「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「むらさきつゆくさ・紫露草」

2009-05-25 00:59:22 | 和歌
 
 「紫つゆ草」が咲き始めた。

 大きな樹の下の露草は、背丈が若干伸びがってに見えるが、陽射しが不足しているのだろうか。
露草に限らず草花は、陽射しが不足すれば、たちまち背丈を伸ばして陽光を求めるのでなよなよと徒長するが、この露草は花茎も葉もしっかり育っているところを見れば、肥沃な土地ゆえに、すくすくと育ったものの様だ。




             樹の下に咲き初む紫つゆ草の 

             陽ざしを気づかう翁となるかも


             露草の花さわやかに吾を迎え

             挨拶するらし仄かに揺れるは







 しばらく「紫露草」の傍らに佇んでいたら、虚庵居士の心配を察知したのだろうか、大樹の梢が風でざわめいて、露草に木漏れ日が降り注いだ。木の葉を透けて降り注ぐ陽光がキラメキ踊って、露草は歓声を
あげたかの様に思われた。


             心配はいらぬといふや木漏れ日の 

             スポットライトを露草は浴びて






「じゃがいも」

2009-05-20 15:08:12 | 和歌

 懐かしい「おじゃが」の花に出会った。

 郷里の信州・諏訪の畑に、一面に咲いていたこの花を思い出す。農家の皆さんは、「おじゃが」の生育を助けるために、せっせと花摘みをしていたっけ。最近の大規模農業では、そんな手間の掛ることはしないのだろうが、虚庵居士が子供の頃のお百姓さんは、腰をかがめて花を摘んだ。長時間の農作業で疲れるのであろう、時々腰を伸ばしてゲンコツで腰を叩いていたのも、懐かしい情景だ。

 よもや住宅街で「おじゃが」の花を観ようとは、思いもよらない出会いであった。





             故郷のはたけの土の香りたつ

             心地こそすれおじゃがの花 みれば


             いかでかは おじゃがは此処に咲くならむ

             街の住まいの庭先なるに


             思ふらくは 田舎のおじゃがを懐かしみ

             身近に咲けよと植えにけらしも







「こばのずいな・小葉の瑞菜」

2009-05-19 23:16:31 | 和歌
 
 「うつろ庵」の裏手には、歩行者専用の遊歩道が1キロ半ほどの長さに亘ってつながっている。両側の立木は、青桐、欅、ねずみもち、山桃、たぶの木、桜、花水木など等だが、それぞれのお宅が様々な花木を更に植え込んでいるので、誠に変化に富んだ緑道だ。花を愉しみながら散歩できるとあって、近隣の皆さんも押しかけて、週末などは行き交う人々も跡を絶たない状況だ。

 そんな中に、ふと見ると「りょうぶ・令法」によく似た白い房花が咲いていた。
このお宅では、こまめに花の名前を小札に書いて吊るして居られるので、根元を覗きこんだら「りょうぶ」と認められていた。だが、記憶が定かではないが、「りょうぶ」とはどこか違うようだ。

 帰宅後に花図鑑で調べたら、「こばのずいな・小葉の瑞菜」と知れた。別名、「アメリカ・ズイナ」、「ひめりょうぶ」とも呼ぶらしい。

 二・三日後の散歩で、このお宅の奥方と顔を合わせた。ご挨拶がてらに、花の名前を話題にしたら既にご承知で、新しい名札が追加されていた。花の名前一つにつけても、細かな気配りを保ち続けて居られ、その床しさに感服させられた。





             行き摺りに花の名を問う数寄人に 

             応える名札の心映えかな







             白妙の咲きそむ花穂を訪ふは

             じじに先越す蜜蜂なるかも







             語りおれば太めの乙女も加わりぬ

             黄金虫美女 花蜜もとめて






「うつろ庵の甘夏」

2009-05-15 23:47:27 | 和歌

 「うつろ庵の甘夏」が、今年は沢山の花をつけた。

 何時であったか収穫した甘夏を、テラスのテーブルに山盛りにした写真を紹介したことがあったが、今年の花付はあの年を遥かに超える。蜜柑農家は一本の木に生らせる蜜柑の数を、毎年程よくコントロールして、収穫量を平準化する。そのための摘果作業もなかなか大変だ。虚庵居士には摘果の知識もないが、幸いにも虚庵夫人は沢山の花が咲けば、たわわに生るであろう甘夏を夢見て、今から満面の笑みを湛えているので、摘果して数を減らすことなど許されよう筈もない。





             肉厚の花びら反らせ白妙の

             花咲きにけり己を誇りて




 甘夏の花が咲くと、喜ぶのは虚庵夫人だけでなく、蜜蜂が大挙してご来訪となる。甘い香りに誘われて、何処から飛んで来るのであろうか、木の下に佇めば、蜜蜂の羽音が賑やかだ。

 甘夏の花は、かなり分厚い5弁の花びらと、雌しべ雄しべもそれぞれに量感があり、近くで見れば気品を湛えた花だ。蜜蜂は、この量感のある花の蜜が大好きで、蜜柑の季節にはせっせと花蜜を集める。

 蜜柑の蜂蜜は、味がまろやかで癖がなく、しかも蜜柑の花の香りが残るので、蜂蜜の中でも最高級品だ。
お値段が高いのも頷けるというものだ。毎年蜜柑の花が咲いたら小田原の橘蜂園から、「蜜柑の蜂蜜」を取り寄せて堪能しているが、「うつろ庵」の甘夏の花蜜は、誰の口に入っているのであろうか。


 蜜蜂が熱心に花蜜を吸えば吸うほど、分厚い花弁と雄しべは蜜蜂の体に押されて、はらはらと舞い
落ちる。甘夏の木の下には、蜜蜂がまき散らした花びらが、びっしりと散り敷き、蜜柑の季節の風物詩となる。

             花びらの散り敷くみかんの木の下に

             箒をたずさえ香りをきくかも







             我が妹の飾りとやせむ白妙の

             蜜柑の花を香りと共に






「ほうちゃく草」

2009-05-12 13:30:36 | 和歌

 「うつろ庵」の玄関脇の木陰に、「ほうちゃくそう・宝鐸草」がひっそりと咲いた。

 蘇芳梅や金木犀は、この季節には木の葉が茂って、根方には殆んど木漏れ日も届かないが、
「ほうちゃく草」はそれを意にも介さぬ態で、花を付けた。植物学はとんと素人の虚庵居士であるが、
この花は照りつける陽ざしよりは、むしろ木漏れ日ていどか或は柔らかな日陰を好むのであろうか。

 人間様でも、陽のあたる目立ちたがり屋も居れば、どちらかと云えばスポットライトの当たらない、目立たない処が居心地がいいと云う人間もいる。草花も人間も、それぞれの個性を見極めて、それぞれに
見合った環境を設えてやることが肝要だ。

 ところで、我々の日常生活の中では、「宝鐸・ほうちゃく、ほうたく」或いは「風鐸・ふうたく」など殆ど目にしないが、風鐸の出土品が歴史文化財として、教科書に掲載されていたのが思い出される。

 重層建築の軒先の四隅に吊り下げられ、風に揺られて荘厳な響きを奏でるあの飾が、風鐸・宝鐸だ。垂れ下がって咲く花の姿が、この宝鐸に似ていることから、古人は「宝鐸草」と呼んだのであろう。

 「宝鐸草」は、セワシイ無宗教の生活を送る現代人に、仏教文化と身近な生活を送っていたであろう
昔の人々が、草花に託す感性に思いを致せと、呼びかけているのかもしれない。





             木のもとにひそと咲くかもほの白き

             ほうちゃく草は花をつり下げ


             宝鐸の花咲くそばに佇めば

             伽藍に響くをこころに聴くかも







「羽衣ジャスミン」

2009-05-11 00:06:58 | 和歌
 
 散歩をしていると、馥郁としたジャスミンの芳香が漂ってきた。

 程なく、門扉の脇に咲き乱れる「羽衣ジャスミン」が、眼の前に現れた。
花数が少なければ、ジャスミンの芳香は得も言われぬが、これ程に群れ咲くとその芳香には、大勢の
美女に囲まれた「初心な男」の様に、圧倒され、むせ返り、尻ごみすることになる。 

 「美女とはしっぽりと濡れたいものだ」などと、大昔の男は粋な「せりふ」を吐いたが、香り高い
美女もジャスミンも、数が多いのは必ずしも頂けないなどと言うのは、勝手な言い種だろうか。

 この花には、素馨(そけい)との別名もあるそうだが、まさに漢字文化のなせる命名と言わんか。
それにしても、むら花の織りなす絵模様は、祝言に着る緞子の打掛を思わせる見事なものであった。

 



             彼方よりふくいくとして香りくる

             かおりをたよりに花をたずねむ


             あゆみ行けばジャスミンの香はいざないて

             むら花咲きたつ門辺にいたりぬ


             紅のつぼみとむら花織りなせる
  
             素馨の打掛は息女を祝ふや







             白妙の素馨は咲くかも漆黒の

             夜のみそぎに紅を落して


             紅の莟の色は昇華して

             白妙のはな 馨る素とや






「ときわつゆくさ」

2009-05-08 00:51:55 | 和歌

 「うつろ庵の」裏庭の片隅に、「ときわつゆくさ・常盤露草」の清楚な花が一輪咲いた。

 空色の露草は、空き地などでよく見かけるし、紫錦露草は園芸種として多くのお宅の庭先に植えられているが、純白のこの花は初めての出合いである。偶然にも「うつろ庵」に根を下して、虚庵居士を愉しませてくれるとは。

 花の名前すら知らぬのを恥じて、早速、花図鑑で調べた。「常盤露草」、瑞々しい緑が一年を通して保たれるゆえに、「常盤」との名前が付けられたという。別名、野博多唐草(のはかたからくさ)とも呼ばれるが、その謂れについては解説が見つけられなかった。






             いずこより訪なひ来たるや我が庵の

             庭に咲くかも ときわつゆくさ


             薫る風に ときわ露草 きらめくは

             黄金の六星 髪の飾りか








 「うつろ庵」の庭だけに遣わされた、気高き神の使者かと誇らしく受け止めていたが、お隣のつつじの花が枯れた合間にも、同じ「常盤露草」が咲いていた。こちらの花は、莟を二つ伴なって両手よろしく、どこか「お茶目」な女の子を思わせる。


             しろたえの常盤つゆくさ花殻を

             衣片しく春の寝ざめか






「かたばみ」

2009-05-06 00:36:59 | 和歌
 
 鮮やかな黄色の小花が眼にとまった。

 庭木も生垣も、新緑が際立って眩しいこの頃だが、道路沿いのフラワーベルトの植え込みの間に、鮮やかな黄色の小花が風に揺れていた。思わず近寄って見たら、「片喰」であった。ハート型の三枚葉の中に、一輪だけが誠に爽やかに咲いていた。





             道端に咲く一輪のカタバミと

             言葉を交わしぬ行く足とどめて


             かたばみの花は揺れつつ語るらし 
             
             きく耳かしてと云わぬばかりに




 「うつろ庵」のガレージには、車の長手方向に「君子蘭」や「シンビジウム」、「春蘭」それに「金の生る木」などが所狭しと植えられたり、鉢植えで置かれていて、クラウンに乗るにつけ降りるにつけて、花達が挨拶してくれる。数日前から「金の生る木」の肉厚の葉の間から、ピンクの小花が顔を出して、運転席のすぐ脇に微笑んでいる。
 
 ムラサキカタバミ(紫片喰)だ。  





             ドアを開け車に乗らんと屈みなば

             可憐な見送りむらさきかたばみ


             降り立ちて閉めるドアの風に揺れ

             お帰りなさいとかたばみ迎えぬ






「ぐみの花」

2009-05-03 13:05:37 | 和歌

 今年もまたうつろ庵の「ぐみ」が、小枝一杯に花をつけた。

 花は目立たない素朴なもので、人に言わせると「華がない」などと悪たれ口を叩く向きも向きもあるが、近寄って観ると、なかなか気品がある。

 ガレージの隅の、ほんの僅かなスペースから身を乗り出すように、小枝を伸ばして、花を咲かせている。「茱萸・ぐみ」の木には気の毒ではあるが、毎年かなり大胆な剪定をするのだが、それでも又新たな枝を伸ばし、花をつけ、赤い実をつける逞しい生命力には感服させられる。この「茱萸」からは、「斯く生きよ」との無言の訓えを頂戴し、大切にしている。





             ぐみの花 写さむものと 構えおれば

             何の花ぞと 老夫 問いにし


             あの赤き ぐみの実の花 初めてと

             目を輝やかす 老いたる夫妻は







             ぐみの花の華やぐかんばせご覧あれと

             夫妻にかざしぬ小枝を撓ませ 


             改めて 老眼鏡を 取りいだし

             感嘆もらしぬ 小じわの口元