「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「佐渡・金北山の高山植物 その3」

2008-05-31 20:55:52 | 和歌

 花はその時節に観るのが、最も美しいが・・・。

 シリーズでご紹介している「佐渡・金北山の高山植物」の花々は、5月上旬にK氏が現地で撮影して、ご恵送下さってから既に2週間になる。花時が過ぎてしまったことが、花々には大変申し訳ない思いだ。

 現役を退いた後は毎日が日曜日で、有り余る時間を存分に使えると期待していたが、あに図らんや、気侭に使える時間は意外なほど少ないことに驚くこの頃だ。 先週末は某女子大と工業大学及びさる財団共催の講座に招かれて講演、また今週は企業研修の講演と対話会など、皆さんが虚庵ジジをこき使って下さるので、のどかな爺・ばばの生活はほど遠いようだ。 

 佐渡の「峰桜」と「匂辛夷」は既に散ってしまったかもしれないが、虚庵居士の心には未だに美しく咲き続けている。





            峰桜(みねさくら)

            生い茂る木々の下道登り来て

            開けるそこには さくら咲くなり







            匂辛夷(タムシバ)

            日本海 暮れなんとする山肌に

            男ら迎えてタムシバ浮き出ず






「佐渡・金北山の高山植物 その2」

2008-05-24 22:46:05 | 和歌

 K氏がお送り下さった、佐渡・金北山の高山植物の続きをご紹介する。

 金北山は1172mの標高ゆえ、高山植物とはいえ花もお馴染みの、親しみのもてるものが 多いようだ。山男の友人と花との出会いを頭に描きつつ観賞すれば、口数は少ないが、それぞれに話を聴かせてくれるかのようだ。

 だいぶ昔のこと、「菊咲一華」にごく似た東一華(あずまいちげ)に出会ったことがことがある。この写真に、懐かしさがこみ上げて来た。花の名前が異なるのは、何処かに違いがあるのであろう。虚庵居士は専ら観て楽しむばかりだが、「一華」とは名付けの妙と云えようか。 
林の中に咲く「ひとはな」に、「華」を見出す先人の感性には感服、脱帽である。





            菊咲一華(きくざきいちげ)

            山の辺を歩み来たれば木漏れ日の

            スポットライトに一華は浮出ず







            紫・菊咲一華(むらさき・きくざきいちげ)

            重ね敷くは落葉のしとねか菊咲の

            薄色一華はあわれなるかも


            もも伝ふ佐渡の山辺の樹のもとに

            たれ見送るや泪の一華は







            片栗(かたくり)

            いや高き梢を透かす陽を受けて

            片栗咲くかな佐渡の山辺に







            座禅草(ざぜんそう)

            山あいの異形の姿に座禅する

            僧の修行を重ねて観るとは


            山襞の谷は涸れるもひたぶるに

            座禅に水待つ修行の日々かな






「佐渡・金北山の高山植物 その1」

2008-05-19 18:04:29 | 和歌
 
 友人のK氏が、佐渡・金北山の高山植物の写真をお送り下さった。
彼はさる会社の役員を退任されたが、今だに世界五大陸の名山に挑戦を続ける現役の登山家だ。しかしながら時には、1172mの金北山にも足を運ぶ、無類の山好きでもある。





            越後雉蓆(えちごきじむしろ)

            背の低き道のしるべか黄蘗色に

            花咲きにけり道に迷ひな



 昨年は南米最高峰アコンカグア(6959m)に挑戦した彼であったが、不運にも天候に恵まれず、山頂直下から撤退した。山頂を目前にして撤退をするのは、並大抵の決断ではあるまい。ただ闇雲に攻めるのではなく、状況を的確に判断して「引き返す」決断とは、断腸の思いを遥かに超えるものが求められるに違いない。
彼はビジネスの世界で、経営者として立派な業績を積重ねられたが、登山家としてもこの様な極限の状態で、冷静な判断が下せることと根源的には相通じるのではあるまいか。





           稚児百合(ちごゆり)

           生い茂る林の道を踏み出でて

           ひと時語りぬ稚けき小花と



 「天は二物を与えず」との諺があるが、一つのことで秀でたものを会得した男は、異なった分野でも類い稀な能力を発揮する。経営者と登山家の例のみでなく、今回彼が送って下さった高山植物の写真を見ても、優れた感性が感じられるのは、将にその好例であろう。

 彼の心温まるお裾分けのお陰で、居ながらにして佐渡・金北山の高山植物にお目にかかれた。孫分けになるが、皆様もご堪能あれ。





           大岩鏡(おおいわかがみ)

           ますらおが 御足とどめてより立てば

           手弱女鏡に けわいを直すや






              ときめきて鄙の山べに咲く花の

           想いひを掛けるはいずかた人にや






「 芍 薬 」

2008-05-17 17:33:27 | 和歌
 
 「うつろ庵」の芍薬が咲いた。

 嘗て同僚が、ご父君の慈しんで居られた芍薬を株分けして、態々お持ち下さったものだ。  それ以来、うつろ庵の住人になって、かれこれ20余年になる。芍薬は連作を嫌うとは承知していたが多忙に託けて、また加えて敷地の狭いこともあって移植を怠ったら、自然の摂理は誠に明白だ。大輪の花も年々矮小化して、ついには蕾さえ付けなくなった。

 芍薬に申し訳ない思いが募り、昨年の暮に株の一部を移植した。これが効を奏して、今年は一株から5本の花茎がついた。

 一輪の芍薬が咲いただけで、うつろ庵の庭には華やぎと凛とした気配が漂った。
ところがあろうことか、台風2号が近ずいて強風予報が伝えられた。芍薬の花には風雨が大の禁物だ。虚庵夫人は次の早朝、思いきりよく切り花にして花瓶に投げ入れた。





              幾とせの心の通い路閉じたるを

           植え替え詫びれば応えて咲くかな


           嵐から芍薬の花守らむと

           切り採る妹に朝露こぼれて


           朝露のこぼれ落ちるは芍薬を

           切らねばならぬ妹が涕か







              はしきよし僅かにとどめる紅は

           内に秘めにし滾る思いか


           白妙のはなびら重ねかき抱く

           思いをきかまし仄かに染めるを






「余寿命」

2008-05-10 16:19:43 | 和歌

 久方ぶりに高校時代の同期生達が伊豆高原に集い、酒を酌み、歓談し、そして次の日には ゴルフに興じ、至福の二日間を堪能させて貰った。

 信州・諏訪清凌を卒業して、早くも半世紀余。幹事殿がメールで送って下さった集合写真に、つくづくと見入った。髪も顔の皺もそれぞれ歳相応と云うところであろうか?  





              ひさかたに相まみゆるも紅顔の
          
           おもかげ見しかな白髪の友に




              白玉のうま酒酌みつつ語らふも
          
           従心なるかな矩を踰えぬは


           
 白髪頭を見ていたら、「余寿命」という言葉が頭をよぎり、インターネットで検索してみた。   驚いたことに、人間様の余寿命データや記述は殆んどお目にかかれず、何遍トライしても、材料や機械強度・劣化などに関連した「余寿命」が羅列されるばかりだ。人間の「余寿命」には世の関心が薄いのかしらん? はたまた、人間様の「余寿命」を云々するのは、「不謹慎だという暗黙の了解?」でもあるのであろうか? 平均寿命から年齢を差し引けば、何がしかの数字は計算されるが、到達年齢の余寿命は多分それより長い年数になるのではなかろうか。

 



 思い直して再度検索にトライした。
検索文字を「余命」に代えて検索したら、厚生労働省のデータ「日本人の平均余命」 がたちどころに出て来た。これまで「残りの寿命」など意識もしなかったので、恥ずかしいことながら正しい日本語を知らなかったが、「工業的な残りの寿命などを『余寿命』と云い、人間様の寿命の残りは『余命』と云うらしい!」

 日本男子の平均余命は、最長が生後1週間で78.71歳、古希のじい様の「平均余命」は14.51歳、傘寿のご老人の平均余命は8.39歳 と判明した。連れ添いのばば様は、更に数年生き永らえることは云うまでもない。

 唐辛子入り焼酎のお湯割りを飲みつつ、この様な駄文を認めていたら、ついつい夜更かしして零時を過ぎてしまった。 送って下さった写真の御礼を書くつもりが、何時の間にか「余命」の 「余談」になったことを詫びつつ、旧友達に同報メールを発信した。





 数日して、旧友の一人から返信があった。
曰く、「13年乗り続けて来たマイカーの『余寿命』と、己の『余命』とを勘案して、この際、新車を買うことにした」と認めてあった。


              余寿命と余命の違いをこの爺は
 
           初めてしるかも 笑って死ねるや




            さて、
             己の余命をどのように生きたら、笑って死ねるのだろうか?




「君子蘭」

2008-05-07 23:44:26 | 和歌
 
 君子蘭が咲いて、かれこれ半月ほども経たであろうか。

 この花が咲くと、「うつろ庵」の門被り松を毎年丁寧に剪定して呉れた、植木職人の定吉爺が偲ばれる。松の手入れを終えた年末に、定さんが君子蘭の鉢を抱えて来て呉れたのは、もう何年昔のことであろうか。定さんは逝ったが、「うつろ庵」に残された君子蘭の鉢は何時の間にか数が増えて、定吉爺の笑い声が聞こえる心地がする。





              定さんの面影写すにあらねども
          
           爺の声する君子蘭かな




 駐車場の植え込みに君子蘭の鉢を並べたので、車に乗り降りする都度、目配せする君子蘭だ。控えめな色合いの黄丹の花が、「気を付けてナ」「お帰り」と声を掛けてくれる風情だ。





              安らけく咲きにし花の色合いに

           クラウン降り立ち 一言「ただいま」






「茱萸・ぐみ」

2008-05-02 12:40:18 | 和歌

 「うつろ庵」の「ぐみ」が沢山の花を付けた。

 「ぐみ」は、漢字では日頃お目にかかれない茱萸(しゅゆ)と書くが、なかなか思い出せなくて難儀した。その昔、漢詩を読んでいた頃この文字に出合ったことがあったが、遠い昔のこと。大辞林と漢和辞典のお世話になった。

 ぐみの花は小振りで、花にも葉裏にもごく小さな星状毛が散在するので、離れて観ればくすんで目立たぬ存在となる。まして開花後二・三日もすれば、白い花びらも亜麻色に変色するので、 なおさらだ。


           
           この花に華はあらぬと人いうも

           君にや問む 華とは何ぞと 



 春が過ぎて、やがてそろそろ梅雨を迎える頃になれば、「ぐみ」の枝には赤い小さな実が鈴なりになる。

 赤く熟した瑞々しい果肉は、「たべて食べて」とせがむかの様だ。手を伸ばして一つ二つを摘み口に入れると、甘酸っぱい味が口に広がるが、暫くすると渋みが舌に残るのが特徴だ。


           
           目をとじて赤き果肉のぐみの実の

           さ枝にたわわな初夏を思いぬ



 冒頭に触れた漢詩が見つかった。1300年ほど昔、王維がまだ十代で、初めて
家族と遠く離れて学んだ頃の七言絶句だ。

            九月九日憶山東諸兄弟

            独在異郷爲異客 毎逢佳節倍思親
            遙知兄弟登高処 遍挿茱萸少一人

 初めて読んだ当時、漢和辞典で「茱萸」を調べたら「ぐみ」だと書かれていて、それを信じて今日に到った。九月九日・重陽の節句に「茱萸・ぐみ」の枝をを挿す??  当時も奇異に感じたが、「1300年も昔の中国の習わし」かしらんと、無理ムリ納得させて読み飛ばしたことを思い出した。

 それにしても、横須賀で6月に熟す「ぐみ」の枝を、中国・山東ではどうして秋・重陽の節句の、穢れ払いに使うのであろうか? あれこれ調べた結果、王維の漢詩に詠まれた「茱萸」と、「うつろ庵」の「茱萸・ぐみ」はどうやら別物らしいことが判明した。

 嘗ての中国では、重陽の節句には家族を挙げて高台に登り、ご馳走を食べ菊酒を飲み、芳しい「茱萸」の小枝を挿して、邪気を払ったらしい。漢詩に詠われたのは「呉茱萸」で、漢方薬にも使われる辛味と芳香のある「かわはじかみ」だと分った。

 「はじかみ」は山椒の和名だが、呉茱萸は山椒に似ているが中に種がなく、皮ばかりなので「かわはじかみ」と名づけられたらしい。「ぐみ・茱萸」と「かわはじかみ・茱萸」は何処かで混同されたに違いあるまい。
一説によれば、その元は貝原益軒だともいうが、詮索は何方かにお任せしたい。

 地味で目立たぬ「ぐみの花」ではあるが、朝日を受けて気品を湛える姿には、プライドすら感じさせるものがある。





           
           花を観て華なきというその人に

           見せばやぐみの華の姿を