「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「花虎の尾と空蝉」

2013-07-31 12:50:23 | 和歌

  「うつろ庵」の「花虎の尾」が咲き始めた。

 「うつろ庵」の花壇は、過去にもご紹介したが、各種の花がバトンタッチして次々に連続して咲き続ける、摩訶不思議な花壇だ。

 種をあかせば、花時の異なる宿根草を狭い花壇に疎らに植えたら、彼女たちは年々歳々お互いに競い合い、或いは譲り合って、年間を通じて虚庵夫妻を愉しませてくれるのだ。

 この時節は、旧暦のお盆過ぎまでが「花虎の尾」のシーズンで、20株余の花が咲き始めた。その中の一つに、有ろうことか空蝉が取りついていた。

 「うつろ庵」の庭木からも、蝉の賑やかな鳴き声が聞こえて、夏の到来を弥が上にも印象づけているが、この空蝉も何時の朝であろうか、殻を脱ぎ捨て、朝陽を浴びて羽をふるわせ、元気に飛び立ったに違いない。

 そう云えば、庭の彼方此方に蝉殻が取りついている。些細なことではあるが、豊かな自然の恵みを感じつつ、風雅を堪能するこの頃である。


           夕涼みせむとて日除けの簾の陰に

           坐せば応えぬ虎の尾の花は


           涼やかな夕風吹けば微かにも

           花虎の尾は揺れて応えぬ


           蝉殻が花虎の尾にとり付くは

           朝陽に飛び立つ記念のしるしか


           この夕べ花虎の尾と空蝉を

           相手に夕餉のさかずき重ねつ






「たろいも・Elephant Ear」

2013-07-29 01:31:57 | 和歌

 「うつろ庵」の庭の「たろいも」が咲いた。
よもや「たろいも」が花を咲かせようとは、思いも掛けぬ愕きであった。

 「たろいも」は英語名をElephant Ear(象の耳)というが、まさしく象の耳の様な巨大な葉が特徴だ。象の耳の間に、莟らしきものが伸びあがって来た。

 「たろいも」は元より食用芋だ。ハワイや東南アジアなど主食にする民族も多いが、そんな芋を観葉植物にするのは不遜なことだが、年間を通じて緑葉が絶えないので、観葉植物として愉しませて貰った後、何時からか椿の根元に植えて久しい。

 初めての莟に、感激の虚庵夫妻であった。それにしても、「莟は何時開花するのだろう?」と訝りつつ、数日が過ぎて、ハタと気が付いた。水芭蕉や座禅草の様な花もあるではないか! 

 向こう側から見ようと、カメラを片手にElephant Earを押しのけて覗いた。
案の定、「たろいも」の花は苞に囲まれて、凛と背筋を伸ばしていた。

 


           ゆらゆらと揺れる緑の象の耳の

           つけ根に伸びるは莟ならむか


           この莟 開花は何時かと待ちにしも

           姿は変わらず訝るじじばば


           たろいもの莟の向こうは如何ならむ

           象のお耳を押しのけ覗きぬ


           たろいものお花は凛と背筋伸ばし

           苞を背にして瞑想するらし


           白妙の花粉に埋もれて立ちませる

           神かと見紛う たろいもの花かも







「鬼百合」

2013-07-26 00:15:43 | 和歌

 「鬼百合」が彼方此方で咲きだした。

 橙色の花弁には黒い斑点が入り、強く反り返って咲く姿はまさに天真爛漫だ。
スポーツで日焼けした顔は、ニキビとそばかすが一杯だが、そんなことは意に介さず「ケラケラと笑い転げる十代の女の子」のイメージだ。

 「今どき、そんな天真爛漫な女の子はいませんよ」との声が聞こえそうだが、虚庵 居士のイメージだからご勘弁願いたい。昨今の少女は、小学生の低学年からスマートホンなどネットの交流に熱心で、「日焼け予防クリームを持参するのは、中学生の常識よ」とのお叱りを受けそうだ。

 「鬼百合」の球根(鱗茎)は、ユリネ(百合根)として食用になることをご存知の方は、意外に少ないようだ。鱗茎の癖が無い淡白な味わいは、日本料理でも貴重な食材で、茶碗蒸し等に打って付けだ。虚庵居士の子供の頃には母が様々に料理したので、よく食べたものだった。

 「鬼百合」の栽培では、繁殖は球根の株分けが一般的だが、葉のつけ根に付くムカゴからも発芽するので、繁殖できる。野原や空き地などに自生する「鬼百合」は、もっぱら後者によるものだ。自然の世界では子孫を残す類い稀な知恵を、それぞれ身に付けていることに感服させられる。

 そんな思いで改めて「鬼百合」を観れば、誠に逞しく、陰ながら応援したくなるような咲きっぷりではないか。

 


           遊歩道の植え込みに咲く鬼百合は

           誰が植えにしや 自生ならむか


           人の手の加護も無からむ鬼百合の

           天心無垢に咲くぞ愛しき


           そばかすもニキビの頬も気にとめず

           笑い転げる少女を思ほゆ


           葉のつけ根の黒き零余子(むかご)に思い託し

           せめて一つは芽吹けと祈るや


           鬼百合の母の思ひをひたすらに

           零余子は花を咲かせたるかな







「薊・あざみ」

2013-07-24 20:32:39 | 和歌

 道路脇の草叢に、「薊・あざみ」が一輪だけ咲き残っていた。

 薊には鋭いトゲがあるので、散歩の犬も子供たちも怖がって近寄らない。
長い間放置された薊は、自由気侭に群落をなして絡み合っていた。殆どの薊は花時を過ぎて花柄を付けたままだったが、幸いにも一輪だけが咲いていた。

 それにしても薊のトゲの鋭さは、並大抵ではない。それぞれの葉の先端は云うに及ばず、有ろうことか優雅な花を支える花茎や苞など、全身に針の鎧をつけて武装しているのだから堪らない。 

 よく似た花の「野薊・のあざみ」もトゲの武装はかなりだが、薊に比べればまだ優しいものだ。薊がこれ程の武装をするのは、自然の摂理から何か特別な理由が有るに違いない。外敵から身を守る何かを、薊は身に秘めているのかもしれない。

 野に咲く「薊・あざみ」の花の優雅さを愛でつつも、鋭いトゲのことが気になる虚庵居士であった。  

 


           草叢に一輪だけが咲き残り

           薊の花は待ちにけらしも


           じじばばの散歩を待つやただ一輪の

           薊の花のご挨拶かな


           草叢の薊はいとど鋭くも

           針の鎧を身に付け咲くかな


           斯くばかり鋭き針の鎧をば

           身にまとうふ故を薊に聴かばや


           麗しきそ文字のかんばせ見惚れつつ

           トゲが気になる俗物の爺は






第14回SNWシンポジウムのご案内

2013-07-22 13:22:13 | 和歌

 日本原子力学会シニアネットワーク連絡会(SNW)が主催する
第14回シンポジウムの案内が、原子力学会ニュースから配信されましたので、
以下に転載します。奮って参加下さるようお願いします。


     ======= AESJ NEWS 日本原子力学会ニュース=======

     日本原子力学会シニアネットワーク連絡会(SNW)
          第14回シンポジウムのご案内
         「原子力は信頼を回復できるか?」


原子力界と一般市民の間のコミュニケーションには大変に厳しい現状があることを
受け止め、原子力の活用には信頼回復が第一であるという視点に立って
「原子力は信頼を回復できるか?」をテーマにシンポジウムを開催します。
基調講演では葛西敬之氏(JR東海会長)からエネルギー供給のあり方と原子力の
位置づけや期待について、忌憚のないお話を伺います。
また各界から有識者を招き、原子力の信頼性をテーマにパネル討論を行います。
つきましては、皆様、友人、知人等多数お誘い合わせのうえ、
奮ってご参加下さいますようご案内申し上げます。

日 時:2013年8月3日(土)13:00~17:30(開場 12:30)了後懇親会予定
場 所:東京工業大学ディジタル多目的ホール(大岡山キャンパス西9号館)
主 催:(社)日本原子力学会 シニアネットワーク連絡会(SNW)
共 催:エネルギー問題に発言する会、エネルギー戦略研究会(EEE会議)
後 援:日本原子力産業協会、原子力安全推進協会、日本原子力文化振興財団、
    NPO法人日本の将来を考える会(IOJ)、日本エネルギー会議
参加費:正会員 1,500円(不課税)、学生・一般参加者は無料。

プログラム
総合司会:石井正則(SNW代表幹事)
開会挨拶:齋藤伸三(SNW会長)(13:00~13:10)

第一部 基調講演(13:10~14:00)
「日本のエネルギー政策~原子力の役割~」葛西敬之氏(JR東海会長)

第二部 パネル討論(14:00~17:20)
 座長:小出重幸氏(日本科学技術ジャーナリスト会議会長)
 パネリスト:姉川尚史氏(東京電力常務執行役)
 岡本孝司氏(東京大学大学院工学系研究科教授)
 中村多美子氏(弁護士)
 西澤真理子氏(リテラジャパン代表)
 金氏 顯氏(エネルギー問題に発言する会、元三菱重工常務)
パネリストの問題提起(14:10~15:00)
休憩・質問提出(15:00~15:20)
パネル討論(15:20~17:10)
パネリストと座長のまとめ(17:10~17:20)
閉会挨拶:金子熊夫(エネルギー戦略研究会会長、EEE会議代表)(17:20~17:30)

17:40から東工大食堂にて懇親立食パーティ(会費制)を行ないます。
懇親会費:正会員 3,500円(税込み)、学生 1,000円(税込み)

参加登録:7月29日(金)までに以下をコピーして
snw-sympo@aesj.or.jp 宛に送信して下さい。
個人情報は本シンポジウムの目的以外には使用致しません。

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・氏名:           (ふりがな:         )
・懇親会参加の有無: 参加 不参加(どちらかを削除して下さい)
・所属・肩書き(元職も適宜):
・次の内該当しないものを削除下さい:原子力学会、SNW、
                  エネルギー問題に発言する会、
                  EEE会議、前記以外の原子力関係者、
                  一般市民、学生
・E-mail address:
---------------------------------------------------------------------

                 お問合せ先  シニアネットワーク連絡会 後藤宛
                               <snw-sympo@aesj.or.jp>



再び 「深夜のるりふたもじ」 

2013-07-21 16:49:09 | 和歌

 7月21日追記
 十日ほど前に「「深夜のるりふたもじ」を掲載した。深夜の瑠璃色の花との、思いもかけぬ出会いに感激したが、あの折はたった一輪の瑠璃二文字の花だった。あれから花数が増えて満開を迎えたので、末尾に一葉を添えた。お愉しみ頂きたい。

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 数日前の散歩途上で、道路脇に「瑠璃二文字・るりふたもじ」が咲いていた。
ここは、虚庵居士が初めてこの花に出合って感激した場所だ。久方ぶりの再会に、思わずシャッターを切った。

 かなり以前になるがその時の経緯は、「るりふたもじ・瑠璃二文字」とのタイトルで このブログに掲載した。

 

 昨今の虚庵居士は、パソコンに向かって深夜まで夜更かしする毎日だ。グラス片手に呑みながらだから、時間の経つのもアッと云う間だ。

 ボトルを手近に置けばついつい飲みすぎるので、グラスが空になれば面倒だが、二階の書斎からその都度ダイニングまで酌み足しに降りて行くことにしている。

 深夜の何回目かの酌み足しに降りたら、ダイニング・テーブルに「るりふたもじ」が活けられていた。
元来、花首が余りに長いので生け花には適さない
「るりふたもじ」だが、サンフランシスコ土産の長首
ワインディキャンターに活けられた、瑠璃色の花に
見惚れた。

 よもや深夜のダイニングで、「るりふたもじ」に逢えるとは思いもよらぬことであった。余りの美しさに、虚庵居士は早速バカチョンカメラを取り出して、シャッターを切った。

 翌朝になって虚庵夫人に訊けば、「お庭の花壇を整理したの。瑠璃二文字もふえ 過ぎたので、思い切って殆どを引抜いたのよ」と、平然と言ってのけた。
唖然とする虚庵居士に、「でも花の付いた一株が、貴方へのプレゼントなの」 との、
お言葉であった。

 


           夜更かしの何度目ならむ酌み足しに

           階下に降りれば瑠璃の花かな


           首長き瑠璃二文字はくび長き

           ワインデキャンターにて我を待つかも


           真夜中に「るりふたもじ」の瑠璃色の

           花に魅入られ息をのむかな


           わぎ妹子の一株だけのプレゼント

           深夜の出会いに心しびれぬ




 


           花数の夜毎にふえにし瑠璃の花に

           心ときめく逢瀬なるかも






「赤詰草とコハナグモ」

2013-07-20 21:14:34 | 和歌

 野原に「赤詰草」が咲いていた。 
クローバーの白花に比べ、かなり大きめの赤詰草の花は存在感があった。

 田舎で育った虚庵居士は、幼児の頃、この花を摘んで甘い花蜜を楽しんだことが、懐かしく想い出された。

 

 そんな感傷に浸っていたら、ごく小さなクモが赤詰草の花に留まって、じっとしている姿が目にとまった。赤詰草の花とコハナグモの関係など、当初は気にも掛けなかったが、花蜜を吸った記憶を辿っていたら、ハタと手を打った。コハナグモが赤詰草の花に留まっている理由が、見えて来たのだ。

 コハナグモの姿も色も、花にうちとけて誠に優雅に見えるが、彼は小さいながらも歴とした肉食動物だ。赤詰草の花蜜を求めて寄って来る虫達を捕えて、ご馳走になろうとの魂胆なのだ。

 野に咲く赤詰草の花には夢があるが、その花の上の小さなスペースでは、自然の世界の厳しい物語が展開されようとしているのだ。

 


           草むらの薄紅のボンボリは

           赤詰草のお花の飾りぞ


           野に遊び花みつ吸ったあの頃を

           昨日の様に想い出すかな


           あの子らの面影追えば何時しかに

           幼なじみの名前を呼ぶかな


           想い出す遊び友達の面影は

           どの子も未だに幼きままかな






「山吹の ・ ・ ・」

2013-07-17 20:21:29 | 和歌

 季節外れの今では白山吹の花は見ることも出来ないが、黄色の山吹と花の姿は瓜二つで、清楚そのものだ。花が散った後に、光沢のある実が生り、茶色がだいぶ濃くなっていた。黄花の山吹は実を結ばぬが、白山吹の茶色の実はやがて漆黒の実に変わり、冬になれば寒風に晒されて小枝に残り、存在感を増すことであろう。

 嘗て、太田道灌が狩に出掛けて雨に遭遇した。
折しも一軒の小さな民家を見つけて、雨具・蓑の借用を所望した。その家の年端もゆかぬ小女が、目を伏せ黙したまま山吹の一枝をさし出した。少女のさし出した花の意味が理解できなかった道灌は、「花を求めに来たのではない」と怒って、雨に濡れて帰ったという。

 その夜、道灌がこのことを語ると近臣の一人が、後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれた歌を誦し、「その娘は蓑一つなき貧しさを、山吹に例えたのではないでしょうか」と付け加えたという。
己の不明を恥じた道灌は、この日を境に歌道に精進したと言い伝えられている。

      七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだに無きぞ哀しき


 当時の雨具としては、蓑は農作業の必需品であった。藁を編んだ蓑一つすら無い清貧の生活のなかで、年端もゆかぬ少女が、殿様の咄嗟の蓑の所望に、山吹の花一枝をさし出した機転の物語は、信じ難い程の伝説である。が、貧しい暮らしの中にあっても、当時は「古歌を学ぶたしなみ」があったことの、誠にゆかしい言い伝えだ。翻って、虚庵居士も若い頃から清貧の暮らしであるが、我が子達にこの様な床しい教育環境を整えていたかと、今更ながら恥じ入り、悔やまれる。 

 


           緑葉の中に小粒の光るもの

           白山吹の実にこそありけり


           時経なばやがて輝き漆黒の

           命を抱かむ白山吹の実は


           白妙の清楚な花の思ひをば

           輝く小粒の実に託すとは


           山吹の黄花の思ひは如何ならむ

           託す実もなく散りにけらしも






「うつろ庵の薮茗荷」

2013-07-15 00:37:20 | 和歌

 「うつろ庵の薮茗荷」が、小さな花を咲かせた。

 薮茗荷は元来、名前のごとく薮や林の中に自生する野草だから、住宅の敷地に自生させていること自体、自慢話しにもならぬが、白い小花が可憐なので、「うつろ庵」のお仲間として既に4年ほどにもなる。

 撮影した画像がピンボケ気味で冴えないので、以前、このブログに掲載したことを思い出して、
「やぶみょうが・藪茗荷」を開いてみた。虚庵居士がバカチョンカメラで写したとは信じがたい、見事な薮茗荷の数枚が現れた。それぞれの写真に添えた三首も、その時の虚庵居士の感性を素直に詠んでいて、自画自賛はお恥ずかしいが、花丸をあげたい気分だ。

 


           ピンボケの冴えぬ写真に嫌気して

           以前のブログを開いて見るかな


           目を瞠る画像と添えにし歌三首

           花丸与えて花人に脱帽






「サボテンの蕾」

2013-07-13 00:13:13 | 和歌

 ご近所のサボテンが沢山の蕾を付けて、咲き始めた。
見上げたら、大口を開けて襲いかかる恐竜かと、思わず一歩を退いた。

 サボテンは種類も豊富で、愛好家の好みもそれぞれに多様の様だ。
念のため、そのお宅の住人に名まえを尋ねたら、「スミマセン、横文字の名前が付いていたのですが、すっかり忘れてしまって 」と、先ず頭を掻きながら、「家族は、団扇サボテンと呼んでいるのですが ・ ・ ・」と恐縮して居られた。

 サボテンは元来が、灼熱の乾燥地帯の多肉植物だから、殆どが外国からの輸入種だ。名前も圧倒的に横文字が多いのであろう。意味も解らぬ横文字の名前が忘れられるのは、至極当然だ。

 それにしても、蕾の数はかなりの量だ。それぞれが咲けば、見事な花園に変わることであろう。

 


           見上げれば 大口開ける 恐竜か

           思わず後に一歩を退くかな


           恐竜のキバか歯並みかイナズマか

           こわごわ見れば蕾のかずかず


           イナズマと見ゆるは黄色に咲きそむる

           サボテン蕾の居並ぶ様かな


           サボテンの名前を問えばスミマセンと

           頭を掻きつつ 「忘れてしまって ・ ・ ・ 」


           難しい横文字の名前は忘れたが

           団扇サボテンと 家族は呼ぶとか






「土手の荒地花笠」

2013-07-09 12:13:57 | 和歌

 三浦半島を縦断する高速道路の終点・馬堀インターの土手に、「荒地花笠」がひっそりと咲いていた。

 草丈は人の背丈ほどにも成長する野草だが、葉も殆ど見当たらない茎の頂部に、ごく小さな花が控えめに咲いていた。枝分かれした茎のそれぞれの頂部に、米粒ほどの小さな花が疎らに咲くのだが、野原や土手では余程目を凝らさないと、花の存在すら気が付かぬ野草だ。

 近くで見れば、可憐な花があたかも花笠よろしく頭を飾っていた。 
カメラを構えたら、細い茎が風に揺らぎ、向こうに見える姫女苑の花もおぼろに揺れて、幻想的な世界へ虚庵居士を誘うかのようであった。

 

 「荒地花笠」はこれから秋にかけて、かなり長い期間に亘って咲き続ける。
一つの花が咲き終われば、花柄の上に新たな莟が膨らみ、可憐な小花は常に頂上に咲き続けるのだ。下の写真でも見れるように、花柄には長短バラツキがあるが、長い花柄は既にその長さだけ咲き続けた勲章といえる。

 秋まで咲き続けて重くなった花柄は、稲穂の様に首を垂れて枯れるが、多くの種子を抱いているのだ。次の年に備えて、生命の継承を忘れない逞しさには、脱帽だ。

 


           草叢の荒地に花笠頂きて

           ひそやかに咲く小花と語りぬ


           薄色の小花ゆれれば姫女苑の

           白き小花も揺れて応えぬ


           野に来れば野草の花々風に揺れ

           夢幻に遊べと手招きいざなう


           いと長き花柄なるかなその長さは

           よく咲き続けたとの勲章なるべし






「姫檜扇水仙」

2013-07-07 00:33:33 | 和歌

 空き地に「姫檜扇水仙」が咲いていた。

 この花は、随分とご大層な名前を頂いたものだ。勝手な憶測で恐縮だが、根元から伸びる葉の配列が、檜扇に似ていることから「檜扇」を頂き、比較的小ぶりな花ゆえに「姫」を頂き、等など人々の思いが重ねられて「姫檜扇水仙」になったのであろう。

 現代社会では「檜扇」はとんとお目に掛れなくなった。せいぜいお雛様のお道具に見られる程度だが、平安時代の衣冠束帯には無くてはならぬ服飾品であった。檜の薄板をつづり合わせた板扇だが、位階や男女により薄板の枚数も決められていたというから、当時はおろそかに出来ない品であったろう。

 扇とは言え、現代の紙と竹骨の扇子のように、携帯に便利な涼をとる手段ではなかった。笏(しゃく)の代用にも用いられたり、特に女性用には表に金銀箔を散らし彩絵して、長い五色の打紐が結ばれた檜扇は、平安宮中の公の儀式の際の持ち物であったようだ。

 名前に檜扇を頂く花の種類は、虚庵居士が知るだけでも数種あるが、庶民の抱く平安貴族への憧れの象徴として、「檜扇」が使われたものかもしれない。
野に咲く「姫檜扇水仙」を愛でながら、あれこれ思いを巡らせる虚庵居士であった。

 


           もじゃもじゃと絡む草ぐさ意にもせず

           姫檜扇水仙さくかな


           宮中の檜扇の名前を頂きて

           みやびに咲くかも草叢にても


           人々の思ひをその名に受け止めて

           嫋やかな姫 紅に咲くかな


           世の民の憧れならめや檜扇は

           手に持たざれば花に名づけて






「小エビ草・Shrimp bush」

2013-07-05 14:20:19 | 和歌

 「小エビ草」が、ピチピチと跳ねる海老の様に咲いていた。

 この花を観て海老を連想するのは、洋の東西を問わぬ様だ。
英名でもシュリンプ プラント(shrimp plant 海老の木)、または シュリンプ ブッシュ (shrimp bush)と呼ばれ、彼らも海老の姿を花に重ねているようだ。

 また花図鑑によれば、別名ベロペロネ(Beloperone)はギリシア語のベロス(belos ・矢)とペロネ(perone・留め金)を重ねて、苞の重なる形を表した名前だ、との解説があった。

 海老の殻と云わず、矢と留め金と云わず、それにしても摩訶不思議な姿を造化の神は造り給うたものだ。だが奇形の部分は飽くまで苞であって、肝心な花は先端に白くピロピロと出ている部分だから、ますます笑いがこらえられない。
造化の神が、「どうじゃオモロイだろう」と自慢げに微笑む姿が見えるようだ。

 


           仰ぎ見れば小海老のかずかず泳ぐかな

           いつ海底に潜ったのかしら


           海老たちの集い泳ぐは斯なるや

           シュリンプ ブッシュの花に問うかな


           この花に海老の姿を思い描き

           洋の東西 名前にするとは


           ぴろぴろと舌を出すよな白妙の

           小さなあれこそ花ぞと笑ひぬ






「田代山湿原の花々」

2013-07-03 20:42:16 | 和歌

 会津地方・田代山湿原の花々の写真を、友人がご恵送下さった。
普段お目に掛れない高山湿原の花々だ。友人のお許しを頂いたので、読者の皆様にもお裾分けでご紹介する。

 「標高1,971mの田代山は山頂近くに、世界的にも稀な台形状の山頂湿原があって、この季節には様々な高山植物が咲き誇っていて、中々の散策でした」と認められていた。

 友人・末木隆夫氏が撮影・ご提供下さった原画は、解像度も色調も抜群のパノラマ写真であったが、ブログ掲載に際しての制約から、サイズの縮小・アップロードなどの操作により、写真の品格が残念ながら損なわれた。同氏にお詫びしつつ、念のためここに付記する。

 
                           コバイケイソウ(小梅けい草 ユリ科)

花図鑑によれば小梅けい草は、「花を咲かせるに十分な養分を必要とし、数年に一度しか咲かない」とある。何とラッキーな廻り合わせであったことか! 

 再び末木氏のメール抜粋
「霧降高原に寄ったのですが、一寸先も見えないガスに覆われた中で、一瞬ガスが消えた時に撮った日光キスゲの群生写真です。」

 
                           (日光黄萓 ユリ科)

 濃霧の名残が観られる生々しい景色に、感嘆した。虚庵居士の田舎、霧ケ峰高原の日光キスゲが懐かしく想い出された。 なだらかな丘陵状の草原を埋め尽くして、日光キスゲが咲いていることであろう。


                    ワタスゲ(綿萓) 別名スズメノケヤリ(雀の毛槍)

 次の写真には可憐な花に似合わぬ、「チングルマ」との奇妙な花の名前が添えられていた。念のため花図鑑のお世話になって調べたら、次のような解説が見つかった; 受粉が終わると、花弁と雄しべが落ち、雌しべが長く伸びて鬚の様な綿毛になります。その形が、昔の子供(稚児)がもつ風車に似ていることから「稚児車」と呼ばれ、それが訛って「チングルマ」になったということです。

 さらに驚く解説が付いていた; この花について断わっておくと、実は、一見草のように見えるこの植物は、地面を這う落葉低木、つまり木の仲間だということです。


                         チングルマ(稚児車 バラ科)


           高山の湿原に咲く花々を

           観れば一緒に行く心地かな


           数年に一度の花の饗宴を

           はからず観るとは僥倖なるかな


           一寸の先をも見えぬ濃霧きれて

           日光キスゲの迎えをうけしか


           綿萓の見渡す限りの湿原に

           思ひのほどをひろげし君かも


           稚児の持つ風車を花の名前にと

           みやびの心にしびれる爺かな






「梅雨の合い間のレインリリー」

2013-07-01 21:51:53 | 和歌

 「うつろ庵」のレインリリーが咲いた。

 半月ほど前にも咲いたのだが、二順目が咲き揃った。この花は、梅雨の頃に咲くので、レインリリーと呼ばれているが、又の名を
「ハブランサス・ロブスタス」とも云う。
花図鑑で調べた結果を以前に掲載したので、ご参考にリンクを張っておく。

 

 梅雨の頃に咲き始めて、真夏になっても次々と花を付ける優れものだ。
更に花の後には実を結び、莢の中に沢山の種子を抱えている。種がこぼれて発芽し、球根を次々と増やす逞しい生命力の持ち主でもある。

 「うつろ庵」のレインリリーは、ご覧の様な淡いピンクの色が何とも優雅だ。
種類によっては赤みが更に加わったり、或いは朱色が勝ったりするが、虚庵居士はこの色合いに首ったけだ。

 大紫つつじの根方に、種子が風で飛んで来て腰を据えたものだが、薮茗荷も同様に共生する愉快な一郭である。

 


           梅雨に入り待ちにけらしもわぎもこは

           いろ淡く咲くレインリリーを


           斯くばかり仄かな色のかんばせを

           誰に向けるやレインリリーは


           しろたえの乙女のかんばせ仄かにも

           匂い立つかな思ひをかくせず


           花咲くも日を措かずして萎れなば

           新たな花に思ひを託すや


           つぎつぎに麗しき花を俯きて

           咲かすはたぎる思ひならめや