木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

国家機密以外は記録に残し公表するもの

2012-01-30 23:06:25 | インポート
 どうも日本政府の中枢でたがが緩んでいるように見受
けられる。たがが緩んでいると言うよりは何者かが緩む
ように工作しているかのように感じられてならない。
 例えば厚生労働省を例にして見ると事務方トップの事
務次官は旧省庁に配慮して、旧労働省の人達から選ばれ
た後は今度は旧厚生省の人達から選ぶというような襷が
け人事が行われている。つまり、その事によって現在の
厚生労働省全体を把握している、全体を見渡せる人材が
いなくなっているとの嘆きが漏れてくる。
 現在の多くの霞が関の官僚の人々は、何かの現実的現
象や何かの想定外の現実が発生した時に、それがどこの
管轄の予算で行われるのかという事自体の判断ができな
い、と指摘されている。

 さて、政府や首相官邸にまでこの弊害が及んでいない
事を切に祈るのだが、どうも何かの工作や作用が働いて
日本政府の中枢が機能しないようにさせられているので
はないかと感じられてならない。指揮系統の乱れや意思
疎通の遮断、国家として必要な情報の漏洩もしくは不足
が生じているのではないか。
 先日、総理大臣が片目に眼帯を痛々しくして公務に就
いていたが、過去の歴代総理大臣があのように痛々しい
怪我か何かに見舞われたような姿で国民の前に姿を晒し
た事があっただろうか。私は直感的に何かがあったとし
か感じられなかった。総理の説明では「夜中に電話に出
ようとして首相官邸内にある柱に顔面をぶつけて目を打
った」という趣旨の説明をされていたが、それを額面通
り信用する者はいないだろう。何かがあったのである。
 つまり中枢において国家のたがが緩んできているので
はないか。私はその点を危惧するのである。

 東日本大震災や福島原子力発電所の爆発事故等におけ
る対応を協議した、政府が設置した会議の議事録が作成
されていない事が判明して大きな問題となっている。
 それは杜撰であるという事ではない。
 政府が行う会議で議事録が作成されない事自体、通常
ではあり得ないからである。つまり作成されなかったの
ではなく、誰かの強い指示や意向で「議事録にさせなか
った」「記録に残す事をさせないようにした」という姿
が政府中枢の中であったのである。
 国民の未来の為には、国家の未来の為にはこの未曾有
の大惨事の対応や問題点、具体的な対処をそれぞれ専門
家が議論したその内容を議事録で、つまり公的な記録と
して残す事が当然に必要だが、逆に記録として残される
事に憚りのある誰かがこれを阻止したと見るべきである。
 議事録を作成される事に著しい抵抗を示す何者かがい
た、議事録にされて記録に残される事により不利益を被
ると判断した何者かがいたのであろう。

 私は過去8年間、東大阪市議会議員を務めた。
 市議会の本会議は勿論、各委員会や特別委員会は全て
議事録に残されている。委員会を中断して委員会審議に
は反映されない委員協議会(議員同士の打ち合わせ)で
すら公開はされないが議会事務局担当者が速記で各議員
の雑談すら一言一句漏れる事無く記していたものだ。
 その他、市で開催された審議会や各審議会等は皆大小
に関わりなく議事録に内容が記されて残されている。
 市議会ですらそのように公的に行われる委員会、会議、
審議会は全て記録に残されているのである。
 ましてや国家の中枢で、政府が行う非常事態の会議の
内容が議事録にされていないという事の方が不自然では
ないか。何者かが意図的に破棄したか予め議事録の作成
を禁じた可能性が極めて大きいと私は見る。
 その何者かという「ミスターX」は政府要人なのかそ
れとも官僚なのか、はては謎の人物なのか、外国人なの
か。ミスターXを炙り出す事よりも国家の危機管理のあ
り方として、未曾有の非常事態への対処の在り方につい
て検証が必要である。

 勿論、国家の重要機密事項や軍事機密、その他、公表
する事が適さない秘密会に相当する事項は別として記録
に残す責任というものも存在する事を感じないではいら
れない。

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国民の課題

2012-01-27 14:15:25 | インポート
 不安という心理は人々の行動を収縮させる。
 収入への不安は生活への不安と萎縮に至り、先の見え
ない日々の中で消費を控えるようになる。買いたいもの
を一つ二つと控えて、引いてはあらゆる分野における出
費が敬遠されていく。
 勤め人なら定年までは、という発想があるが自営業や
勤め人以外の人達には定年はなく従って自分で財をなす
か体が動く限りは働き続けるしか生活を確保できない。
 誰しも老後が確実に現実的な生活ができる見通しが立
てば不安が解消され、あらゆる分野における出費と消費
に至り、ひいては景気が回復し、経済も好転する。
 その好転した経済により蓄積される国家の富で更に国
民の老後や日常が確保されるなら好循環を生み、それが
持続した経済活動を生み更に循環していく。
 国民の年金を現実的な水準に構築し安定させる事が最
大の経済対策であり景気対策であると思う次第である。

 物価水準が下がったとして年金支給額が0.3%減額
されるとの事だ。
 年金政策について支給額が減額されるか支給開始年齢
が後ろへ引き延ばされるかでしかない現実は国民の心理
を冷え込ませ、消費活動の委縮と経済の停滞に至る。
 勤め人ではない人々の国民年金は満額で6万5741
円/月になり、会社勤め等で専業主婦がいる世帯の厚生
年金は23万1648円/月となる。
 厚生年金ですら質素な生活を余儀なくされる。多数の
人々はこうした年金と長年の貯金を切り崩して老後の生
活を過ごす事になる。
 ましてや国民年金の水準では極めて厳しい生活水準で
ある。賃貸マンションの家賃でほぼ全てが消し飛んでし
まう水準である。
 特に国民年金は厚生労働省自体が「国民年金だけでは
生活は成り立たない」と見解していた。生活が成り立た
ないという前提での年金はもはや年金とは言えない。
 国民年金、厚生年金等を含めて年金は総合的に悲観的
である。だからと言って国民が自ら備えを蓄える事は困
難なのが現実であり、もはや国家の富を一部でも投入し
て年金や社会基盤を向上させる事以外に国民の委縮する
心理を除去する事は叶わない。

 毎年の予算書は非常に分厚く、その予算総則には消費
税は基礎年金、高齢者医療、介護にのみ充当されると規
定されている。つまり「消費税の目的化」が記されてい
る。現在5%の消費税の国家としての税収は2010年
度予算を参考にすると9.6兆円であった。消費税1%
当りでは1.9兆円という事になる。私は消費税1%当
り2.5兆円と認識していたが、2010年度予算を基
準に見ると1%当り0・6兆円の差異がある。
 つまり消費税を社会保障税と言い換えてもこの定義に
嘘が無いとしたならば支障がない事になる。

 消費税1%分を1.9兆円の税収として判断するなら
ば、現在の基礎年金制度を維持するには25年後の時点
で16.5兆円とされ消費税なら8.6%分となる。40
年後の時点では27兆円とされ消費税なら14.2%分
という事になる。60年後の時点では36兆円とされ消
費税なら18.9%分とされる。
 年金財源を全額税で国民が負担すると仮定したならば
このような軌跡になる。
 果たして国民がこの負担を理解し賛成するかどうか。
 賛成し負担に耐えるとするならば政府は確実に年金を
保証し国民の老後の生活の道筋をつけなければならない
義務を負う。
 可能ならば、国民の税負担は消費税はほぼ現行のまま
として例えば60年後の時点で想定される必要額の財源
は国民負担の消費税5%分の10兆円を除いた26兆円
は国家の富から補填する、人道的政策が取られて欲しい
と願う。

 企業の年金も非常に厳しい。
 給与から天引きされる厚生年金は残り半分は経営者が
負担しているが、更にその上乗せ部分である企業年金は
多くが積立不足に陥っている。
 企業年金は退職金を積立していく退職年金と年金の形
で支給される厚生年金基金とで成っているが、多くは資
産運用に失敗しており、崩壊寸前である。ある地域圏の
800社が加入している某厚生年金基金は過去2年間で
507億円の運用損失を出した事が判明し、この厚生年
金基金に加入している3万8560名の一人当たりに換
算すると一人当り131万円の被害という事になる。

 年金財源を資産運用に用いるという、バブル経済時代
に蔓延した発想が現時点になって多くの被害と綻びを生
じている。年金とは何ぞや。老後には就労による収入が
望めない世にあって日常生活を慎ましくも過ごせる為の
ものではなかったのか。年金の為と称して資金を募り手
元にまとまった一塊の資金を金融商品として見なし株式
の運用等の手法に用いた、まさに世の中が根拠もなくは
しゃいでいたバブル経済時代のつけである。
 こうした悪態は官民共に見られた。
 年金の為の財源は年金にしか用いてはならないという
当然すぎる事を何故、守れなかったのだろうか。

 何れにしても現実的な年金制度をいかに築いていくか
という事は国民的な課題である。
 人々が困窮しない為の現実的な年金制度の在り方こそ
が人心を定め、大きな景気対策ならびに経済政策の一環
になる事は間違いない。

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総じて国民が恩恵を受けるメカニズムを

2012-01-25 12:41:12 | インポート
 長年、税についてそれが自分達の国や社会を築いてい
くものだという認識に立った視野と議論が少なかったよ
うに思われる。
 古来より人々は重税に苦しみ、また時代によって様々
な名目の税が設けられた。律令制度の奈良朝の頃より、
租庸調が始まり、以降、時の権力者や政権や地域政権に
より多種多様な税が作られた。海を船が通航する際には
要所々々で通行税が取られ、関所を通過する際には税が
取られ、各地の地頭の取り立てに領民は恐れ、時に年貢
という形を取り、いつの時代も人々と税はそのような関
係にあった。

 国民が全て当事者意識を持つ認識に立つならばこの国
は国民一人一人が支えている、築いている、作っている
国家なのだという、そういう視野からの税であるべきで
ある。
 税は徴収されるもの、巻き上げられるもの、それに怯
えるもの、苦しむものでなく、国家を支える国民として
国家を運営していく為の原資としての税という認識に立
つ時代にならなければならない。
 その認識に立つならば一部分だけしか知らされていな
い社会基盤の全容を国民に知らせる必要があり、部分的
に小出しにされる情報も明確に全体像を示す必要がある。
つまり社会基盤が現在このような状態で、現在はこれだ
けしかできない、或いはこういう状態にする為にはこれ
だけの財源が必要であり、従ってこの分野をこれだけ整
備するには国民の負担はこれだけになるというような明
確なビジョンと説明が必要になる。
 それを示されて初めて国民は賛否を唱える事ができる
のである。
 これまでのようにいかに知らせないで統治するかとい
う発想では国家運営に破綻をきたしかねない。これから
はいかに国民に知らせた上で国家運営を行っていくかと
いう時代でなければならない。
「とにかく金を出せ、使い道は分からない」というよう
な心理なら事の成否に拘わらず知性ある国民は納得でき
ないだろう。
「このような国家にするにはこれだけの財源が必要だ。
 現在の富はこれだけだから今後はこれだけ必要だ。」
という視野に立った国家運営の原資としての税を国民が
主体性を以って納税する、そういう時代にしなければな
らない。

 古来よりの従来の発想のままの税ならば、今後未来に
おいて人間は呼吸をして酸素を消費し二酸化炭素その他
を排出しているから有限な地球資源を守る為だと称して
「呼吸税」「酸素消費税」なる税が設けられる日が来る
かも知れない。

 現実として人々の年金が充実すれば人々は老後の不安
が少なくなり、その分だけ消費に回るようになる。遠回
りかもしれないが景気を回復させようと思うなら年金を
充実させることである。
 何故、人々が消費を控えるのか。それは心もとない年
金制度と老後への生活不安から発している。
 また人道的にもやり直しのきかない老後に人々が困窮
する状態は国家として回避しなければならない。その為
には国家の富を一部でも投入して年金制度を破綻させず
しかも現実的な生活水準に見合った内容に構築していか
なければならない。現在のように限られた一部の財源だ
けで四苦八苦していても年金制度は構築できない。

 消費税の増税が議論されている。
 政治的な判断で東日本大震災の被災地は現状のままに
する等の法を超えた高度な政治力で政治を行わなければ
ならない。それは政治というよりは政(まつりごと)と
いう次元に至るかもしれない。
 仮に消費税が増税されるとしたとしても、そうすれば
消費税が5%のままの特区としての被災地に移動してで
も消費をする人々が増えるだろう。それが少しでも被災
地の景気回復や復興への道筋に至るかもしれない。
 また消費税を増税するならば、最低限の生活必需品や
食料品とお洒落着を除く衣服は非課税にする等の政治が
あって然るべきだ。
 よく「政治判断」とか「政治決着」という言葉が多用
されるが本当の意味での重みを持つ政治が今こそ求めら
れている。

 専門家の中には消費税を増税すれば結果として逆に税
収が減ると指摘する声もある。
 何れにしても国家が豊かになりその結果、国民が恩恵
を受けるメカニズムでなければならない。

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二重党籍でもいいのだろうか

2012-01-22 23:59:14 | インポート
 他党の事なので別にどうでも良い事なのだが自民党大阪
府連は所属議員が現在、地域政党として躍進中の大阪維新
の会との二重党籍も構わないとの方向性を示した。
 要は二股でも良いという事である。
 公党としてとても情けない判断だと言える。
 決断できない象徴的な姿を晒している。

 党所属の自民党議員が雪崩を打って大阪圏では躍進中の
地域政党である大阪維新の会に鞍替えする可能性もあり又
次期衆議院議員選挙で大阪維新の会が候補者を擁立すると
発表した事で気が気ではないのだろう。
 得てして大阪の政治家というのは決断力がない。
 先送りするか、足して二で割るか、棚上げするか、うや
むやにするか、時間を稼ぐかの何れしかない。
 常に利で動き、大局観もなく、これという芯がある人物
が各級議員において極めて少ない。
 全国的な視野では大阪は「政治的に不毛な地」と評され
ている事もうなずける。
 このような土壌の上に咲く花が、まさに自民党大阪府連
の二重党籍でも構わないという判断に至るのだろう。過去
の歴史において大阪が政治の中心であった時代が一度でも
あっただろうか。過去において大阪から時代を牽引する思
想なり概念なりが発祥して世の人々をリードしたという時
代があっただろうか。経済活動においては一時期、大阪は
主要な地となり得たが、経済以外で時代の先頭に立つ事や
世の中を牽引したという事はほとんど無かった。
 大阪からは国家の大事を担える政治家はついに輩出され
ないのではないか、と風土を見て感じている。

 そういう諸々のマンネリ感と停滞感、閉塞感や低迷から
抜け出してくれるのではないかという期待が大阪府内の有
権者を大阪維新の会への支持に向かわせているのである。
 橋下徹・大阪市長は確かに過去の大阪の政治家には無か
ったタイプの人材である。それが良い結果になるのかそう
でないかはまだ分からないが、明確な発言と発信、行動力
に大阪府内有権者は希望を抱いているのも事実である。
 地域政党・大阪維新の会は客観的に見て現時点では、
「橋下徹大阪市長+その他の議員達」という姿だが今後こ
れがどのような具現化を伴うかで浮沈が決まるだろう。

 私が大阪という地で出会って、骨のある方だな、立派な
方だなと思った方は大抵が他府県出身者である事が多い。
他府県からやって来て今は大阪で暮らしているという人達
の中に見識高い人や人物だなと思う方が多かった。
そういう方々に比べれば大阪生まれの大阪育ちの方は小粒
である事例が多かった。
 歴史的に見ても大阪人が崇める豊臣秀吉も三河という今
の愛知県出身であった。
 適塾を開き蘭学の教えを教義として門下生等を輩出した
緒方洪庵も現在の岡山県出身であった。門下生も多くは各
地方から集ってきている。例えば門下生の一人、福沢諭吉
は現在の大分県に相当する地域の出身であった。
 大阪経済界のみならず関西経済界の礎を築いた五代友厚
も薩摩の出身、今の鹿児島県の出であった。
 松下幸之助も大阪で活動したが和歌山県の出身であった。

 大阪での礎は多くは地方からの他府県出身者が築いてい
る事例が他にも多くある。
 ただ大阪は各地方から出てきた人物を何者かに変えてい
く触媒反応を生じさせる何かがあるのかもしれない。
 それも又、一側面であろう。
 何故、このような話の展開になったかというと地域政党
大阪維新の会との二重党籍を認めようという自民党大阪府
連のいかにも「大阪らしい」発想の軟弱さに呆れ失笑して
しまったからである。

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受験生の季節

2012-01-18 22:09:05 | インポート
 大学受験の季節である。高校3年生やその他の受験生
はこれまで経験してきた年齢の中の最も緊張する局面を
迎えている事と思う。それぞれの志望する道程に向かっ
て大いに励んで欲しい。
 高校生も私のブログを読んでいるようなので今回は受
験の真っ最中の皆様にエールを送りたい。
 人生の中でそれぞれの年代において、くぐり抜けなけ
ればならない節目というものがある。
 まさに18歳の時点での大学受験はその大きな節目の
一つと言える。

 スポーツと受験は共通している事がある。
 それは明確な目標を設定してそれに向けて必要なトレ
ーニングや学習を重ね、本番に自分をより良い状態に持
っていく、自分のピークを合わせる努力とセンスが必要
であるという事である。スポーツも練習は苦しいものだ。
同じように受験に向けた学習も鍛練のようなもので苦し
いものだ。仲の良い友達であっても必ずしも自分と全く
同じ目的地であるとは限らない。むしろ友達であっても
進むべき方向や道程が異なれば、それまで無邪気に遊ん
でいた仲間達とも違う時間を過ごすようにならざるを得
ない。17歳から18歳になる頃にはそのような葛藤と
年相応の寂しさや孤独を感じる事もあるだろう。
 17歳や18歳においての時点で、例えば大学受験と
いう目標に向けて時にこれで大丈夫かという不安に包ま
れ、自分の目標と同時に学力での実力と向き合いながら
机に向かうという時間は孤独そのものである。しかし高
校生当時にその孤独の中でもがき、目標に向けて歩を進
めるその葛藤する時間と日々が、必ず高校生のあなたを
大きくする。孤独と苦しみながらも過ごした日々は大人
になってからも必ず人生のあらゆる場面で生きてくる。

 目標を持てばその瞬間から孤独になる事がある。
 高校時代のように多感な年頃で友達付き合いも楽しく
部活動も充実していれば尚更、その時間に反比例するよ
うに目標に向けた時間を確保する事は苦しさを伴う。
 誰だって楽しく高校時代を過ごしたいと思っている。
 誰だって友人や恋人と今をときめく高校の青春時代を
満喫したいと思っている。
 しかし私もそうだったが高校1年生頃はまだ受験まで
ゆとりがある時期だから高校生活を満喫していたが高校
2年生にもなれば受験に備えて自分もそうだが周囲も皆
ピリピリしてきたものだった。孤独に負けて或いは孤独
と向き合えず受験勉強という、ただ苦しいだけの時間か
ら逃げてしまったら卒業と同時にもっと虚しい時間が待
ち受けてしまう事になる。逆に孤独に耐えて己に克ち、
スポーツで言うならば練習と本番に備えた調整である受
験勉強の努力に向き合って目標が叶ったならば高校卒業
と共に新しい舞台に春と共に進むという人生の喜びを全
身で感じる事になるのである。
 高校生や受験生の皆さんは緊張の渦中にあるとは思う
が、それぞれの人生の時を頑張って欲しい。

 大学と言う場所は高校時代までとは全く異なり全国各
地から同じ門をくぐった仲間が集ってくる素晴らしい場
所である。高校時代までは出会わなかったような個性豊
かな学生や先輩に出会える。又、大学でのゼミ等の時間
も高校時代までのような先生の説明を一方的に聞く授業
ではなくて、多様な知に出会う。そして広く教養を学び
つつも自分の考えを醸成していく必要と喜びを覚える時
間となる。教授やゼミ仲間と意見を交わし、テーマに沿
って研究を行い、それを発表し、そしてレポートや論文
にまとめて発表する。大学での日々は高校とは全く次元
の違う知的な活動と時間を過ごすことになる。
 そのキャンパスライフがまた学生を羽ばたかせ、更に
社会に出て後の人生においての糧ともなっていく。
 未来の卵である受験生には是非、努力が報われてそれ
ぞれの春を笑顔で迎えて欲しい。

 いつの日かこういう話があった。
 受験当日の朝にある女子は予想外に会場に向かう時間
がかかってしまい受験会場に間に合わない。過度の緊張
と絶望とが錯綜して取り乱し、泣きじゃくっていた。
 せっかく努力を重ね前日まで受験勉強を重ねてきた。
 それがよもや受験当日に志望校の会場に間に合わない。
 努力が全て水の泡になってしまう。
 自分の青春が霞んでいく。
 と、泣きじゃくっている受験生を一目見たタクシーの
運転手が瞬時に全てを理解した。とっさにタクシーのド
アを開けて泣きじゃくる女子受験生を乗せた。時計を見
ると受験本番開始まで僅かに迫っていた。
「あきらめたらいかんよ。」
とそのタクシー運転手は泣きじゃくる受験生を後部座席
に乗せて無理に無理を重ねて裏道を駆け抜け、次々と車
を追い越し、受験会場に着いた時は受験開始から10分
少々が経過していた。
「運賃はいらないよ。おじさんからのプレゼント。少し
 遅刻だけど今からベストを尽くして頑張ってな。」
そう言って運転手は女子受験生を会場入り口でおろした。
涙をぬぐいながらお礼を言って小走りに受験会場に入っ
ていったその女子受験生だった。
 その受験生がその後、志望校に合格できたのか否かは
分からない。
 しかし人生の場面に立ちすくむ受験生に思わず援助の
手を差し出さないではいられなかったタクシー運転手の
お話であった。

 青春に流した努力の汗が報われますように。

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