる児童虐待や突発的な殺
人事件、飽食の果てに大量に破棄される食料品の実態や
学級崩壊の様や崩れゆく教育現場などの姿をもし当時に
この国を守ろうとただやむにやまれず散っていった人々
が未来の中に見たとすれば何と嘆くだろうか。「こんな
未来を私達は託した筈ではない!」という魂の叫びが轟
いてくるようだ。

戦争は何もかもをも巻き込んでいき、総てを奪い去って
いく。当時の人々から見た未来に生きる私達は戦争をい
かに回避するかという事に知恵を使わなければならない
と同時に、当時散っていった人々が守ろうとした日本が
平和の中で堕落したという姿にならないように真摯にな
らなければならない。

終戦の日に胸が痛かった。

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