「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「春女苑・はるじょおん」

2013-05-30 00:20:19 | 和歌

 「春女苑・はるじょおん」は、空き地や野原でよく見かける身近な野の花だ。

 春女苑の莟は、首を傾けて手弱女の風情だが、開花すると首をシャンと挙げて、
お隣のお花とにこにこ顔で戯れる少女に変身する。

 

 それにしても、春の女苑とは随分買い被った名前だと、以前から不思議に思っていたが、野原に群れて咲く情景を観て、納得がいった。

 比較的に小さな花や茎が細い割りには、背丈がかなり伸びるので、微かな風でも揺れて、嫋やかな女性の表情になる。そんな野花の群れ咲く様は、まさに春の女苑と云えよう。先人は野草一つにも、粋な名前を付けたものだと感服する。

 この花とよく似た「姫女苑」も野に咲くが、花の咲くのは「春女苑」より1ヶ月ほど遅いようだ。何れ「姫女苑」も、このブログに登場して貰いたいと念じている。


 


           陽を浴びて笑顔綻ぶ野の花の

           陰には悄気る乙女ごも見ゆ


           切り株と若篠竹に身をゆだね

           春じょおん笑む 声を聞かばや 


           一株の春じょおんには名にし負う

           女苑は見えずも乙女御なれども


           群れて咲きそよ風に揺るる野の花は

           春の女苑のその名の由来か






「水木とこけし」

2013-05-28 11:07:39 | 和歌

 昨年も「水木の花」とのタイトルでご紹介したが、今年も三浦半島の山々には水木が白い花を咲かせた。虚庵居士の散歩道にも数本の水木の巨木があるが、それぞれに見事な花を咲かせて愉しませて呉れている。

 嘗て家族で鳴子温泉に遊んだことがあった。「鳴子こけし」が有名な土地であるが、こけしの木地には水木がかなり使われるようだ。水木は枝や幹を切ると樹液が滴り落ちるというが、木材に湛えた水分を乾燥させるのは、想像だが大変なことであろう。

 水木材の木肌は癖のない白い木地で、比較的加工しやすいことから、「こけし」の
ロクロ作業には向いているのであろう。

 白い水木の花が「こけし」に昇華する、水木の思いが偲ばれる。

 


           清しくも香る水木に出逢うかな

           散歩の途上で枝葉は揺れて


           緑葉に淡雪積もるや水木花の

           清楚な景色に心うばわれ


           鳴子では水木の木地をロクロして

           こけしを生みぬ命を吹き込み


           しろたえの棚花こけしに姿替え

           昇華するかも思いを汲まなむ






「椎の樹の花」

2013-05-26 11:43:18 | 和歌

 日本中の何処の山も、多少の前後はあるが椎の樹の花が満開だ。

 遠くから眺めても、松などで覆われた山肌に、椎の樹の花がハッキリと浮き上がって見える。山々の中に椎の樹が自生する数は、並大抵ではあるまい。

 

 昨年も椎の樹の花を、
「どんぐりの花・マテバシイ」とのタイトルでご紹介したので、併せてご覧頂きたい。       ↑クリックすれば、リンク先が開きます。

 「どんぐり」と親しまれている木の実だが、日本には二十種を超える種類があるらしい。「どんぐり」の実を拾って手に取ると、子供の頃に歌った「どんぐりころころ」を、何時しか口ずさんでいた。

 

     「どんぐりころころ」    作詞:青木存義

   1) どんぐりころころ どんぶりこ     2) どんぐりころころ よろこんで
      お池にはまってさあ大変          しばらく一緒に遊んだが
      どじょうが出てきてこんにちは       やっぱりお山が恋しいと
      ぼっちゃん一緒に遊びましょう♪     泣いてはどじょうを困らせた♪


 二番の歌詞が何とも可愛い。やっぱり「お山が恋しい」と泣いて、「どじょうを困らせた」のくだりは人情味たっぷりだ。子供のこころを見事に写し取って、歌う者の こころに迫ってくる名歌だ。

 


           山に入れば椎の樹の花迎えけり

           森一杯に香りを満たして


           仰ぎ観れば大樹を覆う花々の

           数の程にぞ愕かれぬる


           ふかふかの綿冠るらしどんぐりの

           花のどてらは見事なるかな


           どんぐりの落ち敷く頃に孫連れて

           再び訪ねむ落ち葉を踏んで





 

「リラの花」

2013-05-24 11:34:56 | 和歌

 リラの花を観ると、札幌の大通公園が偲ばれる。約400本ものリラの木が植えられていて、晩春から初夏にかけての花と香りの饗宴は、誠に羨ましい情景だ。

 横須賀では四月下旬ころ、虚庵居士の背丈程度の木に花を付けていたが、札幌で咲く沢山のお仲間に合わせて、この時期に掲載することにした。

 「リラの花咲く頃」との昔の歌謡曲の一節が、ふと頭に甦って来た。
子供の頃、ラジオから流れるこの歌謡曲を聴きつつ、見知らぬ「リラの花」をあれこれ思い描き、想像を巡らせた事を懐かしく思い出した。

 ヨーロッパの香りの文明は歴史が長いが、リラの花も香水の原料として使われることで有名だ。花の香りを抽出して香水に凝縮させ、日常生活の中で香りを楽しむのは、豊かな生活の証しでもある。かつて日本でも香を衣に焚き込み、香りだけでも人の識別が出来る程の、繊細な文明が確立したが、慌しい日常生活に追われる現代では、及びもつかぬ世界だ。僅かに一握りの人々に香道が受け継がれているが、茶道にせよ香道にせよ、日常生活の中で生かしたいものだ。

 残念ながらリラの花は手に入らぬので、「うつろ庵」では「薔薇の香」を愉しむこの頃である。拾い集めた薔薇の花びらを乾燥させ、乾燥ポプリとして部屋に置いてあるが、かなり長い期間に亘って芳香を愉しませて呉れる。
ポプリの作り方を更に勉強して、醗酵ポプリでより長く、より爽やかな香りを作りたいと念じている。試みに半乾燥のポプリに、アルコールを噴霧して醗酵を促したら、それだけでもかなり香りが佳くなった。来年に期待したい。

 「リラの花」を掲載するに際し、例によって花図鑑を念のため調べた。
リラ・Lilas(仏)、ライラック・Lilac(英)は何方もご存知であろうが、珍しい和名「紫丁香花・むらさきはしどい」を見つけた。リラはヨーロッパ原産で、日本に輸入されてから まだ日が浅いが、「丁香花・はしどい」は日本にも自生する香りの清々しい花木で、紫丁香花より一ヶ月ほど遅れて咲くという。何処の山であったか、白く煙って咲く丁香花を観た記憶が甦ってきた。

 


           清しくも香り漂う裏道に

           リラひそやかに咲きにけるかも


           歩みつつ古き歌謡の一節を

           口ずさむかなリラの花観て


           リラの花手に入らずば代替えに

           薔薇のポプリに思いを託しぬ






「うつろ庵の芍薬」

2013-05-22 09:52:33 | 和歌

 「うつろ庵の芍薬」に、喜ぶべき突然変異が発生した。

 白蔓薔薇に突然変異でピンクの花が咲いたのは、
「うつろ庵の薔薇 その2」にてご紹介したが、よもや芍薬にも突然変異が発生するとは・・・。 「うつろ庵の芍薬」は純白だが、ごく淡いピンクの花を咲かせて、愕きつつ愉しませて貰った。

 

 純白の芍薬は、花芯に近い二・三枚の花弁に、ごく細い紅の縁取りがあって、これが純白の大輪を惹き立てている。純白とは云え、紅の色素を元来持っていたのが、この度の突然変異では「全体にほんのりと、ピンクが発色した」のであろう。

 それにしても、白蔓薔薇も芍薬も相次いで突然変異が発生したのは、自然条件の何かが変化した結果に違いあるまい。 「うつろ庵」の住民が鈍感なだけで、花達は敏感にその変化を感じ取って、造化の神の遊び心に応えたものであろう。

 虚庵夫妻の花達との毎朝の「ごあいさつ」は、そんなこともあって、この頃はたっぷりと時間が掛るようだ。

 


           蔓バラの突然変異を受け継ぐや

           芍薬までもがピンクに咲くとは


           一輪の芍薬だけが何故にまた

           淡きピンクにかんばせ染めるや


           乙女御は誰に恋ふるかほんのりと

           かんばせ染めて思ひを秘めにし


           純白の花芯のはなびら紅の

           縁取りするは口紅ならむか






「うつろ庵の紫蘭」

2013-05-20 15:54:59 | 和歌

 ご近所の華人から鉢植えの「青花紫蘭」の一株を昨年頂いたが、花時を過ぎていたので、どんな花が咲くのか興味津々で開花をまった。

 紫蘭の葉は一般的に幅広で、観方によっては逞しさすら感じられるが、「青花紫蘭」は細葉で嫋やかな風情であった。

 群れて華やかに咲く紫蘭に、二週間ほど遅れて開花した。花弁も細作りで、花色と相俟って清楚な雰囲気を漂わせて咲いた。

 一株だけの鉢植えなので、群れ咲く紫蘭とは離して、松の根方の庭石に沿えてそっと置いた。
微かな風に揺れると、花や葉に松の木漏れ日が差して、戯れ合っているかのような景色であった。

 

 川のせせらぎを模して並べた飛び石とテラスの間の花壇に、今年も紫蘭は群れて咲き誇った。紫蘭は種がこぼれても発芽するが、宿根が逞しく地中で延びて、何時の間にか花壇一杯に拡がった。

 この花壇は、春先に水仙やムスカリ、クロッカスなどが咲き、四月から五月にかけては紫蘭が咲き乱れ、芍薬・梅花空木・花虎の尾などが後に続く、大変欲張りな花壇だ。いやいや、欲張りな住人だと言うべきであろう。

 

 紫蘭は、どちらかと云えば花の大きさはさ程でもないので、離れて観れば華やかさも控えめだが、近くで観ると花の姿も色も極めて華やかだ。遠近の差がこれほどハッキリ現れる花は、珍しいのではあるまいか。言葉を代えれば、紫蘭は身近に置いて愉しむ花と云えるのかもしれない。

 


           花時を過ぎて一鉢頂きぬ

           如何なる花かとひととせ待ちにし


           嫋やかな青花紫蘭咲にけり

           清楚な花を風に揺らせて


           木漏れ日が花と細葉にさしかかり

           戯る風情ぞ揺れる姿は


           咲き誇る紫蘭の花を写さむと

           近くに観ればなおも華やぐ






「谷戸の石楠花」

2013-05-17 00:15:57 | 和歌

 伊豆では4月上旬に石楠花が満開であったが、三浦半島の谷戸では略一ヶ月遅れて見事な花を付けていた。谷戸の環境が開花を遅らせたのだろうか。虚庵居士の町内でも、半日陰の場所では未だに綺麗な花を咲かせているから、石楠花は環境適合性に優れ、臨機応変の生育をするのかもしれない。

 

 孫のキャメロン君が住む米国ニュージャージー州北部では、巨大な石楠花の木を観て愕いたことがあった。平屋建ての民家に寄り添い、高さを競うかのような風情で、誠に勢いのある石楠花であった。

 洋の東西を問わず、清楚で華やかな石楠花の花は、人気が高いようだ。
かつてお世話になった某大企業の副社長殿は、石楠花栽培の専用の畠を購入し、大変な慈しみ様であったが、体調を崩してケア付きマンションに移住された。石楠花苑をどうされたか気になってお伺いしたら、「泣く泣く手放しました」 とのことで、
辛かったであろう心情をお察しした。

 気さくな元同僚のS氏は、米国石楠花協会の会員として国際的にも活躍されたが、石楠花に関する薀蓄を伺って舌を巻いたことがある。ことほど左様に、石楠花の花は人の心を掴んで離さない、魅力を備えた花の様だ。

 


           この春は幾たびとなく石楠花の

           華やぐ姿に見惚れるじじかな


           清楚にも華ある君に逢うたびに

           記憶のあれこれ甦りきぬ 


           石楠花をあれ程に愛でて逝きませば

           彼岸の苑にも華みつるらむ


           石楠花はあまたの人々虜にぞ

           なして已まずも華とは何かな






「うつろ庵の薔薇 その3」

2013-05-15 19:00:47 | 和歌

 「うつろ庵の薔薇」三回目のご紹介は、紅蔓薔薇にお出まし頂く。この薔薇との出会いも夙に30余年の歴史があるが、品種名を失念したことは返すがえすも残念だ。

 

 この紅薔薇が「うつろ庵」の庭に初めて咲いた頃の感動は、並大抵でなかった。
気品ある香りと情熱を滾らせる薔薇の風情から、紅薔薇は高貴な美女の化身かと思われた。魔法を解き美女に戻して『薔薇を娶らむ』、との長歌を紅薔薇に捧げた。
虚庵居士の私家歌集第二巻にその長歌を収録し、歌集のタイトルを『薔薇を娶らむ』とした程であった。

 当時のブログは、虚庵居士の編集操作のミスで一瞬にして喪失してしまったので、 
リンクを張ることも出来ないが、翌年の紅薔薇の季節に長歌『薔薇を娶らむ』を再収録し、
「薔薇の雫」に掲載した。長歌に託した虚庵居士の思いを、ご笑覧頂きたい。
     ↑クリックすれば、リンク先が開きます。

 

 この紅薔薇の最大の特徴は、気品ある香りだ。
生花の馥郁たる香りは云うに及ばずだが、散り敷いた花びらも、そして尚且つ乾燥した花びらでも、長期に亘って香ることだ。

 紅薔薇は写真でもご覧のように、珊瑚樹の生垣に覆い被さるかのように、身の丈を遥かに超えて咲くので、彼女の気品ある香りを道行く人々には嗅いで頂けない。
そこで、竹篭に花びらを入れて
「薔薇の香のお裾分け」をした。
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 散り敷く花びらはたちまち竹篭に溢れるので、半分を竹篭に残し、半分は虚庵居士の自室で乾燥中だ。幅1mX長さ2mの巨大な机の上に拡げてあるが、今や机の上も満杯状態だ。部屋に入れば、何とも言えない気品ある香りが、躰を包んでくれる。
グラス片手に酔いも重なって、陶然とする虚庵居士である。

 


           紅の蔓薔薇咲けば気もそぞろ

           滾るこころを如何に受けまし


           いや高く八重の紅薔薇重ね咲くに

           なぜに荒ぶる春の嵐よ


           舞い散れる紅の花びら愛しくば

           一枚一枚拾い集めぬ


           竹篭に集めし香りのお裾分けも

           たちまち溢れぬ薫風荒めば


           花びらを机に拡げてバラポプリ

           作らむとして香りに酔うかな






「うつろ庵の薔薇 その2」

2013-05-12 01:03:42 | 和歌

 「うつろ庵」のテラスの脇には、蔓バラが今を盛りと咲いている。

 本来は八重咲きの白バラだが、どうしたことか、昨年からピンクの花が一 ・ 二輪まじって咲く突然変異が発生した。今年はピンクの色合いも増し、花数も昨年の倍程度

 

に増えた。 造化の神も粋なお遊びをして目を
愉しませて呉れるから、感激だ。

 「うつろ庵」の敷地は三方が生垣で囲まれているので、ご近所などに気兼ねなく
テラスでの食事を愉む虚庵夫妻である。春から初夏にかけては、薫風がバラの花や植木にそよぎ、頬を撫でるので誠に爽やかだ。

 

 テラスの南側は、ベランダから簾を垂らして直射日光を和らげているが、西側は
蔓バラが恰好の日除けの役割を演じてくれるから、有難いことだ。椅子に腰かけた
虚庵居士の、恰も天蓋の様な姿の蔓バラである。

 


           薫風を頬に感じぬテラスにて

           遅きブランチ蔓バラを背に


           稚けなき莟にピンクの色を見て

           もしや もしやと胸トキメキヌ


           何故ならむ白妙の花の蔓バラに

           ピンクの花が混じり咲くとは


           蔓バラの天蓋頂く君かなと

           我妹子(わぎもこ)のたまうランチのオシャベリ








「うつろ庵の薔薇 その1」

2013-05-10 15:04:20 | 和歌

 「うつろ庵」に咲く薔薇の種類はごく僅かだが、それぞれに存在感がある花を付けて
愉しませてくれているので、順次ご紹介する。

  

 この薔薇は、川崎市にあった向ヶ丘遊園のばら苑に、三十年ほど前に家族で遊びに行った際、苗木を買い求めたものだ。莟のうちは比較的に鮮やかな色を保つが、大輪の花になると淡い色調に変化する。 品種名を忘れたのは、薔薇に申し訳ない思いで、誠に残念だ。

 向ヶ丘遊園は凡そ十年程前に閉園になったが、市民のばら苑を惜しむ声に応えて、「生田緑地ばら苑」として川崎市が維持管理を引継いだと聞いている。 

 

 「うつろ庵」の住民は、薔薇の栽培については全くの素人で、薔薇の好き放題に委ねているが、それでも四季咲きの大輪を愉しませてくれる優れものだ。春の嵐が吹き荒ぶ時などは、大輪の花首が折れはせぬかと気がかりだが、健気に堪えて虚庵夫妻を感激させてくれた。

 薔薇の足元の土地を柔らかく耕し、肥料を与え、消毒をしたり適切な剪定をするなど、こまめに慈しめば、また違った姿を見せて呉れるのかもしれないが、「うつろ庵」では薔薇も他の草花も、そしてまた人間様も「在るが侭の共生」をモットーに暮らしている。薔薇の咲き具合も一つ一つが個性的なのは、その故かもしれない。

 

 それにしても、この薔薇の莟が開き始める頃の風情は、気品を湛えた、美女を思わせるではないか。花びらの色合いにも微妙な変化が認められ、美女の息吹きすら感じられる様だ。光線の具合にもよるが、重なる花びらが開く様は、神秘の世界を覗く思いだ。
 


           ばら苑ゆ嫁ぎ来りて律儀にも

           四季咲き重ねぬ三十余年も


           花びらの幽かな色の変化にぞ

           仄かにふれぬ美女の息吹きを


           ごく僅か花びら開きてその奥の

           神秘を思えばときめく胸かな








「定吉爺の君子蘭」

2013-05-09 00:29:24 | 和歌

 四月から五月・端午の節句の季節になると、例年のことであるが「うつろ庵」の君子蘭が咲き誇る。ほゞ一ヶ月に亘り、淡い黄丹色の花をつけて愉しませてくれる。

 嘗て、「うつろ庵」の門被り松や植木の手入れを十余年に亘りお願いしていた、植木職人・定吉爺の忘れ形見だ。 植木職人の腕の確かさは、「松の剪定が全てを語る」との言葉があるが、彼の腕は見事であった。剪定後の門被り松の、シャキッとした 透かし葉の爽やかさが、爺の力量の程を物語って鮮やかであった。 

 「うつろ庵」の門被り松の新芽に、もくもくと花らしからぬ花を付けるのと、「定吉爺の君子蘭」が咲くのは相前後するが、松の手入れを終えて、鼻歌交じりに
「君子蘭」の鉢を抱えて来たあの姿が、今も鮮明に瞼に浮かぶ。

 定吉爺は「うつろ庵」の松がお気に入りであった。虚庵居士が若くして手に入れた分譲住宅ではあるが、格調高い門被り松を移植した。定吉爺はこの門被り松を、町内のシンボルとして仕立てたかったのではなかろうか。

 門被り松の根方に君子蘭の鉢を据えて、ためつ眇めつしていた定吉爺の姿は、 虚庵居士にとってはつい昨日の情景だ。定吉爺がお亡くなりになって既に十余年。君子蘭が咲くと、毎年の事ながら当時が偲ばれる。

 


           門被り松の手入れを終えた爺は

           鼻歌交じりに鉢抱え来ぬ


           爺の腕に君子蘭の花揺れるかな

           確かめるらし 松との相性 


           爺逝きて十余年をも経にしかな

           君子蘭の花 違わず咲くに


           君子蘭は松の日陰ぞ安からむ

           日向に咲けば疾く日焼けして






「うつろ庵のブルーベリー」

2013-05-07 12:49:12 | 和歌

 「うつろ庵のブルーベリー」は、遅咲きの花が残っているが、殆どは既に小さな実に変身した。夏になれば、小粒の濃い紫に実が熟すので、摘み取るのが愉しみだ。 
孫のキャメロン君や璃華ちゃんが、小さな手で摘んでお口に入れたのが、昨日の事のように想い出される。

 ブルーベリーの花を観ていたら、よく似た花を何処かで見たことを思い出した。
記憶力がメッキリ衰えた虚庵居士だが、程なくして
「どうだんつつじ・満天星躑躅」がよく似ていることに、思い至った。

 双方とも小さな壺型の花だが、ブルーベリーは小さいとはいえ果実を付けるので、蔕もあって若干だが逞しさが備わっているようだ。とは言え、なんとも可愛い花だ。

 ブルーベリーを植えて未だ経験の乏しかった頃は、小鳥に花を啄ばまれる被害にあったものだ。それ以来、小さな風車を傍に置いて、小鳥よけにしているが、風車の効果には目を瞠る。

 風車は、ビール缶をカッターナイフで切り裂いて作ったものだが、散歩の途中で目にして、物珍しげに覗いていたら、そこの住み人が「よかったらお一つどうぞ」と下さったものだ。ステンレス・ワイヤを上手に丸めて、ビール缶の上下を支えた簡単な風車だが、大変よく回る優れものだ。

 うつろ庵のブルーベリーは、小さな風車のお蔭で小鳥の被害を免れ、量は僅かだが、毎年小粒を堪能させて頂く虚庵夫妻だ。

 


           稚けなき小壺の花はお互いに

           頬寄せあいて咲きにけるかも


           耳よくば小鈴触れ合い幽けくも

           奏でる調べを聴かまほしけれ


           稚けない指先伸ばして孫の摘む

           笑みを偲びぬブルーベリーに


           白妙の小壺の花の多ければ

           今年も孫と摘む日を夢みし






「筍のオットセイ」

2013-05-05 11:39:58 | 和歌

 4月半ば、「ずんぐり・むっくり」の太くて短い筍が手に入った。

 さっそく天麩羅にしたが、絶品であった。
薄味で炊き、じっくり間をおいて、薄味が筍に含まれるのを待ってから、天麩羅に揚げ、熱々をそのまま食べた。余りの美味さに、虚庵夫人はご近所の知人にお裾分けをお届けした。

 翌日、「筍のオットセイ」がテーブルに飾られた。
筍を料理した際の、先端部分の切り落としを、デンと据えただけのお飾りであるが、どことなくオットセイを連想させるから愉快だ。外側の皮一枚が外れて隣に置いたら、何と番いのオットセイになった。

 それ以来、ほゞ半月の間、外側の皮が乾燥して外れるので、オットセイは次第にダイエットしたが、たっぷりと愉しませて貰った。

 昨日、大紫の手入れをしていたら、後ろからご挨拶の声がした。
過日、筍の天麩羅をお裾分けした虚庵夫人のお友達が、にこやかに近づいて来て、
「筍の天麩羅、美味しかったわ。あんな美味しい天麩羅は初めてでした」と、深々と
頭を下げられた。

 「筍のオットセイ」にも改めて、「ご馳走さまでした」と囁く虚庵夫妻であった。

 


           筍の天麩羅旨し薄味の

           あの味わいと歯触りも佳し


           筍の頭の残りをデンと据えて

           オットセイよとうそぶく妹かな


           ひと皮がハラリと剥けて傍に置けば

           夫婦なるらしオットセイはも


           天麩羅をお裾分けにし奥方ゆ

           賛辞をたまひぬ 「美味しかったわ」と






「うつろ庵の洗面所」

2013-05-03 13:59:50 | 和歌

 「寝ぼけまなこ」で洗面所に行ったつもりが、何時の間にか夢幻の世界へ戻った。

 

 このところ毎朝、虚庵居士が体験する「朦朧と現実」の舞台裏をご紹介したい。
虚庵居士の書斎と寝室は共に二階だから、階段を降りるときは一歩一歩数えつつ 下りるのが習慣になっている。毎晩のことながら深夜までの深酒時も、目覚めの朦朧状態でも足元は覚束ないので、日頃から階段は数えつつ下りる習慣が身に付いた。 

 階段を数えつつ下りて、「寝ぼけまなこ」で洗面所に辿り着き、自分の「まなこ」を疑った。 「あれ? 夢の世界に戻ったのかしら??」 虚庵居士の目には、あの世の幻の世界がひろがっていた。

 朦朧の中で夢幻の元を糺さむと、洗面所の窓ガラスを開けた。
窓格子ごしに、裏庭の大紫躑躅が目に飛び込んできた。通りに面したフラワーベルトの大紫は、つい先ほどブログにご紹介した。「裏庭の私たちを忘れていませんか!」と、彼女たちの声が聞える様だ。

 窓格子ごしの写真では彼女達に
申し訳ないので、カメラのレンズを
格子の間に移したら、大紫の乙女等がバッチリ納まった。 

 


           朦朧の寝ぼけまなこを醒まさんと

           窓辺に立てば夢幻のあの世か


           目覚めてもなお朦朧のあの世にぞ

           誘うオボロは何ならむやも


           窓ガラスを開ければ目にしむ躑躅かな

           乙女ら明るく 目を醒ましませ


           図らずも大紫の乙女らの

           声に応えて やあ! おはよう!






「ご近所の紅藤」

2013-05-01 12:52:09 | 和歌

  ご近所の「紅藤・べにふじ」が見事に咲いた。

 

 「うつろ庵」のごく近くのこのお宅では、玄関から駐車スペースにかけて、藤棚が 
三段重ねに設えられていて、それぞれの段に見応えのある房花を垂らしていた。

 このお宅の藤の花は、淡い紅色の花房が特徴だ。一般的には藤紫色の山藤や野田藤をよく見かけるが、見聞の狭い虚庵居士にとっては、「紅藤色」の花は見かける機会が少ない藤だ。

 花図鑑に依れば、紅藤とよく似た「本紅藤」という品種もあるようだ。花図鑑の掲載写真で比較すると、「紅藤」は花房全体が紅藤色に染まっているが、「本紅藤」は白い花弁と、中央部の口唇の紅色の対比がハッキリしている様に見受けられた。
さは申せ、咲いてからの時間により花は微妙に変化するから、写真による比較はこの程度で控えたい。

 それにしても、ここのお宅の藤はかなりの年数を経て、丹精されたもののようだ。
藤棚に絡んだ逞しい蔓も、また細い蔓もよく手入れが行き届いて、花房の付も見事だ。

 残念ながら住人にお会いできなかったので、無断で写させて頂いたが、ご主人が居られれば、薀蓄をお訊きしたいものであった。
かなりの思いが籠められているに違いあるまい。


           紅藤は三段重ねの藤棚で

           主の期待に応えて咲くらし


           いと長く花房垂れて重なれば

           紅藤色の緞帳を観るかな


           やがて開く緞帳の向こうに何観るや

           主に訊かまし薀蓄のほどを


           淡きべに藤色小花のそれぞれの

           乙女のかんばせ観れば楽しも