「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「からから 煎餅」

2009-04-30 23:38:36 | 和歌

 久振りに孫娘のりかちゃんと、ひと時を楽しんだ。

 数日前に電話がなった。
受話器をとって「もしもし」と言う間もなく、「じーじ、りかちゃんデス」と可愛い声が耳に飛び込んできた。
嫁の話によれば短縮ボタンを覚えて、りかちゃんが自分で掛けたと云う。昨年から幼児保育の「お受験」をパスして、幼稚園に通い始めているが、子供の成長には目を瞠る。

 銀座で天ぷらを食べましょうとのお誘いであった。
日頃ビジネスが忙しく、なかなか顔を合わす機会も持てない息子だが、りかちゃんと一緒に水入らずの
会食は、半年振りになろうか。

 ばば様は通園用の絵本バックやら何やら、こまめにアップリケなど工夫を凝らした手作りを、既に送り
届けてあるが、またまた、りかちゃんを喜ばせる一品を、何処からか捜し求めて来た。

 休日のお食事は、パパが親馬鹿ぶりを発揮して、りかちゃんにベッタリだが、この日の息子はじっと
我慢だ。じじとばばに挟まれて、りかちゃんは座った。4歳の幼女には、お座敷カウンターは高すぎるので、座布団を2枚重ねで座らせた。左ぎっちょのりかちゃんは、長い割り箸を上手につかって、何でもよく食べた。その都度お口やおててを拭うのは、いつの間にかじじの役目になった。

 美味しい天ぷらをたっぷり食べて、デザートのフルーツも平らげた頃を見計らって、ばば様はお土産を取り出した。何が出て来るのだろうかと目を丸く見開いていたりかちゃんは、目ざとく袋入りの駄菓子を見つけた。パパにせがんで袋を開ければ、三角形に折り曲げた「からから煎餅」が出てきた。





             これなあに? どうやってたべるの ねえパパー!

             おなかいっぱいでしょ? でもたべたいの!







             おねだりに しぶしぶこたえて わるせんべ
 
             なかからでてくる ちいちゃなおもちゃ


             手に取りて おもちゃをかざし 踊る孫の

             笑顔につられて ほほえむばばかな


             もう一つ わってよとせがむ ひたむきな

             まごのねがいを たれかこばめむ






「紫蘭 ・ しらん」

2009-04-27 22:09:48 | 和歌
 
 テラスの前の花壇に、「紫蘭」が咲いた。

 元々ここには芍薬が植わっていたが、花好きな虚庵夫人は「とりあえず」と言いつつ、あれもこれもと仮植えしたものが次第に繁殖した。今では色々の草花が入り混じって、それぞれが花時を違えて咲くので、「うつろ庵」のテラスは格好のブランチの場所を提供してくれる。早春の水仙から始まり、ムスカリ、ヒマラヤ雪の下、ブルーベリーなどが続き、今やこうして「紫蘭」のお出ましと相成った。

 花壇の家主だった芍薬は、文字通り次第に小さくなって、紫蘭の葉陰にかろうじて存在が認められる程度だ。テラス前のほんの小さな花壇だが、ここには花達の織りなす折々の物語と、かなり厳しいサバイバルも見られる小宇宙だ。





             たおやかに花茎ゆれる紫蘭かな

             テラスにいでて妹と語れば


             旺盛な生き抜く力を君みせて

             狭き花壇を紫蘭は占めにし








             斯くばかり華やぐかんばせ伏せるとは

             紫蘭のはじらひはかりかねつも


             なにゆえに俯き咲くかな手弱女の

             紫蘭のこころを如何に汲まばや






「おおむらさき」

2009-04-25 18:30:41 | 和歌

 「うつろ庵」の東側道路脇のフラワーベルトには、先に紹介した純白なツツジが咲いている。
南側のフラワーベルトには、「大紫躑躅(つつじ)」が今を盛りと咲き誇っている。大輪の「大紫」と「薄い
ピンク」の花が混ざり合って、それそれの風情を愉しませて呉れている。

 それにしても、清楚な「つつじ」の花に、複雑怪奇な漢字『 躑躅 』を当てるのは合点がいかない。
一体どうしてだろうか? 漢和辞典によれば、「躑・テキ」は、「蹢が本字。進もうとしても進めない意を表す。牛馬のひずめ」とある。また、「躅・チョク」は、「足ぶみする。行きなやむ。」と解説されている。
「躑躅・テキチョク」は、①足ぶみする。足をとめる。②ぐずぐずして決しない。③でやっと、植物・つつじに辿り着く。

 「群馬県立つつじが岡公園ガイド」に、ナルホドと納得できる解説があった;
中国で毒性のあるツツジを羊が誤って食べたところ、足ぶみしてもがき、うずくまってしまったと伝えられています。このようになることを躑躅と言う漢字で表しています。この故事から中国ではツツジの名に躑躅を当て、中国から日本へ伝えられて、つつじと読むようになったと考えられています。
この解説の脇には、「毒性のあるレンゲツツジ」の写真が添えられていた。

 漢字『 躑躅 』を当てる由来は、多分公園ガイドの解説通りであろうと思われるが、花の名前としては
日本古来のひらがな「つつじ」が相応しいように思われるが、如何なものであろうか。





             麗しいつつじの花に難しき

             漢字の躑躅は つやけしにそうろ







             紅の炎を燃やすつつじ花は

             人恋ふるらし やわ肌も染めて  
  
             
             白金の玉の飾りも透ける蕊も

             己が心を誇りて咲くらむ






「紅白の つつじ」

2009-04-23 00:10:17 | 和歌
 
 今年もまた、お隣さんと道を挟んで「紅白のつつじ」が咲揃った。

 道行く散歩の人々は、ここに差し掛かると決まって歓声を上げて、立ち止まる。
お隣さんとは相談した訳でもないが、梅の時節は紅白が逆転する。「うつろ庵」の梅は深紅の「蘇芳梅」、東隣は白梅の「緑愕」だ。

 「うつろ庵」の生垣は珊瑚樹なので、新緑と純白の対比が堪らない。それでも、白いつつじが純白を保てるのは、咲き初めから精々一週間程度であろうか。それを過ぎれば花びらは少しづつ日に焼けて、純潔さが失われるのが口惜しい。この美しさを保ちたいばかりに、この季節の虚庵居士の日課は、珊瑚樹の新芽を整え、黄色に色づく古葉を取り除く毎日だ。ほどなく白つつじの花びらも日焼けするので、それも丁寧に摘まみ取り、新緑に抱かれた純白のつつじを、一日でも長引かせたいと念じる毎日となる。

 自然の織りなす美しさは神秘的だ。だが、自然に任せたままだとその美しさも、ホンの僅かな時間で終わる。折角、美しい花を咲かせ、新緑との対比を魅せてくれるのだから、チョッとだけ人間がお手伝いしてやれば、その労を遙かに超えて美しさが保たれ、至福を与えてくれると云うものだ。

 これまでは忙しさに紛れていた人生であったが、こんな細やかな喜びを味わえるのも、時間のゆとりが持てるこの頃のことだ。相変わらず時間に追われてはいるが、せめて一時なりとも、花木との語らいに心がける虚庵居士ではある。




             律儀にも季節を違えず咲くつつじは
  
             清しき君かな けがれを知らずも


             新緑にきらめく珊瑚樹の 讃えるは

             白妙群れ咲くつつじの花ぞも







             道へだて競うがごとく紅の
  
             色をまだらにつつじ咲くかも






「サクランボ」

2009-04-22 00:54:01 | 和歌

 「うつろ庵」の河津桜に、沢山の「サクランボ」が生った。

 かつてこの桜が、まだ鉢植えの頃、葉陰に赤い「サクランボ」を一つ見つけて、感激したことが思いだされる。若葉の緑に抱かれた赤い「サクランボ」は、孫娘の璃華ちゃんを連想させて、殊更にいとおしく思われたものだった。

             ただひとつ葉隠れに生る紅の

             さくらんぼかな 璃華ちゃん想ほゆ



 今年の河津桜は、樹高も虚庵居士の背丈の倍程の高さに育って、咲いた桜が全てさくらんぼに変身したかと思われる程の数だ。自然の中で生きる小鳥たちは、熟したサクランボを知っていて、選りすぐって啄んでいる。小鳥に食べられたサクランボの種は、また何処かで新たな芽を出して、子孫を残すのであろうか。





             未だあおいサクランボかなと思いしに
  
             朝日を浴びて輝く乙女は







             さくら桃は 乙女ごなるらし日を追いて

             色映えにけり つぶらに輝き






「山笑う」

2009-04-20 20:36:25 | 和歌

 六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩。「子曰く」で始まる、論語の一節だ。             

 つい数日前に、箱根での高校同期の懇親会に参加した。 
還暦を超えた旧友が集い、酒を酌み交わせば、いつしか青二才に戻って熱い議論が止め処なく続くことになる。信州の「バンカラ高校」の卒業生は、酒と議論だけでは飽き足らず、年に数冊の「耳順」なる文集を発行して来た。

 高校を卒業して半世紀余を経れば、好むと好まざるに拘わらず、お仲間は古希を迎え、文集の名前も「耳順」から「従心」に変更した。孔子に倣って、『七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず』を、自らの戒めにしようとの思いだ。

 「従心」のお仲間が集えば、年齢には関係なく気分は高校生に戻るから、不思議だ。酒席の議論の声も、若干は控え目になったのだろうか。そんなお仲間を箱根のお山は、含み笑いの「山笑う」で迎えて呉れた。






             とりどりの木々の織りなす山襞に
  
             さくら咲くらし遠くにかすむは







 
             なだらかな箱根の山は笑ふかも

             春の陽ざしに淡く芽ぶきて







   
             箱根路の含み笑いの山肌の

             襟巻ならむか連なる碧は






「さくら と もみじ」

2009-04-11 09:53:25 | 和歌

 今年もまた三浦半島東端、鴨井小学校・校庭のさくらを訪ねた。

 この小学校はまわりの山に抱かれて、春の嵐もここだけは吹き荒ぶこともなく、校庭のさくらは見事に咲いていた。うららかな春日を浴びて、校庭の芝生には幼児を連れた母親達が車座に腰を下ろし、さくらには目もやらず、お喋りを楽しんでいた。虚庵夫妻も程よい桜木陰に座を占めて、お弁当と桜を堪能した。

 しばしの休息の後、帰り際にふと見れば、「もみじの赤芽」が小枝の先に芽吹いていた。
 




             稚けなく未だ開けやらぬ紅の

          もみじ葉 芽吹きぬ さくらの苑に 







             うららかな春の日差しの花見なれど

          もみじの芽吹きを ひとに見せばや


          いやひろきそのはさくらでみちにしも

          もののあわれをもみじめつげいて






「見上げる さくら」

2009-04-09 22:09:55 | 和歌

 3月末から5月にかけて、日本列島はまさに桜前線の北上につれて、誰もが気になる「サクラ 桜 さくら」の時節だ。虚庵居士が住まいを構える三浦半島は、山桜も里の桜も、「見て、観てとせがんでいる」ようにも見えるのは、虚庵居士だけだろうか。





 桜の好きな虚庵夫妻は、「うつろ庵」の「河津さくら」を1月下旬から2月初旬にかけて愉しみ、3月下旬には横須賀「走水」水源地の咲き初める桜のもとで、気の早い花見酒を酌んだ。

 有難いことに、その後の桜情報をお知らせ下さる友人もいて、何回目かの花見とつつましやかなお握りも楽しんだ。


             かくばかりいのちをかけてさくはなの

          おもひをうけまし さくらふぶきに







 普段の「うつろ庵」の昼食は、「冷や飯」を電子レンジで「チン」する程度だが、「お花見に行こうよ」と声をかけたら、虚庵夫人は態々炊き立てのご飯で「お握り」をむすび、「さあ参りましょ」と玄関に降り立った。



             ほうばればまだあたたかきおにぎりの

          めしのうまさよ さくらのねかたは


          お握りとわずかな菜に満ちたるや

          見上げるさくらに 酔いにけらしも 









             いもときてさくらのもとにまどろめば

          てんにょのまいか こずえのゆれるは






「白椿」

2009-04-08 00:10:28 | 和歌

 「うつろ庵」の白椿が咲いた。
 俯きかげんのこの花は、写真では大きさが表現出来ないが、凡そ十二センチ程の大輪だ。葉陰に隠れて咲いているので、手前の枝をそっと指先で撓めてご挨拶する毎日である。

 この椿は虚庵居士の奥方が惚れこんで、一枝を頂いて挿し木したものだが、何年かを経てやっと花を付けた。挿し木から丹精こめて育てた家内にとっては、待ちに待ったご対面だ。名前を聞き忘れたのか、或は年月を経て忘れてしまったのかは敢えて問わないが、これだけ見事な花を付ける白椿は、さぞや名の有る銘花に違いあるまい。





             葉に隠れひそやかに咲く白妙の

          椿は何を妻に語るや 


          白妙の透けるドレスを身に纏うふ

          淡きこがねのしべの妹はも




 白椿の花の名を知りたくて、花図鑑やインターネットで調べたが、椿の種類がこれほど沢山あろうとは、ついぞ想像もしなかった。花色・花姿・花の大きさ・咲き方・しべの種類等など、それぞれの組み合わせを考えればその数は数百種に及ぶのだろうか。東西を問わず人々と共に永い歴史を積み重ね、その間に数多の新種も創りだされたものであろう。

 これかな? と思われる白椿の名前は、瑞光・白孔雀・都鳥・君が代・Frosty Morn・Lalla Rook・白羽衣・限り などなどが挙げられるが、「これだ」と選別出来る鑑識眼がないのが残念だ。

 白椿が咲いて数日のちに、家内はその一輪を切り取って、テーブルに飾った。興奮ぎみの家内につられて白椿を見れば、しべが花びらを挟んで二つに分かれて咲いているではないか。のびやかな乙女が白い肢体を寄せ合って、笑い転げている隣には、澄まし顔の乙女蕾が控えていて、何とも愉快な取り合わせだ。


 



             身をよじり寄り添い咲くかな白妙の

          椿は乙女か笑い転げて


          お澄ましの蕾の乙女はおしゃれ着に

          虫食い模様の コム・デ・ギャルソン