「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「透かし百合」 

2006-07-31 22:46:27 | 和歌

 信州・蓼科の「透かし百合」が、山荘の庭に咲いていた。

 一昨日の「糊空木・のりうつぎ」のなかで触れたが、目の粗い鹿よけネットの中には、オレンジ・赤・白と三色の透かし百合が見事に咲いていた。この辺りの別荘地やゴルフ場には、かなりの数の鹿が自由に闊歩しているので、丹精こめて育てている花は鹿よけネットで守らないと、天真爛漫な彼らに荒されることになるという。ネットの外からカメラを構える、虚庵居士の姿をご想像あれ。

 山荘の広い敷地には、背の高い木立が茂って、落葉が「ふかふかの厚い絨毯」になって敷き詰められている。枯れ落葉を背景にして浮き立つ白い透かし百合は、天女か聖女の趣があってしばし見とれた。

 光を遮る木立の中で写した花々が、何れもピンボケであったのは、誠に残念でならないが、辛うじて残った透かし百合の一枚から、山荘の庭の風情を想像願いたい。






             踏み込めば足沈みゆく山荘の
   
             落葉に浮き立つ透かし百合かな   



             群れ駆ける鹿の姿も垣間見ゆ 
  
             囲を犯しな花々荒らしな  



             ゆかしくも深き林の中に咲く 
  
             透かし百合かも天女の姿に     






「月見草」

2006-07-30 23:44:08 | 和歌


 蓼科のゴルフ場でも日光黄菅が楽しめるかと期待したが、ゴルフ場で出会えたのは一株だけだった。その代わりと言うわけでもあるまいが、月見草が待って居てくれた。

 月見草といえば、竹下夢二は「待てど暮らせど こぬひとを・・・」と涙の別れを詠った。
太宰治は、富士山と対峙する逞しいこの花と、己の破綻しつつある姿とを胸の内で対比して、「富士には月見草がよく似合う」と書いた。人々は、月見草にそれぞれの思いを抱いているに違いあるまい。

 月見草と慣れ親しんで呼ぶが、花が大きく背丈も一米余の逞しいのは大待宵草、花も背丈も小ぶりな雌待宵草(別名・荒れ地待宵草)、更に待宵草、小待宵草などとかなりの種類があるそうだが、虚庵居士にはどれもが月見草だ。

 虚庵居士の郷里には、諏訪湖にそそぐかなり大きな上川があって、その土手や河川敷には無数の月見草が咲いていた。夕暮れに見る月見草は仄かに浮き立って、せつなくも片恋の乙女を想わせたものだった。






             くれなずむ上川の土手恋しけれ
  
             瀬音も聞こゆる 月見草かも  



             暮れゆけば仄かに浮き立つ月見草の
  
             姿は佇む浴衣の乙女か  



             夕されば草ぐさ物みな消え失せて
  
             白きうなじの乙女ぞ浮かびぬ  







「糊空木・のりうつぎ」

2006-07-29 16:58:05 | 和歌

 日頃からエネルギー会でお世話になっている、H氏の蓼科山荘を訪ねた。

 山荘の敷地には、「透かし百合」や「紫露草」、名の知らぬ草花が鹿よけネットに守られて咲いていた。珍しい紫陽花が咲いていたので、囲碁の始まる前の僅かな時間に、カメラに収めた。伺えば紫陽花の仲間で「糊空木・のりうつぎ」だという。
花の名前に「糊とはケッタイ」だが、帰宅して調べたら、和紙を漉く際に、重ねた紙が付着しないように、この空木の内皮から滲出する液体を糊として利用したと言う。髪濯ぎにも使ったというから、謂わばリンス代わりに使ったものであろう。

 今回の蓼科行のメインは懇親ゴルフだったが、その前に半日を囲碁に当て、更にディナーパーティーも楽しもうという、大変欲張った設定であった。囲碁は、高段者相手の苦しい戦いであったが、何とか二勝一敗と勝越した。

 パーティーでは話が弾み、酒量も聊か過ぎたうえに、パーティー後の第四局がまずかった。激戦の苦しさについついワインに手が伸びて、中押し勝を収めた時には酔眼朦朧であった。
翌日は二日酔い必定、ゴルフどころではあるまいに・・・。






             背の高き木立の庭は木漏れ日も
  
             いと細くして糊空木咲く  



             けな気にも木漏れ日求めて咲く花に 
 
             虫等も己の命を託すか  



             いにしえの乙女は髪の長ければ 
 
             空木の糊に濯ぐ朝かな 







「蓼科のニッコウキスゲ」

2006-07-28 22:57:03 | 和歌

 日頃から親しくお付き合い願っている面々と、信州・蓼科へゴルフに出掛けた。

 一泊二日の日程であったが、虚庵居士が運転する車に辻堂と厚木で、二人の先輩をピックアップして、相模湖経由で中央道を走り、昼に蓼科へ到着した。毎月のエネルギー会で喧々諤々の議論を重ねているが、何時の間にか車中でも議論が始まり、運転手君もたまりかねてハンドルを叩き慷慨する、烈しくも刺激的な半日であった。

 この時期は、霧が峰高原のニッコウキスゲが有名なので、蓼科高原でも出会えることを期待して出掛けたが、残念ながらゴルフ場ではひと株を見かけただけであった。クラブハウス前の石垣の根方にひっそりと咲いていた花は、虚庵居士の記憶にあるニッコウキスゲに比べて、花弁が随分と幅広で、花肌の艶やかなニッコウキスゲではなく、花びらも繊細に透けていた。
開花後の時間のなせる業かもしれないが・・・。

 前夜祭では聊か酒量が過ぎた。ビール、日本酒、焼酎それにワインと、和洋混合も効いたようだ。宿酔と、高速グリーンの二重苦に喘ぎつつも、赤松にセパレートされた美しいゴルフ場で、お仲間とのゴルフを堪能した一日であった。






             咲きわたる山草原にあらざれば
   
             ニッコウキスゲはうら淋しくも   



             蓼科のニッコウキスゲは友恋ふるか 
  
             花びらやつして透けにけるかも



             ひと株の日光黄菅は待ちぬるや
   
             未だ来ぬ人を恋焦がれつつ    







「トランペットクリーパー」

2006-07-27 21:32:15 | 和歌

 近くのお宅の塀を乗り越えて、うす桃色の花が咲いていた。





 花の大きさは三センチ程度であろうか、蔓の下には既に沢山の花が散り敷いて、かなり前から咲き続けていることを物語っている。

 見慣れない花ゆえ、花図鑑で調べたら「トランペットクリーパー」と知れた。凌霄花のお仲間らしい。凌霄花は色がかなり強いので、「真夏の花」とのイメージがあるが、この花の色は淡いピンクゆえ、同じ凌霄花の仲間でも涼しげな花だ。

 散り敷いた花を敢えて掃かずに、道行く人々に風情を楽しんで貰おうとの気配りであろうか。それにしては、踏みしだかれ枯れた数も多いので、この家の主は「道路は我が家の庭に非ず」と心得ているのかもしれない。毎日とは言わないが、せめて時には汚れを取り除けば、散り敷いた花にもどんなにか風情があろうに・・・。






             塀越しに蔓花伸びて咲けるかも
   
             桃色うすく乙女の風情で
   


             散り敷ける花の風情を君しるや
   
             あはれなるかも踏みしだかれて
   


             ああせめて花を愛ずるは咲き誇る
   
             のちの姿も見まくほしけれ
       


                                


「カサブランカ」

2006-07-26 19:03:22 | 和歌
 
 カサブランカが咲き始めてから、この辺りでは半月ほどにもなるだろうか。





 「うつろ庵」のご近所でも、鉢植えで玄関先に飾ったり、庭に植えて花壇の主役としているお宅が多いようだ。カサブランカが咲くと、純白の高貴さと花の大きさに、容姿の華麗さが相俟って、存在感は抜群だ。そのうえ、かなり強い芳香もあるので、人気が高い所以であろう。

 近くの花屋の説によればカサブランカは、鹿の子百合と山百合を元に交配を重ねて、オリエンタル・ハイブリッドとして三十年ほど前に発表されたという。花束のアレンジを頼めば、カサブランカは花束を豪華に仕立てるので、催しの多い街中の花屋では、無くてはならない花だという。

 純白の大きな花弁が見事なのは言うまでもないが、大振りの雄蕊も見事だ。
「猩々緋」の花粉をタップリとつけた雄蕊が、純白の高貴さを引き立たせているとは言えまいか。(7/29誤記訂正:雌蕊→雄蕊)






             白妙の百合は花びら反り返し
 
             誇る花粉は猩々緋かな
 


             山百合も鹿の子の百合も 紅を
 
             何処へ秘めしか 白き カサブランカ
 


             芳しき香りを放つ白妙の
 
             カサブランカぞも君の誇るは






「サフランモドキ」と「ハブランサス」

2006-07-25 11:26:32 | 和歌

 ご近所の植え込みの下に、「サフランモドキ」の妙なる花が咲いている。






 サフランモドキとごく似た花が、雨後の「うつろ庵」にも咲いた。気が付いたら、既に一輪は萎れ、次の花が雨にしとど濡れて咲いていた。この鉢は昨年の夏、近くにお住まいの花好きの「おばあちゃま」から、「姫檜扇」の一株を分けて頂いて鉢植にしたが、どうやら花の種類を思い違いしていたらしい。

 サフランモドキとは若干花が異なるので、調べたら「ハブランサス」の花に到達した。花図鑑には「一般にサフランモドキと混同されるほど、よく似ている」と記載してあったが、何処がどう違うのか、説明がない。

 いい加減な解説で納得できないが、掲載してあった写真と見比べれば、「うつろ庵」の花は「ハブランサス」であろう。いずれ「おばあちゃま」にも確かめてみよう。






             木漏れ日を受けむとするらし花びらを
 
             広げて咲くかなサフランモドキは 



             降る雨にしとどに濡れて咲く花は

             首傾けるハブランサスかな 



             花びらにきらめく雫と金色の

             こぼれる花粉は歓喜のなごりか 






「苦瓜・ゴーヤー」

2006-07-24 00:00:25 | 和歌
 
 沖縄の野菜ゴーヤーは、最近ではスーパーでも安直に手に入るが、「うつろ庵」の近くのお宅の庭先で見かけようとは思いもよらなかった。





 垣根越しに、「あ、胡瓜の花が咲いている」と目にしつつ通り過ぎようとしたら、虚庵夫人が「あら、ゴーヤーだわ」と立ち止まった。指さす先を見たら、例のぼこぼこのゴーヤーが棚から吊る下がっていた。


             苦瓜の花とは知らず行きかけて 

             家内の指さすゴーヤーを見つ 


 ゴーヤーチャンプルは、苦瓜のほど良い苦味と歯ざわり、豚肉と豆腐とが一緒になって織り成す独特の味わいが、泡盛や芋焼酎と良くマッチして、仲間との懇親会では人気料理だ。

 胡瓜のお仲間とは知っていたが、花も蔓も葉も、斯くまで似ているとはついぞ知らなかった。
そのうちに「うつろ庵」の庭でも試してみようかしらん・・・。






             爽やかな黄檗の色の花びらと 

             釣あふ花芯の山吹色かも 



             三線のカチャーシーに乗り踊るらし 

             ゴーヤーの花 手捌き麗し 






「瑠璃二文字・るりふたもじ」

2006-07-23 18:28:29 | 和歌


 今年もまた清楚で気品のあるな花が、虚庵居士を迎えてくれた。

 昨年初めてこの花に出会った際に、ここのお宅の老婦人に尋ねたら、
「あ、これね・・・ 韮の花よ」
と言いつつ細葉を千切って嗅がせてくれた。
紛れもないあの「韮の匂い」であった。葉の姿も韮そのものゆえ、すっかり信じきって、当時のブログには「韮の花」と記載した。

 今年は、念のため花図鑑で「韮の花」を調べたら、別の白い花に行き着いた。
韮にも種類が色々あるのだろうか・・・? 
あれこれ調査した結果、「ツルバギア・ビオラセア」、別名「ソサエティー・ガーリック」であることが判明した。和名は「瑠璃二文字」、料理の飾りやポプリの材料にすると書いてあった。

 「花をポプリにする」との記述を読んで、香りを確かめてない迂闊さを反省したが、再び会いに行く愉しみが出来た。






             清楚なる花の姿を見てしかと
 
             訪ねて行けば 小花は 会釈す 



             花の名を「るりふたもじ」と知りたれば 

             いよよいとしく思ほゆるかも 



             花の香を確かめもせで過ぎにしを 

             悔やめどまたの逢瀬ぞまたるる 





「春車菊・はるしゃぎく」 

2006-07-22 17:24:43 | 和歌
 ヒョロッと伸びた草丈の先で、春車菊が風に揺れていた。

 黄色の花びらの中心がクッキリと茜色で、鮮やかな色の対比が印象的だ。
黄色の花は、只でさえ目立ち易いが、茜の花芯が蛇の目になって黄色を引き立てるので、
遠目でもそれと知れる春車菊である。

 漢字では波斯菊とも書くようだ。波斯はかつて「ペルシャ」と読ませていたが、この場合は「はるしゃ」と読ませている。ひょっとして、この花の原産地が波斯・ペルシャかもしれないと
考えて、念のため調べてみたら、北米原産だというから話はややこしい。

 最近は、道端や空き地にも咲いて野生化しているが、こぼれ種子が逞しく数を増やしているのであろう。春車菊が勝手に増えるのは、住民は歓迎ということであろうか。






             春車菊の群れ咲く野辺に風吹けば

             わたり行く先 そよぐ花かも



             おさな児の野辺に遊べば春車菊の 
  
             花のまにまに見え隠れして   



             おち方の孫の背丈も育つらむ 
  
             野辺に花咲く春車菊ほど   





「花衝羽根空木・ハナツクバネウツギ」

2006-07-21 02:58:23 | 和歌

 五月頃に咲き始め、木枯らしが吹き始める頃まで、ずっと咲き続けているアベリアだ。

 花図鑑を調べたら、随分難しい名前の持ち主でもあることを知って、驚いた。
「花衝羽根空木」、ルビがなければ余程の博識でなければ読めそうもない。しかも漢字で六文字とは恐れ入った。

 枝が込み入って、背の低い生垣にはうってつけなので、あちこちで見かける。至極身近な存在ゆえに、しかも何時でも咲いている故に、殆ど注目されないが、仄かな甘い香りがして、どこか親しみの持てる人懐っこい花である。

 人間社会にもその様な存在の人が居る。私が、僕が主役ですと主張することなどせずに、特に目立つわけではないが、気が付けばそれなりの役割をキチンと果たしてくれる人、言ってみればその様な花かもしれない。






             そばに居てその存在も気に留めぬ
   
             親しき友かなアベリアの花   



             改めて写真に撮らむ写さむと
   
             近くによれば香りなつかし   



             アベリアに近寄りゆけば恥じらふや
   
             うす紅にほほを染めるは   





「槿は乙女か」

2006-07-20 10:40:51 | 和歌

 薄紫の槿が二つ並んで咲いていた。

 先程まで降っていた雨が小降になって、空が急に明るくなった。コウモリを携えて散歩に出たら程なく雨が止んだ。雫を湛えた槿に、パッと陽ざしが射しこんで、誠に爽やかであった。

 日本画であれ洋画であれ、絵画の嗜みのある方ならば、花の色に対する優れた感性と、色を表現する適切な色名をご存知で、適切な表現ができるのだろうが、その辺りに疎い虚庵居士は、何時ものことながらシドロモドロになる。色の濃淡や明るさや、それに「紺桔梗」でも触れたが、光線の加減によって色調は随分と変るので、花の色合いを言葉で表現するのは素人には難題である。加えて、写真に写す技量も拙いとあっては、救いようがない。残されたのは、「美しい」と感じる心だけだから、誠にファジーな感覚だけで、何とも頼りない。

 間もなく梅雨が明ければ、日本列島は猛暑に包まれて、花々も避暑のシーズンを迎える。
精一杯咲いて儚く散り行く槿と蝉時雨を朋に、暫らくは暑さを耐えねばなるまい。






             降る雨を厭いもせずに浴びて咲く

             槿は乙女か語らひ止まずも
   


             嬉々としてきらめく雫の槿かも
   
             並び咲く花 雨後の陽ざしに



             この後は槿の花と蝉時雨を
   
             朋に忍ばむ猛暑の夏は
      





「珊瑚花」

2006-07-19 11:11:35 | 和歌

 今年もまた、昨年と同じお宅の珊瑚花に出合った。

 昨年始めてこの花に出合った時には、庭先にこのお宅の「お婆ちゃま」が居て、花の名前を教えて下さった。
「挿し木で良く根付きますの。よろしかったら一枝お持ちになりますか?」
と控えめに仰って下さった。
ズボラな虚庵居士では、挿し木の後の水遣りなど、きめ細かな面倒見には自信がなかったので、丁重にご辞退したことを思い出した。

 今年の珊瑚花は、かなりの大きさに成長して葉を茂らせていた。既に咲き終えた花序も見られたが、これから咲き始めるものもあって、かなりの期間にわたって咲き続けるようだ。

 筒状の花の幾つかは気の毒にも虫に食べられていたが、そんなことはごく当たり前のことと、意にも介さない風情で咲いていた。






             筒花の先を僅かに曲げて咲く
   
             珊瑚の花に今年も出会いぬ   



             虫食いの花うらがなしくも見てとるに 
  
             意にも介さぬ風情ぞ逞し   



             虫食うは虫の営み珊瑚花は
   
             ごく当たり前よと 済ましたるかな   





「野萓草・のかんぞう」

2006-07-18 01:22:05 | 和歌

 昼の講演を終えて、帰宅する電車の中から何気なく見ていたら、「野萓草」の花が目に飛び込んで来た。

 自宅に急ぎ足で取って返して、カメラを携えて先程見た辺りを彷徨ったら、程なくして「野萓草」の群れ咲く電車道の土手に辿り着いた。自然の環境が廃れ行く中で、人工の土手に生き残りを掛けた「野萓草」の知恵に、拍手を送りたい。 





 駅務員の許しを得て、土手に取り付いてみて驚いた。電車道の土手がこんなにも急傾斜だ
とは、ついぞ知らなかった。油断すればずり落ちたり「こけそう」なのを何とかへばり付いて、
ヤットの思いでカメラに収めた。

 郷里の信州・霧が峰高原には、いま頃は「日光キスゲ」が一面に咲き誇っているであろう。
色合いは野萓草より中黄色が勝って清純であるが、土手の野萓草も自然を謳歌していて、
爽やかであった。






             今頃は黄菅咲くらむ一面に
 
             故郷の山 霧が峰には 



             群がりて咲き競えるか野萓草は 

             逞しきかな 電車道にも 



             撮り終えてふと気がつけば黄色なる
 
             名残の花粉の身に付きしかも 






「紺桔梗」

2006-07-17 12:10:16 | 和歌

 夏の陽ざしを桔梗は背に浴びて、鮮やかな「紺桔梗」色を見せていた。

 ブログに掲載する花を撮影するようになって、最近やっと気付いたが、花の色合いや表情が、光線によってこれ程までに変るとは知らなかった。理屈としては理解していたが、実感してみて驚きであった。この桔梗の花は、逆光で花びらが透けて、「紺桔梗」の色合いが陽光によって鮮やかに発色していた。

 プロの写真家は、朝日と夕日とを使い分けて撮影すると、どこかで聞いたことがある。
たった一枚の写真を撮るのに、朝から晩まで同じ場所で頑張る訳ではなかろうが、撮影の時刻を計算にいれるとは、流石にプロの拘りだと、感服したものだ。

 この桔梗を朝日の元で見たら、どんな「紺桔梗」の色を見せてくれるのだろうか。わざわざ早朝に起きて、或いは夕暮れに会いに行くほど、虚庵居士は入れ込んでいないが、そのようにしたら、花の本当の美しさに出会えるかもしれない。






             照りつける陽ざしを背に受け「きつこう」は
   
             色鮮やかに花びら透かしぬ    



             冷静な桔梗の花と思ひしが
   
             花びら透けて息吹きを聞くかも   



             何気なく花を見やりて過ぎしかな
   
             花のまことのあはれを知らずに