去る12月12日 西川右近前家元が急逝されました。81歳でした。
千雅家元は「他の人がやらないことをやり道なき道を開いてきた人でした。寂しさはありますが、その姿勢を受け継ぎ西川流を盛り上げていきたいです」とおっしゃっています。
私の祖父は医者ですが、右近先生が幼少時に喘息であったのを治療したことがあるためか、先生は、数多いらっしゃる一門の弟子の一人に過ぎない私に「みっちゃん、みっちゃん」と気軽に声をよくかけて下さいました。最近は必ず「お千代さんはどうしてる?元気かね?」と尋ねて下さっていました。
西川 鯉を襲名することについては、右近先生が賛成して下さったからこそ実現することができました。襲名前の忙しい時に、家元から「総師が稽古すると言われているので必ず見てもらいなさい」と連絡が入りました。一分一秒大切な時でしたので、随分迷いました。先生が最後の仕事だと精魂込めて作られた財団を見たいという思いもあり、必死で時間を捻出して1月31日に伺いました。
右近先生と一対一であんなに長時間稽古していただいたのはこの時が初めてでした。そして最後になってしまいました。三番も続けてやったので、何処でなにを言われたのか全て覚えていられないので、稽古時に先生がメモをしておられた紙を事務所の人に送ってくれるように京都に帰ってから頼みました。すると、右近先生から「あれは走り書きだからもう捨ててしまったので」と手紙を書いて送って下さいました。その中に太字で書いてあったところを、今読み返しています。
西川 鯉を名乗ってもそのものにはなれません。だから、今の人が見て満足できれば、新しい鯉の誕生だと思います。先人のコピーをつくるのではなく新しい鯉を誕生させるのです。それがお鯉師匠への供養であり、教えを受けた恩返しになるのです。それが本当の意味の名前の継承でしょう。
長い間お世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
コロナが少し落ち着いたら流葬としてみんなが参加できる形で送りたいと家元がおっしゃっていますので、日時、場所が決まりましたらお知らせします。是非おまいりしていただきたいと思います。