木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

音楽

2004-05-31 09:39:05 | インポート
 いつの間にか、音楽を忘れていることがある。
日々の物事に向かい合う中で、ふと気が付くことがある。
 吹奏楽や名曲など、耳にすると喜んでくれる人がいる
ならばそれも一つの貢献、街興しなどの一環になる。

 若い人の演奏に気をよくしているお年寄りの方もいる。
 音楽も又、人を動かす一つの力になる。

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身を立てて世に出る

2004-05-29 11:55:24 | インポート
 身を立てて世に出る。これを立身出世という。実に純粋で
他意のないすがすがしい青雲の志のことである。
 しかし、この言葉の本来の意味が本来の意味のまま通じる
のは恐らく明治時代の人々ではなかろうか。今日、この言葉
が持つ響きは、本来の姿とはかけ離れた我欲的なものになっ
てしまっている。

 出世とは世に出ることで、人の上に立つという意味ではない。
お金もつても物資も便りも何もかも無いが志がある、そういう
青年がカバン一つで列車に乗り、或いは舟に又は船に乗り都会
へ出ていく。背中には見送る故郷の肉親や家族、知人や友人の
様々な思いや視線を受けて背負って、列車に揺られて街を目指す。
 これぞ立身出世である。

 草深い田舎を原風景に自分はこの道で生きていくのだと身を
立てようとする本来の意味の立身出世と、何かの組織の中の地位
を得ようとあくせく根回しする姿としての「出世」とは天と地ほ
どの違いがある。
 それぞれが何かの原風景を持って、身を立てて世に出れば良い。
 それぞれが立身出世を成そうと励むとき社会が活力を持つ。
 それが地域を活かし、総じて国を活かす。

 今日、本当の意味の立身出世を抱いている人はどれほどいるだ
ろうか。出世とは人を蹴落とし人を押しやり、表と裏を使い分け
茶坊主が如き組織の内側をこそこそと這い回った結果で手にする
安住の場所へと変わってしまっているのではないか。
 そこには志は無く、我欲があるのみである。

 世のために世に出よう。

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波しぶきをあげて進む汽船

2004-05-27 01:52:17 | インポート
 法律を破ることは違法行為で罪になる。しかし法律を
守ることで世の中に停滞や害をもたらせることもあり、
逆に法を破ることで世の中に貢献できることもある。
 法律とは何なのか。

 江戸時代、日本列島から外に出ることは国禁であり、
見つかれば死刑になった。従って当時の多くの人々は列島
から出ようとは思わなかった。列島の外どころか、領主の
領地からさへ一歩も出ることを許されず一生を終えた人も
多かった。
 その時代に函館から法律を犯して沖合に浮かぶ米国汽船
に乗り込んで日本列島を抜け出し、米国へ渡った人物がいた。
その名は新島襄、今日の同志社大学の前身、同志社英学校の
設立者である。

 新島襄が当時、国外に脱出しなければ後の学校設立もあり
得ず、後の世にその教育を受けることが出来なかった人は
どれほどに上るだろうか。
 海を越えたあの汽船、ワイルドローバー号は何をかを教え
てくれる。
 陋習を打ち破る、新しい世の中を求めて動くことでその結果
文字としての文言としての法律を破ることは、違法行為であって
も結果として世の中に貢献することになる。

 しかし、世の中に貢献する違法行為などよほどの目の肥えた
人物でなければ成し遂げられないだろう。
 今の時代の私達が忘れたものは、あの波しぶきをあげて航行
する汽船の汽笛と羅針盤なのかもしれない。

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学生の一気飲みにラッパ飲み

2004-05-26 09:40:38 | インポート
 学校では新学期、会社などの職場では新入生や異動な
どで宴会が多い季節でもある。
 
 特に学生など、勢いが過ぎてビールや酒の一気のみを
していることだろう。若い頃の過ちで、ビールを一気に
飲み干すことや宴会での諸々のパフォーマンスが一人前
になる証だとか、大人であることの証明だという迷信が
あるが、酒を沢山飲んだからといって、ラッパ飲みや一気
飲みができるからといっても大人でも一人前でも何でも
ない、ということを申し上げておきたい。
 時に急性アルコール中毒になって命を落とす学生もいる
ことを思えば、一気飲みは冗談や洒落では済ませない。

 酒が入ると気持ちが大きくなる。しかし、だからといっ
て深く酔った後に川に入って水遊びをしたり、海に飛び込
んだりすることは危険極まりない。
 泥酔状態で川に入って、そのまま二度と目を覚ますこと
のなかった学生もいることを忘れてはならない。

 酒で命を落とすことはあるまいに。

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何がこうさせるのか?

2004-05-23 23:34:50 | インポート
 日々の雑務に追われていると、テレビを見たり新聞を
じっくり読む機会も取りにくい。ふとニュースを見ると
国の最高責任者が北朝鮮を訪問したとあり、何故この時
期にという率直な感想をもった。
 拝見する限りでは、得た内容もあるが失った内容も大
きいと感じた。国益を損なう内容でもあった。

 私は自治体議員である。が、同時に日本人でもある。
また、一人の人でもある。自分達の国が他国とどういう
交渉を行うのか、何が対立しているのかを考えることは
どの職業についていても必要なことではなかろうか。

 私も政治の世界に入って、自分自身への反省も込めて
述べるならば、現代の政治家は以下のいずれかに分類さ
れるのではないか。
 「でっち」
 「ピエロ」
 「越後屋」
 勿論、立派な方もおられる。
 危惧されるのは、サムライがいなくなったということ
である。
 昨今の風潮として、世間も政治家に簡単に土下座を求める。
政治家も特別な理由もないのに簡単に土下座をする。その
延長線上に出来てしまったのが、土下座外交ではないか。
 他国にあしらわれていく姿を見るのは非常につらい。

 あの政党はバラバラだ、という表現が使われる時、良くない
意味で使われる。この感覚のまま外交に舞台を移すならば、
国際社会はバラバラどころか、それぞれが発想も行動も価値観
も信じるところも、しきたりも風習も正義も何もかもが違うが、
そういうお互い同士の向かい合いの中で、果たして太刀打ちで
きるのであろうか。
 バラバラであるということは、自由に意見が述べられるとい
うことの証明でもあり健全な証拠である。意見が違うことを
駄目だとする風潮の社会では、全く意見がかみ合わない外交で
どう対応していくのだろうか。

 国益を失う姿を見るたびに、何が足りないのだろうかと考
えてしまう。その答えから目をそらすことはできない。
 国益が失われると、それがそれぞれの地域へと反映される
のだから。

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