「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「晩秋のメキシカンセージ」

2011-11-28 11:00:50 | 和歌

 鉢植えの「メキシカンセージ」が、「うつろ庵」の玄関先で晩秋の薄陽を受けて咲いている。この花は、うつろ庵に嫁いできてかれこれ十余年を経るが、夏から秋にかけて独特の花を付けて、毎年楽しませてくれる優れものだ。
鉢植えゆえ、背丈はそれほど徒長しないが、嫋やかな茎にしては花数が多いので、何れも首を傾げてもの思わせぶりな風情だ。


 
 鉢の傍を通っただけでも、花が揺れて挨拶してくれるので、何とも人間味あふれる花だ。路地に植えれば株も増えるだろうし、背丈ももっと成長するのであろうが、「うつろ庵」では敢えて玄関先に置いて、家人のお出掛けや帰宅に際して、花とのささやかな挨拶を楽しんで来た。

 株の根元には既に新芽も見えている。数少なくなった残り花も、精一杯に咲いて晩秋を過ごす気配が感じられるこの頃だ。そろそろ草茎を切り詰めて、来春のための準備に協力してやらねばなるまい。


 

          鉢植えのメキシカンセージは嫋やかに

          揺れて挨拶する気配かな


          玄関を出れば紫小花揺れて

          見送る声をこころに聞くかな


          紫の小花は口をごくわずか

          開けて囁く その声きかまし


          身にまとう綿毛は寒気をしのぐらし

          晩秋に咲くメキシカンセージは


          行く秋の気配を夙に身に受けて

          冬の支度を 君整えるかや

          
          萌え出ずる新芽を如何に守らむか

          やがて厳しき冬の寒気を
         





「まゆはけおもと・眉刷毛万年青」

2011-11-25 16:27:17 | 和歌

 半月ほど前のことだが、道路端で「まゆはけおもと・眉刷毛万年青」に出会った。
平鉢に植えられた、広葉で「ずんぐりむっくり」姿のおもと・万年青は、お化粧用の刷毛のような白い花を咲かせていた。


 
 本来ならば、花茎は万年青の葉の間から、真っすぐ立ち上るのだが、此処の花茎はどうしたことか横に倒れたまま、花を付けていた。道端にしゃがみ込んでカメラを構えていたら、通りがかったオバチャン達も釣られて足を止め、「あら、珍しいお花」と、暫し花談義を愉しんだ。

 芭蕉の「奥の細道」の中で、尾花沢を訪ねた際に、紅花と共に「眉掃」に思いをいたして書き留めた句がある。

  眉掃を俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花


 紅花から女性の化粧に思いをめぐらせ、眉に付いた白粉を眉刷毛で掃く動作をも読み込んで、芭蕉に似合わぬ艶っぽい俳句であるが、さらりと仕上げて品格を保っているのは流石だ。

 現代の女性たちがお化粧道具として「眉刷毛」を使うのか否かは知らないが、「まゆはけおもと・眉刷毛万年青」は、かつての女性の日常生活の一部をそのまま花の名前に留めた、類いまれな花と言えよう。


 

          眉刷毛の花珍しと愛ずる声は

          化粧のことなど気にせぬ気配ぞ


          花茎の倒れるままをも気に留めず

          白花咲くかも眉刷毛万年青は


          誰やらむ万年青の花に化粧する

          刷毛の名前を其の侭とどめて
       

          この花に眉の白粉掃く女(ひと)の

          透ける指先胸に恋ふるや
         





「柘榴とお婆ちゃま」

2011-11-20 03:12:45 | 和歌

 「柘榴・ざくろ」の実を食べたのは、子供の頃のことだから遠い昔だ。

 割れ目の出来た外皮を手で割ると、赤いルビーの様な透明感のある実がギッシリと詰まっていた。かじり付くと、甘く酸っぱい果汁が口の中に拡がって、夢中で食べた。

 信州・諏訪育ちの虚庵居士だが、寒冷な諏訪には柘榴の木は無かった。姉の嫁ぎ先の庭に、見たこともない果実がぶら下がっていたが、それが柘榴であった。

 お婆ちゃまが、ひょいと手で取って下さった。縁側に腰を下ろして柘榴を食べながら、しわがれ声のお婆ちゃまが話してくれた昔話が、懐かしく思い出される。
 昔々で始まる、何とも奇怪なお話だった。
「まだ若い子持ち女がな、どうしたことか他人の赤児を見ると、無性に食べたくなって堪えきれずに食べてしもうたそうな。赤児は甘酸っぱくて、とっても美味しかった。
赤児を食べた女は、その美味しい味が忘れられなくなってな、ジッと我慢してたが、遂にまた違う赤児を食べてしもうた。次々に赤児を食べた若い女は、いつの間にか鬼女の顔に替わったそうな。鬼女に可愛い子供を食べられたお母さん達は、泣き叫んでお釈迦さまに訴えたんだとよ。お釈迦さまはどうしたと思う?」

 柘榴の実を口に含んで、もぐもぐしながら甘酸っぱい果汁を吸い、種を口から吐き出していた僕は、突然の問いかけにグッと詰まった。お婆ちゃまは心得顔で、話を続けた。

 「お釈迦さまはな、鬼女が可愛がっていた赤児を何処ぞへお隠しになったのよ。
鬼女は我が児を探して、探して、どうしても見つからなくてな、初めて我が児を亡くした母たちの悲しみが分かったのよ。 『申し訳ねーことした』と、鬼女は石で頭も顔もゴツゴツぶっ叩いてな、瘤だらけの頭、血だらけの顔になったのよ。 
  

 お釈迦さまはな、瘤だらけ・傷だらけのザクロの実を手に持ってな、鬼女に言ったのよ。
『これからはザクロを食べて、赤児たちにあやまれ。柘榴を食べて母たちに謝れ 』 とな。

 鬼女は来る日も、来る日も柘榴を食べ続け、無心に謝り続けたのよ。
お釈迦さまの訓えを守り、お釈迦さまに帰依してお祈りしたのよ。そうしたら、鬼女の頭の瘤も顔の傷も治り、鬼女の顔が少しづつ変わってな、竟には菩薩さまのようなお顔に替わったとよ。

 お釈迦さまはな、鬼女の罪をお許しになってな、『女達の安産を守れ、赤児たちを守れ』と云いつけられたのよ。祈り続け、守り続けた鬼女はな、今では『鬼子母神さま』だあね!」

 柘榴の実をもったまま、何時しか食べるのも忘れて、耳をそばだてて聞いた子供の頃の昔話だ。数えてみれば、かれこれ六十余年も昔のことになる。
夙にあの世へ旅立ったお婆ちゃまも、今ごろは柘榴を食べなら、「昔々な・・・」などと繰り返し、僕とのひと時を思い出しているかもしれない。 

 

          見上げれば柘榴の実かな姉嫁ぐ

          屋敷に奇異な果物を見ぬ


          割れ目から覗くはルビーかあまたなる

          柘榴の実かな昔を偲びぬ


          割れ目からこぼれるルビーの実を含み

          果汁を貪る子供の頃かな


          お婆ちゃまのお話聞きつつこの味が

          赤児の味かと怖れし稚児の日


          柘榴手に涕ながらに詫び続け

          己を責めた鬼子母神かも


          しわがれの声懐かしきお婆ちゃまの

          お話し忘れず六十余年も


          柘榴の名を探し辿れば中東の

          ザクロス山脈(やまなみ)其処の産とか


          お婆ちゃまの昔話はザクロスの

          古く伝える話ならめや
         





「神帰月の木瓜」

2011-11-15 03:05:48 | 和歌

 霜月も半ばを迎えるが、季節外れの「木瓜・ぼけ」が咲いていた。

 何時もの散歩は、東京湾に浮かぶ猿島を見ながら、椰子並木の続く海岸縁を二・三キロほど歩くのだが、気分を変えて旧市街の路地裏を辿っていたら、素晴らしい花に出会った。




 曲がりくねった路地は、民家が立て込んで何とも人間臭い空間だが、そんな路地の一画に目も覚めるような、美少女が待ち受けていた。一株の木瓜が、薄陽を受けて咲いていたのだ。

 路地の奥まったごく狭いスペースゆえ、霜月の冷たい風も吹きぬけぬのであろう。
そこだけが小春日和のような環境を保って、木瓜の花を咲かせたのかもしれない。



 

 10月は旧暦では「神無月」という。八百万(やおよろず)の神々が出雲に集まって、日本国中の神々が留守をするところから、神様がおられない月「神無月」と呼ばれた所以だ。
11月には八百万の神々が出雲からお帰りになる月だから、霜月のまたの呼び名を
「神帰月」(かみきづき)とも言う。

 この木瓜は、近くの氏神様のお帰りを待って、「神帰月」に咲いたのかもしれない。
古代から神様は、限りなく人間に近しい存在であったことを思えば、木瓜の乙女が恋い慕う氏神のご帰還を、いまや遅しと待つ心も肯ける。季節外れに咲いた木瓜の花は、氏神様に捧げる花なのかもしれない。そのように思えば、何やら神々しい雰囲気を醸すようにも思われた。

 一緒に散歩していた虚庵夫人にそんな想像話をすれば、「何時もの空想ね」と馬鹿にされそうで黙っていたが、この写真を見せて話したら、頷いてくれるかもしれない。



 

          路地裏を曲がりくねって辿り来れば

          季節外れに木瓜は咲くかな


          路地の醸す人の気配のいや濃くば

          余りに高貴な木瓜の花ぞも


          霜月に季節を違ふや木瓜の花は

          路地の醸せる日和に咲くかや


          神無月出雲の国に八百万の

          神集うとかや神社は留守なれ

        
          氏神に恋ひ慕ふかも木瓜乙女の

          待ちにけらしも花を咲かせて


          神帰月の冷気はものかは乙女ごの

          季節を違えて咲くこころかな


          しろたえとうすくれないのはなびらに

          かみよみまほしおとめのこころを
         





「塀越しの野牡丹」

2011-11-10 13:31:20 | 和歌

 隣街の銀行まで、散歩を兼ねて遠征した。
その途上で、「塀越しの野牡丹」に出会ったので、思わずパチリと写した。塀は虚庵居士の背丈ほどだが、それを乗り越える高さゆえ、自ずと仰ぎ見る姿勢であった。


 
 「仰ぎ見る」のは言葉のイメージもあるが、首をあげて観る姿勢では「尊い花を拝見する」、そんな感じになるから不思議だ。沢山の莟の中で数輪の花が咲いていたが、色濃い紫の花びらと釣り針の様に曲った蕊が印象的であった。

 写真に写すと花だけではなくて、莟も葉も総てが一緒に写されるが、人間が花と対峙する時には、意識が花だけに集中するから、印象としてはもっともっと気品が漂っていたのだが・・・。


 

          見上げれば塀越しに咲く野牡丹の

          濃き紫の呼びかけ聞くかも


          仰ぎ見てひと言ふたこと囁けば

          野牡丹の花こたえる気配ぞ


          背伸びしてカメラ構えるその脇ゆ

          ばば様の手のびて 花近づきぬ


          往き帰り塀越しなれども野牡丹と

          言葉を交わす遠出なるかな
         





「ほととぎす・杜鵑草」

2011-11-05 13:10:12 | 和歌
 
 「うつろ庵」の杜鵑草が咲いて久しい。
 
 この花は元来、山野に自生する草花であるが、花の少ない晩秋に咲くので、昨今は園芸用にも持て囃されているようだ。庭木の下に植えた一株が、種が落ちて増えたのか、或いは宿根が延びて殖えたのか定かでないが、今では一叢をなすまでになった。

 まだ花を付けぬ夏頃には、幅広の下葉が枯れはじめて、そのまま萎れてしまうのかと心配した。
花を付けた秋になっても葉先が枯れて、気を揉ませる「ほととぎす・杜鵑草」だ。

 花の姿も花びらの斑点も、独特のものがあって興味深い。
この斑点の模様は野鳥「不如帰」の、腹羽毛の斑点模様によく似ていることから、「ほととぎす・杜鵑草」と呼ばれると言われているが、野鳥の「不如帰」は鳴き声を聞くのみで、鳥の姿を見たことがないのが残念だ。

    『ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
     ただ有明の 月ぞ残れる 』 
 
 百人一首にある後徳大寺左大臣の歌だ。
不如帰の鳴き声は、三浦半島のゴルフコースでも時々耳にするが、昼夜を問わずよく鳴く野鳥だ。左大臣の時代には、邸宅の庭や近くの林からも鳴き声がよく聞こえたことだろう。夕暮れ近く「ほととぎす・杜鵑草」の近くに佇めば、「トッキョキョカキョク」と繰り返して鳴く声が、遠くから聞こえて来るかのように思われた。虚庵居士の空耳か・・・。

 杜鵑草は、日本中かなり広範囲に自生しているようだ。
それぞれの自然環境に応じて、花の姿も色合いも多少づつ変化があって、土地の人々がそれぞれ固有の名前を付けているのは、人と自然との付き合いが偲ばれる。山杜鵑・高隅杜鵑・紀伊上臈杜鵑・駿河杜鵑・相模杜鵑・黄花杜鵑など等だ。



 

          手のこんだ細工なるかなこの花の

          姿も模様も自然の巧みは


          何時しかに草叢なせる杜鵑は

          ただのひと株 植えにしものを


          下葉枯れ命たえなむいとしくも

          我妹子(わぎもこ)植えにし杜鵑草なるに


          逞しくいのちを存え杜鵑草は

          花付け応えぬ庵の小庭に

          
          ほととぎす鳴く声聞くは空耳か

          庵の庭の草叢に居れば
         





「富士山の影法師」

2011-11-03 00:29:02 | 和歌

 夕暮れに虚庵夫人と連れだって、海岸のプロムナードを散歩をした。

 夕陽を背中に受けて、ごくゆったり歩いていてふと気が付いたら、二人の長~い影法師が揺らめきつつ、どこまでも一緒に付いて来た。 子供の頃には、お友だちと一緒に「影踏み遊び」をしたことが懐かしく思い出された。 大人気もなく茶目っ気を出して、影の踏みっこをして童心に還って遊んだ。

 前後を散歩していた人々は、じじ・ばばが突如として「影踏み遊び」に興じたから、怪訝に思ったに違いあるまい。老夫妻にとっては他人様の眼など気にならないから、いい気なものである。天真爛漫に、ひとしきり「お遊び」を楽しんだ。

 夕陽が沈み、影法師が見えなくなって、ふと振り返ったら、三浦半島の低い山並みの向こうに、「富士山の影法師」が見えた。
夕靄の様なごく淡い雲に、富士山の南の稜線が延長したかのように、空高く影法師が伸びていた。駿河湾、更にはその向こうの遠州灘に太陽が沈まんとして、水平線の彼方から富士山に残照を投げかけているのであろう。

 じじ・ばばの「影踏み遊び」に合わせて、富士のお山も「長~い影法師」を残して、暮れなむとしていた。



 

          ばば様と夕焼け小焼けの散歩には

          供する二つの影法師かな


          揺らめきて何処までついて来るのやら

          身の丈いとど伸ばしてやまずも


          童心に還って影踏み興ずれば

          激しく揺れる影法師かも


          影法師踏み交わしつつお遊びに

          齢を忘れるじじとばばかな

        
          いや長く伸びにし影もやがて消え

          陽は山の端に入りにけるらし


          振り返れば富士のお山の影法師も

          われ等に和して共に遊ぶや


          茜空の富士のお山の影法師よ

          名残とどめよ せめて暫しを