コロナ禍の現実に適応できず彼女に振られ、
酒場ではけ口としばしの逃避に走る会社員
の姿を織田完治に投影して以前に随時連載
していたワクチンラブストーリー第7話を
復元、再掲載します。
この連載回では別の連載で登場していた酒場の
スナックキャンディーズを登場させ、別に随時
連載していたコロナ商事㈱物語の営業マン、
山田幸太郎とを融合させる楽しさにも気付きました。
多才な蘭ちゃん、ミキちゃん、スーちゃんの
3人組が登場します。
現実の世でも全く別々の時間軸を過ごしていた
者同士が酒場や会場で遭遇して交わることも
よくありますから現実的なフィクションにも
なります。
一連のコロナ禍、ワクチン禍では人それぞれに
より信じる価値観の違いが顕著となり様々な
人間風景が繰り広げられた2年半でした。
いつの時代にか、今の世相を冷静に振り返ること
ができる時が訪れるでしょう。
このコメディー小説がその時代のための備忘録
にでもなればと願い再掲載します。
(以下、再掲載)
~ワクチンラブストーリー 第7話~
織田完治は流れゆく新幹線の車窓を
ぼんやり見つめながらも久しぶりに
生き返った心地がしないでもなかった。
ふと訪れた神戸北野界隈のリラックスサロン
にてセラピストのレナからスマホ端末をかざして
チェックされたところ機器に反応がなく、もしか
したらプラシーボの食塩水の可能性があると
知らされたからであった。
理沙にプロポーズをした返す刀で567液体を
体内注入したことで振られてしまったあの日以来
この数日は茫然自失、また節目節目で要となる人達
が皆、実は567液体を避けていて、これまで信じてきた
世の中が音を立てて崩れ始めていた織田完治だっただけに
セラピストのレナの食塩水かもしれない、という一言が
まるで闇の中に垂らされた蜘蛛の糸のような、僅かな一筋の
光明に思えてきた。
新神戸駅から東へ向かう新幹線車内でビールを何本も
重ねる織田完治だがさすがに心からはビールが美味しい
とは感じられなかった。
織田完治の中で何かが壊れ始めていた。
まだまだ自分の知らない世界が広がっているのではないかと
これまでそれなりにエリート街道を歩いてきた筈の織田完治
は感付き始めると共に自我が崩れ始めていた。
東京に着いた。
まだ20時前だった。
いつもはここから理沙に連絡して有楽町や時に銀座で
時間を重ねてきたのだが、今はもう理沙に会えない。
時間がぽっかりと空いたような虚しさに包まれた織田完治
はこのまま自宅に帰るには何かが足りないと虚しさの中で
感じていた。
しばらく夜風に吹かれながら当てもなく有楽町を歩く
ことにした。
と、何やら大きなマイクの音響が響いてきた。
織田完治の歩く方向に何やら夜の街頭演説が行われていた。
誰かが何かを訴えている。
幾重にも人垣ができていた。
演説人
「でありますから、何としてもこの567液体だけは体内に
注入してはいけないのであります!愛する人を守るために!
かけがえのない人を失わないために!」
いつもならこのような街頭演説など耳を塞いで素通りを
してきた織田完治だったが何故か足を止めた。
不思議だった。
どうして街頭演説なんかに立ち止まったのだろう・・・・・。
織田完治は自問自答した。
何かが変わり始めていた。
何かが織田完治の中で芽生え始めていた。
どこか今までの自分に区切りをつけたいと心のどこかで思う
自分がいた。
そうしていつしか街頭演説を聞いている人垣の中に入って
いく織田完治がいた。
演説人
「え~、本日は皆様に何としてもこの567液体の持つ
問題点を、また液体によって多くの人々が人生を壊されて
きたその実態を知って頂きたく、素晴らしいゲストをお迎え
しております!」
聴衆
「おお~。」
演説人
「え~、それではお待たせ致しました。今夜のゲストは今や
各方面で活躍中の柳沢りんご先生で~す!」
聴衆
「おおお~!」
聴衆の拍手と共に柳沢りんごがお立ち台に上がりマイクを握る。
柳沢りんご・・・・・?
織田完治はふと思い出した。
確か神戸北野のサロンの待合室でつけたテレビ番組のゲスト
に出演していた、あの柳沢りんごが今、織田完治の目の前で
お立ち台に上がりマイクを握っているのである。
演説人
「では、柳沢りんご先生、宜しくお願いしま~す。」
柳沢りんご
「え~、皆さん、こんばんは!」
聴衆
「こんばんは~!」
柳沢りんご
「いやあ、みなさん、私はね、こういう政治的な集会は
全く関わってなかったんですがね、まあ、何と言いますか、
政治には幻滅ばかりでね、政治になんかあばよだって訣別
していた私ですがね、そうは言っておられない状況になって
きましてね、ま、何と言いますか、これはこのまま567液体
が皆さんに注入されますとね、皆さんが人生にあばよって
なりかねない!これはいけないと思いましてね、私はこうして
お招き頂いて立っているわけですよ!」
聴衆
「おお~っ。」
聴衆の1人
「いいぞ~りんご!」
柳沢りんご
「どうですか皆さん、こんなに多くの人々が被害を出して
苦しんで、また倒れたりして、ね、どうしてどうして政府は
それでも567液体を推奨するんですか!おかしいじゃない
ですか皆さん!」
聴衆
「そうだそうだ!」
柳沢りんご
「皆さん、もしも、皆さんの大切な家族が、大切な恋人が、
婚約者が、このようなとんでもない567液体を注入すると
言い出したら絶対に阻止しなければいけません!愛する人だから
こそ阻止しなければいけません!だって事実を知らないんですからね。
知らないままあんな液体を注入したらどうなりますか!」
聴衆
「いいぞ~りんご!よっ柳沢~!」
柳沢りんご
「私がね、ここまでハスキーな声を枯らしてまで皆さんに
訴えたいのはですね、絶対にあのような液体は阻止しなければ
ならないという使命感に駆られているからですよ!今まで私は
実に多くの別れを経験してきましたよ。振られてばかりでした
がね。何度も何度も、あばよってね沈む夕日に涙を流し人知れず
叫んできましたよ!それでもね、また新しい出会いはあるんです。
しかしですね皆さん、今度のこの567液体を注入したならば
もう出会い自体が無いんですよ!」
聴衆
「おお~!」
柳沢りんご
「それこそ人生にあばよってしなければならなくなるんですよ!
大切な人からもあばよって訣別されますよ!いいんですか、それで!
えっ!いいんですか!恋人から、婚約者からね、あばよと
背を向けられてしまう、いいんですか!」
今や多分野で飛ぶ鳥を落とす勢いの柳沢りんごの白熱した
演説が織田完治の胸の中に響いてきた。
理沙の言葉が脳裏を駆け巡った。
回想シーン・鈴木理沙
「あれほど567液体だけは打っちゃ駄目って何度も何度も
お願いしたでしょ!」
回想シーン・鈴木理沙
「私の事、本当に好きなの!?私の事が本当に好きなら今度の
液体だけは絶対に打たないでってあれ程お願いしたじゃない!」
回想シーン・鈴木理沙
「最低ね。見損なったわ。あなたがこんなに羊みたいな男だった
なんて!」
回想シーン・鈴木理沙
「もう終わりね。私達、もうこれで終わりね・・・・・。」
織田完治の胸中にそして脳裏に鈴木理沙の声がこだました。
夜空を見上げた織田完治。
涙で滲んだ視野に広がる有楽町の夜空は霞んで見えた。
柳沢りんご
「どうしても大切な人が、それでも567液体を注入すると
言って聞かない時はどうするのか!いいですか皆さん、覚悟
ですよ、覚悟!真剣に相手の目を見て、そして語りかけるん
ですよ!人生の全ての時間をこの瞬間に託したような思いで。
どうしても君が打つというなら、俺は、俺は、君とあばよだ!
あばよ!あばよっ!とこう叫ぶ!これくらいの気迫で大切な
人に向き合う必要があります!」
織田完治は柳沢りんごのハスキーな甲高い声で何度も何度も
あばよっと叫ばれる演説がまるで自分を否定されたような
強烈な痛みを胸中に響かせて、もはやこの場にいたたまれなく
なって、少しビールで酔った足をふらつかせながら演説を聞く
聴衆の輪の中から抜け出して歩き始めた。
織田完治
「・・・・、ああ、気分が悪いな・・・。」
どれほど当てもなく夜のネオンの中を歩いただろうか。
時折、仕事帰りのカップルや人々が行き交う。
何かポッカリと胸に穴が開いたような虚しさを何かで埋め合わせ
たい気持ちに駆られてきた。
もうしばらく酒を飲みたいと思った。
ふと目の前を見ると小洒落た、しかし清潔感のある店の看板が
織田完治の目に映った。
織田完治
「・・・・、ふ~ん、スナック・キャンディーズ・・・か。」
織田完治はそのままスナック・キャンディーズのドアを開けた。
店長
「いらっしゃいませ。あら、お客様、見慣れない顔ですね。
初めてですね。」
織田完治
「ええ・・。まあ。通りがかりに少し気晴らしにと。」
店長
「どうぞどうぞ。」
誘導する店長とその流れに任せて歩く織田完治。
蘭ちゃん
「いらっしゃいませ。あら、何かイケメンだわね。」
織田完治
「いやあ、別に。」
蘭ちゃん
「どうぞ、こちらに。あら、何か俳優の織田裕二に似てますね。」
織田完治
「あははは、よく言われます。」
蘭ちゃん
「私ね、こう見えても色々と場数を踏んでいますからパッと
お客様の顔を見ただけで大体の胸中が分かりますわよ。」
織田完治
「えっ、そうなの?」
蘭ちゃん
「まあ、先ずはビールにされますか?」
店員がビールを持ってきて蘭ちゃんに手渡す。
織田完治にビールをつぐ蘭。
蘭ちゃん
「何か胸に痛みを抱えていますわね。」
織田完治
「・・・・・・。いやあ別に。」
蘭ちゃん
「そうかしら。私には分かりますよ。何か喪失感に包まれた
男の顔をしていますわ。」
織田完治
「・・・・・・。い、いやあ、そうかなあ?」
蘭ちゃん
「ほら、声が裏返ってますよ。私には分かります。」
織田完治
「・・・・・。な、何を言うんだよ。俺はこう、今夜はパアッ
と飲みたくなってさ。それで歩いていたらたまたまここに。」
蘭ちゃん
「まあ。強がりなのね。」
織田完治
「強がってなんかないさ。」
蘭ちゃん
「ふふふふふ。取り繕えば取り繕う程、胸の痛みを感じますわ。」
織田完治
「な、何をそんなに分かったような事を言うのかな?」
蘭ちゃん
「まあまあ、先ずは飲みましょう。」
しばらく蘭ちゃんのつぐビールを嗜みながら談笑する。
と、トイレから客が戻ってきた。
蘭ちゃん
「あ、今夜は混みあっていますから相席ですいませんね。
こちらはよくお見えになるコロナ商事の山田幸太郎さんです。」
コロナ商事(株)山田幸太郎
「あ、コロナ商事の山田です。」
織田完治
「織田と申します。」
蘭ちゃん
「あらっ、何かあなた達2人、同じ匂いがするわ。」
コロナ商事(株)山田幸太郎
「えっ、そうなの?」
織田完治
「そう?」
蘭ちゃん
「こちらの山田ちゃんね、色々あって奥さんから締め出されて
いるのよ。」
コロナ商事(株)山田幸太郎
「おいおい、蘭ちゃん。余計な事を言わないでくれよ。」
蘭ちゃん
「あなたも何かそういう感じがするわ。ね、そうでしょ?」
織田完治
「・・・・・。な、何を、そういう根拠のない適当な事を。」
蘭ちゃん
「ふふふふ。まあいいわ。こちらの山田ちゃんはこのウイルス禍
で奇跡的な営業成績を上げて一躍、会社の営業部のエースになった凄い方ですよ。」
織田完治
「へえ、なるほど。で、どのような商品を扱っているんですか?」
コロナ商事(株)山田幸太郎
「ええ、まあ日本社会の同調圧力を商機と捉えた弊社では3種類
のマスクを、つまり世間体マスク、いちおうマスク、とりあえず
マスクという形だけの軽量マスクですね。」
織田完治
「そうですか。俺は色々と教材関係などを扱っていまして。」
店のステージではミキちゃんとスーちゃんがデュエットで
美しいハーモニーを奏でている。
満席の客席から拍手が沸き起こる。
織田完治
「ところで蘭ちゃんですか、蘭ちゃんは今度の567液体は
どうしているの?」
蘭ちゃん
「あ、あれね。あんなものは拒否しますよ。あれを注入するとね
もう歌も歌えなくなっていくから。あなたは?」
織田完治
「いや、いやあ、まあ、少し・・・・。少しだけ注入したかな。」
蘭ちゃん
「あら!それは残念だわ。彼女はどうしていますか?彼女も
注入したの?それとも拒否してる?」
織田完治
「・・・・・・。」
蘭ちゃん
「涙目になっているわね。そういうことね。分かったわ。それが
原因で彼女にあなた、振られたのね?」
織田完治
「う・・・・。・・・・・・・。」
コロナ商事(株)山田幸太郎
「僕も別の意味で肩身の狭い思いをしているけどね。」
蘭ちゃん
「うちのお店、私もミキもスーも看板娘の3人ともあんな
液体は注入しないわよ。仕事上、表向きは注入したとでも
言っておきますけどね。」
織田完治
「そうか・・・。なんか俺って知らなさ過ぎるなあ。」
店員が新たなグラスとビールを持ってくる。
蘭ちゃん
「織田さんですよね。いつまでも暗い顔していないで何か1曲、
歌でも歌ったら?」
コロナ商事(株)山田幸太郎
「いいですね、織田さんですか、パアッと歌いましょう!」
蘭ちゃん
「じゃあ、私がリクエストするわ。じゃあこれ歌ってね。」
蘭ちゃんが曲を入力する。
促されてスナック・キャンディーズのステージに立つ織田完治。
曲が流れ始める。
~主題歌「副作用は突然に」~
何から伝えればいいのか
分からないまま時が流れて
浮かんでは消えてゆくありふれた言葉だけ
君があんまり一途だから ただ素直に打つなと言えなくて
多分もうすぐ雨も止んで二人黄昏
あの日あの時あの場所で君が打たなかったら
僕らは今頃は素敵な睦まじい二人
~つづく~