木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

情報が的確に伝わっていたならば歴史が変わっていた

2014-11-30 16:34:25 | インポート
 先日、東大阪市内でお歴々の方々と酒を交わしつつ歴史談義
をして話が盛り上がった。
 つまり情報が的確に伝わっていたなら歴史は時にひっくり返り
時に全く違った展開を辿ったという話である。
 以前にもこの欄で述べたことがあるが大坂夏の陣の話を改めて
述べてみたい。

 時は1615年の大坂夏の陣でのことである。
 奇跡的にある秘密が守り通されて今日の歴史となっている。
 その秘密とは「徳川家康、討ち死!」という重大秘密である。
 どういう事かと申せば、真田幸村が決死の覚悟で徳川家康の
本陣へ猛攻撃をかけて斬り込んだ事は皆が知っている。表向き
の歴史では真田幸村は奮戦空しく、あと一歩のところで徳川家康
に肉迫しながら討ち逃がし、失意の中でやがて戦闘を重ねて傷を
受け今日の天王寺付近の安居神社境内で敵兵の槍にかかって
戦死したとされている。
 ところが堺市の南宗寺に行くと歴史秘話があり、実は徳川家康
は大坂夏の陣において真田幸村の猛攻を受けて危険を感じ、籠
で退却する際にその籠を徳川家康ではないかと見破った豊臣方
の武将の後藤又兵衛が馬上から槍で籠を突き刺し、徳川家康は
瀕死の重傷を負ったとのことである。
 徳川家康も突き刺された槍を後藤又兵衛が抜き取るその刹那、
一瞬早く槍についた自分の血を着物で素早く拭き取って致命傷を
負わせたとは気付かせず、堺の南宗寺まで退却してきたそうである。
 ところが南宗寺に籠が到着した時点では既に籠の中の徳川家康
は息絶えていたとのこと。到着時では虫の息で数日後に息を引き取
ったとの説もあるが本質に大差はない。
 まだ大坂夏の陣の真っ最中である。
 まさか徳川方の総大将である徳川家康が敵兵の槍にかかって
戦死したとは味方の陣中にも知らせることはできず敵味方双方に
漏らすことはできない。敵が知れば一気に総攻撃をかけてくる事は
必至で、味方が知れば浮足立ちまた裏切る者や逃亡する者も続出し
陣営が壊滅するからである。
 素早く徳川家康の遺体を当時の南宗寺の境内の一隅に埋葬し
埋葬場所を見失わないように関係者だけに分かるように目印の石
を置き、大坂夏の陣終了後に隠密に仮埋葬した徳川家康の遺体を
埋葬し直したそうである。

 堺市の南宗寺に行けば、徳川家康の墓が政財界の方々により
整備されて祀られてあり、南宗寺の住職からはいかにして徳川家康
が戦死したかという話も聞く事ができる。
 更には徳川家康が馬上の後藤又兵衛から槍で真上より突き刺され
た当時の籠が当時の穴が空いたままの状態で日光東照宮に保存され
ている。
 徳川家康戦死という情報が伝わらなかった奇跡によりその後、真田
幸村は戦死、後藤又兵衛も戦死、大坂城は炎上の中に落城し淀君と
豊臣秀頼は自刃して豊臣は滅亡した。
 徳川家康戦死の後の大坂夏の陣は徳川の家臣が影武者として徳川
家康に成り済まして凌いだそうである。
 もしも徳川家康戦死の情報が誰かに漏れ伝わっていたならば真田
幸村は更に勇猛果敢に奮戦し、残りの徳川秀忠の本陣へ斬り込んだ
であろう。後藤又兵衛も同様の行動に出たであろう。また大坂場内は
一気に士気が高まり豊臣秀頼は時まさに今と判断し、城門の全てを
開いて全軍総攻撃の指示を出し、全軍を挙げて徳川秀忠の本陣へ
攻撃を仕掛け、また今だ天下への野望を捨て切れていないままに
徳川方として参陣していた伊達政宗は独自の動きをとったであろう。
 つまり歴史は変っていたという事である。
「徳川家康討ち取ったり!」
という一言が戦場を駆け巡っていたならば豊臣は滅亡していなかった
のである。
 情報が的確に伝わるか否かという事が歴史をも変えていく、という
話で酒を交わし大いに盛り上がった。

 徳川家康が実は大坂夏の陣で戦死していたという事実は教科書にも
書かれていないし、あらゆる歴史書物にも記載されていないであろう。
 昨年に私が堺市の南宗寺に行って南宗寺の方々に
「これほどの重大事実がなぜ表立って公表されないのですか?」
と質問したら南宗寺の方々の一人が
「徳川の関係者の方々もおられますし、色々と憚りがあったのでしょう。」
と答えた。
 私は今もまだ秘密事項なのかと聞くと、もう別に秘密事項ではないと
の答えであった。もう400年が経過するのだから別に徳川家康が実は
大坂夏の陣で戦死していたという話を表立って公表しても良いのでは
ないかと聞けば、別に隠す必要はないとの答えであった。

 時計の針を400年前に戻した時空では、この徳川家康戦死という重大
事実を誰か一人でも敵味方の陣営に漏らしていれば形勢が大逆転し歴史
がひっくり返っていたのである。豊臣にしろ徳川にしろ忍びや隠密、諜報活
動が盛んに行われていた中でなぜ豊臣方の諜報網にすらこの重大事実が
漏れなかったのか、極めて興味が湧く。
 事実が漏れ伝わっていたならば徳川幕府は2代将軍・徳川秀忠で終わっ
ていたわけで、歴史の因果は果たしてそれが我が国にとって良い展開に
なっていたのか悪い展開だったのか人間の知性では分からない。まさに
天のみぞ知る、天知でのみ知り得る結論である。
 ただ歴史が違ったものになっていた、という事実だけは人知でも断定で
きるのである。
 豊臣政権がそのまま続いていたのか、それとも天下取りの野望を今だ
捨て切れていなかった伊達政宗が天下を取り一時的にしろ伊達氏の政権
が確立していたのか、或いは関ヶ原で敗れていた毛利や島津がどのように
動いていたかと考え始めれば尽きることがない。

 昨年に堺市内をプライベートで練り歩いた時にふと感じた事があった。
 徳川家康の戦死した遺体を埋葬した南宗寺は徳川方に近い関係だった
のだなという事である。まず瀕死の重傷を負って逃げていく先が敵地であ
る筈がない。もしも苦し紛れに敵地に逃げて途中で怪しまれて捕らえられ
れば万事休すである。従って瀕死の重傷を負ってから逃げて行った堺の
南宗寺は、いや堺そのものが徳川の側に立っていたのではないかという
事である。
 更には堺の南宗寺が豊臣側にも通じていたならば、或いは南宗寺の関
係者が誰か一人でも豊臣側に通じていたならば徳川家康戦死というこれ
程に重大な事実が即座に大坂城内や豊臣側の各陣営に伝達されていた
筈である。それが一切無かったという事は何を意味するのだろうか。
 堺市内を歩いていると、大坂冬の陣が終わった後で豊臣側の武将である
大野治長が堺の街をことごとく焼き払い堺は焼け野原になっていた事を
知った。
 更には徳川家康は大坂冬の陣、夏の陣の両方において大量の武器弾薬
を堺の商人に発注していた事をも知った。
 この背景を知った時、ああ当時の堺の有力者達は堺の街を焼き払った
豊臣には恨みを抱き、堺を取引で潤わせてくれた徳川家康にはシンパシー
を感じていたとしても不思議ではないなと感じたのである。
 つまり徳川家康戦死という天下が一気にひっくり返るような重大事実を
豊臣側に徹底的に隠し通したのは実は当時の堺の有力者達ではなかった
だろうか。
 堺が徳川家康の戦死を隠し通したのではないかという情景が私には浮か
んできたのであった。

 表向きの歴史では徳川家康は大坂夏の陣の翌年の1616年に天婦羅
を食べて食中毒を起こしそれが原因で死んだとされているが、天下を獲っ
た人物にしては余りにも呆気ない最期だと感じないだろうか。
 つまり本当は大坂夏の陣で戦死していたのだがこれを豊臣が降伏して
滅亡するまで隠し通し、豊臣滅亡後にもはや天下がひっくり返される恐れ
が薄らいだ頃を判断して天婦羅を食べて食中毒で死んだという事にして
世の中に流したと見るべきであろう。
 更には徳川家康が実は大坂夏の陣で戦死していたからこそ、家康戦死
を敵味方双方が知らないまま展開した合戦そのもので豊臣側を降伏させ
た時点で、何が何でも淀君と豊臣秀頼を自刃させなければならなくなった
のではあるまいか。
 徳川家康本人は夏の陣で勝利しても淀君と豊臣秀頼の命までは奪うつ
もりは無かったとも逸話で聞いている。徳川家康が健在の中での勝利だ
ったなら豊臣秀頼を大和郡山の所領の中に移封して豊臣を一大名に格下
げして封じる事で手を打ち、淀君と豊臣秀頼とを自刃させることまではしな
かった可能性が高いと私は見る。
 徳川家康がまさかの戦死をしてしまったからこそ、勝利した徳川の幹部と
しては後に家康戦死の報が漏れ、天下がひっくり返らないようにここで是が
非でも豊臣の命脈を絶っておかなければならなくなったと私は見る。
 つまり合戦終了後に徹底した豊臣側への残党狩りと悲惨なまでの豊臣側
の人々の虐殺は徳川家康が戦死してしまったからこそ生じたという皮肉な
因果が見えてこないだろうか。

 いずれにしても当時の堺の有力者達が徳川の側についていたと見るべき
ではなかろうか。
 ご興味のある方は堺市の南宗寺に行って頂きたい。
 そこから表に伝えられない歴史の物語に触れてみてはいかがだろうか。

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普天間基地の県外移転を巡って当時、一体何があったのか

2014-11-27 21:27:17 | インポート
 既存の新聞紙やテレビはショーウインドウ的な報道ばかりし
て内容が薄く物事の本質を捉えた内容が少なく物足りない。
 ふと喫茶店に入ってパラパラとめくった週刊誌の中に意外と
踏み込んだ物事の内容が掲載されていたのでつい読み込んで
しまった。

 戦後初の選挙による正統にして本格的な初の政権与党交代が
生じた歴史的2009年、初代民主党内閣の鳩山内閣は沖縄のア
メリカ軍基地の県外移転を巡って躓き、民主党政権瓦解の序曲が
始まったと伝えられているが、一体あの時点で何が生じていたのか。
 喫茶店で週刊誌をめくるうちにその本質が見えてきたのでこの欄
で本質を記載する。
 ちなみに私は毎月ほぼ1度の割合で鳩山由紀夫・元総理と仕事で
顔を合わすが、その仕事の議題の話はしてもさすがに直接には沖縄
の基地問題で何があったのかという踏み込んだ話まではして頂けな
いので、常々いつか聞く機会が出来れば良いな、という程度に認識し
ていたものである。
 喫茶店でめくった週刊誌にある程度の本質がインタビュー形式で
掲載されていた。

 見出しには「沖縄に基地を残したいのはアメリカではない。日本の
政治家と官僚です。」と大きく書かれてあった。
 皆様と共に背景を考えていきたい。
 今だから話すことができる政権与党交代後の鳩山内閣において沖
縄基地問題で何があったのか、本質を以下にまとめてみる。

(1)鳩山首相はリチャードアーミテージ氏とかなり論争をしている。
(2)民主党政権の「最低でもアメリカ軍基地は沖縄県外」というのは
   具体的な方法論はあった。それはグアムのテニアン島でありア
   メリカもグアムに海兵隊を移す考えを持っていた。
(3)鳩山首相が最初に持っていた考えはアメリカ軍基地を海外へ移す
   というものだった。例えばローテーションでオーストラリアやグアム
   を回りながらその中で沖縄にも海兵隊の存在を認めるという形も
   ありだと考えていた。
(4)実際に政権を取ってみると本来なら鳩山首相をサポートする筈の
   外務省や防衛省は「無理だ」と一切聞く耳を持とうとしなかった。
(5)ウィキリークスで明らかになった話だが日本の官僚がアメリカ側に
   「鳩山政権にもっと厳しく対応してくれ」と要請していた。それは鳩山
   首相が首相を辞任した後で分かった。
(6)ワシントンの駐米大使も「鳩山内閣は自分達の思い描いている安全
   保障の理論と違う。だから早く自民党政権に戻すように。」という動き
   をしていた。
(7)鳩山首相ご自身が日本の官僚が面従腹背であり表では従う素振りを
  しながら裏で足を引っ張る動きをしていた事を分かっていなかった。
(8)鳩山首相ご自身が多勢に無勢で裸の王様になっていたと述懐している。
(9)オバマ大統領に対して「日本の政権も変わったから安全保障に関しても
   新しい立場で臨んでいきたい。当然、日米安保は重要だと考えているが
   その具体的な方法論については今までの政権と同じではない。」と伝えた。
(10)オバマ大統領は「日本も新しい政権が誕生したのだから新しい発想を
    受け入れる。」という姿勢を示した。それで鳩山首相はこの問題について
    あまり時間をかけないで解決するという意味でトラストミーと言った。
(11)ところがトラストミーが曲解されて「普天間の移設先は辺野古に戻すから
   信じて欲しい。」という話として報じられてしまった。外務省内部で意図的に
   作られた話がメディアに流されたものと見ている。
(12)日本の官僚が普天間基地の辺野古移転に固執していてアメリカはもっと
    柔軟な発想を持っていたのではないか。今でも日本がしっかりとした結論
    を示せばそれを受け入れる度量はアメリカにあるのではないかという気が
    している。
(13)オバマ大統領が本当はどのように考えていたかはよく分からない。しかし
    オバマ大統領から「辺野古」という具体的な要求が出た事は無かった。
    アメリカの中にも温度差があってその温度差を利用して外務省や防衛省
    の官僚が「1度辺野古と決まったのだからそこに戻せと鳩山首相に厳しく
    対応してくれ。」と誘導したと思っている。
(14)外務省や防衛省の役人や自民党は今でもアメリカ軍が沖縄に存在してい
    る事が抑止力になるという考え方である。しかし鳩山首相は中国とアメリカ
    が戦争をする、特に尖閣諸島を守るためにアメリカが中国と戦争をするとい
    う事は有り得ないと思っている。
(15)アメリカから出た案だとして日本の官僚から伝えられた「基地の移転先は
    沖縄から60マイル(96km圏内)という話も実はアメリカがそのような話を
    出したのではなく、日本の官僚による作り話という嘘であった。



 これを見て私の感想としては、鳩山首相本人が選挙公約を守ろうと努力して
いたのに日本の外務省や防衛省の官僚が変化を嫌い、また事なかれ主義で
話を捏造し、アメリカ側に内閣に厳しく接しろと働きかけてみたり、面従腹背で
あったり、メディアに嘘の話を流す等の徹底的に邪魔をしていた姿が分かる。
 要するに公約を守ろうとした首相を日本の外務省と防衛省の官僚が足を引っ
張り邪魔をしたという事である。
 今の我が国を考える時、このような実態をまず把握しておく必要がある。

 以前に中枢に携わっておられるある高貴なお方から教えて頂いた事であるが
今の霞ヶ関のシステムは課長以上に昇進する際にアメリカでの研修の義務を
負わされるとのことである。なぜ課長以上に昇進するためにアメリカでの研修義
務が課せられるのか、ここに戦後日本の答えがあるであろう。
 霞ヶ関の課長以上の官僚はすっかりアメリカナイズされてしまうのである。
 アメリカナイズされない官僚は課長以上には昇進できず、また全く染められて
いない人材でも課長以上に昇進させる段階でアメリカナイズさせていく。
 つまり今の霞ヶ関の管理職の上司はアメリカなのである。
 従って本当に日本国民の事を想い、日本国の側に立って政策を立案、遂行
しようとする人材は係長以下のポジションにしか存在しないということでもある。
 まともな人材は係長以下にしかいない。
 しかしまともな人材、出世できない官僚には職務上の権限が限られていてまた
小さいために物事の決定権が無く、判断がさせてもらえない。
 このシステムの中において霞ヶ関の管理職は首相とアメリカとのどちらを向いて
仕事をしているであろうか。
 残念ながらアメリカの側を向いて仕事をしているとしか言えない。
 従って普天間基地の移転問題を巡っても霞が関の管理職は我が国の首相を
支えてかつ従おうとするのではなく、アメリカと事を起こしたくない、アメリカの
顔色を損ねたくないという本能がまず働き、作り話までしてアメリカに取り入り
我が国の首相を失脚までさせてしまうのである。

 ここに我が国の官僚システムの病根があり、ひいては日本国民の不幸がある。
 日本国民が広くこの霞ヶ関のアメリカナイズされているシステムの実態を知り、
政治家のみではなく官僚の言動をも関心を寄せ監視し、良識の圧力でアメリカに
取り入ろうとする現在の我が国の霞ヶ関を正していかなければならないであろう。
 有権者は政治家だけではなく官僚をも注視しなければならない。

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とりあえず総選挙

2014-11-23 19:32:43 | インポート
 衆議院が解散され12月14日に総選挙となったが、私は一人の
国民として新聞各紙やメディアが解散を先導してきた中で安倍首相
がこれに追従する形での、流れに逆らえない中でのまるで皆が先に
解散だと知り尽くしている中での後からなぞるように解散権を行使す
る姿に、完璧なまでの傀儡とされた操り人形としての姿しか見えない
のである。
 嘆かわしい事である。
 一人の国民として、首相がここまで落ちぶれてメディアを通じた実
力者の指示命令するままに決められた通りにシナリオ通りに言動を
行わされる姿を見せつけられる事は不愉快であり屈辱的ですらある。
 解散された以上、総選挙が行われるがかつて今回程に首相が傀儡
にされた姿を如実に示されてそのまま指示命令通りに解散させられた
というような低次元の総選挙があっただろうか。
 とにかく選挙が行われるから与野党共に何らかの主張を唱えてはい
る。しかし全てが仕組まれたシナリオの中での動きである事が見えて
しまうと一人の国民としては不愉快である。

 これまでの解散に至るまでの経緯を振り返ってみよう。
 まず新聞各紙が解散が決まったと一斉に報道した。
 そして何日に安倍首相が解散を表明すると先走って報道した。
 この数日前に安倍首相ご本人が記者会見を開き、
「憶測に基づく報道がされていますがご承知のように解散について
言及した事は一度もありません。」
と述べたばかりであった。
 しかもこの時の安倍首相の目は涙目であった。
 実は水面下で首相が解散に向けた極秘指示を出していたのなら話は
別であるが、そうでなかった場合は首相は新聞各紙を中心としたメディア
に主導された解散に逆らえなかったという事になる。
 もっと言えばメディアを通じて指示を出していた実力者が解散するという
意思を有していた事になり安倍首相は完璧な傀儡であるという事を意味し
た。首相が実際に会見した言葉を是としなければ物事は前に進まないの
でここでは首相が会見した言葉をそのまま首相の意思だと捉える。

 私は安倍首相が解散については言及していないと記者会見したにもかか
わらず新聞各紙が解散が確定したと先走って報道していく中で、この流れ
のままで安倍首相が次第に姿勢を変えていき指定された通りの日に解散を
する意向であると記者会見をするならば、もはや首相は完璧な操り人形に
して傀儡であるという事を自ら国民に晒す事になるではないか、と懸念した。
 今の内閣総理大臣は自らの意思を有するのか、メディアを通じた実力者
の完璧な操り人形なのかを国民に安倍首相ご自身が示してくれる事になる
という展開であった。
 この辺りからメディアは、
「消費税の増税を先送りする事を決めた。それに伴い先に決められた消費税
増税法案を変えなければならず、それについて国民に信を問う事になる。」
とニュアンスを変えて報じるようになった。
 要するに消費税を増税しないのだ、先送りするのだ、国民の皆様良いですか
とメディアを通じて実力者は信を問わせたいのだと感じた。
 国民は「良い」と言うに決まっているではないか。
 理由はもはや何でも良かったのであろう。
 とにかく安倍首相に指示命令を出して指定した日に記者会見を強引に
開かせ11月21日に衆議院を解散する意向である事を表明させたかった
のであろう。
 もしも安倍首相が勇気を振り絞ってこの流れに従わなければ、ほどなく
首相から引きずり降ろされるのであろう。安倍首相が首相に留まりたいな
らば指定された日に記者会見を開いて指示命令された通りの内容を述べ
て解散する意向である事を表明しなければならなかった。

 衆議院議員になった者は多くはいつか自分は総理大臣になりたいと大志
を抱くのだろう。そして幾つもの権力闘争を経て場数を踏み、年季を重ねて
ようやく手にした総理大臣という座は実力者の傀儡に過ぎない座であるという
究極の事実を知る事になる。
 ある程度それを知りつつ総理大臣の座に就く方もいれば、総理大臣の座
について初めて今更の如く傀儡であり操り人形に過ぎないという事実を知ら
され愕然とする方もいる。
 いずれも辛いことである。
 意思を持たされず全てが言いなりで何もかもが実力者による指示命令通り
に言動を行わなければならない事実は、まともな神経の持ち主であれば人間
性を喪失するであろう。
 そして首相が傀儡に過ぎないという事実をまざまざと記者会見を通じて見せ
つけられる国民も不幸なものである。
 テレビや新聞から報じられる内容だけで物事を認識している方々には
「安倍首相が記者会見をして11月21日解散だと意思表示したよ。」
としか認識できないだろうが、リテラシーが無い方々の場合は致し方のない
ことかも知れない。
 しかし今回の一連の解散を巡るやり取りから、安倍首相が全てを新聞各紙
に主導された形で指定された通りの言動をしたために、どれだけ鈍感な人々
であっても首相が傀儡であるという事実に気付いたのではなかろうか。

 安倍首相が解散をする意向であると記者会見した内容を私は本質を
翻訳してみたい。
 翻訳は以下の通りである。

 安倍首相の告白。
「国民の皆様、本日ここに私、内閣総理大臣・安倍晋三は傀儡である
事を告白致します。私には全く意思表示の余地はありません。
私はただ与えられた指示命令やシナリオに沿って一言一句違うこと
なく忠実に行動し、発言をする役割を厳しく命じられているだけなので
あります。
 指示命令に背けば私は総理大臣ではいられなくなります。
 ですから国民の皆様、私は指示命令された通りに11月21日に解散
権を行使し12月14日総選挙と致す次第であります。」

本質翻訳 : 木村正治


 以上の本質を翻訳していく事が不可欠になる。
 さて、総選挙の結果はどのようになるであろうか。
 出揃った結果を踏まえて更に次のシナリオが用意され、舞台裏の
準備が整えられているように思える。
 そして総理大臣はまた次のシナリオを指示命令される。
 皆は表舞台で踊る役者に過ぎないのである。
 しかし私達は主権国家であり主権在民の世の中である。
 いつしか国民がこのシナリオを看破するようになり、実力者の描く
シナリオを先に知り、やがて先覚や覚醒した国民がメディアよりも
的確にシナリオを発信し機先を制するようになっていけば我が国は
今のような首相が傀儡にさせられている屈辱の状態から抜け出す事
になっていく道ができていくだろう。
 既にその兆しや胎動は随所で生じているようであるが。

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ふと街角に流れる山下達郎のクリスマスソングに

2014-11-19 21:23:24 | インポート
 毎年この時節になると必ず山下達郎のメロディーが街角やラジオ
或いはどこかの店に入る度に必ずと言っていいほど流れている。
「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう・・・・・・」
で始まる多くの人々の耳に馴染みのある曲である。
 もうそのような季節だなと思いつつ、今だから笑える若い頃のクリス
マスの話を少し思い出した。
 大魚を逃した苦い思い出であるが今ではユーモアを以て私の中の
物語の一つとなっている。

 20代半ばの頃、私はある東京のテレビ局の女性キャスターとメル友
になっていた。
 そういう晩秋のある日、メールのやり取りの中でその女性キャスター
からメールが届いた。
 当時は電子メールが世に出始めた頃で、従来の手紙の往復や海外
とのエアメール便に比べてやり取りが一瞬で届くという事に世間が新鮮
さを覚えていたような時代だった。電子メールで互いにやり取りする事
自体が最先端であり流行であった、そういう時代であった。
「ところで木村さん、今度のクリスマスはご予定はいかがですか?
 私は独りで寂しく過ごすのかなと・・・・・・・云々。」
とメールが届いていた。
 当時はまだ携帯電話は携帯する電話機能だけで携帯メールがまだ
登場していない段階で、またノートパソコンもまだ無い世の中で、自宅の
まるで大きな箱のようなパソコンからでしか受信したメールを確認できな
いという時代であった。まだブログも世の中に無い頃で最先端の対応を
している個人や企業等がようやくホームページを作成してそれ自体が斬
新な印象を与えていた頃であった。

 20代半ばの頃の私は当時、短い期間であったが交際しているのか交際
していないのかよく分からないような、そのような状態の素敵な女性とうまく
行かなくてそのまま終わってしまった直後だったために、心ここにあらずと
いうのか他の女性に目が向くという気にはなれないような、そのメールが届
いた頃はそのようなタイミングだった。
 その女性キャスターから届いたメールを見て、今にして思えば大変にもっ
たいない事をしたものだと自笑するが、当時そのメールに対して
「そうか、君も独りで大変だろうけれど、素敵なクリスマスを過ごしてください。
 俺は俺でシングルベルでも鳴らします。」
というような今から思えば信じられないようなメールを返事してしまったので
ある。
 ジングルベルではなくシングルベルである。
 せっかく素敵な女性からクリスマスに二人で過ごしませんかという誘いの
メールが届いたのに、当時は誘いを誘いと認識しなかったのであった。
 それ以降、しばらくその女性キャスターからメールが来なくなった。

 しばらく月日が経過して、20代半ばだった当時の私は事の重大さに今更
のごとく気付いてようやく後悔した。20代半ばの頃のまだ青い男にとって在
京の女性テレビキャスターは高嶺の花、ほとんど同年齢だったが華やかな
存在であった。今でこそ女性キャスターと会っても普通というのか、別に舞い
上がるような事はないが、20代半ばの頃の感覚といえばまだその程度であ
った。
 当時、アメリカ映画でトムハンクスとメグライアンが共演する「ユー・ガッタ・
メール」という映画が上映されていた。その映画はまさに電子メールが世に
出たばかりで見知らぬ男女がメールで知り合い、やり取りを重ねていくうち
に興味を抱き、実際に会ってその後のストーリーが展開するという内容の映画
であった。
 当時の若い男女は世に出たばかりの電子メールを帰宅しては自宅のパソコン
の電源を入れて確認する事を楽しみにしているという現象が生じていた。
 若い頃は自ずと出会いを求めるもので、まさに「ユー・ガッタ・メール」の状況と
同じような状況が私にも生じていたわけである。

 当時の私は何とかメールを送ってまたその女性キャスターとのやり取りを
復活させ、翌年の秋になってメールのやり取りの中で実際に会いましょう、と
いう事になった。
 私は当時暮らしていた京都市から東京に行き、某テレビ局のロビーに待ち合
わせ時間に合わせて入った。ロビーには幾つものテレビ画面がスクリーンとし
て並んでいて、見ればまさにその女性キャスターが番組の中でニュースを読ん
でいた。ニュース番組が終了して程なくして先程まで画面にいた女性キャスター
がそのままの服装の恰好で現れて合流してテレビ局から離れた場所にある店に
入ってしばらく時間を過ごした。
 これも一つの若い頃のワンシーンである。

 街角に流れる山下達郎の毎年お馴染になった曲を耳にしてふと、20代半ばと
いう若い頃に過ごし損ねたクリスマスイブの大魚を逃したような思い出がセピア
色になって脳裏をよぎった。
 様々な場面がまるで小さな物語のように自分の中に刻まれている事に気付く。
 早いものでもう今年も暮れが近くなってきた。

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アベノミクスとは何だったのか

2014-11-16 17:31:09 | インポート
 テレビニュースではアベノミクスについて欧米諸国や外国人投
資家が高く評価していると報じられていた。
 当たり前であろう。
 アベノミクスとはすなわち円の垂れ流しである。
 垂れ流された円の資金を日本企業は設備投資や社員の給与
などには使っていない。どこに使っているのか。株である。
 アメリカの株式市場へ垂れ流された円が投入され、従ってアメ
リカ株は上昇している。
 関係者は喜ぶに決まっているではないか。

 更には円を垂れ流した事で円の価値が下がり円安になり、ドルで
見る外国人投資家には日本株は安価になったから日本市場で日本
株を買い漁った。それにより日本株の株価が上がったに過ぎない。
 要するにアベノミクスとはアメリカ経済や外国人投資家だけを潤し
てきたのであるから、外国人投資家や欧米諸国からよくやったと評
価されるのは当たり前であろう。
 ところが日本人や日本経済は無茶苦茶にされているのであるから、
日本国民からすればいい加減にしてくれ、どこまで日本の価値を下
げれば気が済むのかと怒り心頭になる。
 アベノミクスは外国人投資家を潤し、アメリカ経済を補完し、日本
国民を疲弊させているのである。
 次第に多くの国民が気付き始めている。
 安倍首相の周囲を固めているであろう御用学者の方々やどこかの
国の代理人の方々は日本国民からの怒りを招かないようにするべ
きであろう。
 もう遅いかも知れないが。

アベノミクスはそれぞれ人がどの立ち位置なのかによって認識や
評価が全く違うものになっている。
 要するに、
(1)外国人投資家や欧米諸国首脳は「よくやっている」「成功だ」と
   評価している。
(2)日本国民の多くは違和感を感じ、報道と日々の生活における
   実感との落差を感じ疑問を覚えている。
(3)御用学者はアベノミクスは成功していると論を展開している。
(4)テレビには呼ばれない学者はアベノミクスは失敗だと論を展開
  している。
(5)または今までテレビに出ていた学者でもアベノミクスは失敗だ
   と論を展開して以降はテレビには呼ばれなくなった。

という状況である。
 さて、アベノミクスは失敗だったのか成功だったのだろうか。
 日本国民には気付かれないようにと濡れ手に粟の状態になる
恩恵を受けた外国人投資家や特にアメリカにとってはこれ以上ない
魅力的な政策で大成功だったとなるのである。
 私達日本国民からすれば、円を垂れ流しにされ円の価値が下がり
意図的な円安にされて原油コストの高騰、原材料コストの高騰、それ
に伴う物価高、ドル建てで見た時の日本株の安さとそれによる外国人
投資家の日本株の買い漁り、それによる日本株価の上昇という数値
だけの上昇という見せかけの空騒ぎ、円の価値が下がった事による
あらゆる諸項目の数値の悪化に見られるような良くない事ばかりなの
である。
 従って日本国民にとっては良くない状況である。

 そもそも本当にアベノミクスが日本国民のために行われた政策であ
ったならば、結果として上手くいかなかった事は失敗だったと表現で
きるが最初からアメリカによる指示命令により円の垂れ流しを行ってき
たのだから、日本国民への被害が次第に皆に気付かれ始めた、つまり
失敗だったという表現ではなくアベノミクスの真の姿が露見し始めたと
表現するべきであろう。
 アベノミクスは失敗だったと表現するのは適切ではなく、アベノミクス
の真の姿が日本国民にも露見し始めたという表現こそが相応しい。
 そう言えば当初、安倍首相は
「これまでとは次元の違う云々」
「異次元の云々」
という表現をよく使っていた。
 まさにそうである。
 これまでとは次元の違う円の垂れ流し、異次元の円の垂れ流しが行
われたのである。
 そして異次元の、これまでとは次元の違う垂れ流しのされた円の資金
はどこに注がれただろうか。
 そう、株である。
 アメリカの株式市場でのアメリカ株の購入にごっそり注がれている。
 従って異次元の垂れ流しをされた円はほとんど日本国民や中小企業
には還元されていないのである。
 まさに外国人投資家やアメリカ経済の補完のためのアベノミクスだった
という真の姿があるのである。
 その真の姿に日本国民の多くが気付き始めたのである。

 だから突如として新聞各紙を通じて一斉に衆議院が解散され12月14日
に総選挙が行われるといういかにも既定事項であるかのような報道がなさ
れ、各議員も各政党も世間もそれを受けて行動し、更にはそれが既成事実
と化して人々が動き出している状況を生んでいるのではなかろうか。
 この解散も安倍首相の発意とは感じられない。
 この解散も安倍首相に対する指示命令であろう。
 さて、誰からの、どこからの指示命令であろうか。
 敢えて主語は述べまい。
 皆様のご想像にお任せしたい。

コメント (1)
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