木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

耳を疑ったワクチン制度化のラジオニュース

2012-12-29 18:33:16 | インポート
 年末の光景の中、車を運転しながらラジオを聞き流し
ていると耳を疑うニュースが流れてきた。
 2013年3月までの時限立法として現在、子宮頸がん
ワクチンの無料接種を推奨しているがそれ以降は何と政府
が子宮頸がんワクチン接種を制度化するとの事である。
 子宮頸がんワクチンのリスクについてはこれまで何度も
この欄で述べてきたので詳述しないが多くの識者や専門家
が警鐘を鳴らしているこのワクチンを制度化するという感
覚が理解できない。

 しかも手段が巧妙である。
 子宮頸がんワクチンだけを制度化したならば良識ある人々
から反対運動が生じないとも限らないと踏んだのだろうか。
 子宮頸がんワクチン、日本脳炎予防ワクチン、インフルエ
ンザ予防ワクチンとを3点セットにして子供達への接種を制
度化するとのことである。
 識者や専門家が指摘しているように子宮頸がんワクチンを
接種したならばその子供が成人した時に高い確率で妊娠でき
ない身体にされるという懸念が完全に払拭、解消されるまで
は接種を見合わせるという健全な行政判断や政治判断が何故
できないのかと疑問を禁じ得ない。
 我が国の政府は一体どこの国の政府なのだろうか。
 日本国民の為の政府なのだろうか。

 このまま子宮頸がんワクチンの接種が10年連続で継続さ
れたと想像すると戦慄が走る。中学3年生の15歳の女子生
徒は10年後に25歳になり出産適齢期を迎える。10年連
続で接種が継続されたとすると10学年の女児達の多くが指
摘されているリスクを内包する事になる。
 もし指摘されている通り、不妊が続出し隠しきれない状態
になったらどうするつもりでいるのだろうか。官僚は公務員
特権で責任を逃れられると踏んでいるのだろうか。まるで他
人事のように危機意識が感じられない。
 今の中学3年生の女子生徒が25歳になる頃は10学年連
続して接種が行われており国の被る被害は甚大なものになる
だろう。

 100年後のどこかの歴史の教科書に以下のように記述さ
れないように願う。
「アジアの東の端にある列島にかつて日本国という日本民族
 による国家がありました。太古以来の連綿とした文化を持
 ち経済発展を遂げて栄えた国家は、国民の富による税金に
 より女性を妊娠できなくする液体を政府が推奨し長年に渡
 り女児に接種させ続けた事で子供が著しく生まれなくなり
 深刻な事態をもたらせる人口断絶になりました。
 かねてより深刻な少子高齢社会に直面していた日本国とい
 うアジアの先進国は自分達の政府の施策で人口が消滅する
 という事態に見舞われ、高齢世代だけになった国家は大混
 乱となりました。
 これに加えて断層の上に建設され子宮頸がんワクチンと同
 様に危険性が指摘され、大震災による原発事故という惨事
 に見舞われたにも拘わらず次々と原子力発電所を稼働させ
 ていたところ、2度目の大規模な原発事故が生じもはやこ
 の美しい列島の大部分に人々が居住する事が不可能となり
 ました。このため日本国というアジアの先進国は・・・・」

 このような過去としてどこかの歴史教科書で回顧されるよ
うな事態にならない事を切に懸念するのである。
 どうして一度決定された内容はどれほど専門家や識者が危
険性を指摘しても国民が疑問を呈しても止まらないのだろう
か。まさか一度決定した内容を覆す事は良くないという面子
が深層にあるのではなかろうか。
 面子で国が滅ぶという事がないように願う。

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本質を知り、認識しなければならない事(3)

2012-12-25 22:22:21 | インポート
 国家というものが充実して初めて個々の人々の日常も
安定すると私は思う。国家の存在を否定する考え方が一
部の間で出ていたが、国家が荒廃もしくは揺らいでいて
個人の日常だけが充実するという事は不可能である。個
人の自由を主張し得るのも日本国という国家が確かに存
在して日本人としての生活圏や日常が守られているから
である。
 国家をどのようなものとするのかを謳ったものが憲法
であるが、永年、私達日本人は憲法という概念を前に紛
糾し時に思考停止してきた。それもその筈、戦後の仕掛
けられた虚構論理の上に、しかもそれらを知らされない
ままに多くの日本人識者は憲法という幻影を論理として
論じてきたに等しいからである。
 憲法学でも憲法論でもなく、憲法に私達はいかに向き
合いこれを皮膚感覚として自分達のものとして機能させ
ていくのか、時代に対峙していくのかが問われている。
 日本国憲法がいかに仕掛けられていたのかをモルデカイ
モーゼ氏の著作より抜粋引用して皆で考えていきたい。
 以下、抜粋引用する。

 
 著書名:あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい
 著者名:モルデカイ・モーゼ
     久保田政男 訳
 1999年5月20日 日新報道


⑤戦後病理の背景 日本国憲法はワイマール憲法の丸写し

 日本国憲法の評価について、日本国中は真二つに割れて
いるようである。一方は、この憲法は占領軍の押しつけた
ものであり日本の実情にはなじまないという主張のようで
あり、もう一方はこれを絶対善として何がなんでも一指だ
に触れさせじと固持しているようである。私の見るところ
両者ともこの憲法の隠された深奥部にある本質を見抜いて
いないように思われる。前者の考えは一面の真理ではある
が決して十分ではない。後者は論理的思考を欠く信仰の所
産としか言いようがない。
 日本人はいまだ、この憲法の本質がユダヤ的思考の所産
であることを全くご存知ないように思われる。これは不幸
な事である。この憲法の本質を知るには、ユダヤ問題を持
たない日本人にはあまりに距離があり過ぎるのかも知れな
い。これはどうしてもユダヤ人が本質解明の道案内をしな
ければ、日本人は永遠にこの憲法の持つ強烈な宗教的呪縛
力の桎梏のもとにあえぐ事になるかも知れない。一ユダヤ
人として、そうとあらば、このまま放置しておくには余り
にも重大な責任を負わされているような気がする。何故な
らば、この憲法の作者はユダヤ人であり、そこに貫かれて
いるものは第二次大戦終結時では既に極めて時代錯誤的な
ユダヤ思想だったのだ。いや、単に時代錯誤にとどまらな
いかも知れない。そこにもっとも致命的な我々ユダヤ人の
犯した誤ちがあったのだ。
 今日日本人の皆様がこの憲法に潜む矛盾から逃れる道は
この憲法の奥に秘められた本質をできるだけ早く掴むため
先ずそのルーツを白日の下に曝す事であろうと思う。
 私はこの憲法を一言で表現するなら「往来で道を尋ねら
れた時、故意に反対の方向を教えるもの」と言いたい。

 日本では最近とみに識者の間で、今日の日本はワイマー
ル体制末期のドイツに酷似しているのではないか、と言わ
れているようである。これは真に興味深い事であると思う。
 この原因は、ワイマール憲法と日本国憲法の類似性にあ
ると思う。というより、日本国憲法はワイマール憲法の丸
写し・・・しかもかなり杜撰・・・であると言ったほうが
正確であろう。
 ワイマール体制の支柱となったワイマール憲法は、ご存
知の通り、ユダヤ人で内相も務めたヒューゴ・プロイス以
下3名のユダヤ人によって作られたものである。また日本
国憲法はこれもご存知の通り、ユダヤ人ケーディスを中心
としたGHQのニューディーラーによって僅か2週間とい
う短日時に作られたものである。
 さてドイツの場合、例の如く国籍別に全てを割り切って
エーベルトやプロイスもドイツ人、ヒットラーもゲッペル
スもドイツ人といった感覚では真相は全く分からないであ
ろう。
 このワイマール憲法が生まれたのも、2年前のロシア革
命と軌を一にするものであり、前世紀のフランス革命から
始まるユダヤ民族の反撃戦の一環であるという認識なくし
ては、本質の解明は不可能であろう。
 後進的なロシアでは暴力革命という手段に訴えて成功し
た。しかし資本主義が発達し代議制度も発達していたドイ
ツではそうはいかなかった。しかしあらゆる努力の結果、
とにもかくにもワイマール共和国というユダヤ政権を樹立
したのは1%にも満たないユダヤ人である。この体制を維
持するため早速、憲法の作成にかかったのである。
 従ってその憲法の本質とするところは、今までドイツ国
内において差別されていたユダヤ人に対して彼等の権利を
大幅に獲得させるものでなければならない筈である。また
同時に政府の要人のほとんどをユダヤ人で占めているワイ
マール体制というものをユダヤ革命政府として今後とも維
持していかなければならないと当然である。以上の目的の
ためユダヤ人が作成したのがこのワイマール憲法である。
 しかしこのワイマール憲法の作者ユダヤ人プロイス以下
のユダヤ賢哲達は教条主義に陥っていたと言わねばならな
い。
 ワイマール憲法の最大の目的はユダヤ人にとって自己の
中世以来の差別を撤廃し、平等権を確立することであった。
この点は以下に見る如く全てに渡って成功している。プロ
イスはそのへんまでで止めておけば良かったのである。と
にもかくにもドイツ国民と平等な権利を獲得したのだから。
 しかしプロイスはここでちょっと色気を出した。それは
ユダヤ民族の反撃戦のプログラムの要諦ともいうべき要素
の指示するところを盛り込んでしまったのである。それは
簡単に言えば19世紀のプログラムであるマルクス主義か
ら一歩飛躍した闘争方針の要諦を指示するものと言えよう。
 その一歩飛躍した闘争方針というのは、マルクス主義が
経済的闘争の道具であるのに対して、これは神経戦、心理
戦を主とした闘争の道具とするものと言えよう。簡単に言
うと「人間の純度」を落とす事を狙いとしたものである。
人間を闘争本能丸出しの動物的なものに回帰させるのを目
的とするものであり、それにより既存の国家を内部から崩
壊させようとするものである。それに対しては後にゲッペ
ルス宣伝相がドイツ国民に警告する文書を公布している。
 この計画の手段となるのがフランス革命の時用いた「自由」
「平等」である。「自由」「平等」のスローガンはまたも
や役に立つことになったのである。
 ただし今回はフランス革命の如き、素朴に「自由が欲し
い」「平等が欲しい」といったものではない。この違いは
18世紀の未成熟社会と20世紀のドイツの如き成熟社会
との差によって生じる。成熟社会における「自由」「平等」
は調和を崩し、国内を収束のつかない混乱に導くものであ
る。さらに「自由」と「平等」の2つの概念の非両立性に
よりその矛盾、混乱は幾何級数的に増大する。
 我々ユダヤ人は「自由」「平等」という言葉の裏にかく
も恐ろしき毒素を含んでいた事をはっきり知らなかったの
である。全く頭が悪いと言われても仕方がない。プロイス
はこれをワイマール憲法に盛り込んでしまったのであった。
これはまさしく教条主義的態度であったと言えよう。
 ワイマール体制というのは既に自分達ユダヤ人がレーテ
(権力)を握っているのである。自分達が直接君臨してい
る国家では敵(非ユダヤ人)に国家を突き上げる「自由」
「平等」を吹き込む事は、上を向いてツバするが如き自己
撞着である筈である。つまり自分達の政府の下で「自由」
「平等」をかざして突き上げが起こっては困るのは当然で
はないか。しかるにプロイスはこれを盛り込んでしまった。
これは信じ難いほど頭が悪いと言わねばならないだろう。

 ※ワイマール憲法がナチズムを生む

 このワイマール憲法に対する闘争として起こったのが外
ならぬナチズムである。
 本来ならドイツ国民は内部分裂によってその突き上げで
ワイマール政府を倒す事になる筈である。しかるにドイツ
国民の反応はそれとは正反対に完全無比な国民的統合の精
神によってそのワイマール体制を倒したのである。
 何故こうなったのか。賢明なドイツ国民は真理に背くも
のを看破する能力を持っていたという事である。「自由」
と「平等」は非両立性を持つ概念である。その点をドイツ
国民が見抜いた結果起こったのがナチズムなのである。
 有斐閣発行の六法全書には日本国憲法の前項にアメリカ
独立宣言の一部が載せられており、これをフィルターにし
て日本国憲法を考えよと言わぬばかりである。或いは編者
達も感性的認識ながら日本国憲法のルーツを感ずいている
のかも知れない。しかし漠然とした認識では本質を極める
事は困難かと思われる。
 18世紀の大西洋革命(アメリカの独立とフランス革命
を合わせたもの)の時代の「自由」「平等」の相反するス
ローガンが基本概念として日本国憲法の真理に背く本質の
根源を見極める上で大なる力となる事は勿論だが、直接的
にはワイマール憲法にメスを入れる事が不可欠と思われる。
しかるにこのワイマール憲法に関する研究は日本では非常
に少なく、また日本国憲法との比較研究が全くと言ってい
いくらいお目にかかれないのは、一体どうした事だろうか。
 それにはやはり理由があるようである。

 ※ワイマール憲法は国際的にタブーである

 ワイマール憲法そのものが国際的にタブーとなっている
ことである。口でこそワイマール憲法というものは決して
珍しい言葉ではないかも知れないが、現実にその内容に関
してはタブーの網が張られている事に存外気がつかないも
のである。
 他章でも述べる如く、フランクリン・D・ルーズベルト
はユダヤの世界では今日絶対のタブーとなっている。従っ
てルーズベルトに関する当り障りのない評は色々出ている
が、その本質をうがったものは皆無に近いと言えよう。こ
のため、第二次大戦の真因はだいぶ混乱させられているの
だ。
 では何故、ワイマール憲法はユダヤ人にとって都合が悪
いのであろうか。それはその本質を徹底的に掘り下げれば
分かる事であるが、そこに発見されるものはナチズム台頭
の必然性である。何故ナチズムが発生したのか。今日まで
ナチズムに関する著書はあまたあるが、真因を突き止めた
ものは無いようである。大抵の場合、例の「集団的発狂伝
説」と言われる類のものである。しかしこのワイマール憲
法を深く掘り下げる時そこに発見されるのは、自然の摂理
に背くものを内包しているという事である。ひるがえって
日本国憲法のルーツを探るためにも、このワイマール憲法
の本質にメスを入れる事が焦眉の急となってくるわけであ
る。このワイマール憲法というものは一口で言えば、中世
以来、言語に絶する苦難の道を歩まされた在独ユダヤ人の
血の出るような最低限の要求を実現させたものと言えよう。
問題がそれだけなら、それはそれとして結構であると言う
べきかもしれない。しかし実はそれだけではすまないもの
である。ここにこそ問題が秘められていると言えよう。こ
の点については逐次詳述するが、日本国憲法も重要な部分
はこれと全く軌を一にするものなのである。
 ワイマール憲法は表面に出す事をタブーとされ、日本国
憲法は改訂を唱える事をタブーとされている。真に皮肉な
パラドックスである。何故このような逆説が生じるのか。
その理由はドイツ国民はワイマール憲法を瞬く間にその虚
構性を発見して引きずり下ろしたが、日本国民はいまだに
その虚構性を発見できずその呪縛の中で眒吟している事に
あると言えよう。
 ユダヤ人はワイマール憲法に関しては今述べた如く内容
を吟味する余地を与えず、「最も民主的な憲法」というふ
うに盛んに言葉の上だけの宣伝をしているのである。それ
が更に日本では尾ひれをつけられて「平和憲法」というふ
うにまで拡大されている。例えば国家公務員試験にこんな
のがある。例の○×式解答を求めるもので、「日本国憲法は
ワイマール憲法の平和主義を含めた基本原理を全て継承し
た現代資本主義憲法である」というのがある。こういう問
題に答えさせられる受験生こそいい迷惑と思うが、それは
それとしてワイマール憲法を「平和憲法」とするのは一体
何の根拠からか。恐らくは日本国憲法との類似性を質する
問題を作成する者のことであるから、短絡に日本国憲法が
「平和憲法」と言われるぐらいだから類似性の強いワイマ
ール憲法もそうであろうといった程度の認識から発したも
のと思うが、いずれにせよ「平和憲法」とまで拡大評価さ
れてはさすがの我々も少々くすぐったいのである。
 話は少し横道へそれたが、ワイマール憲法を「民主的」
と宣伝する我々であるが、憲法の中身には「民主的」とい
う言葉は一語も出てこない。これは日本国憲法についても
同様である。考えてみれば大変奇妙な事ではないか。実は
この点にこそ、今日的意味の「民主主義」という絶対の善
玉の神を意味する言葉の本質を見出す事ができるのである。
 今日言われている「民主主義」とは何ら実質的概念を伴
うものではない。絶対に相容れる事の無い2つの概念、
「自由」と「平等」に相関関係をもたせる必要からユダヤ
人が考えついたものに過ぎない。非両立性を持つ「自由」
「平等」をバラバラに宣伝したのでは効果が薄い。従って
この矛盾する両概念を並行して同時に追求させてこそ真の
効果を期待できると考えたものである。つまり「民主主義」
の役割は相矛盾する両概念のコーディネーターという事で
ある。

              ~以上、引用を終える~



 この著書は焚書されたとは聞いていない。
 実に考えさせられる当事者の話である。
 そもそもこの著書が発行された当時に比べて、今では
ルーズベルト大統領の本質を検証している文献も発行され
ているから時代は少し前に進んだと言える。
 いかに本質を知り、本質に基づいて物事を認識し考えて
いかなければならないかを改めて考えさせられる。

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本質を知り、認識しなければならない事(2)

2012-12-24 01:05:24 | インポート
 もう少しモルデカイ・モーゼ氏の著書より抜粋引用し
て私達日本国民の柱となる様々な本質を皆様と考えてい
きたい。
 以下、抜粋引用する。

 著書名:あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい
 著者:モルデカイ・モーゼ
    久保田政男 訳
 1999年5月20日 日新報道


④日本人の知らない東京裁判の本質

 東京裁判は日本の戦後史の始まりというにふさわしく
非常に深い意味を持っている。戦後日本の価値感覚その
他が戦前と180度の転換を見せたといわれるが、その
原点はこの東京裁判にある。
 マルクス主義階級闘争史観というものが観念的には大
正時代から移入され、日本国内のインテリの間で色々議
論されてきたものである。しかし、これらは現実の問題
としては何ら国民に影響を及ぼすものではなかった。
 しかるに東京裁判によって持ち込まれたマルクス主義
の階級闘争史観は、この裁判に続く日本国憲法の持ち込
みによって日本国民の価値観を180度転換させるまで
の大きな影響を及ぼす事になった。東京裁判の本質はマ
ルクス主義の唯物史観における階級闘争の持ち込みにこ
そある。この二元論の持ち込みにより、以後、日本の内
部は収拾のつかないような内戦状態に陥ることになった
のである。
 もともとこれを持ち込んだ勢力の目的とするところは
唯物史観にある如く国家を内部闘争により破壊、てん覆
させる事にあるのであるから、当然の帰結であると言え
よう。東京裁判は先ずそのような思考パターンを植え付
ける目的に利用されたものであり、それに続く日本国憲
法の持ち込みにより階級闘争史観という二値論理に市民
権を与えてしまったという事ができるであろう。
 それでは東京裁判によって演出された二元論的思考の
植え込み、階級闘争史観の設定の現実を見て見よう。
 その方法は、日本国民を二極分化させる事から始まる。
即ち、マルクス主義の階級闘争史観は、全ての歴史は支
配階級と被支配階級の間における階級闘争の歴史である
と主張するものであるのは御承知の通りであるが、この
論法を持ち込むのである。

 今度の戦争は日本の支配階級、「天皇制軍国主義者」
の起こしたものであり、被支配階級である大多数の日本
国民に責任はない、否、むしろ被害者である、一握りの
天皇制軍国主義者に騙されていたのである、とする二極
分化論である。この論法はかつて北京を訪れた日本の各
層の人々に故・周恩来首相が常に口にしていた論法と同
じであることからも、これがマルクス主義の階級闘争史
観であるという事はご理解頂けると思う。
 この勢力はマルクス主義を自己の目的のため手段、道
具として利用する勢力である。日本の戦後支配の出発点
において早速、自己が創造したマルクス主義という虚構
仮説を持ち込んだのであった。これは実に有効な手段、
道具として役立ったのである。
 その第一は、自己の戦争責任の免責である。自己が火
の粉をかぶる前に、その責任を日本の「支配階級」、す
なわち「天皇制軍国主義者」に転嫁することに成功して
いる。しかも、以後自分達に追及の手が伸びる事のない
よう、一般日本国民に対しては一見寛大とも錯覚させる
被害者意識を植え付ける事が可能なわけである。
 つまり前述した故。周恩来首相のたびたびの言の如く、
責任はあげて「天皇制軍国主義者」にある、日本国民に
責任はない、否むしろ日本国民は被害者である、とする
論法である。こう言われると、日本国民は戦争責任者の
追及はすでに終わったと錯覚する。それというのも、日
本国民自身が免責されているのであるから、この論法は
耳触りのいい事この上ない。かくて、日本国民は以後す
っかり戦争責任は一握りの「天皇制軍国主義者」にある
との論を植え付けられ、真の責任者の追及を放棄したの
である。
 マルクス主義と言うものは、これを手段として有効に
利用する者と、逆にこれに利用される者との二者がある
のである。前者が後述するニューディーラーであり、後
者が日本共産党である。
 ニューディーラーは実に巧妙に階級闘争史観を駆使し
自己の戦争責任の免責に成功したかに見えた。果たして
そううまく事が運ぶものであろうか。ここに、この勢力
の予想だにしなかった事態が起こるのである。
 この勢力の駆使するのは正真正銘のマルクス主義の唯
物史観に基づく階級闘争史観である。その証拠をあげて
みよう。それは日本共産党が戦前から主張していた講座
派史観とピタリと一致することである。もともとこの勢
力こそ、マルクスに変革のための虚構ハイポセシスの構
築を依頼した張本人なのである。

 さて、この勢力が東京裁判に持ち込んだマルクス主義
の階級闘争史観が戦前からの日本共産党の講座派史観と
ピタリと一致するという事から、当然の事ながら日本共
産党がこの東京裁判の結論に飛びついて来たわけである。
 日本共産党の講座派史観からすれば、よくぞ我々のや
るべき事を代行してくれたと言いたいところであろう。
かくてGHQの前で赤旗を振り、「万歳」と叫ぶことに
なる。
 ところが、前述の勢力は日本共産党という協力者が現
れたためそれに足を引っ張られ、東京裁判でまんまと成
功したかに見えた自己の戦争責任の免責を危うくされる
破目に陥るのである。
 この勢力の構築した虚構仮説を自己絶対化することを
その存在理由としている日本共産党は、忠実に戦争責任
を「天皇制軍国主義者」であると主張している。ところ
が日本共産党が世界観と仰ぐ唯物史観によると、戦争の
要因はその社会体制の中に存する経済的要因により起こ
ると説く。資本主義体制では必然的な戦争要因を内蔵し
ている。しかし社会主義、共産主義体制に転化するとそ
の必然的戦争要因は完全に除去されると説いている。し
かも、その資本主義体制から社会主義、共産主義体制へ
の転化は歴史的必然性であるという。その歴史的必然性
を具現化する唯一の前衛が日本共産党であると一貫して
主張している。日本共産党が前衛としての本来的な責任
を果たし日本を資本主義体制から社会主義体制へ、歴史
的必然性という有難い要因の応援も得て転化させていれ
ば、戦争の要因は完全に除去されていたはずである。極
論すれば開戦の責任は一にかかって、日本共産党の無力
と東京裁判を演出した勢力の側の怠慢という論理も成り
立つのである。
 マルクス主義は協力者を募るためにこの勢力が発注し
たものであったが、ロシア革命の時の如くうまく協力者
としてのみ働いてくれるものが現れれば万々歳だろうが、
時には飼い犬に手をかまれる結果となる事もある事を知
らなくてはならない。
 もう一度整理すると、日本共産党が東京裁判の結論に
両手を挙げて賛意を表したために、唯物史観の論理上か
ら「天皇制軍国主義者」が戦争の全責任という彼等の狙
いは揺らいできた。このことは、東京裁判そのものに対
しても打撃であろう。少なくとも、日本共産党の講座派
史観と全く同じ論法を東京裁判に持ち込んだこの勢力は
、今日、自己も無関係とは言っておれまい。
 さて、それでは東京裁判を通じて日本へ持ち込まれた
マルクス主義の階級闘争史観は日本の戦後史へどのよう
な影響を及ぼしたかをつぶさに見てみる事にしよう。

 東京裁判の論法は既にたとえ戦争責任については逆転
されたとしても、深甚なる影響を日本の戦後史に与えて
しまっている。
 先ず第一に、日本の社会へ階級闘争を持ち込んだ事で
ある。これは、続く日本国憲法へ実体法のカテゴリーに
属す条項を挿入する事によって、確固たるものとして定
着させられてしまっている。この階級闘争もさることな
がら、より大きい病巣は宗教性の呪縛であろう。
 前述の東京裁判式の論法は、善玉・悪玉論理を育む事
になる。戦争責任はあげて一握りの支配階級たる天皇制
軍国主義者にある、大部分の国民はむしろその被害者で
あるとする論法は、先ず第一に戦争責任者を国外に求め
る事を忘れさせる効果を持つ。また、これにより旧敵国
がいかにも雅量のある物分かりのいい寛大な存在に映り、
以後の占領政策をやりやすくする効果を持つ。しかしこ
れらよりも大切なことは、支配階級というものは常に悪
玉であるとする思潮が生じる事である。それに対して自
分達は被害者、すなわち善玉なのだと信じ込ませる作用
を持つ。ここにユダヤ教的善玉・悪玉の二値論理が持ち
込まれる事となる。
 こうして、悪玉、すなわち「天皇制軍国主義者」に
「支配」された戦前の日本はすべて悪であるとする観念
が生じる。逆に自分達を被害者=善玉と規定してくれた
アメリカ占領軍の以後の政策をすべて善と感じるであろ
う。
 さらに、支配階級というものは常に悪玉であると教え
込まれると、戦後の政権担当政党も支配階級の代弁者で
あるから当然悪玉である。故に、これにことごとく反対
する事は善玉の崇高な使命であると信じ込まされる事に
なる。今日みる如く政権担当政府のやることには何も反
対する思潮は、このようにして東京裁判を通して巧妙に
持ち込まれたのである。
 そうして、これらを確固不動のものにするため日本国
憲法を作成し、その残置諜者として日本共産党を利用す
る事になるのである。次なるものはいよいよ日本国憲法
という事になるわけである。

              ~以上、引用を終える~




 私達が戦後にはめられ、抜け出せないでいる思考や仕
組みのくびきはどのようにして取り込まれていったのか
を知る文面である。くびきの始まりの本質を知ると後の
世代や後の世において、このくびきから脱するための方
策を考える事ができる筈である。
 以降、しばらく抜粋引用を続けて皆様と本質を考えて
いきたい。

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本質を知り、認識しなければならない事

2012-12-20 22:50:17 | インポート
 私達日本国民が今後、未来に向けて真にフェアな視点
で検証するべき課題は例えば東京裁判、日本国憲法であ
る。1945年の時点で力で屈服された我が国は全てに
おいて茫然自失となり、まさに全てを棄てようとした。
 そういう我が国を疑問の目で見ている外からの目があ
る。日本は何故、敗戦した事で全てを否定し棄てようと
するのかと例えば海外のユダヤ人が述べている。

 モルデカイ・モーゼというユダヤの長老が懺悔の念で
我が国について述べている文献がある。1979年に日
本語訳されて我が国にて刊行されている。
 我が国の柱の幾つかについて考えさせられる考察であ
るので引用して皆様と共に感じ、考えてみたい。
 以下、抜粋引用する。

 著書名:あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい
 著者:モルデカイ・モ-ゼ
    久保田政男 訳
 1999年5月20日 日新報道

①天皇制は古代からユダヤ民族の理想だった

 日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。これは全く
世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするも
のである。
 かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想
的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な
「社会契約論」で次の如きことを言っている。
「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に
 利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想
 とするが、そのようなものが地上に存在するはずもない
 だろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶの
 である」
 ここで言う君民共治というのは、君主が決して国民大衆
に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大
衆も君主から搾取されることのない政治体制の事である。
 ところがここで驚いたのは、日本人にこの話をすると皆
不思議そうな顔でキョトンとする。私は最初その意味が全
く分からなかった。しかし、だんだんその意味が分かって
きた。日本の天皇制にはそのような搾取者と被搾取者の関
係が存在しない、という事を私が知らされたからである。
今度は私の方が驚かされた。
 日本人のためにちょっと説明しておくと、欧州でもまた
最近追放されたイランの王室でも、君主はみな国民大衆に
対しては搾取者の地位にあるものである。従って亡命する
時は財産を持って高飛びする。これが常識である。だが、
日本人の知っている限り、このような事は君主制というも
のの概念の中には全く存在しないのである。
 しかるにユダヤ人ルソーの思想は搾取、被搾取の関係に
ない君主制を求めているわけである。これは確かに理想で
ある。しかし残念ながら、ルソーはそのようなものが実在
できるはずもないから止むを得ず、民主主義を選ぶという
ものである。
 私がルソーの時代に生きていたならば、ルソーにこう言
ったであろう。「直ちに書きかけの社会契約論を破り捨て、
速やかに東洋の偉大な君主国へ馳せ参ぜよ」と。
 ここで非常に重要な事をルソーは言っているのである。
今、日本で絶対の善玉の神として一切の批判をタブー化さ
れている民主主義というものは、ルソーによれば君民共治
の代替物に過ぎないという事である。私が日本人を最高に
尊敬するようになったのも、この天皇制というものの比類
なき本質を知ったからである。
 日本では戦前、比類なき国体という言葉があった。また
ポツダム宣言受諾の際にも、この国体の護持という点が一
番問題になったのである。これは真に賢明な事であった。


②ユダヤ人の教条主義的誤り 戦前の天皇制攻撃

 われわれは戦後の占領政策において大きな過誤を犯した
のであるが、ただ一つの喜びは、天皇制の偉大さを認識で
き、それを憲法の冒頭で存続させる事ができたことである。
 だがここで日本人に謝らなければならないのは、戦前に
おいて我々の認識不足から、天皇制を最大限に攻撃し、な
んとかこれを打倒しようと努力してきたのも我々ユダヤ人
である、という事なのである。全く穴があれば入りたい気
持ちである。
 フランス革命でフランスの君主制を打倒したのが、我々
の最初の大事業であった。続いて、ヨーロッパの主な君主
制を打倒する事が至上任務となるのである。
 何故そうなるのかという事は、マルクス主義の国家論を
お考え頂ければ十分と思う。マルクス主義というものは別
章で詳しく述べる如く、ユダヤ人が自己の民族的解放事業
のための道具として編み出した虚構論理なのである。マル
クス主義の国家論はご存知のように、国家とは破壊、てん覆
すべきものであるという事を根本原理としているものであ
る。国家というものがあるためにユダヤ人は過去幾千年、
迫害、虐殺を繰り返されていたものである。自己をこのよ
うな悲惨な境遇から救うためには、国家というものをてん覆
することが唯一の方法であったのだ。つまり、それにより
ユダヤ人が権力と財産・・・後にこれは生産手段という社
会科学的用語に変えられたが・・・を奪取する事によって
のみ解放されるという事である。これがマルクス主義の根
本原理なのであるが、この国家の破壊という大事業の前に
最も邪魔になるのが君主制という制度であったのだ。その
ため特に、君主制の打倒という事が最大の目的となった訳
である。
 今世紀に入ってからは、第一次大戦時に、ヨーロッパ
の主な三つの王冠、ドイツ、ロシア、オーストリア・ハン
ガリーにおける君主制の打倒に成功したのであった。
 さて後に残された有力な君主制は、東洋の一角に燦然と
輝く日本の天皇制だったのだ。ユダヤ人は、これの打倒に
全精力を注ぐ事になった訳である。
 ただここで、日本人は一つの疑問をお持ちになる事と思
う。ヨーロッパでは各国でユダヤ人が王制のもとに苦しん
でいたのであるからこれらを打倒するのは分かるが、では
何故にユダヤ人のいない日本で天皇制を打倒しなければな
らないのかという疑問であろう。
 ユダヤ人の単純な教条主義的思考なのか、君主制と名の
つくものは全て敵であるとする単純な発想からくる過ちな
のか。答えは否である。このことは日本人は未だほとんど
ご存知ないだろうが、ユダヤ人には天皇制を打倒する理由
があったのである。それについては別章で述べる機会があ
ると思うので、今は触れないでおこう。


③美濃部達吉の天皇機関説はユダヤ人が吹き込んだ

 さて、日本の天皇制打倒の為の最大の攻勢はゲオルグ・
イエリネックによって始められたのである。彼はワイマー
ル時代ドイツの法学界を牛耳っていたユダヤ人である。
 マルクスの時代は、国家の破壊は階級闘争という虚構論
理によるものを主力としていた。しかし今世紀に入ってか
らは、マルクス式に言えば、上部構造よりの破壊を考えつ
いたのである。つまり、法理論により国家機能を弱体化さ
せる事である。特に君主制を骨抜きにする作戦である。こ
のため利用されたのが美濃部達吉である。イエリネックは
美濃部達吉に巧妙に天皇制破壊、弱体化の戦術を授けたの
である。
 その前に、イエリネックの学説の真髄をご紹介しておこ
う。これは戦後の占領改革で行われた「国家」という言葉
を「社会」という言葉に変えられた事についての日本人の
疑問に答えを与えるものでもある。


               ~以上、引用を終える~




 様々な仕掛け、パワーバランスの中に我が国と日本人は
置かれている現状の中で、様々な情報操作や誘導により私
達は殆ど問題の本質を知らされていない。
 私達が私達であるためには国家、私達の在り方、それは
国の在り方や諸制度の是非の本質を理解し良い方向に守ら
なければならないのであるが、適切な判断ができる為には
本当はどのようであったのかという本質を知る事から始ま
る。今後も随時、引用して皆様と共に考えてみたいと思う。         

コメント (1)
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国民による再度の政権交代

2012-12-17 21:48:36 | インポート
 有権者の決断と選択で政権交代が可能になる政治状況
を作ろう、これが民主党の原風景だった。私も政治活動
の胎動から含めれば12年程、当初から一貫して民主党
で活動してきた際の主題は二大政党文化の開拓と定着で
あった。そして東京から大阪へ政治活動の拠点を移し、
自治体政治という入口から入り、東大阪市議会議員を2
期8年間務めさせて頂いた。
 昨日の衆議院議員選挙は一人の国民として参加した。
 そして有権者の判断と選択で再び政権交代が生じた。
 民主党の側から見れば被政権交代となった。
 自民党からすれば政権奪回という展開となった。

 有権者により政権交代が生じるという事は選挙によって
はその逆も起こり得る状況が今後は生じる。2009年
にまるで有権者による維新とでもいうべき選挙による初の
政権交代が生じたが、3年3ヶ月後の今回の選挙では有権
者は新たな政権与党を拒絶し、かつての政権与党に再び与
党の座を与えた。
 これは好ましい事である。
 我が国の政治環境、政治文化という視点からすれば進歩
なのである。これまでは万年与党と万年野党が互いの位置
に胡坐をかき、与党も野党も腐っていた。万年与党は少々
の失政をしてもこれに取って代わる過半数を単独で取り得
る政党が皆無であったため政治が膿んでいった。また万年
野党は最初から政権担当能力など皆無で、全員が当選して
も過半数に遠く及ばないので国民のガス抜きにはなっても
選択肢にはなり得なかった。批判一辺倒の無責任な演説や
現実から乖離した学芸会のような発言をしていても世間か
ら責任を問われる事も無かった。
 ところが二大政党文化の定着で万年与党も万年野党も消
滅し、民主党も野党経験を経て政権与党を経験し、自民党
も政権与党を経験した後、野党を経験した。両政党とも与
野党の双方を経験したという我が国の政治史では初めての
状況下に今はあるのである。
 これは進歩である。
 選挙結果によっては時の流れにより一方が大勝すればも
う一方は目も当てられない程の惨敗になる事もあるがしか
しこれは混乱でも停滞でもない。1945年以降の政治史
という視野で見れば進歩であり、進歩の過程で混乱も生じ
るのである。

 さて、戦後政治の歴史の中で初めて選挙により政権与党
になった民主党は何故、今回の総選挙で有権者の大量離反
を招いたのだろうか。
 まず有権者自体も初めての体験ゆえに過剰に民主党に期
待してしまった点もある。まるで前夜祭のような熱気、何
か素晴らしい時代と世の中を民主党がもたらせてくれるの
ではないかという夢想に近い思い入れがあった事も事実で
ある。しかし風呂敷を広げ過ぎたようなマニフェストの多
くは座礁したり立ち消えとなり政権交代に慣れていなかっ
た有権者は過剰な期待の反動で民主党を批判するようにな
り、やがて離反して行った。
 鳩山内閣が総辞職した時点で、有権者の託した政権交代
としての民主党政権は事実上終わっていたのである。
 その後の菅内閣、野田内閣は絵に描いたように財務官僚
を通じた米国の命令と恫喝の言いなりとなってしまい、国
民があれほど否定した筈の自民党政治と何ら変わらない姿
になり下がってしまったのである。そうして野田内閣末期
には国民の思い、願い、国民の利益にことごとく反するよ
うな政策展開がなされ、これは一体、どこの国の政府なの
かどこの国の内閣なのかと疑う程の姿になった。
 これでは良識ある国民は皆、怒り心頭になる。
 まさに国民の心が民主党から離れてしまったのである。

 戦後から2009年までの膿み切った矛盾を抱えた自民
党政治との決別を託した筈の民主党が、いつのまにか否定
した筈の自民党の二の舞のようになり、国民の心が民主党
から離反し、その反動として行き先が自民党へと転化され
た。従って自民党や公明党が絶大な支持を得て294議席、
31議席の合計325議席になったのではなく民主党の否
定による反動という要素が大きい。
 それゆえに選挙活動をしていた各地の自民党の議員や候
補者ですらここまで大勝するとは実感していなかった筈で
ある。中にはきょとんとした反応で勝利を振り返る自民党
の当選議員もいたほどである。

 我が国の政治の進化の過程として2009年に政権交代
が起こり、更に今回、被政権交代が起こった。これは健全
な姿でもある。
 問題はここからである。
 国民は再び政権与党に返り咲いた自民党と、連立を組む
であろう公明党とが国民が否定した筈の2009年以前の
過ちや負の遺産、膿みを繰り返すのか否かをしっかりと見
て判断しなければならない。
 2009年までの自民党と公明党の連立政権はひたすら
米国の命令に言いなりで、米国や中国を利するような政策
展開を行ってきた。ここでまた米国は今回の選挙によりい
かなる政権が誕生しようとも、いかなる政権与党が生まれ
ようとも必ずTPPへの加入を強要してくる事は明白であ
る。自民党は選挙時点の政策ではTPPには慎重であると
してきたが、与党に戻った途端に豹変して従来のように米
国の言いなりになりはしないだろうか。自民党が豹変して
圧力に負けてTPP加入へと舵を切り替えたならば単独過
半数を持っているが故に国民の不幸と悲劇が始まる。
 何よりも国民の、有権者としての賢明さが求められる。

 今回、壊滅的な敗北を喫した民主党は今後、長い道のり
になるであろうが再び国民の信用を取り戻す事ができるべ
く国民政党にならなければならない。
 自分達の唱えている政策が国益になるのか反するのか、
国民の思いや気持ちを酌んだ現実的なものなのかどうかを
真に吟味して体現していく以外に再起の道はない。
 今回の選挙前に民主党執行部が取ったような、国益に反
する内容であるにも拘わらず所属議員や候補者に踏み絵を
迫り、これに同意しない議員や候補者を排除するというよ
うな偏狭な視野ではかつての社会党の二の舞となって消滅
してしまうだろう。
 国益に反する政策を掲げているのだから当然のごとく大
量の良識ある国民の離反を生じ、拒絶されたのである。
 踏み絵を拒否した議員や候補者の目と踏み絵を迫った側
の目とではどちらが正しかったのだろうか。
 今回の民主党代表は党の代表を辞するだけに留まるので
なく議員辞職するべきである。国民の思いや国益に逆走し
続けて壊滅的敗北を喫したこの責任は重大である。政党の
指導者ならば潔く議員辞職を以ってけじめとされるべきで
ある。
 民主党が原点を取り戻し国民政党になり得ないならば二
度と二大政党の一翼を担う事もなく、また国民の信用を回
復して再度、政権交代を成し遂げる事は不可能である。

 政権交代を生じさせるのは国民であり、また政治を膿ま
せていくのも国民である。

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