木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

大切な非日常の時間

2009-01-31 11:19:14 | インポート
 新年が明けて一ヶ月になる。今年初めて私の休日がで
きた。今日は何が何でも予定を入れないようにし、突然
入ってきても後日に回せるものならば今日以外の日に回
して強制的に休日にしたい。
 人は休まなければ、逆に愚鈍になる。
 休みすぎてもまた愚鈍になる。
 その兼ね合いのバランスの中で、活力を得るためには
休むことも仕事の一つだと思うようになった。

 アスリートもそうである。
 アスリートがアスリートであるためには、質の高い練
習が必要なことと同時に、しっかりとした食事、そして
確実な休養が三位一体となって一つの形を成す。食事を
することも練習の一環、休養を取ることも練習の一環で
ある。
 これはビジネスにも、政治家にも該当すると思う。
 特に政治家は、学びの中に遊び心を持ち、遊びの中に
学ぶという要素が不可欠だという事を以前より強く自覚
している。何よりも避けたいのは惰性とマンネリである。
 惰性とマンネリを打破するのは非日常という時間が最
も効果的だと思うのである。
 非日常の時間の見つけ方やその場所は人それぞれによ
って違う。非日常があるからこそ日常が活きてくる。ま
た日常が確実に展開するからこそ、非日常が活きてくる。
全ては互いに関連している。

 多くの人々に非日常を与えるものとして例えば旅やス
ポーツ観戦、異文化体験や菜園、農業体験などがある。
つまり、多くの日本人や日本社会に活力を増そうと思え
ば、多くの人々の非日常を充実させなければならず、ま
た非日常を充実させる産業が興隆しなければならない。
 遊び心を日本社会に、という視点で開拓の余地は大き
いのではなかろうか。

 芸能人やフリーのキャスターが時折、今日は休みだと
か今日も休みだと、いかにも休みである状態を不安がっ
たり自分の居場所を見いだせないような心情を吐露して
いる事例を見ることもあるが、休めばいいのである。
 数日の休みが続いたならば自分が不安になるというの
は一種の職業病といえるかもしれない。
 活き活きと仕事をしようとすれば、また常に新鮮な自
分でありたいと思うなら、良い休日を確実に持つことが
不可欠である。だから休むことも仕事だといえるのであ
る。

 新たな発想や幅広い視野は非日常と日常との組み合わ
せの中から醸成される。

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通年議会状態の東大阪市

2009-01-30 00:10:28 | インポート
東大阪市議会の第3回定例会が、昨年12月中旬から始
まり、当初予定の今月26日までの会期を延長して質疑・
質問が続いている。
時期がずれて、かつ長引くと、どこか慢性的な空気が漂
ってくる。

市の関連施設の運営を公募で行おうという指定管理者制
度の案件は、地域利害や利権が絡んで紛糾する。
また、昨年秋の段階で議会と市長の対立激化の中で議会
が開かれる目処が立たない中で、学校給食の諸費用や物
価の値上がりを受けての給食費改正等の案件を、市長が
議会に諮らない専決を行った事も紛糾の一因となってい
る。
市の外郭団体の統廃合を含めた見直しや、市の組織機構
の再編を巡っても、適切な資料が出されない等の理由や
市の仕事量を全て把握していない市の当局の答弁等で委
員会の審議が延びている。

ほとんどの自治体の議会はこの時期には定例会(議会)は
開かれていない。
東大阪市は昨年12月からの空気を年を越して継続して
いる。
手続きの問題や事後の変更、予算の目的外流用等が東大
阪市の紛糾の理由になることが多い。

しかし、二元代表制の地方自治の原則と法と規則に則っ
た議会の展開が本来の姿である。

2月に入るとしばらくして、3月市議会の足音が聞こえ
てくる。
東大阪市はまるで通年議会のような状態である。

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きっと合図だった

2009-01-27 16:16:15 | インポート
時々、不思議な事が起こる。
先日、いつものように出かけた。雨の降る日だった。傘
をさし、古びたポーチを手に持って電車で移動した。

会場で傘を見失った。どこで忘れたかホテルの社員に尋
ねたが行方知れず。
帰り道、駅の改札を出る段階でポーチを電車内に置き忘
れた事に気が付いた。
傘とポーチ、外出する際に手にしていたもの二つとも見
失ったことになる。

丸腰のように手ぶらになった私は、普段ならまず起こり
得ない状態に不思議になった。
そして帰り道、喉を潤そうとコンビニで飲み物を買った。
と、出たばかりのコンビニの駐車場で財布が手からこぼ
れ落ちた。

これは何かあるな。
直感的にそう感じた。

地域の方から連絡があったのはその直後であった。
色々とお世話になった方が亡くなられた。私の事をとて
も気にかけてくださっていた方だった。

翌朝、告別式に参列した。
その日の夕刻、JRから連絡があり私の古びたポーチが
見つかったとのことであった。

傘とポーチを通じた合図だったのかなと思ったのであった。

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町工場の情熱

2009-01-23 18:30:32 | インポート
 東大阪市の中小企業の技術で製造された人工衛星が種
子島宇宙センターから打ち上げられた。
 その模様は、東大阪市役所の西隣のものづくり拠点施
設で生中継された。

 カウントダウンが5分前から秒読みで始まる。次第に
ロケット発射の各段階の準備完了のアナウンスが流れ、
会場はにわかに興奮していく様子がよく分かった。
 まるで映画の映像のように、ふわりと浮きあがった
ロケットはそのまま轟音を立てて激しい炎の尾を引きな
がら上空へ上空へと消えていった。
 ロケットが打ちあがった瞬間に、開発を中心に進めて
こられた方々だろう、思わず立ち上がり観衆の方を向い
て大きく握りしめた拳を掲げて、喜びを爆発させて肩を
たたき合いながら叫んでいた。
 
 ライブ映像で見る種子島は曇り模様ながら、波は穏や
かであった。
 ポルトガル船が漂着して、日本へ初めて鉄砲が伝来し
、南蛮文化に出会った島が時代が変わり宇宙への発射口
となっている姿は何とも味がある。
 今回の人工衛星は21パーツのうち、東大阪市の町工
場の技術力で製造されたのは6パーツとのことで、残り
は宇宙航空研究開発機構(JAXA)の技術支援を受け
て製造と実験が行われた暁の今日であるとのことだが、
それでも町工場から夢を描き、7年の年月を経て打ち上
げ実現にこぎつけた関係者の情熱が総てと言える。

 ロケットが打ちあがる瞬間の映像は、とても胸のすく
爽快な感覚であった。
 東大阪市内の各商店街には、今回の人工衛星打ち上げ
を記念した幟が立っており、また記念商品券として1万
円分で1万1千円の買い物ができる特典が催されている。

 この人工衛星は雷などの観測を行うとのことだが、軌
道に乗った人工衛星の話題は少しでも街の空気を明るく
してくれた。
 さて、日本の宇宙技術や宇宙空間技術はどの程度の水
準にあるのだろうか。
 種子島の揺れる波を見つめながら、興味はそちらへと
向かい始めていた。

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対話の中で・・・それでも二大政党制を

2009-01-21 10:35:20 | インポート
 年が明けてから、公務と所要、行事、個人の政治活動
などで時間が間断なく、連続した立方体になっている。
 いわゆる新年のご挨拶にと思っていても、なかなか身
を持っていく時間が取れない。
 この調子だと2月中旬あたりまで新年の賀詞を述べな
ければならない状態になる。

 対話ということの重要性をつとに感じている。
 政治的な立場の異なる方々とでも、あらゆる門を閉ざ
すのではなくて対話をしてみる。どうしても許容できな
い考えもあれば、中には意外な良い発見もあることもあ
る。最初から同じ組織以外には全てを閉ざしてコミュニ
ケーションも取らないというのであれば、政治家という
よりも人間としての幅が極めて狭く限られたものになっ
てしまうと感じている。
 踏み越えてはならない一線を超えない。
 相手の寝室に土足で踏み入るようなことをしない。
 言語外言語を察する。
 エチケットとルールは互いに守る。
 等の分別をわきまえれば、政治的に立場の異なる人々
との対話も可能であると私は思う。

 しかし、これらが守られないと単なる渡り鳥、思慮分
別のない軽薄な人間になってしまうので、それはもはや
その人のセンスによるものとも思う。
 私は自らを鍛錬していき、いずれは風土や文化、歴史
の蓄積が違う、政治体制の全く違う国の人々とも対話を
することができるような人材になりたいと思う。

 さて、二大政党制が国を滅ぼすというお方の話を聞い
た。その他の話題には共鳴することもあったが、この部
分には私の琴線には触れなかった。私は先ず、日本の世
を前に進めるには有権者の選択の結果としての二大政党
という責任ある選択肢が機能し、民主主義を深めること
こそが今の日本に必要だと思っている。
 民主党が有権者により第一党になったなら、これまで
の国の様々な膿を出し、有権者に情報公開し説明する。
そして世間は現実を直視した中で、次の時代に進むため
に何が必要かをまた選択していく。これが浄化作用だと
私は思う。
 では野党となった現在の与党が民主党政権を攻撃し足
を引っ張ることになる、というご指摘も聞いたが、それ
もまた民主党の膿を出せば良いのである。そうしてまた
有権者が違う政権を選択として望むのなら、選挙で更に
政権交代が行われる。

 この連続性が国を深め、民意をも鍛えていくのではな
かろうか。

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