木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

故郷の海に響く声

2005-10-31 23:57:33 | インポート
 子供の頃は見えなかった、感じなかった、諸々の風景
に出会うことがある。故郷の海沿いをゆかりの方々と巡
る。北海道の島々のことを考えていたが、瀬戸内の島々
にも実に豊富な歴史と姿がある。
 多彩で多様な側面があり書きたいことも山ほどあるが
北海道の島々の物事を考えてきた軌跡の一環として書く
ならば戦艦大和のことを書こう。
 大崎上島に泊まり瀬戸の海道を眺めつつ大三島などの
伝統と歴史の宝庫の島々を正面に見ながら、駅伝で何度
か走った思い出を中継地点で後輩から襷(たすき)を受
け取って駆け下りていった記憶と共に振り返っていたが
あの頃の私という駅伝少年は今は政治の道を歩いている。

 呉の港は当時、海軍工廠が置かれ全国から優秀な技術者
や人々が集い多くの軍艦や巡洋艦など造船技術の結晶と
して多数造られ戦艦大和も呉の港で産声を上げた。当時は
経済封鎖で燃料が底を尽き呉湾内に碇泊させてあった動け
ない船々が度重なる空襲で壊滅され、大和も鹿児島県の
遙か沖合にて集中攻撃を受け爆沈、日露戦争にてロシアの
バルチック艦隊を撃破して以来の日本海軍は終焉を迎える。

 戦艦大和が沖縄に向かう直前、特攻作戦を巡り学徒出身
者と兵学校出身の青年士官が殴り合いの喧嘩を始めた時に
大尉が述べたとされる言葉が印象的である。

「進歩の無い者は決して勝たない。
 負けて目覚める事が最上の道だ。
 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。
 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。
 今日覚めずして何時救われるか。
 俺達はその先駆に成るのだ。
 日本の再生に先駆けて散る、まさに本望じゃないか」。

 いつの時代も変わらず人間の風景と本質は同じである。
立場上そして職務上、また時代の空気と追い詰められた状況
の中で決して「死にたくない」と言えなかった当時の人々と
若者の心中は察するに余りある。
 当時の政治家、当時の人々、そして当時の置かれた状況と
いうものを考えた。故郷の海はその頃も今も同じ潮騒を奏で
ている。

 山は教える不動の心。
 海は教える広い心を。
 空は教える清き心を。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北方の息吹(十三)

2005-10-27 00:47:45 | インポート
 ロシアという欧州でもアジアでもない独特の存在との
遭遇が幕末以降の日本の行動と方向を決めてしまったと
断言できる。もしもロシアが領土拡張という政策を採ら
ない発想だったならば極東と東アジアの歴史自体が全く
違ったものになっていただろう。
 それは戦争という悲劇を生まなかったか或いは逆にも
っと悲惨な植民地にされていたかのいずれだろうか。

 欧米列強という表現を耳にする。それは欧米でありこ
の中にはロシアは含まれていない。欧米と膨張するロシア
との互いの牽制、駆け引きの狭間に日本は挟まれて結果
として物事が生じていく、黒船が浦賀に現れて以来の私達
の結果選択としての行動原理であった。
 長い太平の眠りである徳川の世が終わりを迎える頃、
日本列島周辺はどういう状況であったか。工業化と産業
発展の進んだ欧州諸国が蒸気船を発明し大海を超えアジア
に押し寄せてアジアの人々を労働力として確保し植民地
の運営を始めていたのである。
  
 インド
 アフガニスタン
 ビルマ
 香港
 インドネシアの一部  →  英国領

 フィリピン      →  スペイン領
 
 インドネシア     →  オランダ領

 ティモール      →  ポルトガル領

 ベトナム       →  フランス領

 
 そしてロシアが旅順という凍らない港を求めて南へと進出
を始め朝鮮半島にも押し寄せて来た。このような環境の中で
徳川幕府の弱腰が暴露され関ヶ原以来の積年の蓄積も作用し
倒幕運動が起こり明治維新が成った。英国は薩摩・長州側を
支援しこれに対抗する形でフランスが徳川を支援した。明治
維新も欧米列強の野望が渦巻く中での壮絶な利害錯綜の状況
の中に晒されていたことが理解できる。
 明治新政府は欧米列強のアジア植民地政策とロシアの領土
拡大政策との双方の現実に向き合わなければならなかったの
である。朝鮮半島にもしもロシアが腰を据えればそれは即ち
日本の危機を意味していた。ロシアに陣取られる前に日本は
朝鮮半島をロシアから守る必要に迫られたのである。
 日本の対外的な行動は全て日清戦争、日露戦争から太平洋
戦争に到るまでここから発する。
 そうすると日本の行動は「侵略」を目的としたものではなく
日本を防衛するための「自衛」だったという現実が見えてくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北方の息吹(十二)

2005-10-25 09:47:09 | インポート
 端的に言えば世の中を駄目にする存在は他の誰でもな
く「反日日本人」である。自分達の社会や地域や国をど
のようにするのかと主体的に考えて行動するのではなく
徒に批判と自虐を重ね、歴史まで否定し事実と現実が見
えない又は見ようとしない人々のことである。
「この国は駄目だ駄目だ」と声高に叫ぶことで存在が成
り立つ、いわば何もしない人達の存在はイデオロギーが
幻と化した今日では意味を持たない。

 例えば「領土」と聞いただけでアレルギー反応を起こし
領土の正当性を述べる正しい人達を国家主義だと決めつけ
て罵る発想の人々は現実をよく見なければならない。
 今やナショナリズムは色褪せている。領土問題をナショナ
リズムだと解釈する人は政界から去ったほうが良い。事の
本質が見えていない典型的な証拠である。
 今もしも自身が住んでいる街で日本人が外国人に殺害
されたとする。或いは犯罪の被害に遭ったとする。すると
警察が駆けつけて逮捕し法に基づいて裁きを行い、被害者
は何らかの補償を得る。ところが街が日本の街ではなく他
国の主権が及ぶ街になったらどうなるか。日本人が殺害さ
れても日本人は他国の裁きを待つしかない。日本人の意思が
反映されなくなり時には特定の主義思想のある判断が下され
泣き寝入りをせざるを得ない状況になる。
 
 日本の領土とは日本の主権が及ぶ、ということである。

 主権が及ばない悲劇と惨めさは失って気が付いてからでは
遅い。幕末に黒船が訪れて以来随分と長い年月の間、日本人
の外交の主題は主権を確立することだったと断言して良い。
不平等条約を結ばれ、それを解消する為にどれほどの労力を
先人が注いできたか。それを知らずして安易に空想と想像で
領土問題を語るなかれ。
 
 幕末以来、日本人はロシアの南下による脅威にさらされて
きた。これが全てである。ロシアの領土拡張政策にいかにし
て向き合い、いかにして解決するかという視点で物事に当たっ
た結果、日清戦争が生じ日露戦争が生じ、大陸への進出が行わ
れた。今日の複雑な解釈も実はここに集約される。
 サミュエル・ハンチントン氏は著書「文明の衝突」の中で
日本はアジアではなく日本という独特の存在であると述べて
いる。同様にロシアも欧州でもなくアジアでもないロシアと
いう独特の存在だ。

 今日解決されるべき物事の答えは北方にある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北方の息吹(十一)

2005-10-22 01:55:46 | インポート
 日露戦争の頃、ロシア皇帝は日本人のことを「猿」と
呼んでいた。ここに答えの全てがある。今日の感覚では
想像しがたい事だが白色人種が全てであるという絶対的
な価値観の中で人々は生きており日本人や中国人などの
黄色人種も含めて白色人種以外の人種はその下につくと
いう発想、諸制度、価値体系の中で動いていた。
 アジアという視点よりも私達は東洋、そして東洋人と
いう視点で欧米から見下されておりそして東洋は西洋の
ために働くという「植民地」として運営されていた。
 又、多くの東洋の人々も生まれた時から「白人には手
を出してはいけません」と代々躾けられており、その絶
対的な西洋及び白人に対する服従は遺伝子のようなもの
になっていた。
 この状態は一九四五年辺りまで世界の風潮として息づ
いていたといえる。

 さて、ロシアの国民投票法の中にロシアの領土に関する
問題を国民投票に付することができると謳われている。
ロシアの意見の中に一九五六年の日ソ共同宣言に沿って
歯舞諸島、色丹島の二島を日本国に返還する場合ロシアの
憲法と法規定に沿って国民投票にかけられるだろうという
見方がある。もしもロシア大統領が二島返還をロシア国民
に提案したとしても国民投票で否決されるだろうというの
がロシア内にある見方の一つでもある。
 
 私はこの流れに異論を唱えたい。
 先ず、ロシアの国民投票はロシアの領土に関する問題を
国民に図るのであるがそもそも歯舞諸島、色丹島、国後島
、択捉島及び北緯五十度以南の樺太の「北海道の島々」は
日本国の領土であるものを敗戦直後の混乱に乗じてソ連軍
が侵攻し占拠しただけでありロシアの領土ではない。
 従ってこの北海道の島々の日本国への返還はロシア国民
の国民投票にかけるというのは筋違いで即座に返還への段
取りに入ることが求められる。
 そしてロシア国民にはソ連軍の侵攻の事実を知ってもらう
よう今後の教育でロシアが努力するべきである。

 ロシアの求める「四島の主権がロシアにあることを認めた
上で云々」と迫ってくることはロシアが自尊心を満たすため
将来的には名誉ある譲渡というシナリオを描きたいのだろう。
 自尊心よりも事実が尊重されるのである。

 私達は固定観念を全て捨て、当時私達は黄色人種として
見下されていた結果としての出来事だという事実を踏まえる
必要がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市議会が審議未了

2005-10-20 09:18:00 | インポート
 東大阪市の九月議会が会期延長の末に時間切れによる
審議未了という形で終わった。当事者の間ではこれを
流会(りゅうかい)という。流れたということ。
 議会での質疑質問、各委員会での諸々の件は全て市長
が専決、つまり市長が全ての責任で決めるということ
になる。

 地方自治の問題と限界を感じる一幕でもある。
 しかし国会が人々の生活にとって的を得た存在になって
いるかと問えば必ずしもそうではないと感じることもある。
 政治と行政は人々にとって「帯に短し襷に長し」のよ
うな状態にあるように感じている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする