私は瀬戸内海沿いの広島県竹原市で生まれた
事から瀬戸内海の美しい風景の中で幼少期を
過ごしました。
やがてふと、瀬戸内海は映像や写真で見る
地中海やエーゲ海と何かが似ていると感じる
ようにもなりました。
古代ギリシャにはたくさんの国々があり
それぞれの地方で言い伝えや神々が違い
特色を持っている事を知りました。
何か八百万の神々の日本と何かの共通性が
あるような氣がするようになりました。
時間の取れる時に私は聖書の全てを読み通す
通読の歩みに加えてギリシャ神話も併読する
ようにしました。
そこで少しずつ見えてきた事はギリシャ神話
における絶対神であるゼウスやゼウスの兄弟
で海を治めるポセイドンや同じく兄弟で死の世界
である地下を治めるハデスが聖書には現れない、
出てこないという事です。
これはどういう事でしょうか?
私が感じるのは聖書が記している世界と
ギリシャ神話とは世界が違うという事です。
古代ギリシア文明はやがてローマ文明や欧州文明
にも影響を及ぼしますが、いつしか衰退して
いきます。
中央アジアにいつしかアーリア人が暮らしていて
そのアーリア人が古代ギリシャに入っていきますが
一説によればアーリア人が古代ギリシャを乗っ取り
別の文明にすり替えてギリシャ文明になっていった
というものもあります。
そのアーリア人はやがて欧州やローマにも波及
しますから、アーリア人とは何なのかを知る事が
地球の歴史を知るために大切だと感じます。
聖書には出てこないギリシャ神話の絶対神ゼウス
はオリュンポス山の山頂に住み全能です。
ギリシャ神話は時に苛烈ですが、川や山、海、
農業などにそれぞれの違う役割の神が存在し、
何となく日本の八百万の神々との共通性を
感じないではいられません。
共通性は感じますが同じではないとも感じます。
ギリシャ神話には太陽神も出てきます。
女神も何人か出てきます。
戦争も描かれています。
このように眺めると文明とはそれぞれに全く
違う場所でそれぞれに発生していたとも感じます。
要するに系統が違うという事ですね。
その違う系統が背景となってそれぞれに支配階級
が存在し、私達の日本はそれらとどこでどのように
交わるのかという視点で私は聖書やギリシャ神話
を読み進めていきたいですね。
中世にフランシスコザビエルを筆頭にイエズス会
という秘密結社を通じて支配階級が日本を侵略
しようとしましたが失敗しました。
やがてキリスト教の布教を名目に日本侵略を
目指しましたが豊臣秀吉や徳川幕府により防がれ
これも失敗しました。
やがて幕末に黒船が乗り込み欧米支配階級が
日本を支配しようとしましたが完全には支配
できませんでした。
大東亜戦争に日本が敗れてGHQが日本の統治
をする際に日本の国教をキリスト教にしようと
試みましたがこれも上手くいきませんでした。
支配階級は天皇家をキリスト教に改宗させようと
企みましたが失敗しています。
このように見ると長らく四方を海に囲まれて
護られてきた日本には何かがあると思います。
日本にはなかなかキリスト教が浸透しないと
指摘されますが聖書を読み進めていくうちに
日本人的な世界とは余りにも異質な世界が聖書
には記されていて、日本や日本人にキリスト教
が浸透しないのはむしろ自然だと感じるように
なりました。
キリスト教を批判するのではありません。
しかし日本の風土や気質とは明らかに何かが
違うと私は感じるのです。
日本は西洋でも東洋でもない日本なのだと
私は感じるようになりました。
コリアは日本とは違いキリスト教がかなり浸透
していますが、それは日本とコリアとでは明らかに
民族気質が違いますから、コリアにはキリスト教が
浸透していくのでしょう。
聖書やギリシャ神話を読み進めながら違和感を
感じ、それにより日本にある何かを更に見出し、
日本人として太古日本からの流れる時空を体感
したいと思います。