「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「明日あるを」

2011-02-28 01:19:50 | 和歌


 このところ夜更かしが過ぎて、布団に入るのが二時・三時になることが習慣になった。

 若者が勉強や、趣味などに熱中して夜更かししても、彼らには「若さ」がるから、疲労は溜らない。しかしながら、じい様の夜更かしは百害あって一利なしだ。 ましてや夕刻からグラス片手に、寝るまで離さぬのはまさに異常だ。本人は百も承知なのだが・・・。

 夜更かしの理由は、あれこれあるが、根源的な理由は「今のうちに、あれもこれもヤッテおかねば・・・」との欲張り根性にあるようだ。古稀をとうに過ぎて、その内に「やるべきこともヤレナクなる」との、じい様流の焦りの思いが頭を擡げて、ついつい熱中して夜更かしとなる。


    あすなきと
    思えばひたぶる夜なべかな
    い寝るを忘れて何を残すや



 斯くして、今年の「お書初め」は「零時入床」を半紙に揮毫して落款印を押した。どんなに遅くも「零時にはお布団に入ります」との決心だ。
半紙の余白にその時の思いをを一首、筆先がすり減った古筆で認めた。一気書き故に、荒れた筆致にはお目こぼし願いたい。


              あすあるを
              思えばこの世は(八)
              ゆたか(可)なれ
              けふをかぎりの(支利能)
              いのちにあらねば(八)



 
 

「デンタータラベンダー」

2011-02-26 16:08:04 | 和歌
 
 このラベンダーは、何時見ても花を付けているようだ。
ラベンダーについては詳しいことを知らがないが、年間を通して花を付けるのであろうか、或は虚庵居士の記憶が加齢と共に覚束なくなって、混乱しているのかもしれないが・・・。





 もともと華やかな花ではないが、特徴のある葉と花の佇まいは、何処か気品を漂わせていて、「見て観て!」などとセガマナイところが奥床しい。
 
 人間社会でも共通するが、キラビヤカに飾りたてる女性や、目立ちたがり屋にはどうも馴染めない。会議や集りの場などでも声だかに発言したり、目立たないと気が済まぬご仁もいるが、おっとりと構え、皆さんの意見を聞いたうえで徐に自説を開陳する男もいる。

 「デンタータラベンダー」は、どちらかと言えば後者のタイプであろう。花も人間も同じだが、「見て観て!」のタイプは自己主張型とでも言うのであろうが、虚庵居士に言わせれば後者の「おっとり」型の、自ずと滲み出る気配には素晴らしいものがある。

 お仲間や、先輩・後輩などあまたの人々と接して来たが、自らに厳しい試練を課し、研鑽を積み重ねた者だけが、その様ないぶし銀の領域に辿り付けるのであろう。「そう云うお前はどうか?」と問われれば、穴があったら入りたい心境だ。何事によらず、精一杯生きて果てたいと念するこの頃だ。



              何時見ても小花を捧げるラベンダーに

              問うは季節の移ろい無きやと


              葉も花も仄かに白く化粧して

              気品を保つやラベンダーの花は

 
              細き葉も花茎までもがいとしげに
              
              あはれ抱くや薄色の花を


              何故ならむこの花と居らば安らぐは

              床しく醸すけわいにひたれば






「スパイダーマン」

2011-02-23 20:55:20 | 和歌

 かって9・11テロの大惨事があった際に、ツインタワーから直線距離で200M程の至近距離のマンションに住んでいた娘夫妻は、ハドソン河の対岸NJ州に緊急避難した。グランド・ゼロにはその後何回か足を運んだがその都度、犠牲になられた多くの人々の霊に、虚庵夫妻は黙祷を捧げて来た。

 孫息子はいまや8歳になるが、誕生日から指折り数えれば、娘夫妻が緊急避難中に神から授けられたことになる。多くの人々の身代わりに生を享けたかと思えば、孫の命の受け継ぎには身震いがする想いだ。そんな思いを籠めて、誕生から間もない孫には”Cameron's Glory”とのタイトルで、讃歌を献呈した。

 二・三年前のこと、娘から依頼されて、ばば様は孫息子の「ひざ当て」を作って送った。
孫が補助付き自転車に乗って、カメラを構える虚庵じじに向けて手を振る写真を写し取って、ジーンズ地に刺繍したものだ。娘からの手紙に依れば、孫は「ひざ当て」に縫い付けるのをOKせず、額に収めて机の上に飾ってあると言う。図らずもばば様は、その折の習作を額に納めて、朝晩孫との会話を愉しんでいるが、孫息子も同じ思いかもしれない。

 孫はヘルメットを頭に被り、肘と膝当てのプロテクターを付け、グローブを嵌めての姿には、娘夫妻が息子に怪我をさせまいとする想いが痛いほど伝わる「出で立ち」だ。

 虚庵夫人は何所から図案のヒントを得たかは不明だが、じじ・ばばが並んで寛ぐ姿を、同じようにジーンズ地に刺繍して額に収めた。嘗ての愛犬「ドンちゃん」もじじの膝下に寛ぐ、心やすまる刺繍で、二つとも虚庵居士の宝物だ。





              時々は孫のお誘い じじ・ばあば~

              スカイプしようよ ビデオ電話で


              ばば様の老眼鏡のその奥の

              やさしい”まなこ”は孫を見据えて


              乞われれば孫の雄姿をひざ当てに

              縫いて送りぬ ばばの夜なべに


              図らずもばばの刺繍に寛いで

              余生をすごす虚庵居士かな






「虫取り撫子」

2011-02-21 18:29:10 | 和歌

 風の無い昼下がり、「うつろ庵」から4キロほど離れた観音崎京急ホテルまで、虚庵夫人と共に遠足をした。この時節には珍しい野草が、可憐な花を咲かせて二人を迎えて呉れた。

 



 本来であれば春から夏ころよく見かける草花だが、風が遮られた陽だまり故に、真冬でも花を付けたのであろう。郷里の信州の河原にはこの花が沢山咲き乱れていたが、虚庵居士の記憶では、花は赤味が鮮やかだったようだ。花の色がいくぶん冴えないのは、気の毒にも寒さの為だろうか。  

 花茎の色濃い辺りは、べとべとの粘液を分泌しているので、花茎を小さく千切っては、洋服にくっつけて遊んだ子供の頃の記憶が蘇ってきた。
「虫取り撫子」の名前も、この特徴ある粘液によるものだろうが、か細い花茎の粘液で虫が捕まるのだろうか。虚庵居士の勝手な推量だが、撫子は自分の花を虫から守るために、野原から這い上ってくる虫を、粘液で防ごうとの作戦ではないかと思われる。

 自らの「花を護る」備えだとすれば、敬服だ。
翻って我々人間社会では、どれほどに「自己防衛」の備えが出来ているのだろうか。例えば、沖縄に駐留する米軍の働きについて、怪しげな認識で国内のみならず日米同盟をも混乱に陥れた、総理がいた。「虫取り撫子」の訓えを、とくと咬み締めたいものだ。


              歩み来れば虫取り撫子微かにも

              花を揺らして挨拶するらし


              陽だまりに時節を超えて咲く花の

              健気な姿に足をとどめぬ


              図らずも虫取り撫子咲くを観て

              子供の頃の こと共 想ほゆ


              歩みきて我妹子と二人道草を

              愉しむ齢になりにけるかも






「じじ・ばばの宝物」

2011-02-19 23:32:58 | 和歌

 五才の孫娘が、横須賀の「じじ・ばばのおうちに、おとまりしたいの」と息子夫妻にオネダリして、両親と離れてたった一人でじじ・ばばと楽しい一晩を過ごした。夢のような一晩であったが、孫娘はじじ・ばばに素晴らしい「宝物」を残して帰った。





 五才にしては指先が器用な児で、「うつろ庵」の玄関に飾ってあった折り紙を持ってきて、ばば様に折り紙を教えてとせがんだ。花梨無垢のフローリングに座り込み、小さなサイドテーブルの上で、ばば様の指先を真剣に覗き込んでは、小さな手でせっせと折り紙をした。幾つかの折り紙を作り、パパとママへのお土産にした。その時のサイコロ折り紙は、「じじ・ばばの宝物」である。





 じじは、羨まし気に見ていたつもりはなかったが、孫娘は虚庵じじの顔を見てニッコリほほ笑んで、突如として色紙を挟みで切り始めた。何が出来るのだろうと見ていたら、「おのりをちょうだい」との注文だ。 

 指先に糊をつけ、切りだしたごく小さな紙片を青い色紙に貼り付けて、「じじのおかお よ!」と差し出した。次には指先で破った紙片をピンクの色紙に貼り「これがわたしなの」とかざした。二つの貼絵を糊で貼り合わせ、じじへのプレゼントだと言う。嬉し涙がこぼれた宝物は、額縁の隅に納まって、にこにこほほ笑んでいる。

 孫娘が帰って急に淋しくなったリビングで、虚庵夫人が「あら!」と素っ頓狂な声を上げた。
彼女の指さす先を見たら、別の場所のお飾りにしていた松傘が二つ、置時計の両脇に添えられていた。孫娘の即興のお飾りに、彼女の柔かな感性の一端を見た。ほんの些細な置き土産ではあるが、大切な「じじ・ばばの宝物」である。


              孫娘と天衣無縫の一晩は

              思えば神のお授けなるらむ 


              お風呂にてじじにせがむはスベリ台

              きゃっきゃの歓声お腹をすべれば


              ばば様は添い寝の翌日肩撫でて

              孫を気遣う一晩ならめや


              時を経て孫の残せる置き土産は

              じじとばばには宝に替わりぬ






「うつろ庵の吉備椿」

2011-02-17 00:14:45 | 和歌

 朝の道路掃除の際に、「うつろ庵の吉備椿」の花が落ちていた。

 落花して未だ間もないのであろう、蜜が花芯から溢れて、今にも滴り落ちそうであった。殆どの椿の花弁には、花蜜を吸いに来る目白の足跡が傷になって残るが、この花は無傷で、しかも花蜜もこんなに残っているのは類い稀だ。何れ目白が目ざとく見つけて、花蜜を吸いにくるであろう、このまま目白への贈り物として残すことにした。





 「うつろ庵」は東南の角地だと以前に書いたが、実は西側にも私道がある。三方が生垣に囲まれているので、毎朝の落葉掃除が虚庵居士の日課の一つでもある。そんな朝の日課のご褒美が、「吉備椿」の落花であった。この「吉備椿」は、西窓の日除けになっているので、木漏れ日がリビングにさし込んで、詫び住いとはいえ何とも云えぬ風情を醸してくれている。更にまた、冬のこの時節には目白が椿の花蜜を吸いに来るので、虚庵夫妻にとっては窓越しに目白の曲芸を愉しませて貰える、掛け替えのない椿でもある。

 この地に庵を構えて間もなく、「吉備椿」の色合いと咲き振りに惚れ込んだ虚庵夫人は、一枝を頂いて挿し木したものだ。あれから何年が過ぎたろうか、今では「うつろ庵」に無くてはならない、大切な「吉備椿」となった。






            一輪の吉備の椿の花落ちて

            花粉は伝ふや もののあわれを


            吉備椿の花落ちてまだ間も無きか
 
            花蜜あふれて滴らむとすれば


            花蜜の溢れる吉備のこの花を

            目白に残さむ疾く来て召しませ


            見上げれば俯く吉備の椿かな

            笑みを湛えてささやく風情に






「トリフチョコ」

2011-02-15 00:13:02 | 和歌

 今年もまた姪から、好物の「トリフチョコ」が届いた。

 虚庵夫人に言わせれば、私は「欲張り爺さん」だと云う。366日毎日毎晩、酒を飲み続ける大酒呑で、しかも甘い「トリフチョコ」にも目がないというのは、彼女の感覚では欲張り以外の何物でもないと云う。
「美味しい物は、オイシク頂きます」ナドとうそぶけば、やがて厳しい舌鋒あるを心するべし!!





 毎年のことながら、姪は1月早々にバレンタインデーのチョコを送って下さった。好物の「トリフチョコ」を
頂くから「可愛い姪御」と云うのではないが、学生時代のいっとき、姉の家に世話になった頃からの叔父・姪の間柄ゆえ、小学生だった姪の顔がトリフチョコに重なって、「おじちゃん!」と呼びかけて来るようだ。 
そんな姪にも、可愛い孫が二人も授かってばば様のこの頃のようだ。

 テーブルの菓子皿に、箱からトリフチョコを盛り付け、時々一つを口に頬張れば、舌の上で「とろける」味は格別だ。チョコの箱には、小さな横文字がぎっしり印刷されているが、虚庵居士には余りにも小文字すぎて読みとれないのが残念だ。
吟味したチョコを選んで、送って下さったのだろうと「オイシク」頂戴した。

 今年は、甘さを抑えたケーキも併せて送って下さった。紅茶もよいが咄嗟の思い付きで、甲州の白ワインの封を切って合わせて頂戴したら、これまた粋なデザートであった。斯くして、「うつろ庵」のバレンタインデーは2月14日を待ち切れなかったが、心をこめて返礼を認めた。


              トリフチョコが

              届けば我妹子(わぎもこ)ジェラシーを

              少しばかりぞ覚ゆるか

              そろそろチョコのご辞退をと

              じじに迫るは麗しき 

              かんばせ見せつつ未だなお

                 恋するこころを

                 忘れぬ証しか


              自惚れも程ほどにとの呟きは

              なけれど隣の顔をのぞきぬ


              ばば様になるを殊更言い来るは

              若き思ひの証しなるべし






「うつろ庵の河津桜」

2011-02-14 12:08:43 | 和歌

 「うつろ庵の河津桜」が、一輪だけ綻んだ。

 全体的には未だ莟は固いが、苞の中から四つ五つの莟がばらけて、間もなく咲きそうな莟の数は、かなり増えた。「うつろ庵」は住宅地の中の詫び住いであるが、東南の角地にあるので、皆さんに楽しんで頂けるように四つ角に面した場所に、「河津桜」を植えた。まだ十年足らずの若木ではあるが、例年2月初旬には花が咲いて、ご近所の皆さんが見上げて楽しんで下さる。

 「あら、もう咲きましたね!」 
と、今年も目ざとく見つけて、声を掛けて下さった。
街ゆく人々は、それぞれに気にかけて下さっているのであろう、たった一輪の開花でも見逃さなかったのには、こちらも愕きであった。暖かな日和が二・三日も続けばたちまち満開になって、皆さんに楽しんで貰えそうだ。

 住人の期待に応えて、河津桜は生垣を越えて成長するのは嬉しいことだが、枝を道路に張り出しているので、やがては程々のところで切り詰めることになるのだろうか。枝を矯めることなしに、花を咲かせてやりたいものだが・・・。






              一輪の河津さくらの綻びを

              目ざとく見つけて聲かけるとは


              人々はそれぞれ桜を見上げつつ

              歩むは花の綻び待つらし


              暖かな日和つづけば遠からず

              庵の河津さくら観にこよ






「Steel部品のジャズバンド」

2011-02-12 01:55:39 | 和歌
 
 散歩の途上で、楽しげなジャズバンドに出会った。
ベース・サキソフォン・トランペット・フルート・ギター・ドラムス、6人構成のセクステットだ。



 ジャズメンは、何と全員がSteel部品を溶接でつないだもので、それぞれ30センチ足らずの大きさだ。フェンス向う側の彼等は、歩道の虚庵夫妻だけを相手に、何時までも熱演を続けてくれた。



 それぞれが演奏する音やリズムまで聞えて来るような、見事なジャズバンドに思わず見惚れ、いや、聞き惚れて暫し佇み、愉しませて貰った。













 バンド全体の写真を写したが、余りの見事さに敬意を表して、それぞれのジャズメンの演奏ぶりをカメラに収めて来た。残念なことにフェンスが邪魔して、彼らの姿を捉えるのが困難であった。
しかしながら考えようによっては、熱狂するファンに囲まれ肩をぶつけ合って聴くジャズコンサートでは、前の男の肩越しにステージを見ることを思えば、まさにそれを思わせる絶妙な設えかもしれない。

 頭を振り、膝を曲げ腰を落とし、体を揺すって演奏する様は、生演奏を彷彿させるではないか。脚を踏ん張り、腹に力を蓄え、肩の力を抜いて演奏する姿からは、迫力あるジャズの音とリズムすら感じ取れる。名演奏に拍手喝采を送った。


           Steelの部品を選び組み合わせ

           溶接する君 ジャズを演(や)るらし


           ジャズを演る仲間の姿を描きつつ

           息吹き込むや鉄の部品に


           腰落とし彼らの演奏写さむと

           近くに寄ればジャズを聞くかも


           フェンス越しにジャズバンド見れば何時しかに

           熱狂するファン 我を囲めり






「白山吹の実」

2011-02-10 00:44:33 | 和歌

 「うつろ庵」は海岸から、直線距離で三百米ほどの平地の住宅街にあるが、「山登りがしたいわ」との虚庵夫人の希望で、ほど遠からぬ山頂につながる街まで散歩した。これまで足を踏み入れたことも無い道を辿り、坂道や急な石段に息を切らせつつ、休み休み昇った。





 普段から平地の生活に慣れている二人にとって、急勾配の道や石段、或いは傾斜地の住宅街の佇まいには目を瞠った。そこには様々な工夫や、知恵を活かした生活のスタイルが垣間見えて、たまたま散歩で訪れた者にとっては新鮮な驚きであったが、住人にとっては、真剣なタタカイの連続であろうかと思われた。 

 夕暮れには未だ間もあったが、急な傾斜地の街並みは何故かモノトーンの雰囲気が漂っていた。ふと見ると、石垣から枝垂れていた一株の灌木に、黒々と光るかなり大きな種が生っていた。厳しい環境の住宅地の中でも、周辺の民家の佇まいとは趣を異にして、見上げれば植木の手入れ等も入念で、住人の感性のほどが偲ばれるお宅であった。

 黒い実をつけた灌木は、葉も枯れ落ちて丸裸であったが、暖かになれば緑葉を茂らせて、石垣を飾る姿が偲ばれた。帰宅して植物図鑑で調べたら、「白山吹」の実だと判った。 


              いや長き石段登れば更にまた

              向うに見ゆるは急な石段


              買物の帰りか媼は荷を置きて

              汗を拭いぬ凍てつく夕べに


              石段を息たえ絶えに登り来れば

              頂き近くも軒を連ねて


              いと険し勾配の地にも平安の

              人生送るや我が家を築けば


              石垣ゆ枝垂るるか細き枝先に

              黒く光れり 白山吹の実は






「カルーナ」

2011-02-06 22:31:42 | 和歌

 懐かしい花に出逢った。

 大分前のことだが、ニューヨークでの娘の結婚式の後、その足でヨーロッパ旅行に出掛けた。その折に、確かフランスであったかと思われるが、この花に出逢った記憶が蘇ってきた。

 
 
 定かなことは思い出せないが、古い建物の脇の植え込みに咲いていた。レンガの壁を後ろにしたここの花の佇まいが、遠い昔に出逢った花の姿とよく似通っていたからであろうか、図らずも旅の中のほんのヒトコマが思い出されて、思わずカメラに収めた。

 幸いなことに、この花の脇には住人が素焼きの名札を立ててくれていた。「”カルーナ”ツツジ科の多年草です」と書かれていた。花を近くでのぞき込んだら、脇には細く曲がりくねった枯枝が見えたので、草花にしては気配がちょっと違うのかなと、疑問が残った。

 細い枝は高々ニ十センチ程の背丈だが、無数に立ち上がって、それぞれに沢山の白い小花を付けている。小花はもう少し開くのだろうか、満開にはまだ日時がはやいのだろうか?

 念のため花図鑑で調べたら、驚くべき記述が見つかった。曰く、「北極圏周辺から北アフリカにかけて広く自生し、氷点下30℃ほどの耐寒性を備えると共に、耐暑性にも優れる常緑低木」と書かれていた。

 随分とタフな性質を持ち合わせ、背丈が低いとは言え小花をこれ程につけるカルーナは、人々に愛されぬ筈はあるまい。花の色も花の咲き方も、八重咲き、蕾状の花など等、色々あるようだ。しかも常緑とは言え、葉の色もピンクの若芽から、明緑色・暗緑色・黄色・オレンジなどと様々な変化を見せる優れもののようだ。散歩の折には、時々立ち寄ってその変化の程を観せて貰うのが楽しみになった。


            住人の人柄しのばる名札かな

            花観る人への気配りよければ


            身の程はいと小ぶりなれど背伸びして

            小花をつける姿に見惚れぬ


            古びたる風情のレンガを背に負ふは

            古き記憶のカルーナならずや


            様々に彩り変えるこの花に

            またもあい見む散歩の途上で






「うつろ庵の蘇芳梅」

2011-02-05 12:51:06 | 和歌

 「うつろ庵の蘇芳梅」が先週ころから綻んで、次第に花数が増えて華やかになってきた。よく見かける紅梅と異なって、梅の花の紅色が、殊に莟はまさに和色の「蘇芳」ゆえに、この名が付けられているようだ。「うつろ庵」の玄関先に植えて既に三十年を越えるが、毎年、蘇芳梅と目白たちと、そして虚庵夫妻との
コラボレーションを愉しませて貰っている。





 玄関の扉を開ければ、それまで蘇芳梅の花蜜を貪っていた目白たちが一斉に飛び立ち、梅の木の下や飛び石の上には、先ほどまで枝に咲いていたであろう梅の花が散り敷いている。虚庵夫妻にとっては大切な蘇芳梅ゆえに、一日も長く咲いていて欲しいものだが、目白たちも「うつろ庵」の大切なお客様ゆえ、のびのびと振る舞い愉しませてあげたいものだ。

 暫らく待つと再び目白たちは梅の小枝に舞い戻って、見上げる虚庵夫妻の頭上で安心して花蜜を吸い始める。体を逆しまにして蜜を吸う様は、目白独特の姿勢で、何時までも見飽きない早春の風物詩だ。


 


 
 斯くして、散り敷いた梅の花、目白たちの置き土産をそのまま掃かずに、愉しむことを訓えられた虚庵夫妻であった。そういえば漢詩にも、散り敷いた桃の花びらを掃かずに留めよと詠んだ絶句があった。思い出したので、序でに書きとめておく。

        田園楽 王維詩

        桃紅復含宿雨  
        柳緑更帯春煙
        花落家僮未掃  
        鶯啼山客猶眠

 この詩については嘗て、拙著「千年の友」でもご紹介した。25頁にエッセーと和歌を添えたので、お愉しみ下さい。(ここをクリック↑)



              玄関の扉を開ければ一斉に

              小鳥飛び立ち散り敷く梅が花


              おはようと聲かけ見上げる蘇芳梅は

              花数増えて華やぎにけり


              生垣の外から観おれば目白二羽

              梅が小枝に舞い戻る見ゆ


              蘇芳梅の目白に見惚れぬ逆しまに

              身を支えつつ花蜜吸うらし






「アイスプランツ」

2011-02-03 21:56:42 | 和歌

 横須賀・馬堀海岸の椰子並木のプロムナードは、多くの市民が散歩を楽しむのには、将に打ってつけの環境だ。

 東京湾では唯一つの天然島、「猿島」を目の前に観ながら、その向うには横浜のランドマーク・タワーが見える。足を延ばして走水の峠に至って振り返れば、三浦半島の低い山並みの向うに、富士山がくっきりと浮かび、殊に夕暮れには、カメラ愛好家の皆さんがそれぞれの定点に三脚を構えて、シャッターチャンスを狙っている。

 椰子並木の根じめの一つとして、前回は磯菊をご紹介したが、今回は「アイスプランツ」をお目にかけたい。厳寒のこの時節ですら、ピンクと白の可愛い花を咲かせている。所々に備えられた花札には「ツルナ科・アイスプランツ」と表示されているが、花図鑑で調べてもなかなかこの花に辿りつけない。虚庵居士にとっては散歩の都度お馴染みではあるが、どうやらわが国では数少ない花なのであろう。

 



 数多くの花図鑑を調べ、やっと辿りついた説明によれば、南アフリカ原産だが自然交配を繰り返し、最近では大陸を渡って北米に至り、オレゴン州の南部からメキシコの太平洋海岸・断崖に自生するらしい。地を這って延びる多肉植物で、花期は4~9月頃とあった。今頃になって花をつけているのは、椰子並木の根元の日溜りに守られてのことであろう。

 一般の花図鑑で「ツルナ科・アイスプランツ」を検索しても、「アイスプランツ」は何処にも見出せず、近親種の「松葉菊」が紹介されているのに留まっていた。「アイスプランツ」は本来的には砂漠や土壌の乏しい岩石地帯で、塩分が濃縮された地域であっても、多肉質の葉の表面に塩分を結晶させて生き延び、その状態があたかも凍っているかのように見えるところから、「アイスプランツ」と呼ばれたもののようだ。
花図鑑の受け売りで恐縮だが、英名は”Ice plant”又は”Sea fig”、学名はカルポブローツス・キレンシス(Carpobrotus chilensis)とあった。  

 花の美しさもさることながら、寒さで赤く染まった子供の指を思わせる「アイスプランツ」は、節分を迎えてこの時期では、「いとおしさ」も一入である。





              アフリカの砂漠に産まれ海越えて

              厳しき寒に花咲くきみかな


              海岸の椰子の並木に選ばれて

              きみは咲くかなおのれの限りを


              こごえるや稚児の指先てのひらに

              包みて温(ぬく)めむ息をも吹き掛け






「寒に耐える磯菊」

2011-02-01 22:38:53 | 和歌

 横須賀から観音崎へ向かう国道16号線は、東京湾に沿っているが、椰子並木が数キロに亘って連なっているので、遠方から態々やって来る方々も多いようだ。海岸を走る2キロ程の区間では、かつて異常高潮と台風が重なって、東京湾の海水が激しく防波堤を越えて、幹線道路や住宅の道路を水浸しにしたことがあった。この様な苦い経験から、徹底した越波対策を取り入れて大型の防波堤が構築されて久しいが、今や市民の散歩のプロムナードとして親しまれているこの頃だ。

 此処の工事にあたった彼等は、海水の水しぶきが被ることをも想定して、椰子並木の根じめの選択には、様々な調査や実験を繰り返していた。そんな彼らの努力を知る者は、今や殆ど居るまい。結果的に選ばれたのは、トベラ・磯菊・アイスプランツの3種であった。





 磯菊は、浜辺でもよく見かける野草だが、椰子並木の栄えある根じめに選ばれてからも、黄色の小菊が秋のかなりの期間に亘って咲き続けてきた。大寒を過ぎて、常緑の磯菊も流石に一部の葉は枯れたが、間もなく節分を迎えるこのごろ、寒に耐えて黄色の花を誇らしげに咲かせていた。

 人間社会でも同じだが、厳しい環境に打ち勝つ健気な姿をみると、「やあ、ガンバッテルね!」と声を
掛けたくなる。背の低いアイスプランツと肩を組むかの様に、咲いている磯菊もあるではないか。
声を掛け合い、励まし合っているかにも見えて、ほほ笑ましい情景だ。





              海べりの椰子の並木の根じめとて

              磯菊選ぶ男の思いは


              数々のプランターをぞ思ほゆる

              波打つ岸辺に耐えるは何ぞと


              磯菊は己の出自を思ふらし

              波打つ浜辺を遥かに偲びて


              磯に咲く常に緑の菊なれど

              拍手を送らむ錦を纏ふて