子供の頃は見えなかった、感じなかった、諸々の風景
に出会うことがある。故郷の海沿いをゆかりの方々と巡
る。北海道の島々のことを考えていたが、瀬戸内の島々
にも実に豊富な歴史と姿がある。
多彩で多様な側面があり書きたいことも山ほどあるが
北海道の島々の物事を考えてきた軌跡の一環として書く
ならば戦艦大和のことを書こう。
大崎上島に泊まり瀬戸の海道を眺めつつ大三島などの
伝統と歴史の宝庫の島々を正面に見ながら、駅伝で何度
か走った思い出を中継地点で後輩から襷(たすき)を受
け取って駆け下りていった記憶と共に振り返っていたが
あの頃の私という駅伝少年は今は政治の道を歩いている。
呉の港は当時、海軍工廠が置かれ全国から優秀な技術者
や人々が集い多くの軍艦や巡洋艦など造船技術の結晶と
して多数造られ戦艦大和も呉の港で産声を上げた。当時は
経済封鎖で燃料が底を尽き呉湾内に碇泊させてあった動け
ない船々が度重なる空襲で壊滅され、大和も鹿児島県の
遙か沖合にて集中攻撃を受け爆沈、日露戦争にてロシアの
バルチック艦隊を撃破して以来の日本海軍は終焉を迎える。
戦艦大和が沖縄に向かう直前、特攻作戦を巡り学徒出身
者と兵学校出身の青年士官が殴り合いの喧嘩を始めた時に
大尉が述べたとされる言葉が印象的である。
「進歩の無い者は決して勝たない。
負けて目覚める事が最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。
今日覚めずして何時救われるか。
俺達はその先駆に成るのだ。
日本の再生に先駆けて散る、まさに本望じゃないか」。
いつの時代も変わらず人間の風景と本質は同じである。
立場上そして職務上、また時代の空気と追い詰められた状況
の中で決して「死にたくない」と言えなかった当時の人々と
若者の心中は察するに余りある。
当時の政治家、当時の人々、そして当時の置かれた状況と
いうものを考えた。故郷の海はその頃も今も同じ潮騒を奏で
ている。
山は教える不動の心。
海は教える広い心を。
空は教える清き心を。
に出会うことがある。故郷の海沿いをゆかりの方々と巡
る。北海道の島々のことを考えていたが、瀬戸内の島々
にも実に豊富な歴史と姿がある。
多彩で多様な側面があり書きたいことも山ほどあるが
北海道の島々の物事を考えてきた軌跡の一環として書く
ならば戦艦大和のことを書こう。
大崎上島に泊まり瀬戸の海道を眺めつつ大三島などの
伝統と歴史の宝庫の島々を正面に見ながら、駅伝で何度
か走った思い出を中継地点で後輩から襷(たすき)を受
け取って駆け下りていった記憶と共に振り返っていたが
あの頃の私という駅伝少年は今は政治の道を歩いている。
呉の港は当時、海軍工廠が置かれ全国から優秀な技術者
や人々が集い多くの軍艦や巡洋艦など造船技術の結晶と
して多数造られ戦艦大和も呉の港で産声を上げた。当時は
経済封鎖で燃料が底を尽き呉湾内に碇泊させてあった動け
ない船々が度重なる空襲で壊滅され、大和も鹿児島県の
遙か沖合にて集中攻撃を受け爆沈、日露戦争にてロシアの
バルチック艦隊を撃破して以来の日本海軍は終焉を迎える。
戦艦大和が沖縄に向かう直前、特攻作戦を巡り学徒出身
者と兵学校出身の青年士官が殴り合いの喧嘩を始めた時に
大尉が述べたとされる言葉が印象的である。
「進歩の無い者は決して勝たない。
負けて目覚める事が最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。
今日覚めずして何時救われるか。
俺達はその先駆に成るのだ。
日本の再生に先駆けて散る、まさに本望じゃないか」。
いつの時代も変わらず人間の風景と本質は同じである。
立場上そして職務上、また時代の空気と追い詰められた状況
の中で決して「死にたくない」と言えなかった当時の人々と
若者の心中は察するに余りある。
当時の政治家、当時の人々、そして当時の置かれた状況と
いうものを考えた。故郷の海はその頃も今も同じ潮騒を奏で
ている。
山は教える不動の心。
海は教える広い心を。
空は教える清き心を。