木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

学校現場への減点主義というシステムがいじめ問題の解決を阻む

2015-07-28 20:47:07 | インポート
 過日、岩手県内の中学生生徒がいじめを苦に自殺するという
痛ましい悲劇があった。
 時に生徒が生きる意欲を失い自ら命を絶って初めていじめ問題
が問題として認識され取り上げられる。いじめ問題の根深さを感じる。
 いじめは各地の学校内でも学校の先生同士の間でも、企業でも、
親会社と子会社の間でも存在する。
 いじめは人間関係がそこにある限り必ず発生するが、少なくとも
子供達のいじめについては、学校内のいじめについてそれを苦に
している生徒の苦しみを解決してあげる事は学校が本気になって
取り組めば、また学校の先生達が真剣に取り組めば解決できる対
象であろう。
 生徒がいじめを苦にして自ら命を絶つという悲劇だけは何としても
救ってあげなければならない。
 未来のある子供達なのだから。

 私が東大阪市議会で文教委員会(市の教育や文化対策の分野を
扱う委員会)で委員長をしていた当時、匿名である意見を頂いた。
 それは学校内でいじめを発見して報告すれば、その学級を担任
している教師が指導力不足だからいじめが存在すると見なされて
評価が減点されるためにいじめの存在を報告できない、という苦悩
に満ちた報告だった。
 更に学校単位としても、どこそこの小学校や中学校でこのような
いじめが存在する、いじめが問題になっていると教育委員会に報告
したならば、その校長が指導力不足や教職員への指導が欠如して
いるためにいじめが存在すると見なされて評価が減点されるという
内容だった。
 私は思わず、
「何という愚かな減点主義だ。」
と声をあげて当時、実態の把握に努めた。
 学校現場にはびこる減点主義がいじめを解決しにくくしている。
 生徒のいじめ問題に真剣に取り組んだ教師が、
「君の担任のクラスにはいじめがあるそうだね。君に指導力が足りな
いからいじめが発生するのだ。君は駄目だ。」
と評価が減点されるならば教師がいじめの存在に気付いても見て見
ぬふりをしたり解決に取り組む事を避けるようになる危険性がある。
 また校長も自分が担当している学校において、いじめが問題になっ
ていると取り組んだら、
「君の担当している学校にはいじめがあるそうだね。君の教職員に
対する指導力が足りない、管理不行き届きだからいじめが発生する
のだ。君は駄目だ。」
と校長の評価が減点されるならば校長も定年退職までの数年間を
大過なく波風立てず無難に過ごそうとして、いじめ問題の解決に取り
組まなくなる危険性がある。

 時々、保護者から私に寄せられた
「いじめを先生に相談しても先生が取り組もうとしてくれない。先生が
本気になってくれない。」
という悩みや苦言も学校現場や教職員を巡る学校教育の評価システ
ムにはびこる減点主義に原因があるように見える。
 私が東大阪市議会の文教委員会で委員長をしていた時、当時の教
育委員会の教育長とこの件について「愚かな減点主義を見直すよう」
議論した事があった。

 いじめを解決しようと取り組んだ教師こそ評価されるべきである。
 世間一般の感覚からすれば自然にそのような認識になる。
 しかし現在の学校現場では、いじめが問題になって「いじめが存在す
る」と認めた時点でその担任の教師は指導力不足という烙印を押され
て評価が減点される。逆である。いじめが現実に発生しているのだから
教師は解決に向けて取り組まなければならない。
 この減点主義というシステムがいじめを解決できない実態を生じてい
ると言えよう。
 校長も同じであり、自分が赴任している学校に「いじめが存在する」と
認めた時点からその学校の評価自体が減点されてしまう。その校長は
指導力不足、管理不行き届きという烙印を押されて評価が減点されて
しまうのである。
 この減点主義の中では教師や校長が呪縛されてしまい、いじめの相
談が保護者や生徒から寄せられても教師個人で抱え込んでしまい教師
個人が対処して済まそうとするようになる。
 報告書の書類上では「我がクラスには何ら問題はありません。いじめ
は全く存在しません。」と処理される。
 教師個人での対処でうまく解決出来るいじめもあれば、根が深く、また
事態が悪化して教師個人では対処できない事例もあるだろう。それでも
問題の存在を報告したならその教師が指導力不足という烙印を押されて
評価が減点されてしまうシステムならば、教師は上に報告しないで自分で
抱えたままになるか、書類上ではいじめが存在しないと取り繕うか、解決
しようとしないで見過ごすかになっていくだろう。
 生徒が数名に囲まれて殴る蹴るの行為をしばしば受けている事例が
自分の担任のクラスで生じているとしよう。殴る蹴るの行為を受けている
生徒もじっと毎日耐えて特に担任の先生にも相談しないで我慢を重ねて
いるとしよう。このような事例は山ほど存在するだろう。
 ある日、見かねた他の生徒や他のクラスの生徒から担任の先生に報告
があって先生はその殴る蹴るを繰り返している現場を目撃したとする。
 教師は止めに入るだろう。
 大抵の教師は殴る蹴るの行為を毎回のように重ねている生徒達を叱る
だろう。
 しかし報告書ではその問題の存在を報告しない。
 報告すれば自分が指導力不足として減点されるからだ。
 そうして後日、毎回のように殴る蹴るの行為を受けていた生徒の顔にい
かにも殴られたようなアザが出来て口も腫れていたために、それを見たそ
の教師の上司の先生から問い合わせがありいじめがあるのかと詰問され
たとする。
 その教師は
「生徒同士でじゃれ合っているうちに、つい力が入って手が当たったところ
打ち所が悪くてアザができたようです。」
と報告書の書類上ではいじめではないように取り繕う危険性が生じてしまう
だろう。
 評価のシステムが減点主義ならば、教師も人間である以上そのような危険
性が生じてしまう。

 時折、生徒がいじめを苦に自殺するという最悪の展開を迎えて初めて
いじめの存在があったと後から学校側が認めるような事例が少なくない。
 問題が現在進行形の段階の時に学校側が適切な対処をしていれば最
悪の悲劇には至らなかったと思われるが、しかし教師だけを責める事は
酷でもある。
 学校教育の評価システムにはびこる減点主義を改めない限り、同じよう
な悲劇が随所で繰り返されるだけであろう。
 石頭のように硬くなった固定観念を打破するべきである。
 つまり教師が指導力不足だからクラスでいじめが存在するのではなく、
現実に存在するいじめを教師は解決するべく取り組まなければならない
という世間一般の自然な理性に学校現場も改めなければならない。
 いじめが存在する学校は駄目な学校として評価を減点するのではなく、
現実にその学校でいじめ問題が存在するならば学校を挙げてこれに取り
組み解決しなければならない。
 当たり前の事のように思える。
 しかし今までの長い年月に渡って学校教育の現場やそれを取り巻くシス
テムが、この当たり前の感覚からかけ離れているために、いじめ問題の取
り組みや解決に逆に支障が生じていたものと思われてならない。
 まず不毛な減点主義を改めていくべきであろう。
 そうでなければ意欲ある教師が教育現場から去っていくか、情熱を失って
しまいかねない。
 教師に長期休職者が多いのはシステムに問題があるからではなかろうか。

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この行動の先には何があるかを感じる感覚が大切

2015-07-23 21:09:31 | インポート
 私は一人の日本国民として安倍首相のおっしゃる以下の
言葉の内容を理解できないでいる。
「安全保障法制、平和安全法制について、日本を取り巻く
安全保障環境が厳しさを増す中で、日本国民の命を守り戦争
を未然に防ぐために絶対に必要な法案です。」
 何度も上記のこの言葉以上の内容が安倍首相の言葉として
は出てこない中、では、この法制がなぜ戦争を未然に防ぐこ
とになるのか、首相の言葉として説明がないために私は理解
できないでいる。

 多くの推進学者も必要だから必要だ、という以上の説明が
見られないし、7月21日付の読売新聞朝刊では東京大学客
員研究員が「中国と衝突を想定して議論を」と論理を展開し
ており、まるで中国との武力衝突を前提にしたロジックと他
人に与えられたような論理の展開に違和感を感じた。
 私は一人の日本国民として、このまま行けば(アメリカか
らの命令通りに)、戦争を未然に防ぐ事になるのではなく待
ってましたとばかりに日本が巻き込まれる、日本本土が軍事
攻撃や核兵器攻撃を受けて一瞬で数百万人から数千万人が殺
戮されて国家機能を失い、その混乱に乗じてシナリオ通りに
我が国を委任統治領にしてしまおうという展開になる懸念を
禁じ得ない。
 なぜ安倍首相は焦っておられるのだろうか。
 アメリカは何故、我が国に自衛隊の軍事力の海外展開を性
急に迫るのだろうか。
 確かに安全保障法案には「戦争をするため」とか「徴兵制
を導入する」とは書かれてはいない。しかしこの法制に則り
自衛隊が海外で軍事行動を展開したならばどのような展開に
されるか、どのように巻き込まれるかという想像力や洞察力
が今の我が国の識者や学者、政治家には足りないのではある
まいか。
 純粋に法制の文言のみから形式値だけの判断しかできない
識者や学者が多く、囮に使われる場合や巻き込まれる、一蓮
托生にされる、当てつけにされる、嵌められるといった視野
が暗黙知から導き出されるような真の参謀や軍師、知将が今
の我が国にはいないのだろうか。

 我が国は世界最古の皇室を擁し、他のどの国よりも長い歴
史を刻み、高い文化水準と経済力、生産性が勤勉な国民により
維持されている。
 この我が国の姿を疎ましく、虎視眈々と破壊する機会を伺っ
ている意思の存在に気付かないのであろうか。我が国をいかに
も正当性を帯びた中で破壊し堂々と我が国から富だけを略奪し
たいと虎視眈々と我が国を見つめているその視線に何故、気付
かないのだろうか。
 7月21日付の読売新聞朝刊における東京大学客員研究員の
三浦瑠麗氏は、
「アメリカから南シナ海で警戒監視活動を共同で行うよう依頼
された時、日本は関係ない紛争だと断れるか。新たな台湾海峡
危機が起きた場合、どう関わるかといった点だ。」
と述べているが、一方では三浦瑠麗氏は、
「正しくない自衛隊の派遣は後方支援であってもすべきではな
いし、平和に資すると思える派遣ならば日本は応分の負担をす
べきということだ。」
と述べており、自己矛盾しているように見える。
 アメリカから南シナ海で警戒監視活動を共同で行うよう依頼
され、それを受諾して行う事は「正しい自衛隊の派遣」になる
だろうか。
 これこそまさに中国を刺激し下手をすれば軍事衝突になりか
ねず、更に下手をすればジョセフナイ氏が論文で述べていたよ
うに「途中からアメリカ軍は手を引き、日本と中国との戦争に
持ち込む」というマッチポンプの事態になりはしないだろうか。

 戦争を未然に防ぐどころか戦争に巻き込まれる事になる。
 思えば第一次世界大戦に我が国が参戦したのは、今日で言う
ところの集団的自衛権の行使であった。当時は我が国は戦勝国
のグループに名を連ねたが以降は一度展開した軍事行動を抜け
出せず次第にイギリス、アメリカに睨まれるようになり敵視さ
れ当時の中国大陸で欧米との代理戦争になった。
 その代理戦争の途中から我が国を敵視した欧米による締め付
けと制裁が苛烈を極め大東亜戦争に発展し欧米と正面衝突した。
 今もしきりに中国の脅威が煽られ、下手をすれば中国との軍事
衝突そして日中戦争へと誘導され、その先には欧米による敵視行
動が待ち受け、いつの間にか第三次世界大戦に巻き込まれ我が国
本土が攻撃を受けている、という展開になってしまう危険性を嗅
ぎ取っている。
 今の時点では安全保障法制に反対をしている若者や人々を批判
するような風潮があるが数年後には真反対の情勢になって、
「あの法制に賛成した政治家や識者は誰だ!」
と灰燼に帰した国土の中で怨嗟の声が我が国に満ちていない事を
祈るばかりである。

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五百旗頭真氏のインタビュー記事への疑問と意見

2015-07-19 18:36:50 | インポート
 本日の読売新聞朝刊に安全保障法案についての五百旗頭真氏
へのインタビュー記事が掲載されていたが、一人の国民として疑問
や意見を申し上げたい。
 見出しに「集団的自衛権 日本守る」とあるが私は逆に集団的自
衛権の行使が日本に甚大な被害や滅亡に至る事につながると見
て今が極めて重大な局面である認識にある。
 以下、五百旗頭真氏のインタビュー記事について述べる。

*国際安全保障に日本がどう関与し、責任を担うかという問題の
 議論が少なかった。
(私の疑問)
 その通りだが、日本は既に世界2位の国連負担金をしかも滞納
無しで担っており大きな責任を果たしているのではないか。
 軍事以外での貢献と責任が日本の道であろう。

*戦前も日本は大日本帝国憲法を「不磨の大典」として1度も変え
 なかった。政治が軍部をコントロールできない憲法を抱いて日本
 は滅んだ。変えていたら戦争につぐ戦争にのめり込まずにすんだ
 ろう。
(私の疑問と意見)
 当時の明治憲法が改正されていなかった事と我が国が日清戦争
から大東亜戦争に至るまでの軌跡は関係ない。明治憲法を改正し
ていたとしても我が国に迫り来る世界環境の中で戦争になっていた。
 日清戦争は朝鮮の帰属を巡り清と戦い、我が国は朝鮮を独立させ
た。日露戦争はロシアの南下が我が国に迫り自衛のために戦い、
第一次世界大戦は迫り来る世界情勢の中に巻き込まれて参加した。
これは今日で言う集団的自衛権の行使であった。
 大東亜戦争はイギリス、アメリカが経済力をつけた我が国を敵視し
あらゆる制裁や締め付けを行い、アメリカにいる日本人の資産を没
収し、これにより日本国内で反米感情が湧き起こり、更には日本の
船舶が無条件でアメリカにより撃沈されるようになったために開戦
に至ったものである。
(私の疑問)
 また、今も戦争に巻き込まれれば政治が軍部(現場)をコントロール
できなくなる可能性が極めて高いだろう。
 平時においては機能する法律や統治機構も戦争状態に巻き込まれ
れば現場での不測の事態に応じる現場がやがては自ずと展開するよ
うになり政治がコントロールできなくなるのは歴史の常である。

*法制度に手をつけると「また日本が侵略戦争をする」と言う人がいる。
(私の意見)
 その通りだが、今は逆に何とかして日本を「攻撃したい」、日本を「占領
したい」「破壊したい」と虎視眈々と狙っている大きな意思があり、日本が
侵略戦争を行う可能性は皆無の中で今は日本が侵略されないために、
またそのための大義名分を与えないためにこそ集団的自衛権を行使して
はならない。

*中国は日本の領土である尖閣諸島を奪い取ろうと行動を起こし、南シナ
 海では実効支配を進める。それをどう抑制するかが今問われている。
 「私は戦争はしない」では答えにならない。中国を自制させる方途を見出
 さなければ平和は保てない。
(私の疑問と意見)
 尖閣諸島に度々上陸を試みてきたのは、アメリカに本部のある香港や台
湾、中国の活動団体である。緊張を煽るためにアメリカが背後で糸を引い
ているのが現実ではないか。
 中国と戦争状態になればアメリカの思う壺であるために乗じない事が肝要
である。
 また中国を自制させる方途を見出す事も必要だが、例えば中国が平和を
脅かす行動を取る場合には我が国からのODAを廃止する等の対処をすれ
ば良い。

*日米同盟を強固にし、「日米不可分」を中国にも分からせる。加えて国際
 社会に様々な友好国を持つことが大切だ。
(私の意見)
 我が国が様々な友好国を持つ事を絶対に許さないのがアメリカではなか
ろうか。

*日米の協力体制の表れが集団的自衛権を部分的に日本も行使できるよ
 うにすることだ。この地域で米国の艦艇などに何かあったら見殺しにせず
 日本も一緒に守ることが重要だ。自衛隊が見て見ぬ振りをした途端、米国
 世論の中で日米同盟は終わる。
(私の疑問と意見)
 1950年の朝鮮戦争勃発の時はアメリカが朝鮮半島で戦争を行ったが我が
国は全く戦争行為に加担していない。アメリカ軍と軍事行動を共にしていない。
この事実は事実として認識するべきだ。
 我が国は是々非々で事を判断し日本国民と国土の安全を守るべきである。


 以上、一人の国民として五百旗頭真氏のインタビュー記事への疑問と意見
を申し上げた。
 今の時代の本質は、我が国が侵略されないために、我が国に核兵器を炸
裂させないために集団的自衛権を行使してはならないという事である。
 お分かり頂けるであろうか。
 虎視眈々と我が国の破壊と占領、攻撃を狙っている大きな意思からすれば
我が国が集団的自衛権を行使すれば日本も軍事行動や敵対行動を行った
として我が国本土に核兵器攻撃や軍事攻撃を行う絶好の大義名分や口実を
与えてしまう事になるのである。
 この本質がお分かり頂けないようであれば、我が国は甚大な被害を被るか
滅亡してしまうであろう。
 一歩間違えれば第三次世界大戦に巻き込まれ、我が国本土が攻撃対象に
されているからである。

 また前回のこの欄でも述べたように、仕掛け人の目論見通りに集団的自衛
権の行使により我が国を巻きこませ、日中戦争にでもさせられてしまったなら
中国に進出している日本企業は全て資産を没収されるだろう。
 それにより日本も中国も経済が大打撃を受ける。
 1941年にアメリカがまだ戦争になる前の段階からアメリカ国内の日本人の
資産を全て没収した事も歴史の事実である。
 更には最悪の場合、当時のアメリカがアメリカ国内の日本人を強制収容所
に送り込んだように、中国にいる日本人が強制収容所へ送られるだろう。
 戦争状態にさせられれば自衛隊と人民解放軍との戦闘行為だけに終始せ
ず、あらゆる立場の全ての人々が当事者にさせられて巻き込まれてしまう。
 それが戦争というものである。
 従って、我が国が巻き込まれて相手やアメリカの敵対国、存在に日本本土
攻撃の大義名分を与えたり我が国が戦争に巻き込まれる事のないように集
団的自衛権は絶対に行使してはならないのである。

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シナリオに逆らえない日本の政治家

2015-07-16 22:18:18 | インポート
 アメリカのクリントン政権時代に当時のジョセフナイ国防次官補
が「対日超党派報告書」という論文を発表し、その中で以下のよう
に述べている。
「日本海にはサウジアラビアを凌駕する石油が眠っており、アメリ
カはそれを手に入れるために日中戦争を起こさせる必要がある。
日本の自衛隊を戦闘に参加させ、途中から米軍は手を引いて両
国だけの戦争に誘導する。そのための前提条件として、自衛隊が
海外で軍事活動ができるような状況をつくっておく必要がある。」

 20年程前のアメリカの考え方の中にある日中戦争を引き起こす
ために自衛隊を海外で軍事活動できるようにしておく、という視野
がまさに今、実行されようとしている集団的自衛権を行使させるた
めの安全保障法案の国会における強行可決である。
 いかにして日本の自衛隊を海外に軍事展開させ、戦争に巻き込
ませるかという思惑は長期間に渡って醸成されてきたと言える。
 上記の論文では日本海に眠る石油を獲得するためとされている
が、20年が経過した現在は他にも様々な思惑が加味されている
ことであろう。

 予め予想された通りに昨日の特別委員会での強行可決に続き
衆議院本会議でも安全保障法案が強行可決された。
 野球は筋書きのないドラマであるが政治は筋書きのあるドラマ
である。
 筋書きを作成している作者がいて、その台本を役者である政治
家に命じる。多少のアドリブは許されたり認められても台本から逸
れる事を発言したり行ったりすれば作者やメガホンを持った監督か
らこっぴどく叱られる。
 演劇やテレビドラマ、映画と本質は全く同じである。
 俳優や女優がドラマの撮影において台本と全く違う台詞を話せば
カットされる。演劇の舞台で編集がきかない状況で役者が台本と全
く違う台詞や芝居をしたなら、場合によっては突然、幕や緞帳が降り
てきて中断になる。
 政治も極めて本質は同じである。
 台本が決められていて、それを政治家が演じているだけに過ぎな
いのが悲しいかな、今の我が国の現実である。
 もっとも、政治家と言ってもシナリオや台本を与えられ命じられる
のは各党幹部以上の政治家で、それ以外の政治家や自称政治家
には台本やシナリオの存在すら知らされない。
 従ってアベノミクスも今の首相が安倍首相ではなかったとしても、
例えば山田首相だったとしても行われていたのであり、その場合は
ヤマダノミクスと呼称されていただけのことである。
 安全保障法案についてもとにかく可決するようにという強固な命令
とそれを命じたシナリオがあり、政治家はそれに沿って「進行」するに
過ぎない。
 余程のシナリオ変更がない限り、安全保障法案は国会で可決され
てしまうだろう。

 しかしそれが我が国の悲劇の始まりとなる。
 決まりきった台本やシナリオをこの国会で見せ付けられてしまうの
か、それとも奇跡が生じるのか。
 悪夢のような台本ならば停止もしくは変更があって欲しい。
 安全保障法案が成立すれば、アメリカに誘われてアメリカの代わり
に日本の自衛隊が中東に行くように命令され、それに従えばとんでも
ない事態に発展する危険性が高い。
 何とかして日本を争乱に巻き込みたいという大きな目的が感じられる。
 今までの時代は日本を巻き込みたくても、また日本本土を攻撃したくて
もその口実がないために攻撃できないできた。口実がない、大義名分が
ない中でもしも日本本土を軍事攻撃したならば、あからさまに全世界に
対して攻撃した国や勢力はその非道さや残虐さを露見させてしまう。
 しかし集団的自衛権の行使を自衛隊が行ったなら、もはやそれは軍事
行動であり、虎視眈々と日本を攻撃したいと待ち望んでいた国や勢力か
らすれば垂涎の的、待ち望んだ大義名分を得ることになる。
 また今まではアメリカやイギリスが標的にされていたイスラムからの敵意
を日本にも向けさせたいという思惑をも感じる。
 いくら日本にその意思は無くても軍事行動(ただそこにいるだけででも軍
事行動に見なされる)により巻き込まれて結果として今は親日のイスラム
を敵に回してしまう事にでもなれば取り返しのつかない事態になる。
 更には上記に述べたように、我が国と中国とを故意に軍事衝突させたい
という思惑もあり集団的自衛権を自衛隊が行使する事がいかに願ったり
叶ったりの状態になるか、いかに飛んで火にいる夏の虫になるかが懸念
されてならない。
 シナリオよ止まれ、と願っている。

 多数の国民が反対、理解できないとされている中での安全保障法案の
衆議院でのシナリオ通りの強行可決が行われたことについて、安倍内閣
の支持率も通常ならばこれで大きく下落するだろう。
 しかしこのシナリオを何が何でも実行させたいという強固な意思がある
ために、あらゆる既存メディアを通じて安倍内閣の支持率は高い、又は
横這いというように「偽装」されるだろう。
 日本国民の知性と理性が試されている。
 少し別の視点で述べてみたい。
 今が安倍首相でなく山田首相や田中首相だったとしても、今同じように
安全保障法案が国会で可決されようとしているだろう。
 安倍首相も特別委員会の中で、
「安全保障法案に国民の充分な理解は得られていない。」
と答弁していた。
 ならば何故、強行可決するのか、と怒るのが普通であろう。
 安倍首相も可能な範囲で精一杯のメッセージを発しているのである。
 つまり自分でもどうにもならないのだ、というメッセージを遠回しに発して
いるように見える。
 一人の日本国民という立場から申せば、今の首相は傀儡である。
 誰が首相であっても同じシナリオが与えられ、国会は同じ展開を広げて
いるであろう。
 一人の日本国民として国体という視野で申せば、国体というのは国民
体育大会の事ではなく、我が国の姿形という意味だが、国体においては
内閣総理大臣は天皇陛下の執権である。
 陛下の執権である内閣総理大臣が今や傀儡にされているという姿が
今回ほど如実に晒されている局面はない。

 思えば安倍首相がアメリカ議会で演説をしたが、いや、させられたという
表現が適切かも知れないが、何かの大きな譲歩や約束、提供があったとい
う裏返しであろう。
 何かの大きな譲歩なくして日本の首相がアメリカ議会で大演説をさせて
もらえる筈がない。
 その内容の1つが今の安全保障法案と集団的自衛権の行使と言える。
 この法案が衆議院で可決され、仮に参議院では否決されたとしても再度
衆議院に戻されて可決され成立し、施行されたなら201X年辺りに東京や
大阪がいつもの日常の時間の中で突然ピカッと閃光に包まれて瞬時にし
て数百万人が消えていた、という光景が生じる危険性が高くなる。
 核兵器や中性子爆弾、更には異次元の兵器が我が国に炸裂するという
事である。
 事態の深刻さが分かるだろうか。
 安全保障法案が施行され集団的自衛権を自衛隊が行使したなら、その
結果何が生じ、そしてどのような事態が生じるかという想像力が大切であ
る。
 今は本当に国民の危機である。

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人口減は果たして自然現象だろうか

2015-07-13 20:54:52 | インポート
 人口減少が年間27万人となり過去最多となった。
 このまま推移すればいずれ我が国の人口は5000万人程
になり、あらゆる物事が縮小し支障をきたすと警鐘が鳴らさ
れている。
 晩婚化やライフスタイルの変化、若者の貧困化や若者の経
済力の弱体化や生活の不安定化等と色々と原因が指摘されて
いるが、よく考えると経済的に極めて厳しい国々では人口減
少どころか逆に「人口爆発」という問題が生じる程に子供が
多数生まれている。

 経済的に厳しいことや貧困が人口減を生じているとは言え
ない証である。
 経済的には発展を遂げてきた我が国が何故、人口減に拍車
がかかっているのだろうか。
 このまま人口減が推移すれば、あらゆるコミュニティーが
瓦解し生活圏が成立しなくなり国力も低下していくために決
して人口減は好ましい現象ではない。
 昔に比べて大きく変化したのが男女の不妊の激増である。
 不妊の激増は男女共に進行している。
 男性については、今の若い男性の精子は50年前の若者の
男性の精子の3分の1以下になっていると発表もされている。
 これでは自然に妊娠ができない。
 また女性も妊娠しにくい状態になっている事例が激増して
いる。
 男女共に不妊が激増している現象は何が原因だろうか。
 ストレス過多社会と言われるが、それだけではここまで男女
の不妊が激増しない。
 ライフスタイルの変化が指摘されているが、それだけではこ
こまで男女の不妊が激増しない。

 各方面で検証されているのが、食品添加物や化学物質、ワク
チンの成分、水道水に含まれる幾つかの物質、あらゆる電波や
電磁波が男性の精子を激減させ、女性の身体を妊娠しにくい体
質に蝕んでいるというのである。
 この検証を見ると、まるで日本の国力を削ぐために、また日
本を衰退させるために少子化ひいては人口減が仕掛けられてい
るとしか見えない。
 食品を販売するには、ありとあらゆる食品添加物を「混入し
なければ」店頭で販売できない今の食品衛生法も不自然である。
 意図的にすら見えてしまう。
 本来、人間の身体には天然の食材が良いに決まっているのだ
が今の法律によって敢えて身体に良くない状態にして販売して
いるのだから意図的だと見られても自然であろう。
 ある食品会社の社長が、食品添加物の危険性を訴え、食品添
加物まみれにされている現在の食卓事情や業界の現状を憂いて
いた。そして自分の夢は食品添加物にまみれない食材を提供す
る事とそのための生産拠点を確保するために農業にも着手した
いと会社の将来ビジョンを語っていた。
 業界のタブーを語るこの社長は信用できると感じた。
 また他の場所では、食品添加物の危険性をほんの少しだけ仄
めかしただけで、ある食品会社の社長は激しく怒り狂った。
 前者と後者の違いが分かるだろうか。
 利益の拡大のためには身体に有害な成分を混入させてでも社
業に邁進する、若しくは故意に人体に有害だと知りながらその
成分や添加物を大量使用する事で利益拡大を供与されている、
或いは立場を与えられているというような経済人が悲しいかな
現実に存在しているように見える。
 真剣に良い食材を探求している経済人も同時にいるが、同じ
ように利益拡大のために化学調味料や添加物を大量に使用する
経済人が混在しており、その事が巡り巡って我が国の人口減に
拍車をかけているように懸念されてならない。

 そう言えば農家の人々は市場に出す作物とは別に自分達だけ
で食べる作物を分けて生産している。
 そして自分達だけで食べる作物には決して農薬を使用しない。
 更には皮肉な話だが、ある食品会社の幹部は自分の子供や妻
には決して自社商品を食べさせないと告白していた。
 何をか言わんや、推して知るべしである。
 昔の野菜や果物は今よりも味も濃く美味しかったように思える。
 いつしか野菜や果物も味が薄くなり、形だけは農薬などで綺麗
な姿になっているが栄養価は昔の野菜や果物に比べれば遥かに低
く、虚しさを感じる。
 便利になったと喜び、店頭に並ぶ食材に虫食いが無くなり綺麗
になったと視覚では喜んでも手を加えている事が巡り巡って人体
を汚染し、男女の不妊を激増させ人口減に拍車をかけている矛盾
は見逃せてはおけない。
 自滅行為のように思えてならない。
 有史以来、自分達で人体を汚染し人口減少をさせている時代が
あっただろうか。

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