「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「下野・しもつけ」

2006-07-16 00:12:26 | 和歌


 だいぶ以前から咲いていた下野だが、初夏の花のかたまりに比べて、梅雨明け近くの花序は随分小ぶりになってきた。

 下野は元来、小さな花がかたまって咲くが、虚庵居士の好みからすれば、これ見よがせに大きな塊りで咲くよりは、小さく控えめに咲くところに下野の佳さがある。緑の葉群のなかにぽっと浮かぶ薄紅の花には、慎ましやかな風情が窺えて心が安らぐ。

 側に咲いていた見かけない花の名前を尋ねたら、ご高齢の主は、「海辺で拾って参りましたが、名前を存じませんで・・・」と、済まなさそうな顔で言い訳をされた。此方が却って恐縮しつつ、下野の写真を取らさせて下さいとお願いしたら、「たいへん名誉なことで・・・」と仰られて、写し終わるまで傍に佇んでおられた。






             控えめな老いたるあるじが躾けたか
   
             慎ましやかなる 下野の花は   



             傍らに咲く花の名を問いしかば 
  
             拾い来たればと あるじは「言い訳] 



             緑なる葉群のなかに下野の
   
             薄紅に浮き立つ花かも    






「槿・むくげ」

2006-07-15 22:08:57 | 和歌

 あちらこちらで、槿の花が咲き始めた。

 「真夏の太陽に照らされて咲く槿」との、強い先入観が有るゆえであろうか、槿が咲き始めると夏が来たとの感慨がある。ここ二・三日は未だ梅雨も明けないのに、夏並みの天候が続き、吹き出る汗がそう思わせても無理はないが・・・。

 強烈な陽ざしのなかで、槿もまた一日限りの花の命を咲き切って、潔く散っていく。
芙蓉の開花には今しばらく間があるが、槿と言わず芙蓉といわず、彼女等の儚い花の命には、長いようで短い「人間の花時」をも考えさせられる。

 人間の寿命は、我国ではいまや八十歳を越えているが、生命体の寿命は長くとも、その人間が花を咲かせ得るのは、人によってはホンのひと時だ。他人様はともかく虚庵居士は、果たして自分の花を咲かせられたのであろうか。他人が見て、花と観るか否かではなく、「これが自分の花だ」と言えるものがあるかどうかだ。そんな花を口にくわえて死ねたら、どんなにか
カッコいいのだが・・・。






             花むくげ真夏を連れ来て咲きにけり
   
             きみ待ちにしと散り敷く足もと   



             たれ恋ふやむくげの花のときめきを 
  
             朝日は透かしぬ滾る血潮を   



             いち日の命と知るらむ槿花に 
  
             花時短きおのれを想ひぬ    





「白桔梗」

2006-07-14 00:45:36 | 和歌
  
 木漏れ日を受けて、白桔梗が凛と咲いていた。

 桔梗は、昔から色にもその名をとどめて、「紺桔梗」として知られている。桔梗の紺色が艶と深みがあるのは、ごく僅かではあるが紫が混じっているからであろうか。それに引きかえ、白桔梗は誠に清々しい。白い花びらには殆ど気付かぬほどの、毛脈が透けているが、虚庵居士のカメラの力量では、その表情を写し撮れないのが残念である。

 桔梗の蕾を見ると、ごく幼い頃のことが思い出される。子供の頃は無邪気なもので、桔梗の花はトンと目に入らず、遊びの対象は専ら蕾に集中した。人差し指と親指で蕾を摘み、「ポン」と音を立てて割るのが、楽しみだった。

 木漏れ日が白い花弁に射し来て大胆な模様を描いているが、その表情は中々粋なものだ。陽を一杯に浴びて咲く桔梗は、それはそれで美しいが、風に揺れながら木漏れ日と戯れる白桔梗には、凛とした中にも知的な茶目っ気が漂っている。






             木漏れ日を受けて咲くかも凛として
   
             白きころもに知性を秘めにし   



             そよ風に吹かれて揺れる白桔梗は 
  
             戯れるらし 木漏れ日相手に   



             木漏れ日に透けるは花弁か薄絹か 
  
             脈の見ゆるは乙女にあらずや 


                                


「ハイビスカス」

2006-07-13 01:15:42 | 和歌

 梅雨明けが間近になると、気温が急激に上昇して、ハイビスカスが一気に咲き出した。

 もともとハワイや宮古島など、熱帯地帯から温帯にかけての植物ゆえ、気温が上がればたちまち活発になるようだ。

 かつてマンション住まいの頃、鉢植えのハイビスカスをベランダに置いて楽しんだが、たちまち大きく成長し、鉢の中も、根がビッチリ詰まって大きな鉢に植え替えた。その後「うつろ庵」に移り住んで、土の上に鉢を置いたら、底の水穴から根を伸ばして、鉢の移動すら出来ないほどに太い根を張ったことがあった。生命力の旺盛なことには目を瞠る。

 どこぞの植物園で見たハイビスカスは、花の直径が三十センチ程もあったろうか。それにしても、ハイビスカス、芙蓉、槿など大きな花は一日花が多いようだ。
   





             たまきはる命は一日今日限り
    
             突きぬけて咲く ハイビスカスかな
    


             一年をかけて咲きにし花なれば
    
             恋せよ乙女せめて一夜を
    


             明日なきを知る乙女ごの真ごころか
    
             赤心受けとむおのこは誰ぞ
    






「小海老草」

2006-07-12 00:07:51 | 和歌

 海老が花に変身したかと目を疑うような、「小海老草」が咲いた。

 赤レンガの散歩道にそった両脇の植え込みに中に、それぞれのお宅が好みの花を植えて、道行く人々にご披露して下さっている。「小海老草」は、毎年、梅雨の半ばから梅雨明けにかけて、ユーモラスな花を咲かせて、目を楽しませて呉れる。





 チョッと変った花の場合は、通る人毎に花の名前を聴かれるようで、ここのお宅では花の名札を吊るされた。聞く人間は一回限りかもしれないが、聞かれる立場からすると、その都度のお付き合いが大変なのはよく理解できる。迷惑な顔を見せずに、名札をさり気なく吊るした器量に、感服させられた。






             飛び跳ねて海から来たか海水を

             未だしたたらす小海老草かも


             赤レンガ散歩の道の両脇の

             花々 訪ねぬ 声を 掛けつつ


             花の名を札に記してさり気なく

             吊るす気配り 器量ぞ お見事 !    
    





「瑠璃菊・ストケシア」

2006-07-11 10:34:23 | 和歌

 瑠璃色の爽やかな花を見つけた。

 素人のバカチョンカメラで写したが、実物のあの爽やかな色合いの再現できていないのが、悔しい思いだ。カメラにまで懲りだしたら時間的にも際限が無いので、「モドカシイ」想いをぐっと飲み込んで諦めている。「色調が違う」とのお叱りはご勘弁願いたい。

 子供の頃、田舎で栽培していた「蝦夷菊・アスター」によく似てはいるが、花びらも咲き方も明らかに違う。調べたら「瑠璃菊・ストケシア」と判明した。
写真には、花の傍に縮みのある丸葉が映っているが、これは混植された別物で、柳葉が瑠璃菊のものゆえ、念のため書き添えておく。

 この花は細長い無数の花弁が、見事、一列に並んでいるが、丁寧に見たら四・五枚の花びらが一つに繋がっていることを発見した。自然の創造力の見事さには目を瞠るものがある。加えて、夕暮れになれば瑠璃色は更に色を深めて、神秘的なものを切々と訴えてくるのは何故であろうか・・・。






             陰鬱な梅雨の合い間の陽を受けて
   
             瑠璃菊咲くかも 息抜きをせよと 



             もじゃもじゃの内の花弁は裂き割れるも
  
             外では見せるか四五枚連ねて   



             夕されば瑠璃いろ深まり我がむねに 
  
             迫りくるかも神秘を湛えて   





「クリナム・パウエリィー」

2006-07-10 16:41:17 | 和歌

 「うつろ庵」の印度浜木綿と姉妹の、「クリナム・パウエリィー」がピンクの花を咲かせていた。






 道端に咲いているのに、手入れをする人は誰も居ないらしい。枯れ葉や花後の始末もせずに放置されて、いささかむさ苦しい状態であった。盛りを過ぎて萎れたり、枯れた花が、莟や咲いて間もない花に絡みついて、カメラに収めることすら躊躇した。

 気を取り直して探したら、咲き始めの初々しい二つの花を見出した。沢山の株から独り離れて咲く一つ。いま一つは、萎れて枯れかけた花々が絡んだ中に、先程開いたばかりの花を見つけた。枯れかけた花後を取り除いたら、滴るばかりの美女が現れた。

 紅の細くて長い花芯は雌蕊であろか、ヒョウキンな雄蕊と対になって、乙女はアッケラカンに笑っていた。






             陽に透けるうす紅とその奥に
   
             萌黄残りてクリナムうるわし
   


             花芯より伸びきて上に立ち上がる

             めしべ雄蕊はおどけものかな
   


             口あけてあっけらかんと笑ふかな
   
             クリナムにみゆ 乙女の風情を
    





「棗・なつめ」

2006-07-09 00:15:13 | 和歌

 散歩していてふと気が付いたら、棗の花が咲いていた。これまで棗の花には注目したこともなかったが、ブログに花の写真を載せ始めて、草木の花に心が惹かれるようになった。






             濡れそぼるレンガの道を歩み来て
 
             初めて出会いぬ 花咲く「なつめ」に
  


             みどり葉の合い間に稚き花を見つ
 
             しずくの溢れるなつめの花かも



 花に因み、花に触発されて拙い和歌を詠み、臆面もなくよくも続けてこれたものだと、我ながら感心する。年末のブログ消去事件を挟んで、間もなく一年半になるが、三日坊主の代名詞だった虚庵居士が、これ程続けられたのは一体何故だろうか。

 悪しきことのみ多い昨今であるが、こころ洗われる話題が余りに乏しいのは、世の中が狂ってしまったのだろうか。それに引き換え、花は誠に「純粋無垢」だ。只ひたすら、己の命を自然に任せて精一杯生きて、虫や風と助け合って受粉を繰り返し、次世代へ命を受け継いでいる。感動的な命の営みを黙々と積み重ね、年に一度の花時を忘れずに、「ワタシもココに咲いてるわヨ」と呼びかけている。

 花たちから、限りない歓びと感動を貰って来たことが、これ程にも続けてこれたエネルギーに違いあるまい。更には、この庵をお訪ね下さって、声を掛けて下さる皆様のひと言が、喜びを倍化していることは申すまでもない。改めて、深く感謝申し上げたい。






             虻なるやいとど小さき虫のいて

             「生きる」営み 雨もものかわ






「フレンチラベンダー」

2006-07-08 10:56:36 | 和歌

 最近はラベンダーを庭先に植えているお宅が、めっきり増えたようだ。

 ハーブの類は、もともと香りを愉しんだり、エッセンシャルオイルの原料に栽培したり、料理やお茶に、或いは医療にも使われて来た長い歴史があるが、最近は花を観賞用として愉しむ方が多いようだ。自ら化石人間と名乗る虚庵居士は、ハーブとは凡そ縁のない暮らしをしているが、花の香りには大いに惹かれるものがある。

 ラベンダーに関しては、子供の頃、何かの本で読んだうろ覚えの記憶が残っている。
聖母マリアはキリストの産着を洗ったが、干す場所がなかった。マリアは咄嗟に、小さな産着をラベンダーの花の上に丁寧に広げて干した。そよ吹く風は、たちまちの内に産着を乾かせたが、ラベンダーの花はキリストの産着に芳しい香りを残した。乳児のキリストは、ラベンダーの移り香の産着を着せられると、目を細めて喜んだと言う。その時のラベンダーが、フレンチラベンダーであったか否かは、知る由もないが、子供の頃読んだ長い物語の内の、この一節だけが何故か記憶に残っている。






             おさなごの産着を乾かすひと時ぞ
  
             マリアは祈りぬ 耐えてたもれと   



             そよ風に伸ばした首をともに揺らせ
  
             フレンチラベンダーは 聖歌をうたうや   



             キリストの深き想いを辿り行けば 
 
             香る産着か マリアの祈りか       




                                 

「柳花笠」

2006-07-07 00:39:17 | 和歌

 首の長い「かわゆい」花が、両手を広げて咲いていた。

 「私を写して! 写真を撮ってくれないと、この路、通さないわよ!」
てな、オキャンな可愛い声が聞こえる気がする。花の名前は知る由も無いが、帰宅して調べたら「柳花笠」、別名を「サンジャクバーベナ」とも言うらしい。






             手を広げ立ふさがるかオキャンにも
 
             姿かわゆい 柳花笠  



 やけに首の長い花で、姿を写せば花は小さくなり、花を写せば首の長い姿を捉えられない、素人カメラマンには始末の悪い花だ。虚庵居士を翻弄しつつも、茶目っ気タップリで魅力に溢れた花だ。

 赤い襷の踊り手が手に持つ「花笠」のイメージと、花笠音頭のテンポのいい所作も連想される。首の長さが「三尺?」は大げさだが、背丈はヒョロッとして三尺程にもなるであろう。

 可愛い花に出会えた日は、心が浮き立って、早めに晩酌が始まる虚庵居士であった。






             背の高き三姉妹かも寄り添ふて
 
             咲き競ふかも三尺バーベナ 



             佳き日かな爺の散歩を待ち受けて
 
             風に首振る 柳はながさ    



                                

「印度はまゆう」

2006-07-06 00:07:32 | 和歌


 梅雨が終わりに近づくと、「印度はまゆう」がニギヤカに咲いて、「うつろ庵」はパッと明るくなった。

 花茎がスーッと伸びて、頂に莟が十個ほども付いて次々と咲くので、かなりの期間にわたって愉しませて呉れる。長い首を次第に持ち上げて、清楚な花を咲かせるが、二日目には再び項垂れ始めて、やがて萎れる。「萎れ花」も有りの侭の姿ゆえ、それなりに風情があるが、放置すると「しどけない」雰囲気が、清楚な花のイメージを損なうので、極力早めに萎れ花を摘むことにしている。

 印度はまゆうとの朝の挨拶に行った虚庵夫人が、素っ頓狂な声をあげた。
何事かと訝って行って見たら、一本の花茎が何者かに引き抜かれて、放置されていた。夜中に通りすがりの悪者が、何かの腹いせに引き抜いたものだろう。鬱憤を花にぶつけねば納まらないとは、気の毒な御仁もいるものだ。

 引き抜かれた印度はまゆうは、花器に活けられて「うつろ庵」の住人の一人に加わった。






             顔寄せてささめく乙女ら どっと沸き
 
             笑いくずれぬ 浜木綿の花は 



             たれ抜くや 夜中に印度浜木綿を

             打ち捨て行く人 哀れなるかも 



             拾い来て花器に活ければたまきはる
 
             命とどめて咲きわたるかも   




                             

「花すべりひゆ」

2006-07-05 00:13:57 | 和歌

 ご近所のフェンスに吊るした鉢に、可愛いポーチュラカが咲き続けている。





 田舎に育った虚庵居士には、誠に不思議な花に思われる。子供の頃見かけた雑草の「すべりひゆ」は、菜園にも小さな花畑にも処構わずはびこって、厄介者の代名詞であった。花はごく小さな黄色だが、花の後にはシカと種を実らせて、子孫繁栄を謀る強か者であった。
その「すべりひゆ」に、限りなく姿形が似ているにも拘らず、花は大きく、彩り鮮やかで、しかもピンク・赤・黄色・しろなどなどと多彩だ。誰のご努力かは知らないが、雑草の交配を繰り返して、「花すべりひゆ」の名花を創りだした作者には、限りない拍手を贈りたい。

 今回、バカチョンカメラで写真に収めようと、近くで観察して初めて知りえたが、雌蕊の特徴ある姿だ。花自体が華やかであるが、更にその花芯にはあろうことか、リボンを思わせる雌蕊を見付けて感激した。






             誰ならめ交配かさねて名花をば
   
             創りい出せる努力を讃えむ   



             真似事にあらざる努力か花創りの 
  
             想いを花に託すぞうるわし   



             花なるに更にリボンを装へる 
  
             乙女ごころか 花芯のめしべは   



                       

「ベゴニア」

2006-07-04 11:13:54 | 和歌

 ベゴニアが「みずみずしい花」を咲かせている。

 春先から次つぎと花を付けて、何時までも愉しませて呉れるが、花も葉も「みずみずしさ」を保ってやるのは、中々大変だ。花後の後始末や、痛んだ葉の除去など小まめに手を掛けてやらないと、たちまち「しどけない」姿になって、鑑賞に堪えられなくなる。

 ベゴニアに限らず、人間様の容姿も感性も、多分に同じことが言えそうだ。外出しない日など、心のタガが外れれば、際限なく「ダラシナイ」姿でも気に掛けなくなる。幸いにも容姿は鏡に映る己を見れば、否応無く気付かされるし、時には虚庵夫人の厳しい「ひと言」で救われることもある。 しかしながら外見上では気づき難い、心の内面の「感性」は、鏡のような重宝な道具が無いので、事はやっかいだ。

 全てに目を瞑り、在るがままの自由を愉しむといえば、一応は納まりそうだが、これは注意しないと自堕落に通じかねない。人それぞれの内面を写す鏡を、何に求め、何を写すか、おしなべて本人の意識の問題であろう。






             花も葉もみずみずしきかなベゴニアの
  
             か弱きなれにほれぼれ見入りぬ  



             金色の花芯までもが透けるとは
  
             溢れるばかりの命の水かな  



             迸る命の証か紅を 
 
             みどりに透ける葉の縁取りにして  





「夏椿」

2006-07-03 22:06:01 | 和歌

 夏椿が静かに咲いている。

 かつて「うつろ庵」の庭には、数本をまとめ植えして、毎年初夏の花を愉しんだ。三・四メートルほどの背丈まで育ったが、どうしたものか一本が立ち枯れると、後を追って次つぎと枯れて、悔しい思いをした。

 夏椿の花は、葉の間から見え隠れする、慎ましやかな咲き方が好ましい。花びらも、容姿の繊細さに加えて、時にはこの写真のように、刷毛でサッと刷いたほどに、ごく薄く紅をさすこともあって、驚かされる。

 夏椿を、何時からか我国では「沙羅」とも呼んでいる。双樹の下でお釈迦様が涅槃に入られた「沙羅」は、全く別の樹だが、夏椿を沙羅と呼ぶようになったのには、定かに調べていないが、何か謂れがあるのであろう。

 一日花の夏椿には、儚く散りゆく美学をも訓えられる。






             葉に隠れ慎ましやかに咲く花は
   
             たったひと日の 命なるかな  



             たれに逢う化粧なるらむ頬紅は 
 
             乙女の想いを せめてとげばや   



             白妙のうすぎぬの袖ひそやかに 
 
             打ち振りおれば去り難きかな        





「原種クレマチス」

2006-07-02 16:28:16 | 和歌

 一昨日、掲載した「突抜忍冬」と併せて、「原種クレマチスです」と誇らしげにご紹介下さった花である。普段見かけるクレマチスと違って、すっかり開ききらない「半鐘」型の花で、地味で落ち着いた良さの中にも、斑入りの花弁が気になった。






             原種てふもん字の持てる魔力かな
 
             人々酔ふて誇りに思ふは 



 ご紹介下さった奥様も「原種」に拘っておられたが、「原種」という文字は、「大元のもの」「特別なもの」というニュアンスがあるので、人を酔わせる魔力があるようだ。最近はそこに目をつけて、「原種○○」と謳った品種が、花卉市場ではかなり持て囃されているようだ。クレマチスの元を辿れば、日本の「風車」や「半鐘蔓」、或いは中国の「鉄線」が原種の筈で、各種の交配プロセスの産物を「原種○○」と銘打って、商売にしたものと思われる。人の心理を見抜いた巧みさには恐れ入る。素人の憎まれ口は可愛げが無いので、この程度にしよう。

 このお宅の「原種クレマチス」は、気の毒にもうどん粉病が発生していた。奥様のプライドを傷つけぬよう、症状の軽微な部分を選んで写して来た。






             梅雨時に彩り添える蔓花の
 
             クレマチスかな髭種子も見ゆ







             外つ国へ嫁ぎてのちの物語り
 
             秘めて華麗に出戻る花かも