木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

違和感を国民に見えるようにする事は政治の役割

2017-02-26 22:31:51 | インポート
 違和感を感じる事を少々述べたい。
(1)日本では多くの人々がガンに罹っているが、アフリカの人々
にはガンに罹る人が少ないという事実は何故なのか?
 アフリカの人々は食糧事情も乏しく食も質素だがほとんどが天然
の食材であることに対して日本人は食糧生産国でもないのに日常に
豊富な輸入食糧品が溢れ、しかも多くの不純物を添加されて含んで
いるものを口にしている事も大いに関係があるのではないか。

(2)昔の日本の各地方、特に農村部では経済的にも苦しく栄養面
も粗末だった中にあって子沢山だった。
 一家に5~6人どころか8人兄弟姉妹という家庭も多かった事実
に対して現在の日本では便利さは当時より比較にならない程に整い
食品も多数溢れていて医療も整い衛生環境も遥かに改善している
のに男女共に不妊が激増して子供が生まれにくくなっているのは
何故か?
 昔には無かった多くの物質や食するもの肌に触れるもの、その他
様々な当時には無かった物が現代人の男女の不妊を激増させている
のではなかろうか。

 この2つの素朴な違和感に対する回答を明確に国民に見える
ようにすることが政治の役割であろう。
 恐らくあらゆる分野のあらゆる人々から激しい抵抗や妨害に遭う
事は明白ではあるが。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの当時の構造変化がもたらした世の光景は

2017-02-20 23:22:47 | インポート
 小泉、竹中政権の時から構造変化が生じ我が国の雇用の4割が
非正規雇用となって以降、やはり若者が社会が疲弊しているように
見えて仕方がない。
 政策や政権の是非はじわじわと例えば10年程の歳月が経過して
から実感として伝わってくるものでもある。
 非正規雇用という立場は給料というのではなく時給いくらという世界
だから時給1000円としても(時給としては高水準)1日8時間勤務、週
5日働いても月収にすると16万円にしかならない。
 アルバイトも同様の土俵である。
 これが総じて若年層の貧困化を激増させており、世帯を持つという
視野に立てない世代層を激増させているように見える。
 手取りが16万円というのではなく収入が16万円ではとてもやりくり
できない。
 家賃、光熱費、健康保険料や年金保険料の支払い、諸々の支払い
をそこから差し引けばほとんど手元には残らないか赤字になる。
 この土俵の上で更に収入を増やそうとするならば、1日10時間とか
12時間働く選択をするようになり、或いは週休2日の時代の今でも休日
を返上して働くようにならざるを得ない。しかし本人が希望した通りの時間
で仕事ができるとは限らず同じ職場の相手のシフトの都合や関係で本人
が働きたくても希望より勤務時間が短くなったり日数が減る場合もある。
 そこに非正規雇用という立場の人々の悲哀がある。

 かつての日本型雇用の良い面と、同時にやり直しのきく社会環境の整備
という両面が必要である。
 個人の努力や才能で成功している人達は高収入を得るが、その環境を
更に整えるのと同時に人々が困窮しないための社会像も同時に不可欠で
ある。
 非正規雇用同士の男女が結婚できる環境や視野に立てるだろうか。
 仕事が不定期、仕事があるのはあるが不安定、仕事時間が定まらない、
先が見えない、仕事をしても社会性がない、しかし目先の仕事に忙殺され
て常に忙しいが月収は低いという男女が互いに交際しようというエネルギー
も生じにくいのが今の若い世代の現状であろう。
 16万円の月収ではとてもやりくりできないのが現実だが、しかし16万円
の月収の男女同士が結婚して世帯という単位になったら月収は倍の32万円
となり、これならば世帯として質素ながらもやりくりできる月収になるので社会
整備と同時に低い月収同士の男女が結婚して世帯になり二人三脚の視野に
立つことも少子高齢社会の中では発想の転換として必要なことかも知れない。
 非正規雇用で月収が低いから結婚しない結婚できない、というのではなく
非正規雇用で月収が低いからこそ男女とも互いに伴侶を得て月収が低い男女
で一緒になって世帯になって月収を倍にして力を合わせて生きていくという発想
の転換が必要な世相でもある。
 
 加えて本当は富がある我が国では全ての人々に現金給付を行うベーシックインカム
の導入も不可避な世相になってきた。
 毎月8万円~10万円のベーシックインカムを全ての人々に与えて更にそれに
加えて収入を得たい人はあらゆる働き方をして月収を増やしていくような社会保障
と自助努力とをセットにした社会像を創る必要がある世相になっている。
 勿論、ベーシックインカムをパチンコやギャンブル等に出費する事は厳禁として
もしもそれが発覚した際はその人のベーシックインカムは停止するというような厳格
な制度や仕組みにする必要もあるだろう。
 経済は一握りの富裕者だけが富を重ねても回らず、多数の世の人々に収入が与え
られる事で世の中にお金が流通し相互に潤い経済は回っていく。
 これが経世済民ではなかろうか。
 崩れゆく疲弊した世相を見るにつき、成功した人は富を享受すると同時にそうでない
人々も何度でもやり直しのできる社会や多くの人々に生活保障を収入として与える
仕組みを付加する社会像の必要性を強く感じている。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠ったままの歴史事実

2017-02-07 23:56:49 | インポート
 私は街歩きや各地を訪ね歩くことが好きなので、そこから思わぬ
歴史の事実に遭遇することがある。
 その瞬間に感じる事は、教科書や通説及び学説などで私達が
認識している歴史はまるでフィクションであるということである。
 例えば徳川家康について、また徳川家康の死の真相についてで
ある。
 私はとくに徳川家康について調べようという意思で調べたのでは
なく、各地を歩いているうちに偶然にも徳川家康の死の事実について
知ってしまったという経緯である。もともと歴史や各地のエピソードが
好きなため無意識のうちに過ごす時間の中にも意識が働いたので
あろうか。
 
 歴史学者も教授も研究者も、歴史学会も作家も誰もが徳川家康は
大坂夏の陣の翌年の1616年に大好物の天婦羅を食べて食中毒と
なり死去したとしている。
 天下を取った人物にしては余りにも呆気ない最後である。
 得てして歴史では歴史人物の最後が劇的もしくは余りにも呆気ない
場合は通説とは違った裏がある場合が少なくないが、私はかねてより
徳川家康ほどの数々の修羅場をくぐりぬけ多くの合戦を経てきて天下
を取った程の人物が食中毒で死去したとの教えには違和感を覚えて
いたものである。
 そういう疑問を奈良市の漢国神社と堺市の南宗寺を訪れたことで解く
こととなり、徳川家康の天婦羅による食中毒死は大阪夏の陣における
徳川家康戦死を隠蔽するための偽装だという事実に気付いたのである。
 ここまでの数行の文章には10年以上の歳月が流れている。

 小説や歴史の教科書及び通説では周知の通り、大坂冬の陣が生じて
徳川家康は豊臣秀頼、淀君が籠る大坂城の豊臣軍と合戦になり徳川方
の優勢の情勢の中で和睦が行われ、ここで豊臣方をうまく騙した徳川方
が大坂城の外堀のみならず内堀までをも埋め立てて大坂城を完全な丸裸
の状態に陥れ、翌年の大坂夏の陣で豊臣方の真田幸村の軍勢が奮闘し
徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めるも取り逃がし、やがて真田幸村
も戦死し、豊臣軍は各地で瓦解し、大坂城も落城する中で徳川家康の天下
は盤石になったとされ、多くの人々はそのように認識し記憶している。
 しかし歴史の事実は全く違ったのである。
 先日、奈良市内の漢国神社前を通りがかった時に境内に入ってみると思わ
ぬ歴史事実に遭遇した。
 漢国神社には徳川家康が奉納した鎧が大切に保管されてきたが、その鎧は
大坂冬の陣の際に命からがら逃げてきた徳川家康が助かったのは漢国神社
のご加護のためと参拝して奉納されたものであるとの証文が掲げられている。
 大坂冬の陣では大坂城の周辺と大坂平野だけで合戦が行われたと認識しが
ちだが、そうではなく、真田幸村の猛攻を受けた徳川家康は木津にまで退却、
更にここを真田幸村に襲撃され合戦になり、木津の合戦で「敗れた」徳川家康は
命からがら木津の南に位置する奈良に逃げてきた。
 そして現在の奈良市の三条通りと、みやと通りとが交錯する一角に位置する
漢国神社に逃げ込んだ際に境内の桶屋に身を隠し、なおも追撃してくる真田幸村
の軍勢から逃れることができ、九死に一生を得たと漢国神社は今に伝えている。
 もしも桶屋に隠れることができなかったら、或いは漢国神社に逃げ込むのが少し
でも遅れていたならばその時点で徳川家康は真田幸村に討ち取られていたこと
になる。
 不思議に感じたのは、ここで豊臣方は何故徳川方からの申し出による和睦に
応じたのかということである。
 徳川家康が九死に一生を得る程までに追い詰められていたという事実を豊臣方
が把握していたならば、絶対に和睦はあり得なかった筈である。
 徳川不利の状況を巧みに隠して政治工作したとしか見えない徳川方の政治力
が豊臣方よりも優れていたということになる。

 更に堺市の南宗寺に行けば目を疑う光景がそこにある。
 徳川家康の墓が丁重に祀られているのである。
 しかも松下幸之助氏を始め当時の政財界の錚々たる方々が発起人となっての
徳川家康の墓の建立なのである。
 何故、ここに徳川家康の墓が丁重に祀られているのか。
 それはこの南宗寺こそが徳川家康の真の終焉の地だからである。
 南宗寺の住職に聞くと、実は徳川家康は大坂夏の陣で真田幸村の猛攻を受けて
追い詰められて駕籠にて密かに退却する際に豊臣軍の武将の後藤又兵衛に見破
られて槍で一撃を受けて駕籠を貫かれ、その槍は徳川家康の首から肩を刺し貫き
深手を負い、堺の南宗寺に駕籠が辿り着いた時には徳川家康は虫の息の状態で
やがて南宗寺にて息を引き取ったとの事であった。
 この時点ではまだ大坂夏の陣の真っ最中である。
 その後の徳川家康は影武者だったということになる。
 歴史は皮肉である。
 もしもこの時点で徳川家康が戦死したとの報が豊臣方に漏れ伝わっていたならば
その後の日本の歴史は全く違ったものになっている。
 徳川軍は浮足立ち壊乱し、真田幸村を始め豊臣軍は一気に大坂城から撃って出て
総攻撃をかけ2代将軍となった徳川秀忠も討ち取られているだろう。
 徳川方として参陣していたがいまだ天下への野望を捨て切れていなかった
伊達政宗もここでどのように動いたか分からない。場合によっては天下取りに動いた
可能性もある。
 ましてや真田幸村や後藤又兵衛が徳川家康を討ち取った事を知ったなら、その後
の戦いも違ったものになり戦死することはなかった。
 また徳川家康が戦死したからこそ、逆にそれが明るみに出る事を是が非でも防ぐ
ために徳川方は豊臣秀頼と淀君を自刃に追い込んだとも言える。影武者の徳川家康
ではいずれ本物の徳川家康の顔を知っている豊臣秀頼や淀君に見破られる。だから
是が非でも自刃させなければならない必要に駆られたと言える。
 もしも徳川家康本人が生存のまま豊臣方の敗戦で大坂夏の陣が終結していた
ならば、豊臣秀頼や淀君を自刃させることはなかった可能性が高く他の戦後処置
を取っていたであろう。
 本当に歴史は皮肉なものである。
 徳川家康戦死の報が豊臣方のみでなく徳川方にすら漏れなかったのは徳川方の
見事な統制と言うしかなく、もしも徳川家康戦死の報が敵味方に少しでも漏れてい
たならば徳川幕府はこの時点で瓦解し、歴史は全く違った歩みになっている。

 徹底した情報統制により徳川家康戦死を隠蔽することに成功し大坂夏の陣で
豊臣方を滅亡させた徳川方は、いつまでも徳川家康の影武者のままでいること
ができない。長引かせればいずれ露見する。
 そこで大坂夏の陣も終結して程ない適切な頃合いを見計らって世の中向けに
もっともらしい理由を以て徳川家康が死去したことにしなければならなくなった。
 それが天婦羅を食べた事による食中毒死である。
 以降、徳川幕府の歴代将軍は必ず毎年、堺の南宗寺を正式に参拝したとの
事である。
 何故、歴代の徳川将軍が毎年必ず堺の南宗寺を正式に参拝したのか。
 それこそ南宗寺が徳川家康終焉の地であるからに他ならない。
 南宗寺の関係者によれば、徳川家康の亡骸は大坂夏の陣の合戦の真っ最中
に南宗寺の境内に仮埋葬され、しかし豊臣方の察知するところとなってはいけ
ないために墓石も墓標も立てられず、また埋葬した位置が分からなくなっては
ならないことから埋葬に立ち会った者だけが分かるように石をその位置に置き、
識別できるようにしておき大坂夏の陣が終わった後で改めて別の場所に埋葬
したとの事である。
 学芸員の方に
「何故これほどの重大事実が知る人ぞ知る状態のままで公式に世の中に発表
されないのですか?」
と尋ねると、その学芸員の方は私見だと断った上で、
「それはやはり天下がひっくり返る程の内容であるのと徳川家の方々がいらっし
ゃるからでしょう。」
と述べた。
 今は平成の世であり徳川将軍の世ではないのだから、歴史という日本人の
歩みを俯瞰する視野から歴史事実は事実として正式に発表しても良いのでは
なかろうかと私は一人の日本人として思うのである。

 えてして研究者や学者、作家は資料を紐解き、資料や史料での検証になり
がちであるが、必ずしも事実や真実が資料や史料に記されているとは限らない。
 ここが歴史の歴史たる醍醐味でもあるのだが、各地の現地にこそ思わぬ歴史
の事実が刻まれているものである。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意図的な円安誘導

2017-02-03 21:30:55 | インポート
 既存メディアではトランプ大統領が
「日本は為替操作をしてきた。」
と批判した事に対して大々的に取り上げて騒いでいた。
 しかし冷静に見てトランプ大統領の発言は正しい。
 つまり長年に渡って日本政府は意図的に円安誘導をしてきたのだ。
 自ら自国の通貨の価値を下げる円安誘導をしてきた事で日本政府
は日本国民ではない特定の存在に利益誘導してきたと言える。
 これまでの戦後の長い時代に渡り、日本政府は日本国民を向いて
いない。まるで何かに怯えたように、まるで何かに呪縛されたように
日本国民ではない他の方向を向いて政策を行ってきたように見える。

 昭和天皇の御世に円高が進んだ局面があった。
 時の大臣が昭和天皇に円高が進んでいる事への懸念を報告すると
昭和天皇は、
「円高になるという事は円の価値が高まっているという事ではないのか。」
と仰せられたとのことである。
 まさに昭和天皇が仰せられた通りである。
 天皇陛下はあらゆる物事の全てを知悉された上でいらっしゃる。
 日銀が円を垂れ流してきた事で(意図的な金融緩和)、円の価値を自ら
下げて円安にする事は日本国民のためにならない。
 我が国の産業構造上、大量の資源や鉱物、原材料を輸入して製造業が
成り立っているのであるから等身大の日本の存在のままに円が価値が上
げて円高になれば、それだけ大量の資源や原材料が安く輸入できることに
なり、製造業の企業はコストが安く済み利益が増え、またコストが削減できる
事で市場での価格も安くなり結果として日本国民に還元できることになる。
 日銀が意図的な円安誘導をしていなければ今頃はとっくの昔に1ドル60円
辺りになっているだろう。
 その意味においては、数年前から1ドル50円台になる事を述べてきた同志社
大学教授の浜矩子氏の学説も正しいと言える。

 自国の通貨の価値が他の国々の通貨に比べて相対的に高まる事は良い
ことであり、それを円高というのだが、あたかも円高すなわち悪という論調で
述べてきた既存メディアや御用学者の姿勢は問題がある。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする