木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

コンビニ店舗網を戦略的に活用して日本の蘇生を

2023-03-30 23:18:22 | 随想
 今や全国津々浦々に3万店舗近く存在する
コンビニエンスストア。
 ふと思った。
 コンビニ業界が本気になれば日本は再生できる
のではないかと。

 先ず、
・コンビニ弁当を今のような添加物まみれのものから
 無添加の健全な弁当に改める
・コンビニおにぎり、様々な食材も同様
・周辺環境にもよるがコンビニ店舗の2階部分を民間
 保育所などの機能として活用する
・2階部分を設けてフリースクールなどの場として提供し
 有意義な用途に活用する
・2階部分を設けてヨガ教室や生花教室、様々な有意義な
 用途に活用する
・良質な書籍を販売する
  1店舗で1冊売れれば単純計算で3万部売れること
  になる
   →日本人の活字離れを防ぎ活字による、特に本を
    読まなくなっている今の状況を改善していく
・コンビニ店舗を新たな拠点として地域の治安の向上に
 活用する
・地方などで快適な場所だが宿泊施設がないというエリアの
 コンビニの2階部分を簡単な素泊まりホテルにする
   →1階のコンビニで食事や日用品、着替えを購入できる
    ので不便ではない
   →コンビニホテルになる
     ※宿泊手続きは1階のレジか端末機より行うか
      センターに連絡して手配する方法など様々な
      やり方が可能
   →これにより宿泊施設がない地方やエリアにも人々が
    訪問したり滞在して時間を過ごすようになり結果的に
    その地方やエリアが活性化できる

などなど。
 コンビニ経営陣が本気になれば日本は良くなるだろう。
 少子化は男女の不妊化の要素も少なくないわけだから先ずは
過剰な添加物や化学物質まみれの弁当やおにぎりを廃絶して
天然の良い食材での弁当だけに改めていくだけでも少子化は
改善できるだろう。

 これだけ津々浦々に張り巡らされたコンビニの店舗網を
上手く活用すれば必ず地域や世の中が良くなるだろう。
 確かに便利にはなったが、便利さだけではなく戦略的に
コンビニ店舗網を活用して日本を蘇生させるという視野で
取り組めばかなり変わってくる筈である。

 思い返せば私が15歳の時、今から34年前に私の故郷の
広島県竹原市に初めてコンビニが出店するという事で話題に
なり、開店日初日には皆が押し掛けた風景が懐かしく思い返
される。
 以降しばらくは酒屋や個人商店が次々とコンビニに改めていき、
「コンビニ経営を数年やればすぐに家が建つ。」
と羽振りが良かった時代もあった。
 今はそのような状況ではないが・・・・・。

 コンビニから身体に悪い添加物まみれの弁当や食材を廃絶し
同時にコンビニで良質な本を販売する。
 利益よりも先ず日本の蘇生に軸足を置いて頂きたい。
 遠回りでも日本が蘇生し活力が出れば巡ってコンビニ業界の
利益にも繋がってくるだろう。

 今はコンビニ(便利)という視野しかないが、これに
コンフォート(快適)、プロデュース、地域リニューアル
という視野と理念を組み込めばコンビニ業界は総合コンビニ
プロデュース業界として生まれ変わり、かつ、日本を蘇生
していく使命感ある仕事に次元上昇し社員やスタッフもやり甲斐
は向上し、更には裾野が広がるために新たな雇用も生まれる。

 見えないように蝕まれ、かなり弱体化された日本だが先ずは
コンビニ店舗網を戦略的に活用すれば活力を取り戻せるように
思える。 
  
コメント (2)
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木村正治ファンクラブは新年度より「木村正治と歩む会」に改まります

2023-03-28 12:19:39 | 随想
 木村正治ファンクラブについて

 昨年3月に関東地方の有志の方々により設立して
頂きました木村正治ファンクラブについてご報告
申し上げます。
 この欄でもファンクラブの紹介をしてきた経緯から
改めてこの欄でも掲載します。

 私の言動に共鳴して頂き、また集う皆様にとって良い場
となるべく有志の方々により設立された木村正治ファンクラブ
について有料会員、無料会員としてご賛同頂きました皆様と
献身的に運営を支えて頂いた事務局担当者には改めて深く御礼
申し上げます。
 感謝の気持ちで一杯です。

 昨年2022年末時点で有料会員が50名、無料会員が
432名ご登録頂いていました。
 ありがとうございます。

 そのような中、ファンクラブ設立に携わられた2名のうち
1名の代表者が昨年夏に体調を崩して倒れられ、以降は事務局
担当者として1名の女性の方が早朝から企業勤務をしながら
空き時間を使って献身的に運営を支えてくれました。
 随時、毎月1回のオンライン交流会の運営などに際しては
男性の方にお願い頂くなどしてファンクラブは皆様の良き交流
のプラットフォームとして機能して、また好評なご意見も頂いて
きました。

 ただ、見えないところでの事務局担当者の時間的また経済的
な負担などがありファンクラブのサイト運営にも経済的な負担
が生じていたことからファンクラブのサイト運営と合わせて
木村正治ファンクラブ自体の運営の根本的な見直しを行う事を
判断致しました。

 また私は芸能人ではありませんので「ファンクラブ」と呼称
される事に照れくさい気持ちもありました。

 またファンクラブを名乗らなくても関西には木村正治の会
というオンラインでの会があり、また随所に私の理解者や支援者
がいらっしゃり私の講演会を主催してくれてきました。
 また先日の仙台講演会も良い磁場になり仙台や東北地方で
木村正治の会を立ち上げようという話も出てきました。
 改めてこの場をお借りしてファンクラブ会員の皆様と事務局
担当者、そしてファンクラブを名乗らなくても私に共鳴し支えて
くれてきた皆様に感謝申し上げます。

 今のファンクラブサイトは今年度つまり2023年3月末日
を以て担当者からの希望により閉鎖となります。
 新年度からは新たに名称を木村正治ファンクラブから改めて
「木村正治と歩む会」
に名称変更をして運営者に過度な負担がかからないような気楽な
集いのスタイルや場にしていきたいと思います。

 4月以降の新年度からの新たな事務連絡の女性担当者も
事情を理解してくださり快く引き受けてくださり決まりました。
 これまでファンクラブ事務局として企業勤務をしながら空き時間
で献身的に運営を支えて頂いた女性担当者には改めて心より
深く感謝申し上げます。
 これまでのサポート、ありがとうございました。

 新年度以降も毎月1回の頻度を目途にオンライン交流会を
行い、また随時、関東や各エリアでこれまでのファンクラブ
が主催していたような感じで「木村正治と歩む会」による主催
で講演会やイベントを企画したいと思います。

 新たな会のサイトは本当に簡略化されたプラットフォームを
作れば良いと思っています。
 また新たなプラットフォームが出来ましたら改めてこの欄
でもご案内致します。
 当面は少人数でも構わないので本当に裏表なく私を支えて
くれる方々や我田引水や打算的ではない方々との中身の濃い
集いの場やプラットフォームでありたいと願います。
 徒に大規模な場にする意思はありません。

 木村正治ファンクラブの有料会員の方々で引き続き
名称改め「木村正治と歩む会」に入会ご希望の方は先ずは
私のメッセンジャーやこのブログのメール蘭からでも直接
ご連絡頂ければ幸いです。
 同様に新たに「木村正治と歩む会」に新規入会をご希望
される方もご連絡頂ければと思います。
 改めてご案内やご連絡致します。

 皆様とより良い磁場と時間空間を共有できれば幸いです。
 今後共宜しくお願い申し上げます。

 2023年3月26日
 木村 正治(きむら まさはる) 

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3月18日(土)は仙台講演会でした

2023-03-26 11:28:58 | 随想
 3月18日土曜日は杜の都・仙台にて私の講演会が
行われ、仙台市内や仙台近郊、青森県や新潟市内、関西
からお集まり頂いた皆様と良い磁場を共有して有意義な
時間を過ごせました。

 当初の主催者が諸事情で来れなくなる事態の中を
新潟市内から駆け付けてくれた横山さんと松島さんが
迅速に受付対応を臨機応変にしてくれて、まるで主催者
かのようにフォローして頂き、お陰様で講演会は大成功
となりました。
 思い返せば私の初の講演会を主催して頂いたのが新潟市内
の皆様で、その時は120名前後の方々がお集まり頂き
盛況で、それ以降に各地から講演会の依頼が寄せられるように
なりました。

 様々な思いが蓄積された思い出の地・仙台にて最初の
原風景の主催者が協力して頂いた事は私にとってとても
嬉しいことでした。

 講演内容は仙台ご当地の話を歴史的な認識を踏まえて
かなり時間を割いて話した後に東日本大震災の話、利権構造
の話、時事問題などを展開し13時30分から17時までが
あっという間に過ぎました。
 講演会終了後は希望者により会場近くの店にて懇親会を
行い話に花が咲き、更にはカラオケにて皆様と歌い語らい
楽しく過ごしました。
 勿論カラオケで私はさとう宗幸の「青葉城恋唄」を歌い
ましたね。
 ご当地の曲だけに盛り上がりました。

 何やら仙台木村正治の会を立ち上げるとか話が盛り上がり
感謝の尽きない1日となりました。
 
 ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。

 翌日から数日、仙台に滞在し懐かしい杜の都や近郊を
散策しました。
 10年ぶりに佇んだ青葉城址は環境が整備されて見晴らし
が良くなっていて杜の都を遥かに見渡せる爽快なパノラマ
風景になっていました。
 天気が良かったので遠くに太平洋も見渡せました。
 広瀬川の清流も懐かしく眺めうららかな時間が過ぎました。

 仙台は文化水準も高く住んでみたいと思う街です。

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野茂英雄氏が開拓した日本野球の世界への道

2023-03-23 11:11:28 | 随想
 昨日たまたま入った店でWBC(ワールドベースボール
クラシック)の日本優勝の瞬間を見た。
 大谷翔平選手の人格的魅力が更に伝わった画面である。
 素晴らしい。

 大谷翔平選手、ダルビッシュ有投手、イチロー選手も
そうだったが日本の野球が世界レベルになったのは
野茂英雄のおかげである。
 一昔前、日米野球などを見れば一目瞭然だったが日本
の野球は大リーガーに全く歯が立たず大人と子供くらいの
実力差が明らかだった。
 投手はメッタ打ちに遭い打者は大リーグ投手の速球に
封じられる、そのような試合光景だった。
 そのような時代の中で単身で挑戦し日本人選手が大リーガー
として通用し活躍できる道を拓き、その姿を世界に認知させた
のは野茂英雄であった。

 野茂英雄の挑戦と成功が無かったならばその後の大リーガー
としてのイチロー選手やダルビッシュ有投手、大谷翔平選手
の大リーグへの道自体が無かったのだから。

 当時、大リーグ挑戦を公言した野茂英雄に対して所属して
いた近鉄バファローズを始めほとんどの日本人は
「野茂英雄は身の程知らずだ。」
「野茂英雄は通用しない。」
など散々にバッシングの嵐であった。

 野茂英雄の挑戦と成功が今日の日本の野球の水準を世界
レベルに引き上げた。
 だから私は大谷翔平選手おめでとう、ダルビッシュ有投手
おめでとうと言うのと同時に野茂英雄に対する敬意を選手の
皆さんや関係者は決して忘れてはならないという事をここで
述べたい。

 野茂英雄さん、ありがとうございました。
 WBCで日本が優勝する光景を生んだのはあなたのおかげ
だと日本人として心より感謝申し上げます。

 それにしても日本代表の姿は良かった。

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土井晩翠の旧家を訪ねて荒城の月の背景を知る

2023-03-20 21:11:03 | 随想
 仙台にて私の講演会が行われた事に際して
仙台市内に滞在している。
 講演会の模様は後日改めて投稿する事にして
今回は仙台での時間を述べてみたい。

 週末に仙台の晩翠堂を訪れ管理人の方としばし
語り合った。
 仙台は土井晩翠が過ごした地で土井晩翠が永眠
した時のベッドや布団が当時のまま保存されている。
 管理人と語り合ううちに唱歌「荒城の月」の作詞
の背景の疑問が解けた。
 若い頃から知りたかった答えである。

 荒城の月の作詞者である土井晩翠だが会津若松鶴ヶ城
の荒れた様を嘆いて往古を偲んだ詩だという説と仙台の
青葉城址に佇んで往古を偲んだという説とがある。
 どちらが本当なのだろうかと若い頃から私は疑問に
思っていた。
 答えは両方だとの事である。

 戊辰戦争で壊滅した会津若松はその後、薩摩長州政府の
方針で城も一切手を加える事が許されず荒れるに任せていた。
 草が茂り弾痕や戦跡の残る荒れ果てた会津若松鶴ヶ城を
訪れた土井晩翠。
 ふと朽ちかけた天守閣の中に入ると壁に矢じりで刻まれた
歌があった。

 明日の夜は いずくの誰か 眺むらん
 慣れしお城に 残る月影

 これは会津藩が薩摩長州に降伏し落城が決まった夜、
血潮に塗れた中で屈辱のすすり泣きが絶えない城内で
会津藩女性戦士だった山本八重が無念の思いを刻んだ
歌であった。
 これを見た土井晩翠がこれぞ荒城、と着想を得て荒城
にかかる月夜の情景を作詞したというのだ。
 これと併せて土井晩翠の地元仙台の青葉城址にもよく
登っていた事で、同じく廃城になった青葉城址の寂れた
姿をも併せて日本人の唱歌・荒城の月は生まれたという
のが真相であった。

 同志社大学卒業生の私は管理人の口から同志社大学
設立のために新島襄と共に奔走した妻の新島八重、旧姓
山本八重の名前が出た時には鳥肌が立った。
 何というシンクロニシティーかと。
 同志社大学卒業生でもこれは知らないですよと管理人
に伝えたら喜んでいた。

 実はこの日の先日の仙台講演会後の懇親会でカラオケに
も皆様と行き、私は堀内孝雄の「愛しき日々」を熱唱し
間奏の時にマイクで山本八重が城の壁に刻んだこの詩を
述べたのだった。
 その翌朝にふらりと入った土井晩翠の旧家で管理人の
口から山本八重が城壁に刻んだこの詩を聞くとは素晴らしい
シンクロニシティーである。

 土井晩翠が臨終を迎えた当時のままのベッドに深く一礼を
して旧家を後にした。

  ~荒城の月~

春 高楼の 花の宴
めぐる盃 かげさして
千代の松が枝 わけ出でし
むかしの光 いまいずこ

秋 陣営の 霜の色
鳴きゆく雁の 数見せて
植うる剣に 照りそいし
むかしの光 いまいずこ

今 荒城の 夜半の月
かわらぬ光 誰がためぞ
垣に残るは ただかつら
松にうたうは ただ嵐

天上 影は 変わらねど
栄枯は移る 世のすがた
写さんとてか 今もなお
ああ荒城の 夜半の月
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