「柘榴・ざくろ」の実を食べたのは、子供の頃のことだから遠い昔だ。
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割れ目の出来た外皮を手で割ると、赤いルビーの様な透明感のある実がギッシリと詰まっていた。かじり付くと、甘く酸っぱい果汁が口の中に拡がって、夢中で食べた。
信州・諏訪育ちの虚庵居士だが、寒冷な諏訪には柘榴の木は無かった。姉の嫁ぎ先の庭に、見たこともない果実がぶら下がっていたが、それが柘榴であった。
お婆ちゃまが、ひょいと手で取って下さった。縁側に腰を下ろして柘榴を食べながら、しわがれ声のお婆ちゃまが話してくれた昔話が、懐かしく思い出される。
昔々で始まる、何とも奇怪なお話だった。
「まだ若い子持ち女がな、どうしたことか他人の赤児を見ると、無性に食べたくなって堪えきれずに食べてしもうたそうな。赤児は甘酸っぱくて、とっても美味しかった。
赤児を食べた女は、その美味しい味が忘れられなくなってな、ジッと我慢してたが、遂にまた違う赤児を食べてしもうた。次々に赤児を食べた若い女は、いつの間にか鬼女の顔に替わったそうな。鬼女に可愛い子供を食べられたお母さん達は、泣き叫んでお釈迦さまに訴えたんだとよ。お釈迦さまはどうしたと思う?」
柘榴の実を口に含んで、もぐもぐしながら甘酸っぱい果汁を吸い、種を口から吐き出していた僕は、突然の問いかけにグッと詰まった。お婆ちゃまは心得顔で、話を続けた。
「お釈迦さまはな、鬼女が可愛がっていた赤児を何処ぞへお隠しになったのよ。
鬼女は我が児を探して、探して、どうしても見つからなくてな、初めて我が児を亡くした母たちの悲しみが分かったのよ。 『申し訳ねーことした』と、鬼女は石で頭も顔もゴツゴツぶっ叩いてな、瘤だらけの頭、血だらけの顔になったのよ。
お釈迦さまはな、瘤だらけ・傷だらけのザクロの実を手に持ってな、鬼女に言ったのよ。
『これからはザクロを食べて、赤児たちにあやまれ。柘榴を食べて母たちに謝れ 』 とな。
鬼女は来る日も、来る日も柘榴を食べ続け、無心に謝り続けたのよ。
お釈迦さまの訓えを守り、お釈迦さまに帰依してお祈りしたのよ。そうしたら、鬼女の頭の瘤も顔の傷も治り、鬼女の顔が少しづつ変わってな、竟には菩薩さまのようなお顔に替わったとよ。
お釈迦さまはな、鬼女の罪をお許しになってな、『女達の安産を守れ、赤児たちを守れ』と云いつけられたのよ。祈り続け、守り続けた鬼女はな、今では『鬼子母神さま』だあね!」
柘榴の実をもったまま、何時しか食べるのも忘れて、耳をそばだてて聞いた子供の頃の昔話だ。数えてみれば、かれこれ六十余年も昔のことになる。
夙にあの世へ旅立ったお婆ちゃまも、今ごろは柘榴を食べなら、「昔々な・・・」などと繰り返し、僕とのひと時を思い出しているかもしれない。
見上げれば柘榴の実かな姉嫁ぐ
屋敷に奇異な果物を見ぬ
割れ目から覗くはルビーかあまたなる
柘榴の実かな昔を偲びぬ
割れ目からこぼれるルビーの実を含み
果汁を貪る子供の頃かな
お婆ちゃまのお話聞きつつこの味が
赤児の味かと怖れし稚児の日
柘榴手に涕ながらに詫び続け
己を責めた鬼子母神かも
しわがれの声懐かしきお婆ちゃまの
お話し忘れず六十余年も
柘榴の名を探し辿れば中東の
ザクロス山脈(やまなみ)其処の産とか
お婆ちゃまの昔話はザクロスの
古く伝える話ならめや