木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

友愛の時間と日々

2015-06-29 21:07:52 | インポート
 3年前から東京にて一般財団法人・日本友愛協会の理事を弱冠
38歳にして拝命して参ったが、今月を以て任期満了となり新たな
理事と交代することとなった。
 鶴巻克雄・元世界歯科医師連盟会長の後任として3年前に理事
を拝命してから1期2年間の途中から、2期通算3年間を当協会の
理事として毎月、理事会で議案や協議事項の審議を行ってきた。
 多くの財団法人は年に2回程の理事会で済ませている事例が多
い中、この日本友愛協会は毎月熱心に理事会を開催し、真摯な協
議と議論を行ってきた。
 私の後任の理事には井上浩義・慶應義塾大学医学部教授が就任
される。
 引き続き、当協会の飛躍発展を願うと共に3ヶ月後に迫った東大阪
市における選挙戦に集中したい。

 日本友愛協会の沿革は、昭和28年に故・鳩山一郎元首相の唱えた
「友愛」を基調に次代を担う青年の育成を目的として「友愛青年同志会」
が設立され、やがて昭和34年に当時の文部省の認可を受けて財団法
人・日本友愛協会となり、平成23年からは公益法人制度改革に伴い、
一般財団法人・日本友愛協会へと組織変更がされた。
 私が理事を拝命した3年前は組織変更がされた後の協会だった。
 理事長と副理事長は原則2年毎に交代され、鳩山由紀夫・元首相と
鳩山邦夫・元総務大臣が交代で就任されてきた。
 私が3年前に理事を拝命した際の理事長は鳩山邦夫・元総務大臣
だった。現在は理事長に鳩山由紀夫・元首相が就任されている。
 毎月、財団の業務内容や一般事項を巡って1時間少々、鳩山由紀夫
・元首相や鳩山邦夫・元総務大臣、お歴々の理事の方々と同じテーブル
につき協議、審議、時に雑談をしてきた時間は有意義で色々と私の皮膚
感覚を豊かにしてくれた。
 適度な緊張感の中で良い時間を重ねてきたものである。
 お歴々の方々との時間の中で得た様々な視点や感覚を今後の活動や
日々の時間の中で活かしていきたい。
 有意義な時間に感謝している。

 また別に東京にての勉強会に毎回のように出席してきたが、その中の
1つに友愛クラブという伝統ある勉強会がある。
 この友愛クラブは故・鳩山一郎元首相が育成していた当時の青年の
方々が中心となって始めた勉強会である。
 毎年8月を夏休みとして年に11回開催してきており、現在で531回
目の友愛クラブが開催されてきた。48年間も毎月連続して開催されて
きた伝統あるクラブである。
 私も7年前からほとんど毎月出席してきた。
 様々なトップクラスの講師の話や出席者同士の語らい等で楽しく有意
義なひと時を重ねてきた。
 その友愛クラブが勉強会はこの度を以て最終回となり、7月度の定例
会の日に解散パーティーを行う旨が代表者から発表された。
 故・鳩山一郎元首相が育成してきた当時の青年の方々も今は各分野
での重鎮であると同時に高齢化も進み、特に今年に入ってから会員の
出席率が低くなり、代表者や幹部が話し合った結果、伝統ある友愛クラ
ブを532回を以て終了とする決断をしたとのことだった。
 勉強会最終回の531回目の友愛クラブの講師は鳩山由紀夫・元首相
で「なぜ今、東アジア共同体なのか」という題目で1時間20分余り卓話を
拝聴した。
 卓話を終えた後、質問時間になったので私は卓話の中にあった「東アジ
ア議会」についてどのような構成や構想なのかを質問した。

 最終回を迎えるに当たり思うのは、大阪から参加していた私は東京都内
から参加する方々が往復320円の交通費で済むのに対して1回で交通費
が往復3万円を要し、東京都内の方々が100回参加して初めて私の1回
分の交通費になる事を見れば、もっと東京都内の方々がしっかりしてくれて
出席率を下げていなければ伝統ある友愛クラブが7月で解散されるという
展開にはなっていなかった可能性が高いと少し残念である。
 ただ少し懸念していたのは、2年程前から主催者側に事務局も含めて覇気
や情熱が無くなってきたなと感じる言動や節々があった事である。
 そういう空気は参加者に微妙に伝播する。
 それが次第に会員の出席率が悪くなった要因の1つだったとも感じている。
 いずれにしても形あるものはいつかは終わりを迎える。
 これも必然だったのかも知れない。
 7月の友愛クラブ解散パーティーは楽しく過ごしたい。
 お歴々の方々にはこれまでの当クラブでの有意義な時間と内容に感謝して
いる。
 有難うございました。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コミュニケーションを巡る環境

2015-06-25 20:05:41 | インポート
 先日、コミュニケーションの大切さやコミュニケーションによる人
の温もりを話し合う場に参加した。
 コミュニケーションは人と人とを結ぶ大切な要素であるが、最近
ではSNSやネットを通じたコミュニケーションに重きが移り、実際
に人と人とが交わり向き合い意思疎通を行う本当のコミュニケー
ションが希薄になっている状況に懸念を持っている人々の勉強会
であった。

 昔は食卓を囲んで2世代3世代が食事をしながら団欒をする時間
が自然だったが、最近は核家族化が進行し、かつその核家族ですら
互いが時間がバラバラで夫婦であっても食事を共にしないできない
家庭も増え、コンビに弁当をそれぞれが買って帰り食べているような
事例が増えている。
 まさに夫婦であってもそれぞれの個食になっている事例である。
 そうなれば当然ながら家族の会話、夫婦の会話自体が無い状態に
なってしまう。
 家庭のコミュニケーションが不足する事から起因する子供達の情緒
面の歪みや情緒の未発達、対人関係を築いていく事に苦痛や困難を
きたす子供達や大人の増加はまさに今の時代特有の現象だと感じて
いる。
 上記の環境要因に加えて今は食品添加物まみれの食品ばかりが溢
れ、化学物質の成分やワクチン等に含まれる物質が子供達を蝕んで
いる。昔は自閉症や引きこもり、ニートは限りなく存在しなかったと推察
している。
 何故、今の時代に自閉症や引きこもり、ニートが増加しているのだろ
うか。ともすれば最近の子供達は根性が無いとか、やる気が無い、だ
らしが無いからだという結論に至りがちだが、そうではないと見ている。
 果たして昔の子供達に自閉症や対人恐怖症というものがあっただろ
うか。多少の引っ込み思案な性格の子供や照れ屋、恥かしがりやの
子供はいたが、対人恐怖症という症状は限りなく存在しなかったと見て
いる。
 これは食品添加物や化学物質に含まれる成分やワクチンに含まれる
水銀や防腐剤が子供達の脳や中枢神経を犯してしまう事に起因する
という事が様々な専門家により検証されている。
 日本のメディアやマスコミが報じないために多くの日本人だけが知ら
ないだけである。
 従って食品添加物を限りなく廃止し化学物質を正しく規制し不必要な
ワクチンを廃止すれば次第に自閉症や引きこもり、ニートは減少してい
くものと推察している。
 先日、私はある場で上記の内容のスピーチをした。

 また人間関係を構築するには何らかのスポーツをする事も良い作用
をもたらせる。
 例えばキャッチボールをするだけでも互いに打ち解け、言葉は無くても
動作を通じたコミュニケーションになる。
 また何かの種目で共に練習をする、試合に臨むという場面の経験が互
いのコミュニケーションを育み人間形成においても有意義である。
 スポーツをする事は他人とのコミュニケーションだけでなく、自分自身と
向き合う中での自己との対話、自己の内面とのコミュニケーションにもな
り、更には自身を客観視する感覚であるメタ認知も備わり良い教育効果
を生じて良いものである。
 様々なコミュニケーションの必要性を感じないではいられない。

 今の大学生や若い社会人の方々は初対面の人と話す事に緊張したり
苦に感じたりする人が多いと聞く。
 小学校、中学校、高校の頃に多くの人にありがちな「仲間内で固まる」
「同じグループのみの内輪で仲良くする」という行動ばかりをしてきた人
にとっては大学のような開かれた場所で初対面の場面や機会が増えて
戸惑うのかも知れない。
 ましてや社会人になったら職場でも初対面の方々も多く、また営業職
で外回りをすれば毎日が誰かやどこかの会社の担当者との初対面ばか
りである。
 初対面の人と話すのが苦手だ、初対面は嫌だというのは社会人として
もったいない。
 私は初対面を楽しむタイプである。
 名前も背景も全く何も知らない真っ白な相手だからこそ、興味が湧き相
手を知りたいと色々と会話をしたものである。
 特に大学生になると全国から色々な人々が集ってくるのでお互いが初対
面である。初対面を楽しむ性格の人と初対面を苦にする人とでは大学生生
活、ましてや社会人になってからの日常に大きな違いが生じてしまう。
 高校生まではクラスという囲いがあるために、その囲いの中で同じ中学校
出身の者同士や同じ仲良しグループで仲良くするようなパターンが多いが大
学生や社会人になれば高校生の頃までのクラスのような囲いは無くなり、そ
の人に応じて限りなくフリーであり多様な場になっていく。
 40歳を過ぎればグッと年上の人でも仲良くしている人もいれば、グッと年下
でも仲良くする人もいる。年齢に関係なく波長の合う人や共鳴できる人とは
30歳年上でもプライベートで酒を飲むこともあり、かなり年下でも交流する。
 そのような人々も最初は知り合った時は全くの初対面であった。
 初対面だったからこそ話が弾み、仲良くなりプライベートでぶらりと立ち寄っ
ては時に酒を交わすようになる。
 初対面を苦にするのはもったいないし、社会人としての可能性を自分で狭め
てしまうことになる。

 私が20代の頃、スポーツジムでトレーニングをしていると同じフロアにいた
初対面の女性と器具の使い方を巡って会話になり、それがきっかけで仲良く
なり、時々トレーニングを共に重ねるようになり交際一歩手前まで仲良くなった
ものである。
 他にも20代の頃に出場したマラソン大会の試合前のウオーミングアップ中に
初対面の人と準備運動中に仲良くなったり、初対面の女性と使用しているスポ
ーツジムが同じ系列だった事からそれがきっかけで会話が弾み試合後も仲良く
なり、2年程「交流」した方もいた。
 何事も初対面から全ては始まる。
 初対面を苦にする若者は自分で独り相撲で限界を設けているように思えて
仕方が無い。
 これも全てコミュニケーション感覚の無さから起因するものであろう。
 コミュニケーション環境の重要性を感じないではいられない。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

41歳の日常動作の中にふと感じる体感

2015-06-20 21:28:10 | インポート
 四十肩という。
 10代、20代の頃には40歳を過ぎると肩がだんだん上がらなく
なる四十肩になるよ、と言われてもその感覚が理解できず、そうい
うものなのかなという程度に思っていたが、最近ふと背伸びをしよ
うと両手を上げようとしてハッとした。
 肩が上がりにくくなっているのである。
 嘘だろう、本当かなと驚いた。
 いつの間にか肩が固まっているようである。万歳の姿勢に労力
を要するようになっている。
 これが四十肩か、と41歳の今ひしひしと体感している。

 ゴロンと床に大の字に寝転がると30代前半までは気持ち良かっ
たが、今はゴロンと大の字に寝転がると広げた両手の肩の部分が
いかにも無理をして両手を広げているという感覚になり驚いている。
 この感覚は10代や20代の頃には絶対に想像も理解もできない
体感である。
 年を重ねていくに連れて身体が固まっていくのだろうか。
 ストレッチが大切な年齢になっている。
 過日、ストレッチ専門店に行き60分ストレッチで身体をほぐしたり
伸ばしたりしてもらったが身体の可動領域がいつの間にか狭くなっ
ていて驚いた。
 40代、まだ若いが同時にもう20代や30代のようには若くない世
代として、また世の中においてはこれから油が乗ってくる年代として
身体のケアに留意しながら励んでいきたいものである。
 身体は車の運転とよく似ている。
 新車の頃は各所も部品もピカピカだがまだ走行距離がない。
 人間も若い頃は身体はピンピンして健康だがまだ人生の風景が
刻まれていない。
 ある程度の距離を、例えば10万キロ20万キロ走行するうちに車体
が傷んだり部品が磨耗したりエンジン部品が消耗していくがドライバー
としては幾つもの車窓からのドライブ風景や物語が豊富になる。
 人間も年を重ねると関節が傷んだり肩が痛くなったり皺が増え髪も
白くなっていくが、人生風景が豊かになり感受性や蓄積も多くなり人生
が味わい深くなる。
 車の10万キロは人間の30代、20万キロが40代後半に相当する
であろうか。
 ふと肩を回しながら四十肩だなと感じつつ思いを巡らせた。

 またある日、少し疲労が溜まったなと感じたので久しぶりにスポーツ
ジムに行った。25歳から通い続けているスポーツジムに入ったら21
時30分を過ぎていた。
 疲労が溜まった時にエクササイズや筋力トレーニング、ランニング等
で身体を動かすと滞留している疲労物質が体内を循環して噴き出す汗
と共にデトックスされるために逆に疲労が取れる。
 これを積極的休養というのだろう。
 ストレッチをして身体をほぐしてからトレーニング器具を使っているう
ちに日常活動で固まった筋肉とは違う筋肉を動かしたり違う刺激を与
える事で逆に元気になる。
 退出時間の23時まで筋力トレーニング、ランニングマシンでのランニ
ングを20分、水泳、水中ウオーキングをした。
 気分爽快であった。
 まず血流が良くなり、汗が噴き出し体内の疲労物質や老廃物を排出
し、リンパの流れが良くなり、それに伴って体液が循環し、エネルギー
の循環が良くなるために身体に良い。身体が喜んでいるのが分かる。

 私はスーツを着ていると細身に見えるが、34歳頃までは腹筋も割れ
ており胸板もそれなりについていた。しばらくトレーニングをサボってい
るうちに腹筋の割れが無くなってしまいトレーニングをしない身体つき
になりつつある。
 今ここで怠けて中年体型に陥ってしまうのか、スポーツ体型を維持で
きるかの分かれ道であるように思える。
 可能な限り月に2回はスポーツジムを利用するように努力したい。
 努力と述べたが、20代の頃は月ではなく仕事帰りに週2回~3回は
スポーツジムを利用していた。当時は身体を動かさない事が苦痛であ
ったが、いつの間にか身体を動かすことが億劫になっている。
 実際にトレーニング器具を使うと身体が感覚を思い出して気持ちが
良く、楽しいのだがスポーツジムに行くまでの気持ちがものぐさになっ
てしまう。

 私がスポーツジムに通い始めた25歳の頃はジムのフロアの利用者
は20代ばかりであったが、ふと先日ジムのフロアを見渡してみると私
と似たような40代前後の男女ばかりの姿しかなく、20代の姿がほとん
ど見られない。
 スタッフに何故20代の男女がいないのかと尋ねると、そう言えばそう
ですねという返事であった。
 私が25歳の頃のように今の20代の男女が多数いても自然な筈なの
だが、まるで当時の20代だった私達がそのまま年齢をスライドして40
代になり、その世代がジムを使用しているような感覚である。
 今の20代の男女はスポーツジムをあまり活用しないのだろうか。
 時折スポーツジムに行く度に20代男女の利用者がほとんど見られな
い事が気になっている。
 嗜好が変化してきているのだろうか、それとも私が利用しているスポー
ツジムのかつ私が利用している時間帯だけいつも20代男女の姿が見ら
れないのであろうか。
 ふと感じる風景である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地球の地軸の変化と気候変動

2015-06-15 20:36:56 | インポート
 多くの人々が日常動作の中で日焼け止めローションを塗っている。
 暑い季節だが昔の夏と暑さの質が違うように感じる。まるで肌を
焦がすような陽射しは昔には無かった。昔は夏に暑くても陽射しが
肌に痛いというような感覚は無かった。
 今の時代はまるで南半球にでもいるかのように日焼け止めクリー
ムやローションの類が不可欠である。
 暑さが厳しい。
 この数年は冬が過ぎれば春が無く一気に夏になり、夏が過ぎれば
秋が無く一気に冬になっているような感じである。
 気候の変化を顕著に感じる。
 同時に日本列島がまるで亜熱帯になり、春爛漫の季節や錦秋の
季節が失われるのかと残念でならない。

 私が中学生の頃は土曜日日曜日もなく連日、陸上競技の練習に
明け暮れていた。夏も激しく走り込み1000メートルのインターバル
走を8本というようなまるで実業団かのような練習を真夏のグランド
で行っていたが当時は今ほどに暑くはなかった。
 夏でも30℃を超えたら、
「今日は暑いから気をつけよう。」
と監督や皆で言っていた程である。
 今のように真夏に37℃であるとか5月の段階から30℃を超えるよ
うな気候だったなら、当時において真夏にあのように練習をしていた
ならば多くの者が熱中症や脱水症状で倒れて練習できていないだろう。
 また私が大学生の頃も途中の頃まで体育会の陸上部で真夏に練習
でグランドや道をペースランニング等で20キロ前後の距離を走ってい
たが今ほど夏が暑くはなかった。 
 
 明らかに気候が変わってきているが、しかし地球の場所によっては
熱くなっていたり逆に寒冷化して凍結している場所がある。
 南極や北極の氷が溶けているが同時に他の違う地点の海域が凍結
している。異常熱波に襲われるエリアもあれば異常寒波に襲われるエ
リアもある。
 これは単に地球の温暖化という解釈に収まる現象ではなく、地球の
軸が変化したのではないかとしか思えない。
 元来、地球の地軸は23.4度傾いているが、その傾きが変化したな
らば従来の北極や南極は北極や南極ではなくなり、氷が溶けていく。
 しかし同時に他の場所が新たに北極と南極になるためにそのエリア
が凍結し氷結していく。
 日本列島はどうなったのだろうか。
 地軸の変化により日本列島の緯度が下がったのではないかと感じる。
 従って日本列島については温暖化に見えるのだろう。
 同時に欧州やアメリカ大陸は緯度が更に上がったのだろう。
 従って欧州やアメリカは異常寒波や氷結に見舞われている。
 地球の地軸の傾きが変化したと見れば地球上の全ての地点の温暖化
と寒冷化とが納得できる。
 従来の赤道の位置が赤道ではなくなり、他の場所が新たな赤道になっ
ているのであろう。
 それゆえに海水温も当然に変わっていく。海水温が変化すれば海流も
変わり発生する水蒸気も変化し気候も変わる。従来より海水温が高くなる
エルニーニョ現象の海域もあれば同時に従来よりも海水温が下がるラニー
ニャ現象も生じている。
 従来は緯度の割には海流の温度が高かったために凍結しなかった欧州
は地軸の変化で緯度が上がり海流の変化や海水温の低下で激しい寒波に
包まれる可能性がある。
 気候変動は一つの現象であって、その根本的な原因は地球の地軸の傾き
の変化ではなかろうか。
 もはや人間の力ではこの地軸の変化をどうすることもできない。

 地球そのものも宇宙空間に自転と公転を行う生きた生命体のような存在
である。太陽系の営みに何らかの変化が生じれば地球がその影響を受け
て例えば地軸の傾きが変化するのだろう。
 地軸の傾きが日本列島から見て下に変化すれば緯度が下がり今のよう
に温暖化のようになる。
 しかし地軸の傾きが日本列島から見て上に変化すれば緯度が上がり日本
列島は寒冷化になることになる。同時に欧州やアメリカは緯度が下がり温暖
化が生じることになるのだろう。
 時に地軸の傾きが揺らいでいるとしたなら、緯度が下がったり上がったり
していることになる。
 そうであれば日本列島も温暖化になったり寒冷化になったりする。
 温室効果ガスや温暖化という視野ではなく、太陽系の変化や作用を受けて
地球の地軸が揺らいでいると見れば気候変動が理解できるように見えてくる
のである。
 まさに太陽系や宇宙の営みの中の一環ではなかろうか。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島カープというプロ野球球団に見る世の中に通じる様々な要素

2015-06-11 21:39:45 | インポート
 球場のような数万人が集う場所の熱気は気持ち良いし、数万人
単位の観客が応援している球団の選手のプレーに一喜一憂する
様はまるで集団としての意思であり、野球そのものを楽しむ事以外
に世の中に通じる様々な人間的要素を発見し得て面白い。
 プロ野球と一言で述べても、球団からすれば経営である。球団
フロントからすれば組織であり、現場のチームの監督やコーチの
首脳陣からすれば指揮、管理、仕事であり、グランドでプレーをす
る選手達からすれば生活のかかった、年俸に一挙一動が査定され
影響する仕事である。また観客からすれば趣味としての観戦であ
り、また娯楽でもある。
 プロ野球もそれぞれの立ち位置でこれ程に風景が違う。
 しかし観客も娯楽や趣味で観戦している筈がいつしか我が事と
して選手や球団の勝敗やプレーを認識するようになり、一喜一憂
し時に喜び時に不愉快になっていく。

 いくらふがいない戦いをしてリーグ最下位にいるプロ野球球団で
あっても、甲子園で優勝した高校野球の選手と試合をすれば圧勝
する。プロ野球の水準はそのようなプロのレベルにあるプロ同士の
戦いであると観客も分かり切った上での愚痴であり、野次であり、
苦言であり、叱咤激励なのである。
 一昔前は今のように人々の娯楽の幅も多様でなく、会社員等は
職場から帰宅して妻の晩酌を頂きながらプロ野球中継を見るとい
う姿が圧倒的多数の世の社会人男性の娯楽の姿であった。
 この10年来は娯楽の幅が広くなり時間の過ごし方が多様になり
一昔前のようにプロ野球観戦があたかも自分達の自我であるかの
ような時代ではなくなりつつある。
 それでもたかがプロ野球、されどプロ野球である。

 私はプロ野球では広島カープのファンである。
 最近では「カープ女子」と表現される若い女性達が広島カープを
応援したり観戦に出かける姿がブームとなり嬉しい限りである。
 球場も爽やかな観客の姿が増えてプロ野球観戦スタイルも昔と
比べれば様変わりしている。
 カープ女子の成功と定着を他球団が傍観する筈もなく、多くの
球団が地方球団だった広島カープの「カープ女子」ブームによる
人気の全国的な広がりと浸透を参考にして女性ファンの開拓に
本腰を入れ始めた。
 オリックスはオリックスを応援する女性ファンを「オリ姫」と呼称し
てファン層開拓に躍起となっている。
 さて、その広島カープであるが今年はセリーグ開幕前には多くの
評論家やプロ野球OBから優勝候補に挙げられていたが、リーグ
のほぼ半分近くが経過した現時点でセリーグ最下位に低迷してい
る。ファンの私もストレスが溜まり携帯機種で試合の速報を見る度
に逆転負けや打線の沈黙で連敗を重ねる模様に何度も不愉快に
なった。
 
 広島カープの野球をウオッチする事はいつしか世の中の組織や
人間模様、人間心理、人模様にも相通じる要素を見出すことにも
なり有意義である。
 私はいつしか単に広島カープが勝った負けたという視点ではなく
広島カープの試合パターンや繰り広げられる選手模様、試合の動
向などに世の中にも通じる多くの人間ドラマや要素を見出し、有意
義に感じている。
 プロの野球選手が集まれば1つの集団となり、そこで集団として
の呼吸や意思が生じる。
 当然、対戦相手もプロ球団でありプロとプロとの試合において何
故、広島カープが競り負ける事が多いのか、またよく同じ連敗のパ
ターンを繰り返すのは何故かと興味を持ってウオッチしている。
 広島カープは時に4連勝や5連勝をする事があるが、連勝が途切
れた後に必ずまとまった連敗を重ねる癖がある。24年間このパター
ンを脱しきれない。これでは上位には浮上できない。
 そしてパリーグとの交流戦も11年目に入ったが例年、壊滅的に
パリーグに負け越して交流戦まではそこそこペナントレースを戦って
いても交流戦で壊滅的になりペナントレースまでが壊れてしまう年度
を例年のように重ねてきた。
 パリーグはセリーグと違って打者が破壊力があるバッターが多く、
パリーグ球団の打線もセリーグ球団より強力で、かつパリーグの投手
も実力派が揃っているためか広島カープはパリーグ球団になかなか
勝てない。加えてパリーグへの研究が不足してるのか、例年同じ大敗
を繰り返してきた。

 野球のプロが何故、同じパターンを何度も何度も繰り返すのだろうか。
 野球のプロが集って1つの集団となった時の集団メンタル、集団意思、
球団体質の要素が大きいのではと一人のファンとして感じている。
 対戦相手もプロの球団である。
 当然ながら相手球団も毎年、補強を行い連日、練習やミーティング、研
究もしているのであるが他球団と広島カープとは何が違うのだろうか。
 野球のレベルや野球の技術は似たようなもので同じプロのレベルである。
 では何が違い、なぜ差がつくのだろか。
 この24年間、優勝から遠ざかって一昨年と昨年の3位がやっとのような
低迷した状態を重ねる中で広島カープも広島カープファンも、
「広島カープには資金力がなく補強ができないから。」
「広島カープは選手を育ててもフリ-エージェント制度で他球団に良い選手
を引き抜かれてきたから。」
という理由に胡坐をかき、安堵してきた節がある。
 しかしパリーグで当初は弱小球団だった楽天イーグルスが球団創設9年
目にしてパリーグ優勝、そして巨人との日本シリーズも制し堂々の日本一
になった。更に今年は長年下位に低迷してきたDeNAがまさかのセリーグ
首位争いを快走してる。
 DeNAも選手の年俸は広島カープとほぼ同じような水準であり、大型補強
もしていない例年通りの補強とチーム編成の中でもしも今年、DeNAが優勝
争いを最後まで行うなり、セリーグ優勝でもしようものならば、広島カープも
広島カープファンも従来の言い訳が通用しなくなる。

 私はファンとして私なりに長年に渡り広島カープをウオッチしていて感じる
のは、広島カープは野球の練習だけしかしていないのではないかという懸念
である。
 打つ練習、守る練習、走る練習、その他諸々の連携プレー等のような野球
に関する物事ばかりしかしていないのではと感じている。
 野球のプロ集団なのだから野球の練習や野球の研究ばかりするのは一見、
自然に見えるかもしれないが他球団もプロとして同じように補強、練習、研究
をしている中においては野球の練習や研究をしているだけではいつしか置き
去りにされる。
 まさに今の広島カープがそのような状態であろう。
 広島カープはプロ野球12球団の中で最も練習量が多い事で有名である。
 広島カープの猛練習、猛特訓は他球団の選手が語り草にする程に有名で
ある。
 しかし、練習量の多さに酔っていないだろうか。
 野球漬けのキャンプ、練習量の多さだけに満足していないだろうか。
 練習量が多い事が野球レベルの向上や他球団との競り合いに勝つ事に
つながっていない。
 また練習量が多過ぎて広島カープの主力選手が他球団の選手よりも頻繁
に怪我や故障をしている。練習ですり減らして試合本番でへばっている、精
彩を欠いているという事例がよく見られる。
 野球だけの練習でなく、競り合いに際して競り勝つためのメンタル、勝負所
で競り勝つ強さの研究が足りないように見受けられる。

 ある広島カープの投手は練習で300球を投げてフラフラになり、投球練習場
ではコーチや関係者が練習量の多さに酔ってベタ褒めをして喜んだが、結局そ
の投手は疲労が蓄積したのか肘を痛めたのか、試合本番で精彩を欠き相手に
打たれて大量失点をして降板した。
 今ではその投手を1軍の試合で見ることはない。
 根性根性、ど根性というだけではプロ同士との試合には勝てない。
 野球を取り巻く様々な要素、環境の研究と何より生身の人間である選手の
身体とメンタルの訓練、その最適調和の研究と実践が不可欠に思われる。
 広島カープはあらゆる取り組み内容を見直すべき局面にあるのではなかろ
うか。
 この要素は何もプロ野球球団に限ったことではない。
 企業でも営業マンでも、多くの世の中の組織や人材において相通じる要素
ではなかろうか。
 そのような視点から、広島カープの野球や諸々をウオッチする事は様々な
世の中に通じる物事を見出せて有意義である。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする